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フィジカル・カタルシス|穂の国とよはし芸術劇場PLATにて。スペースノットブランクのダンス・レジデンス滞在日誌『ほほえみ』12日目と17日目

2019年12月11日、水曜日。

2019年12月6日、金曜日の夜に豊橋での作品試演会(成果発表会)を終えた。夜はそのまま豊橋に泊まり、翌朝の新幹線で東京へと向かう。新幹線を降りて三鷹へ向かう電車に乗り換える。三鷹にあるSCOOLというインディペンデントなスペースは雑居ビルの5階に位置しており、閉所恐怖症泣かせなエレベーターに乗る。SCOOLでは四季折々イベントが開催されており、2019年12月15日には麻雀会だってやるらしい。
◉SCOOL麻雀会

その日。作品試演会(成果発表会)の翌2019年12月7日の14時から上演がはじまる『配置された落下』を見に行った。2018年2月の『緑のカラー』に出演者として参加いただいた石田ミヲさんと、2019年3月の『言葉だけでは満ちたりぬ舞台』、2019年3月と5月の『フィジカル・カタルシス』、2019年6月の『すべては原子で満満ちている』に出演者として参加いただいた瀧腰教寛さんが出演していた。
◉配置された落下

上演が終わり、三鷹から信濃町へ。文学座アトリエにて19時から上演がはじまる『メモリアル』を見に行った。2019年10月の『ささやかなさ』に劇作家として参加いただいた松原俊太郎さんの新作である。『ささやかなさ』とのささやかな共通項もあるように感じる。上演後は松原俊太郎さんの参加するトークがあり、聞いた。文学座アトリエの出口で松原俊太郎さんと豊橋の話を少し交わして、帰路に就く。
◉メモリアル

現実を生きている。と感じる瞬間がたくさんある。豊橋にいる時に書く豊橋についての言葉と豊橋にいない時に書く豊橋についての言葉は違う。だから今は豊橋のことをうまく書くことができない、と思い、現実を生きている。と感じる。人間の身体は「移動」する。移動が運ぶのは身体だけではなく、現実そのものだと思う。目に見える現実が変化し身体が再配置されることで移動の完了を認識し、現実を生きている。と感じる。2019年12月8日、こまばアゴラ劇場へと出掛ける。2019年6月に『すべては原子で満満ちている』を上演した場所であり、2020年8月に『フィジカル・カタルシス』を上演する場所でもある。劇団速度の『冒した者』を見に行った。好光義也さんとは2019年3月に『デスクトップ・シアター』のワークインプログレスで共演し、それ以来優れた舞台を作る人だと認識はしていたが『冒した者』ではその認識をはるかに上回るクオリティを生み出していた。驚きで笑いが堪えられなくなるほど。現実を生きている。と感じ、その瞬間に舞台監督や出演や原作や舞台美術や演出や照明デザインや制作などの役職の設定を現実が貫いた。実存性がフィクションから現実まで移動そして到着した瞬間に、設定された基準は目に入らなくなる。何を言う、何をする、関係ない。身体が「ある」ことが移動によって成立して舞台は実存する。小野彩加と中澤陽は二人組の舞台作家である。テキストの責任に体重を預けた身体や、空間の美学に甘んじた身体のリアリティから創造性が息を吐くように失われ、想像力が幅を利かせる余地もない。舞台から身体は消えてしまった。スペースノットブランクの舞台三部作『舞台らしき舞台されど舞台』、『言葉だけでは満ちたりぬ舞台』、『すべては原子で満満ちている』は舞台から身体が消える過程を描いている。「舞台三部作」を統合して上演する計画も進んでいる。「身体が消えた後の世界を描く舞台」を上演する計画も進んでいる。そんな中で『フィジカル・カタルシス』では身体が「ある」ことを前提として「動き」を作り、作品試演会(成果発表会)では小野彩加が500の動きを20分かけて上演した。花井瑠奈さんと山口静さんが加わりさらに300の動きを5分かけて上演した。インスタグラムでライブ配信も試みた。「ある」身体と「ない」身体が「動き」を共有する時間。しかし舞台は現実にとって有用か? 答えはまだない。豊橋での12日間はとても有意義でした。制作と研究の境界を見つけ、舞台を革新していくための第一歩になったと信じています。

ダンス・レジデンスのために多様な力を注いでいただいた穂の国とよはし芸術劇場PLATの皆様、ワークショップと稽古場公開と作品試演会(成果発表会)にご来場いただいた皆様、滞在期間中に創造制作室Bのガラスの向こうから覗いていただいた皆様、ありがとうございました。感謝の気持ちと、また豊橋で出会えることを願い、スペースノットブランクのダンス・レジデンス滞在日誌『ほほえみ』を終わります。

中澤陽


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フィジカル・カタルシス|作品概要

フィジカル・カタルシス|穂の国とよはし芸術劇場PLATにて。スペースノットブランクのダンス・レジデンス滞在日誌『ほほえみ』11日目

2019年12月5日、木曜日。

台湾茶は茶色か? ミルクはミルク色か? 二つを混ぜた色の名前をまだ知らない。タピオカは黒く柔らかく歯で噛むと弾力が跳ね返ってくるグミのよう。3日連続で飲んで(食べて)いる身体は何を思っているだろうか。尋ねても応えてはくれない。明日も飲む(食べる)と思う。思うのは身体ではなく精神のはたらきであり、精神は身体に内包されているから、身体の一部か? 色については疎い。疎いというより悪い。精神の痛みを避けるために、色の判別をせずに生きるようになった。遠くの文字が見えなくても問題はないが、見える色が判別できないことは問題があるらしい。驚かれたり、嘲笑されたりする。色の判別ができない身体を持っている。異常として扱われることは悲しいが、固有の身体を固有の身体として受け容れている自己の精神は保つことができる。ダンスを見ているとそういうことを思います。自己の精神を内包した固有の身体は、他者の(以下同文)を見ると、無味無臭の繋がりを感じる。神経が躍動し固有の身体が描く線は自己と他者を結び、固有の身体と固有の身体が空間の内側に裏返るよう。ダンスを身体で捉えることも、身体の一部の目で見ることも大差ありません。できるできないの問題ではなく、何をチョイスするか、ということ。「身体がある」ということが、人間に用意された最も原理的なツールです。身体を離れた意識はインターネットの海を游ぎ、あらゆる偏向にさらされて、火葬のように炎上し、身体は灰になってしまう。「身体がある」ことを忘れてしまうと、他者と繋がることを忘れてしまう現代(なう)です。ダンスを作り、舞台作品を作ることでやりたいこと(のひとつ)は、「身体がある」という経験を共有することです。書いている今、日付は変わって2019年12月6日、金曜日になりました。滞在は最終日になりました。稽古場公開を行ないました。ぽつりぽつりとですが長くじっくりとした時間を、見られていることを感じて過ごしました。花井瑠奈さんと山口静さんが加わり、第3のフェーズ「形」のバリエーションに突入。細かく「3-1」「3-2」「3-3」と分解され、アクションゲームのようになってきました。作品試演会(成果発表会)は30分程度になる予定です。無料です。19時からはじまって、20時にはすべて終わります。豊橋でも『フィジカル・カタルシス』を上演することを目指して、継続します。『フィジカル・カタルシス』を上演することだけではなくスペースノットブランクのことを知っていただくことを目指して、継続します。身体があります。人が動いています。ご来場お待ちしております。

中澤陽


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フィジカル・カタルシス|作品概要

フィジカル・カタルシス|穂の国とよはし芸術劇場PLATにて。スペースノットブランクのダンス・レジデンス滞在日誌『ほほえみ』10日目

2019年12月4日、水曜日。

『フィジカル・カタルシス』第3のフェーズ「形」について研究を行ない、10日間が経ちました。フェーズの中に潜むまだ見ぬさらに細やかなフェーズを見つけるために、豊橋にいます。作品の連なりが作品となり、作品の連なりを追いかけ続けた痕跡(TRACE)がまた作品となるように、研究を継続しています。2018年の終わりから、ダンスを再考することを決めて、2019年1月、2019年3月、2019年5月と「形」を変えて、「痕跡」を残して、2019年11月、豊橋に来ました。スペースノットブランクは何者か? わかりません。舞台について考え、「舞台(と呼ばれてきたもの)をやめるための舞台」と銘打ち、2018年9月『舞台らしき舞台されど舞台』、2019年3月『言葉だけでは満ちたりぬ舞台』、2019年6月『すべては原子で満満ちている』の3つの作品を制作、上演しました。それらと並行して『フィジカル・カタルシス』では、舞台芸術に成る以前のダンスを考察しています。研究は前進します。『フィジカル・カタルシス』は、2020年8月にこまばアゴラ劇場での上演を予定しています。オリンピックとパラリンピックに挟まれる日程です。東京(日本?)では「人が動く何か」に関心が集まっている頃だと思います。「競争」する「動き」と、「共生」する「動き」を並べて、『フィジカル・カタルシス』を次に進めるために再びパッケージします。人(舞台)と人(観客)の輪郭には言葉があり、言葉の輪郭には意味があり、意味の輪郭には理解がありますが、そのすべての輪郭に元来共通する身体と動きを浮き彫りにして、一義と多義を反復横跳びしながらカタルシスへ到達するダンスを目指して、継続します。

今日から豊橋に花井瑠奈さんと山口静さんがやってきました。2019年3月のスパイラルホールでの上演と、2019年5月のシアター・バビロンの流れのほとりにてでの上演に参加いただいた二人です。

明日は稽古場公開。出入り自由で自由にやっています。ご来場お待ちしております。

中澤陽


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フィジカル・カタルシス|作品概要

フィジカル・カタルシス|穂の国とよはし芸術劇場PLATにて。スペースノットブランクのダンス・レジデンス滞在日誌『ほほえみ』9日目

2019年12月3日、火曜日。

500の動きを並べると20分ほど。こう言うと聞こえ(見栄え)はよくないかもしれませんが、小野彩加が20分間動き続けているのを見るのは楽しいです。しかもこれまでの小野彩加の動きの歴史の中でも最高峰の並び。振付、ダンス、身体、見どころがたくさんあります。小野彩加と一緒に動くのも楽しいです。「形」について、記号だけではなく目に見える身体を追って動きを繋げる作り方を改めて行なっています。「形」は輪郭、質量、重量、そして熱を含みます。作品試演会(成果発表会)に向けて検討しています。「作品」試演会なので、作品を見せるのですが、作品である、作品でない、はスペースノットブランクの最たる研究課題。2018年12月に展示と上演を行なった『原風景』では、出会った人の「制作物」をお借りし、それらを美術館に展示することで「作品」として「仕立て上げる」行為を「作品」にしました。『フィジカル・カタルシス』も、身体から動きが発出する原理と身体が動きを吸収する原理を指す概念なので、それによって作られた動きの並び=振付=ダンスが結果として「作品」になっているだけのことです。高校生の頃、油画をやっていました。「作品」の定義は、物事を扱う視野角によって異なります。「である」か「でない」よりも「ちがい」に目を向けることをチョイスできるようになりたい、と今は思います。可能性の話です。「ノリ」の付属物としての身体は、身体の付属物としての「ノリ」かもしれなく、作品同士が影響し合う東京(日本?)の舞台芸術市場で制作と上演のサイクルを引き続くことは、競争ではなく新しい協働かもしれません。定義こそ、あるようでないようなもの、ないようであるようなもの、「わからない」ということが「わかる」ならそれで十分だと思います。「わからない」から「わからない」のではなく、「わからない」ことが「わかる」という希望を取り扱い、刹那でも自己と他者が「作品」という定義を通じて共生することを探究し続けたいな、と小野彩加のダンスを見て強く感じます。皮膚の摩擦、足腰の痛み、汗、関節の違和感、疲労、吸う、肋骨、視界がぼやける、衣服、頭の重み、体幹、軸、視覚の認識、眠気に対する集中、終わりの予感、失敗、やり直し、思い出し笑い、無関係な何か、他者の顔色、(目に見えない)見どころがたくさんあります。目を閉じると距離感が鋭敏になって、足音がとても近くに聞こえたり、とても大きく聞こえたりするかも。フィジカル(形而下)は目に見えても、カタルシス(形而上)は目に見えない。目に見える「作品」を作るので、目に見えない「作品」と繋げてください。何かを作ろうとしなくても、何かが作られていく状態の中で生まれた「作品」を一緒に楽しみましょう。身体をオープンしてお待ちしております。

中澤陽


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フィジカル・カタルシス|作品概要

フィジカル・カタルシス|穂の国とよはし芸術劇場PLATにて。スペースノットブランクのダンス・レジデンス滞在日誌『ほほえみ』8日目

2019年12月2日、月曜日。

一日が過ぎるのが早い。

書くことがない、というのもずっと制作をしているからで、目新しいものがありません。食べたものといえば味噌カツ丼。夜はスーパーで海鮮を買ってどんと海鮮丼を作って食べました。書くほどのことがありません。

制作は順調といえば順調で、発見の喜びに満ちています。『フィジカル・カタルシス』とは何か。という点から、第3のフェーズ「形」について徹底的に。制作というより研究の時間です。だからこれは時間を作るための時間なのだと解釈しています。舞台は上演を行なってこそ観客と出会い、世界と出会うことができます。なので、上演を行なうことは自分たちが世界と繋がっていることを認識するための場として機能しています。舞台を制作して、上演して、その繰り返しは、行動力と意識が比例していればそこまで難しいことではありません。しかしそれは「それによって生活のためのお金を稼いでいく」という意味で仕事であり、「大小問わずアクションが波紋を生み世界を変えてしまうかもしれない」という重責を負うことです。自分のためでも、他人のためでもあります。社会や世界のため、と意識している人もいると思いますが、心に思っていてもそこまで大袈裟なことを口にするのは抵抗があります。ただ、小野彩加と作る舞台が「社会や世界にどう影響していくのか」を無視して作品を作ることは即ち自分たちの行動や活動を疑うことをやめることだと思っています。どちらとも言えません。最も重要に考えていることは「自分たちのことは誰も知らず興味もない」と思うことです。卑下でも謙遜でもなく、影響力の時代に於いてそれは事実であり、事実に目を背けたくないからです。「誰も知らない」ことを、「誰も興味がない」ことを一所懸命にやっている自分たちは何者か。自分たちにとって作品同士が影響し合う東京(日本?)の舞台芸術市場で制作と上演のサイクルを引き続くことは、目の前にあるひとつの(目に見える)基準を超えるためのチャレンジでしかないと感じています。その基準を決定するための基準も多様です。「おもしろい」ことは、すでに他の誰か(たち)が十分に行なっているのです。右を向いても、左を向いても、世界は「おもしろい」こと(と混乱)で溢れています。街では大抵の人たちが下を向いています。既存の価値に成り代わる新しい価値はいつまでも増え続けます。5G(νガンダム)は伊達じゃない。「おもしろい」が渋滞し、世界と繋がるために制作と上演のサイクルが「速すぎて見えない!」膠着した現代を「超越」するために、研究を継続します。

上演に交わるすべての方向線が、必然に好奇心を刺激するために。

中澤陽


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フィジカル・カタルシス|作品概要

フィジカル・カタルシス|穂の国とよはし芸術劇場PLATにて。スペースノットブランクのダンス・レジデンス滞在日誌『ほほえみ』7日目

2019年12月1日、日曜日。

12月。また一年が終わりそう。豊橋での滞在もあと少し12月6日まで。

小野彩加と中澤陽、二人の写真です。スペースノットブランクとして表す時に使っています。合成ではなく並んで撮りました。撮影者はDan Åke Carlssonさん。

穂の国とよはし芸術劇場のロゴマーク。同じ顔の向き。驚いて笑いました。

今日はお休み半分フィールドワーク半分にのんほいパーク a.k.a. 豊橋総合動植物公園へ行きました。

二川駅から歩いて6分。ゲート前のアーチで(スピーカーから)動物たちの(録音された)鳴き声が出迎えてくれます。エンターテインメントの導入としてパーフェクト。絶好調で精神年齢を9歳前後に引き下げてゲートをくぐりました。進むと温室が見えてきます。のんほいパークは、動物園、植物園、遊園地、自然史博物館をひとつにまとめた泣く子も黙る超弩級のテーマパークです。インスピレーションの宝船。世界にひとつしかないプリクラもあります(どこにあるかは秘密)。温室に入るとまずはスコールのエリア。暗く湿気た岩石が両脇に置かれ、雨と雷が鳴り響きます。テンション最高潮。苦手な子供は恐らく号泣。「のんほい」というぐらいだからもっと「のほほん」しているのかと思いきや、プロローグからエピローグまでクライマックスのファイファン。スコールのエリアを過ぎ熱帯雨林へ。

滝がありました。異世界に迷い込んだ気分。汗だくになりました。温室の環境管理が行き届いているのでしょう。熱帯雨林の匂いがします。熱帯雨林の匂いなんて嗅いだことないのに。バナナがあったり、意味不明な模様の葉っぱがあったり、見えないところに謎のキャプションがあったり、遊び心満載。いや、アソビゴコロ満載。狂言師ばりのすり足で濡れた順路を転ばぬよう歩きます。温室はいくつかのエリアに分かれており、珍しい植物を盛りだくさん見ることができました。温室を出ると、和の植物と池のある庭園や、信じられないほど綺麗に植えられた花々が並ぶ噴水広場など、心も身体も自然に埋もれてすべてがデトックス(エコー)。

これは根でしょうか。植物は遠くと近くとで絵画のように印象が大きく変わります。木が林に、林が森に。驚きの触り心地かもしれません。植物に触れると幸せになります。自然史博物館に到着しました。生命の爆発。骨、骨、骨、化石、骨。めちゃくちゃおもしろかったです。精神年齢が9歳前後なので大したことは書けませんが、サンタさんに書く手紙に「ゲームボーイ」と書きたくなるような奥ゆかしい気持ちになりました。ゲームの歴史もすごいけど宇宙の地球の生物の歴史はもっとすごい。古生代から現代まで順に見られる順路も素晴らしく、ほう、ほう、ほう、と頷きながら進みました。このボケを考えるために「サンタクロース 鳴き声」で検索しましたが、良いオチが浮かびませんでした。剥製のエリアに「生きているぼくたちに会いに来てね!」と剥製になった動物が「生きる」動物園のエリアが指し示されており、今日最も演劇的に感じました。

「よう」と言っている顔をしてます。右奥の仲間が恥ずかしそうにこちらを見ている。動物園もいくつかのエリアに分かれていて、とても広いです。ゆっくり楽しんだら一日では回りきれません。動物園で強く感じることは、プリミティブになればなるほど、「生きる」人間たちが「生きる」動物たちを見ている、という価値についてです。「幸福度」という言葉がありますが、動物たちは何を幸福とするのか。「生きる」人間が「生きる」動物を見ることと、「生きる」人間が「生きる」人間を見ることは、どう異なるのか。閉園後は、創造制作室Bに戻りました。一面ガラスで外が丸見えです。外から小野彩加が踊っている様子を立ち止まって見る人もいます。自由に出入りできますが、ガラス越しに見られていると動物園の動物たちの気持ちを考えてしまいます。動物を見て、知る、という学びがあるように、ダンスを見て、知る、という学びもあります。舞台の上演には観客席と舞台上に壁はなく、ガラスもなく、「生きる」人間が「生きる」人間を見ます。檻には入っていませんが、時間に捕らわれています。決まったタイミングでやってきて、決まったタイミングで喋ったり動いたり見たり見られたりします。決まっていることをどれだけ決まっていないこととして扱うことができるかが大切です。「生きる」を演じている人間たちと、「生きる」を見られている動物たち、どちらが幸福なのでしょうか。

12月5日には稽古場公開があります。17時から21時の4時間、ガラス越しではなく、同じ空間で見ていただくことができます。申込不要、無料です。

12月6日には作品試演会(成果発表会)があります。どうダンスを提供するか検討中ですが、「ダンスをする」と「ダンスを見る」を往復して、ダンス・レジデンスで行なったダンスの過程としての結果を見て、知る、という学びへ互いに繋がりたいと思っています。申込不要、無料です。ご来場お待ちしております。

中澤陽


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フィジカル・カタルシス|作品概要

フィジカル・カタルシス|穂の国とよはし芸術劇場PLATにて。スペースノットブランクのダンス・レジデンス滞在日誌『ほほえみ』6日目

2019年11月30日、土曜日。

朝は早く、朝食を食べて劇場へ。自転車で移動できる距離に劇場があり、制作ができ、幸せです。豊橋で上演もしたい。

ワークショップをやりました。

滞在は折り返し。自己が思考して動きを提供する。他者が思考した動きを享受する。思考と動きの連鎖を参加者の固有の身体と想像力で楽しむことができる仕組みのワークショップでした。何かを作ろうとしなくても、何かが作られていく状態が最高でした。『フィジカル・カタルシス』は「ダンスをする」と「ダンスを見る」から発想したアクチュアルなダンスなので、より多くの身体を通過するとより多くの発見があります。ダンス・レジデンスで研究している第3のフェーズ「形」についてのワークショップでしたが、たったひとつの要素でも、固有の身体を往復することで多くの動きが生まれ、永久に振付が続くのではないかと思いました。参加者の皆様、ありがとうございます。豊橋でまた会いましょう。

明日は少し休んで、作品試演会(成果発表会)に向けて、前半のまとめと定着を行ないます。

豊橋で生活しています。習慣は整然と、スケジュールは雑然と。東京では街へ出ると人がこわくてこわくてどうしようもなくなる時があります。トラウマがあり井の頭線に乗るのが不得手。高松でも豊橋でも自転車で風を切りスピーカーから音楽を流し生活をしているのは心地が良いです。生活に根ざした制作、制作に根ざした生活、循環が生まれています。

ワークショップが終わり、がらんどうの創造活動室Bを見て、空間の実存性と身体の実存性が生活のように融和することを夢見ました。

小野彩加は今日も思考し、動き、固有の身体と想像力を空間へ放出しています。「ノリ」の付属物としての身体。作品試演会(成果発表会)で創造活動室Bに「ノリ」を超える「ライブ感(絶妙な空気感とグルーヴ)」を充満させることを目指して、継続します。

中澤陽


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フィジカル・カタルシス|作品概要

フィジカル・カタルシス|穂の国とよはし芸術劇場PLATにて。スペースノットブランクのダンス・レジデンス滞在日誌『ほほえみ』5日目

2019年11月29日、金曜日。

豊橋と浜松は近く、2003年の浜松を思い出しました。

2003年6月13日。母からの誕生日プレゼントに倉木麻衣さんのコンサートのチケットをもらい、アクトシティ浜松に来ました。『FAIRY TALE』のツアーでした。
◉YouTube|倉木麻衣『Fairy tale ~my last teenage wish~』

小学生の頃から倉木麻衣さんが好きで、よくコンサートに行っていました。サポートバンドのEXPERIENCEが帯同しなくなった頃からあまり好きではなくなってしまって、倉木麻衣さんとEXPERIENCEの演奏が好きだったのだと気がつきました。絶妙な空気感とグルーヴがコンサート会場に充満していて、小学生ながら自分なりの音楽の楽しみ方をしていたと思います。
◉倉木麻衣公式WEBサイト

浜松には日本で唯一の公立楽器博物館があります。そこにも行きました。記憶が曖昧なのですが、連弾用のピアノをはじめて見たのがそこだと思います。当時ピアノの連弾になぜかハマっていたので、ひとり興奮したのを覚えています。
◉浜松市楽器博物館

浜名湖のうなぎを食べたいと言って、うなぎを食べさせてもらった記憶もあります。和室のお店だったような。
◉じゃらんニュース|浜松うなぎの美味しい店10選!

それら、浜松での記憶が強く残っているのは、とある出来事があったから。倉木麻衣さんでも、ピアノでも、うなぎでもなく、浜松市美術館で見た池田学さんのペン画『再生』との出会いです。
◉美術手帖|2017年4月号『特集 池田学 ペンで登る絵画の頂』

2001年に開催された〈第4回はままつ全国絵画公募展〉で大賞を受賞した池田学さんの『再生』が浜松市美術館に収蔵されており、その作品を見て強い強い衝撃を受けました。その衝撃が、小学生の中澤陽少年を芸術家の道へ導いたきっかけのひとつです。倉木麻衣さんがいなかったら浜松に行かなかったので、倉木麻衣さんのおかげでもあります。

ダンス・レジデンスは5日目。動きの数も増えてきて記憶するのも一苦労です。身体に動きを馴染ませていきながら、記号と動きを往復しています。舞台制作に於ける記憶は非常に重要で、忘れることも重要です。この日誌のように活動の記録をすることはありますが、舞台は上演以外はほとんど記録しません。便利なスマホ動画撮影は、舞台が時間芸術であり、世界や社会の流れと共に変化していく必然性を否定してしまうことになりかねません。一日前のクオリティはすでに古く、一日後のクオリティを信じて、舞台のクオリティを生み続けるしかありません。それにより、舞台をはじめて見る観客たちが、舞台に表現される最も新しいクオリティの記憶を経験することができます。

池田学さんの『再生』が今も記憶の中で再生されています。自分たちの作品が誰かの記憶の中で生き続けることを目指して、継続します。

中澤陽


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フィジカル・カタルシス|作品概要

フィジカル・カタルシス|穂の国とよはし芸術劇場PLATにて。スペースノットブランクのダンス・レジデンス滞在日誌『ほほえみ』4日目

2019年11月28日、木曜日。

黙黙と作っています。言葉は「はい」と合図を交わす程度で、小さく大きく動きを塗り重ねています。記号が身体を通して一本の「ひも」の上に並べられ、10分ほど動き続ける小野彩加を見ていると、動きが描く「みち」が遠い地平線の先まで続いていることを実感します。動くことに対する自然なチョイスが、最早特殊な生態の生物に見えてきます。


2019年1月|『フィジカル・カタルシス』ベーシック|撮影:bozzo

『フィジカル・カタルシス』は2019年1月12日、日暮里のd-倉庫ではじめての上演を行ないました。倉庫と言う名の劇場。『ダンスがみたい!新人シリーズ17』参加作品です。小野彩加と二人きりの上演。ダンスをする、ダンスを見る、の二つを軸に5つのフェーズ(音楽、リプレイ、形、ジャンプ、トレース)を考案しました。 5つのフェーズは約3秒間の暗転によって区切られます。テープレコーダーを使用し、Normal Brainの『M-U-S-I-C』をア・カペラする場面からはじまります。歌に合わせリズムを刻む小野彩加がやってきて、歌い終わると暗転。明転すると第2のフェーズ「リプレイ」に移行します。各フェーズが持つ性質を応用複合はせず、基礎(ベーシック)を並べました。この時点で5月の上演を決めていたので、ここからどう応用複合していくかが問題です。


2019年1月|『フィジカル・カタルシス』ベーシック|撮影:bozzo

公募に応募していた『ダンサロン vol.6 ダンス・イン・プログレス』への参加が決まり、5月に先駆けてワーク・イン・プログレスを上演することになりました。2019年3月30日、スパイラルホールでの上演です。


2019年3月|『フィジカル・カタルシス』プログレス|撮影:羽鳥直志

瀧腰教寛さん、花井瑠奈さん、山口静さんを加えた5人で、もとは5月に上演する内容の一部を上演する予定でした。しかし、1月から5月のあいだの3月に、1月から5月に向けて進歩(プログレス)するための最適解を検討した結果、『フィジカル・カタルシス』を「説明する」べきだと考え、テキストを用いたリーディングを行ないます。オープニングはCarpentersの『Top of the World』のア・カペラ。フェーズを言葉で説明し、説明が終わると暗転。明転すると次のフェーズの説明。身体の形や配置を変化させながら喋ります。言葉で『フィジカル・カタルシス』を説明し、観客たちと理解を共有することで、5月に向けてダンスを使って何をやっているのか、何がしたいのか、何なのかを考えました。5月に上演する内容は一切上演しませんでした。


2019年5月|『フィジカル・カタルシス』オリジナル|撮影:月館森

2019年5月10日、11日、12日の3日間。1日1回。シアター・バビロンの流れのほとりにて、にて上演を行なった『フィジカル・カタルシス』はいよいよ上演時間60分。東京バビロン提携公演(ありがとうございました)。引き続き瀧腰教寛さん、花井瑠奈さん、山口静さんと5人で。オープニングは瀧腰教寛さん作詞作曲『フィジカル・カタルシスのテーマ』とスピッツ『空も飛べるはず』の弾き語りとコーラス。5つのフェーズを応用複合し、各フェーズに別フェーズの要素が加わったり、重なったり、影響し合ったり。1月、3月、5月の上演を経て『フィジカル・カタルシス』はダンス(ダンスをする)から、ダンス作品(ダンスを見る)に少しずつ移動してきました。ダンスを作る、ダンス作品を作る。二つの軸は容易に混同されがちですが、考えるべきことが大きく異なります。ダンス作品に作者はいても、ダンスに作者はいません。身体があるだけです。この上演が『フィジカル・カタルシス』というダンス作品の原形(オリジナル)になりました。


2019年5月|『フィジカル・カタルシス』オリジナル|撮影:月館森

「ベーシック」、「プログレス」、「オリジナル」。

ダンス・レジデンスでは、5つのフェーズが影響し合って形作られていた『フィジカル・カタルシス』を解体して、第3のフェーズ「形」を徹底的に分析(アナリシス)しています。ダンス云々抜きにして、持続可能な舞台作品を目指すために必要な研究です。制作と上演の循環は「置いといて」、舞台作品を創造するためのフェーズ(段階)の最適解(最善解)を検討しなければなりません。

『フィジカル・カタルシス』は「アナリシス」を経て、2020年8月に再び上演を決めています。

そのために今は遠い地平線の先まで続いている道に「あな」を掘り続けます。

中澤陽


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フィジカル・カタルシス|作品概要

フィジカル・カタルシス|穂の国とよはし芸術劇場PLATにて。スペースノットブランクのダンス・レジデンス滞在日誌『ほほえみ』3日目

2019年11月27日、水曜日。

動きの量産体制が整いました。3日目。

量産、しかしひとつひとつ手作りオリジナル。まったく同じはありません。似てるはあります。午前に小野彩加と動きの交換をして、修練している間に記号のアーカイブ化をしていました。これが、これが、これが動きを作るよりも大変。キーボードを叩く音を出すために文字を書いているのでパソコンの取り扱いは慣れています。が、記号(記号について、2日目を参照)をノートにボールペンで、と液晶画面にトラックパッドで、では身体の使い方がかなり違います。イラストレーターを使い、ぷちぷちアンカーを打って線を引いています。

身体も眼精もたくさん使って時間がなくなってしまったので、簡単にまとめて眠ります。

ものを色んな角度から見ることの話を1日目(角度について、1日目を参照)にしました。お昼を食べたあとにぷらぷら景色を見ていると、鶏。

「アデランス」懐かしい響きがします。お昼は魚を食べたので悲しい気持ちにならずに済みました。右に三歩、歩いてください。

「アデランス」どの角度から見てもはっきり見える素晴らしい広告塔。卵を産み落としていました。卵がその角度で自立するのか、と疑い、茹で卵を高速回転させた時の状態なのだと思い込み納得しました。ぜひやってみてください。生卵は高速回転させても自立しません。

見える、見えない、は身体と空間を扱う際に考えるべき大切なチョイスです。形についてだけ考えると、見える(表か)、見えない(裏か)になりますが、形の配置についても考えると、見える、見えないが「層」の問題に拡張します。この3日間、形についてばかり考えすぎていたかも、と悪い風に捉えてはいませんが、層のことを考える気兼ねもあれば身体も軽くなるかも、と鶏卵に気づかされました。

夜は肉じゃがを作りました。春菊の白和えも。

1日目の夜に作ったすき焼きの割り下と春菊が余っていたので使い回し。夜の料理は無の時間。人生に於いて料理をしている時間以外は制作のことを考えています。作るものはスーパーマーケットに向かう途中で冷蔵庫内を頭に並べて決めるので料理のスタートはそこから。じっくり作って時間がなくなってしまったので、キーボードを叩く音が子守唄に聴こえてきました。

3日間やりたいことをやり尽くしています。

動きの量産体制。回転率を上げていきます。茹で卵よりも速く回ります。

速すぎて止まって見える!

中澤陽


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フィジカル・カタルシス|作品概要

フィジカル・カタルシス|穂の国とよはし芸術劇場PLATにて。スペースノットブランクのダンス・レジデンス滞在日誌『ほほえみ』2日目

2019年11月26日、火曜日。

朝から少し雨が降っている。

滞在のことだけひたすら書いてあっても読む気持ちが遠のきそうなので、スペースノットブランクのこと、作っている『フィジカル・カタルシス』のことを書きます。目にさらされているわけではないのに、公共の場所でダンスをしていると、どうしてダンスをチョイスしているのかを深く考え、ダンスをチョイスしていない人々に共有する術を身につけなければいけない心延えになり、そのための導入としての滞在日誌になるように書きます。

どこにいても舞台を作っています。今はダンス・レジデンスですが、ダンスだけを作る作家ではありません。小野彩加と二人組の舞台作家です。舞台を作る芸術家ということで間違いありません。舞台芸術の創作をしています。確立してはいませんが、演出つまりディレクションという役割を担って舞台を作っています。ダンスで扱う振付という役割は、ほぼ演出という役割の一部として組み込むと同時に出演者の身体性と動く気兼ねに委ねています。

『フィジカル・カタルシス』は今年から制作をはじめた作品と呼べるかは微妙な心境になる作品です。1月、3月、5月と上演を行ないました。来年8月にも上演を行なう予定です。『フィジカル・カタルシス』は「ダンスのための動きの発出原理」のようなものです。人々は固有の身体を持っていて、振付が同じでも身体=動きの発出地点は固有です。固有の身体から固有の動きを発生させることを『フィジカル・カタルシス』と呼んでいます。固有の身体、固有の動きを自覚して「ダンスとして扱ってみる」ことでダンスになります。一般的に思いつくダンスの技術を駆使したダンスではなく、固有の身体を自覚し最適に活用したダンスです。

『フィジカル・カタルシス』には、音楽、リプレイ、形、ジャンプ、トレースの5つのフェーズがあり、今回のダンス・レジデンスでは第3のフェーズ、形についてをひたすら考えています。「千の形(動き)を作る」ことを滞在の到達地点にしていますが、数字で定義すると失敗と成功を意識しながら制作することになってしまうので、あくまで客体に向けてのスローガンです。固有の身体を自覚し続ければ、事実上無限に制作することができます。

「形」というのは二次元、三次元、目に見えるものの形のことを指しています。個人作業の場合は紙に記号を書いてそれを動きに変換しています。動きから記号に変換する場合もあります。往復を繰り返すことで形に対してどのような動きを持っているのか、動きに対してどのような形を想像するのかを知ることができます。

小野彩加に動きに対して想像した形(記号)です。形=動きを、左から右へ上から下へ並べています。記憶の順序も並びの通りなので、振付は現状一定です。

形を並べると振付が生まれます。十の形(動き)を用意して、4つ並べるだけで一万通りの振付を作ることができます。

3つの形を紹介しました。2日目の今で160の形ができています。

自分以外のすべての他者が持つ固有の身体と、固有の身体が持つ動きを知ることは、普遍的に人と人が知り合うことと似ています。きっとそれもダンスをチョイスしている理由のひとつです。こんにちは、こんにちは、と挨拶し、自己紹介をして、と言葉を用いる知り合い方でも、固有の身体の一部である「表情」を活用しています。その範囲を全身体に拡げてみたらダンスになってしまっただけかも。

これがダンスで、これがダンスではない、と区別する必要もあまり感じていません。知らない人の前でいきなり身体を動かすのは恥ずかしいですが、気になるあの子に話しかけるのも恥ずかしいので、その性質は似たり寄ったり。案外ただ話しかけるより身体を動かしてアピールした方が効果的かも。どうなっても責任は取れないので、ダンスのご利用は計画的に。

中澤陽


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フィジカル・カタルシス|作品概要

フィジカル・カタルシス|穂の国とよはし芸術劇場PLATにて。スペースノットブランクのダンス・レジデンス滞在日誌『ほほえみ』1日目

2019年11月25日、月曜日。

豊橋にいます。

穂の国とよはし芸術劇場PLATの創造活動室Bに。
創造活動室Bは一面ガラスで外から丸見えで、見られているかもしれないエゴに気恥ずかしくなりますが気のせいです。高校生たちは一所懸命机に向かっていて、カーテンを閉めてしまえば済むこと。でもそれはそれで見せるタイプの変態ではなく見せるタイプの身体ではなくなってしまうので、身体はオープンしていこうと思います。

オープンすると神々しい銀盤が小野彩加の神々しさを助長して、目を細めないとダンスが不可視。フィジカル・カタルシス略してフィジカタにはいまのところ5つのフェーズがあり、ダンス・レジデンスでは第3のフェーズのことだけを考えます。現象を分解し、部分を探究し、単一的な生産をどれだけ行なうことができるのかを考えます。競馬のことをギャンブルとしてではなく競走馬が美しいから好き、という人なら楽しんでいただけると思います。

自転車を漕いで埠頭に向かいました。ふと左に目をやると。

見たことのない漢字。親切にふりがながふってあるので変換してみると、奎、すぐに出てきました。意味はどうでもよくて、シンメトリーなフォントと土オン土オン大の雄雄しさに惹かれました。第3のフェーズでは主に形について考えていて、人という字は人と人が支え合っている、というように漢字の形は人の身体に通じる点が多いのではないでしょうか。漢字に音読みと訓読みがあるように、漢字の形に身体で応えることで様々に読むことができるような気がします。と思いきやその隣で。

街の下半身が蛇腹に沈んでいました。下の文字を読もうとすると「父通女王協云豆稿又」と読めなくもない。完成された漢字の形が三次元の力に敗北あるいは二次元と三次元のコラボレーション。そもそも完成形なんてないのかも。大腿四頭筋がパンプアップしはじめたのもこの頃。

中央の白い棒に注目してください。上部で二股に分かれていて、中部からも二股が生えているのがわかると思います。左に三歩、歩いてください。

実は奥に同じ白い棒がもう一本あるだけでした。見る角度によって遠近感が失われ、形が複合する現象。二次元の逆襲。動画配信サイトで千手観音のようにひとりの人から手がたくさん生えているような踊りを見たことがある方もいらっしゃるかと思います。二次元に化かされる前に真横から見てやりましょう。一箇所から見えるものが形のすべてではないこと(を知っているはずなの)に気がつくと、ものを色んな角度から見るのが楽しくなります。すでにサドルにどの角度からお尻を乗せても痛いです。

翼の折れたかもめ。折れる前の形を見たことがないので、何かが足りないと思うこともありません。原形を知っているのは本人だけ。ちなみにこの直前に小野彩加に鳥のフンが落ちました。言わなければ誰も知ることはなかったのに。

矢印、興味深い形と形が連携しています。矢印の示す方向に東京の地下鉄では惑わされることも。

リサイクルの矢印、各センター折り返し部が細まっているだけで絞られているように見える。形を決めるのは人間のエゴでしかないのかも、と思いはじめて、スロットル(ないけど)全開。

今日いちばん(今日イチ)意識したのは、移動する身体についてでした。直線をひたすらサイクリングしていたせいか三人称視点になる瞬間があり、自転車を降りて、形を撮影して、自転車に乗って、を繰り返している自分の身体の形が見えてきて、それが移動しているという事実に次の形の展開があるようなないような手応えを感じました。

移動する身体は創造活動室Bから埠頭を経由して創造活動室Bへ。帰れる場所があるんだ。こんなに嬉しいことはない。

形の旅がはじまりました。

中澤陽


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フィジカル・カタルシス|作品概要

フィジカル・カタルシス|穂の国とよはし芸術劇場PLATにて。スペースノットブランクのダンス・レジデンス滞在日誌『ほほえみ』0日目

2019年11月24日、日曜日。

豊橋にいます。

穂の国とよはし芸術劇場PLATの劇場プロデューサーである矢作勝義さんとの繋がりは、2017年に参加した第8回せんがわ劇場演劇コンクールに遡ります。専門審査員として『ラブ・ダイアローグ・ナウ』の上演を審査していただき、2年が経った今、ダンス・レジデンスではじめて豊橋にやってきました。

正式な滞在は明日からなので、今日は0日目。
東京駅の乗降場で新幹線を待っていると、言葉が目に入ってきました。

アーティスト・イン・レジデンスなので仕事なのは間違いありませんが、ここまではっきり言われると身体がなびきます。言葉が身体に作用して次の動きに移行していく。小学生の頃に「死ね」という言葉が流行っていて、言われると死にたくなりました。言葉が身体に作用して次の動きに移行する前に「本当に死んだらどうするの」と自己暗示をかけていた記憶があります。本当にゴルフ行っちゃったら放棄した仕事はどうなるのでしょうか。身体がひとつしかないことを深く考えさせられる言葉でした。

豊橋に到着し、マツキヨで小野彩加が湿布を買うのを待っていると、言葉が目に入ってきました。

動かすのはカメラ。体験しようにも、ひとりで「まさかの15人」と書かれた中に入る勇気もなく。写真の身体は止まっていて、生きているのに死んでいるよう。カメラを動かすと「ノリ」は写るらしい。青春を「アオハル」と書いてみる「ノリ」の付属物としての身体。「ノリ」の鑑賞者は「ノリ」の付属物としての身体本人。「ノリ」が舞台の「ライブ感」のようなことだとすれば、プリクラは既に舞台芸術より未来を走っています。舞台では努力してカメラを動かすことはできても、「ノリ」を身体本人が鑑賞することはできないからです。

「思いがけぬ災難」ならぬ「思いがけぬ広告」。小さすぎる。文字を読むために自転車を降りて引き返しました。小さいが故に身体を使わされ、見させられてしまう自分の身体を自分で見る。見るという動きのために消費される身体。見るために行き、見るために止まり、見るために外眼筋を使う。見るという全身運動。「犬も歩けば看板をみる」なのに、人が歩いて看板を見るとそこに犬がいる謎。犬は看板を見て、人は犬を見て、そんな自分を誰かが見ているかも。これもカタルシスかもしれません。

貝層剥ぎ取り断面。名前は極悪ですが神秘的です。

木の根、は地面の上に出ている部分と出ていない部分があって、地面の上に出ている部分を足で押し踏むと靴越しでもつぼが刺激されて気持ち良い。自然に流れる木の根の形がダンスに見えてきて、踏み、木の根に沿ってスライドさせるだけで身体が継ぎ目なく動きます。血流だって心拍数によって変化するのに。触感にも日々のコンディションによって微妙な変化があるのに。振付は身体の固定の連続。固定と固定の間に動きが自動的に生じて、間隔が狭ければ狭いほど難易度がアップする(そうとも限らない)。木の根は固定されているのに変化もしていく。動物も、植物も踊るのだと気がつきました。

今日は身体に繋げることを考えて過ごしました。
明日からは動いてダンスを作ります。

穂の国とよはし芸術劇場PLAT、とても素敵で、良い場所です。
楽しみです。

中澤陽


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フィジカル・カタルシス|作品概要

ささやかなさ|ステートメント

感謝と抵抗を交互と相互にしています。そういう状態、舞台について考えることを通過したり未来に置き去りにしたりしていて、新しいというよりも単に次というところへ向かって進もうというところにいます。

人間と人間を目の前にして、言葉の集会所に集まるように舞台を作り、しかしわたしたちは漂うだけかもしれないというささやかさを描きます。すべての舞台の価値を探究するスペースノットブランクが、台詞によって制御された現代の人間と人間の境界線の存在を受容し、反発し、舞台に表します。

ささやかなさ、は松原俊太郎が戯曲を書き、小野彩加と中澤陽が演出をし、古賀友樹と西井裕美が出演する舞台作品です。

2018年からこの作品について考えてきて、スペースノットブランクが高松アーティスト・イン・レジデンス2018で訪れた香川県高松市のMOTIFで上演することになりました。京都で松原俊太郎が独立して戯曲を書き、東京で小野彩加と中澤陽と古賀友樹と西井裕美が集合して制作を行ないます。高松で上演するまでの時間をそれぞれの人間がそれぞれの役割を持って過ごし、作品を作ろうとしています。

いまはまだ、ささやかなさ、という松原俊太郎が提示したタイトルに基づいて、このステートメントを小野彩加と中澤陽───わたしたち───が書いています。舞台については考え続けなければなりませんが、それらを含有した肥料に新しい種を植えようとしています。わたしたちはワンオブゼムのわたしたちとして、次というところへ向かわないと(いてもたっても)いられない。正解があってもいいのに、正解を間違いということにしたいエゴが蔓延る世界に生きています。逃げるが勝ちも、生けるが勝ちも、肥えた土地でささやかに芽吹く次の価値と一緒に、表現すること、として上演に漕ぎ着こうと思います。

2019年8月18日(日)
小野彩加 中澤陽


ささやかなさ|作品概要

アントン・チェーホフ『熊』|ステートメント

古賀友樹という人間がいます。俳優をやっています。はじめての作品から参加して(作品を一緒に作って)くれています。

古賀友樹を紹介したいと思いました。そしてそれにもっとふさわしい作品が「熊」だと思いました。

古賀友樹は女性と男性の間という意味での中性的な身体と、非日常と日常の間という意味での中性的な身体の、どちらもの間という意味での中性的な身体を持ち合わせているからです。

古賀友樹が「熊」の登場人物すべてを描くことで、その価値を余すところなく紹介できると考えました。

古賀友樹が1人で台詞の掛け合いをする様を想像するだけで、笑みが溢れてきます。

古賀友樹を知らない人からしたらどんな冗談かと思われるかもしれませんが、ぜひこの機会に知って欲しいです。

古賀友樹という1人の俳優が、戯曲や演出を超えて舞台のクオリティを生むことができるということを舞台芸術市場に、舞台を作る人に、舞台を見る人に、知って欲しいです。

古賀友樹は単に目に見えるだけの出演者ではなく、舞台を上演するにあたってあらゆる目に見えない環境と対峙しているということを。

2019年6月26日(水)
小野彩加 中澤陽


古賀です。

利賀演劇人コンクール2019の最終上演審査でチェーホフの『熊』を1人で演じるということでプレッシャーが重くのしかかっています。

でも考えてもしょうがないのでひとまずやってみようと思います。

2019年6月26日(水)
古賀友樹


アントン・チェーホフ『熊』|作品概要

フィジカル・カタルシス|瀧腰教寛と花井瑠奈と山口静:出演者インタビュー


瀧腰教寛 たきごし・たかひろ
2月23日生まれ。石川県七尾市出身。俳優。2007年から2018年まで〈重力/Note〉に参加。俳優として、新聞家「失恋」、スペースノットブランク「言葉だけでは満ちたりぬ舞台」などの作品に出演している。

────上演に向けて
今回スペースノットブランクに関わらせてもらえるのは2作品目になるんですけど前回も僕にとって結構ターニングポイント的な時期、去年からもちょうどなにか転換をしながらどういう風に今後活動したり生活したりっていうことを考えるきっかけになりつつ考えながらやらせてもらってるな、っていう期間で、充実しています。仕事をしながら生活と共にどういう風に舞台をしていくのか、よく稽古場で出る、通過点ていう言葉が新鮮で好きで、そういう観点からこう、舞台と生活との両立を考えた時に、今までやっぱりなにか舞台って特別なもの、神秘的なものっていう要素も入ってるぐらいの、ちょっと僕の中ではもやっとしたものも含み込んだもの、が表現だったんですけど。その中での表現、自分でしかないものが、どうそこの舞台に出てくるかっていう、「恐れ」みたいなものはいままでもあるんですけど、そこがどう変わっていくのか、自分自身も楽しみです。今回の作品は作品ていう言い方自体も、言うのをやめていきたいなって思ってるんですけど、一応ダンスみたいな形なんですよね今回、結構最初はそこへの緊張感というか、不安もあったんですけど、今その体をどう舞台上に成立させるのかっていう仕方が、さっき話した、どう生活と表現との間で自分を出せていくのかみたいなことの課題は僕にとって今後どう演劇を更新、または関わり直していくのかをダンスという名目の中でやっているにすぎない。

────ステートメントについて
・それは多様な選択ができるものとする。
なんにでも応用が利く。それこそ今割と一生懸命なんで、余裕がないけどたぶんその5月10、11、12を過ぎたあとにその応用するチャンスが訪れると思うし、たぶん応用していくんだと思う。ていうことはもう見えてます。

・それは躰の内在と外在から構築される。
今その前半のシーンを作ってて、それは確かにその山口静さん、花井瑠奈さんの動きを見て、振りを思い出したり、浮かんだりっていうのと、自分からこう動きたいなって思うものとが、交互に動きになっていってるってのは内在と外在。だなっていう感じがある。

・それは作家のためだけのものではない。
これも、お客さんも自由に動きを作ったりできるな、っていう感じはある。応用ができる。だから今回の作り方、見たもの、もしかしたら見たものも、見てくれた方は、応用が利く、ような気がする。僕はたぶんこれを見にきたら、応用してしまうだろう。

────ダンスについて
ダンス=踊ることってなんなのか。よくまだわからないんですけど、演技とダンスは結構同義なんじゃないかなって、だんだん思ってきてます。稽古を通して。それを今もっと考えてみると、たぶん体の可能性の拡張の中に、社会的な生活の中で抑制しているものを解き放った時に、ダンスや僕の見たい演技があるのかな、って思う。

────作品の中での自身の行為、役割、意識について
僕の感覚としては、割と好き勝手やらしてもらってるなってとこはある。たぶん好き勝手やれたら本当にいいんだろうなって、今思ってます。踊ることに慣れてない人なんですよ、僕。振りとかも作ったことがないけど、ある時稽古で、花井瑠奈さんと山口静さんに自分の動きをトレースしてもらう時があって、その時にちょっと、あの、嬉しかったです。振りを見てる人が踊りたくなるように思わせる可能性を秘めてるんじゃないかなって思ってます。踊ったことってほとんどないから、そういう自分が踊ることによって、たとえば近所にいるおばあちゃんとかがこうやって作ったよ、って僕に見せに来てくれるんじゃないかなって勝手に思ってる。



花井瑠奈 はない・るな
1991年8月26日生まれ。パフォーマー。2014年から2019年までテーマパークにてさまざまなプログラムに出演。パフォーマーとして、中村蓉「桜ノ森ノ満開ノ下デ」、サカサマナコ「静かな欠片」、新聞家「失恋」「遺影」、鳥公園「終わりにする、一人と一人が丘」、スペースノットブランク「ネイティブ」「言葉だけでは満ちたりぬ舞台」などの作品に参加している。

────上演に向けて
3月から制作をはじめて、3月30日にワークインプログレスの発表があって、で今日は4月の26日です。スペースノットブランクの作品制作に参加しているのは3作品目でこれまでの2作品は自分の生活とか経験の中で大きなポイントとなっているような感じがしていて今回は時期的にも自分が仕事を辞めた前後が制作期間になっていて、その前後の期間を作品と共に過ごして5月の上演に向かっているところです。今。

────ステートメントについて

・それは多様な選択ができるものとする。
まず、作っているサイドから見ると、ある動きの次に起こることとか、ある動きのきっかけとなる背景とかが、いくらでも無限にパターンがあり得る。ということ。見る側からいうと、その動きに個人的な、とても私的な、見方をできる。ということ。

・それは躰の内在と外在から構築される。
前に、どうやって動きができるか、っていう質問をこの制作中にされた記憶があるんですけど、今思うと、まったくもって、この一文のことだな、っていう風に思いました。自分の無意識とか自分の経験とか記憶から生まれるものと、それが物足りない時に、同じ空間に存在する物や人からの情報で、刺激を得て出てくるもので動きが作られること。

・それは作家のためだけのものではない。
これは、この一文は、フィジカル・カタルシスに限ったことではないんですけど、どうして作品を上演するのか。ということに対して一番目指すところに自分たちもいるけれど見る人がいる。ということ。

────ダンスについて
動くこと自体は好きだけど、ダンスと言われると、身構える感覚があって、ダンスを子供の時からしてきたつもりだったのに、なんでそう思うんだろう。たぶん自分が勝手になにか、ある技術とかそういう定まった基準のようなものについて勝手に否定的な気持ちになってるだけなんだと思うんだけど、もっとなんでもダンスと呼べる気持ちでありたい。

────作品の中での自身の行為、役割、意識について
フィジカル・カタルシスの最初の上演(2019年1月|d-倉庫)を見ていて、詳細にはわからないけど、作り方についてなにかルールがあるっていうことを見ていて、作品がおもしろかったからその内側から作品を見ることができて、それは嬉しい。でも、ダンス大丈夫かな、って思った。たくさん踊るのどういう風に自分がいられるか、大丈夫かな、って思った。でも、一緒に振付と出演をする人が、ほかに2人いて、演出者がもう2人いて、その4人を近くで見ていて、それぞれすごいなと思うので、ダンスをする動機が自分の中だけじゃなくて外にたくさんある環境があって、ありがたいなと思う。ここからの時間と3回上演する時間の間にたぶん感覚が変わっていくと思うから、見る人もいるし。変化についていってその時々でクオリティのある方法を見つけたい。



山口静 やまぐち・しずか
1990年4月12日生まれ。ダンサー、振付家、ダンス講師。企画者として、自らダンサー、俳優、作家を集い作品を上演する「アトリエタキグチにて」などの公演を企画。ダンサー、振付家として、茶番主義!「白い馬の上で踊れ」などの作品や、中島トキコが手掛ける〈POTTENBURN THOKII〉の展示イベントに参加している。

────上演に向けて
今年のはじめ、体は他の体の中で育つよなあ、そろそろ外へ出ていかないといけないな、と思っていたところに、お声がけいただいたので、願い叶った、という気持ちで、実際に出演、演出の皆さんと体を動かしていく中で、やはり自分がいままで自ら手を伸ばさなかったところへ体を持っていかれるし、意識を引き延ばされる。拡張される。その拡張されるのが自分の中では、心地がいいから、かけた時間と運動量を信じて、このままフレッシュな気持ちで、本番を迎えたい。

────ステートメントについて

・それは多様な選択ができるものとする。
作る側も、見る側も、多様な選択ができるように心がけているのかなっていう意識は、稽古の中で感じている。それは平面が立体になっていく感じというか、意味のないものがより豊かに変容していく、魔法みたいな感じ。

・それは躰の内在と外在から構築される。
クリエーションの中で自分の周りの景色や環境は常に変化し続けているんだけれど、それに振り回されずに自分の衝動や気持ち良さを守れる。

・それは作家のためだけのものではない。
自我の押し付けにならずに、風通しよく、すべての人に開かれたもの。

────ダンスについて
人は踊りたいという欲求を本来持っていると思っているけど、いつから生活とダンスが離れちゃったんだろう。自分にとって、ダンスは特別だけど、多くの人たちにとってそうじゃないこともよく知っているし、でもその踊りたい欲求をみんなが持っているっていうことを、信じて、ダンスを続けている気がする。

────作品の中での自身の行為、役割、意識について
意識としては自分の中で完結しないように、動きが生まれた時の感覚を忘れないように、未熟で粗い動きも肯定し整えすぎないように、その場の選択や衝動を信じ、すべて受け入れるように、と思っています。とても難しいけど。


フィジカル・カタルシス|作品概要
フィジカル・カタルシス|ステートメント

岸田國士『温室の前』|ステートメント

遠く過ぎ去った時代のことはわからないことばかり。

1927年1月1日に発行された中央公論の第四十二年第一号にて岸田國士が初出した『温室の前』より抜粋を上演することになった。

それらの数字でさえ、青空文庫の末尾に書かれているだけで、本当かどうかはわからない。岸田國士が本当に存在したかどうかさえ会ったことがないからわからない。

それから92ヶ年と4ヶ月と3日後の2019年5月4日にこまばアゴラ劇場にてそれを上演することになった。

地球が誕生したのはおよそ46億ヶ年前らしいし、それが初出されたのは92ヶ年と4ヶ月と3日前らしいのだけれど。

わかっている、や知っている、はなんだか信用のできない感覚な気がするのであって、わからない、や知らない、などそれが弱さだとしたらそういう弱さを弱さとしてそれでも良いのだと徹底して受容する強さを持ちたい。

遠く過ぎ去った時代の他者の言葉だとしても、戯曲があって、それを舞台にするのが演劇だというのであれば、演劇を作るのはこれがはじめてになる。

長い沈黙。

2019年4月28日(日)
小野彩加 中澤陽


岸田國士『温室の前』|作品概要

言葉だけでは満ちたりぬ舞台|クリエーションメンバーによる制作雑記『クリエーションボンバー』Vol.7


坂本沙季 Saki Sakamoto

スペースノットブランクのお二人からメールが届いて、公演が終わってから半月が過ぎたことを知りました。舞台に関わらせていただいたその前と後で私の過ごす環境や生活に大きな変化はなく、聴く音楽も変わってないし、着る服の好みも変わっていない。気が付けば始まっていて、気が付けば終わっていました。それは私が舞台にかかわる今の理想の形で、必然とは違う、呼吸に等しい、難しくもそこにあるもの、みたいな感じ。でも、確実に時間は経過していて経験として私は持っている。なにか影響を与えていて、どこか少し変わっている。ここで関わったみなさんのことを知らなかった自分から知った自分に変化したり、生活で関わる誰かとの距離が近づいたり、離れたり。みなさんと同じ時間を何度も重ねるたびに、身の回りに起こったことからいろんな考えとか好きなもののこととか、様々な自分のことについてが出てきて、聞きながら漠然とすごいなって思っていました。

私はまだ大きすぎる海の中で、住処なんて見つからなくて、どのくらいの深さにいるのかもわからずに彷徨っています。でも、今回の影響は海の中にまで届いていきました。大きな変化はないけど、届いてはいました。そんなこと考えてしまっているのも経験不足なのかなって思ったりしてよくわからなくなる。私はこれからもたぶんずっとそんな感じなんだと思う。この文章がみなさんと並んで掲載されるときには公演が終わって一か月が過ぎているんですかね。そのときでさえ聴く音楽とか変わっていないんだろうな。

─────古賀友樹さんについて
舞台の上から、周り、いろいろなところに目を耳を向けられるひと。譜面ばかりを追うんじゃなくって、オーケストラの奏者、のように見えました。ジャンプ力がすごかったです。

─────近藤千紘さんについて
シュワシュワしてる炭酸みたいなひとでした。踊っている姿はもちろんですが、集中して立っている姿もかっこいいなと思ってみていました。

─────山下恵実さんについて
キュゥンっていう効果音が動くときにときどき聞こえてました。身体だけじゃなくて、あたまの中もとてもやわらかい。すごい技を、いつかみせてくださりそう。

─────


櫻谷翔吾 Shogo Sakuraya

実際これを書いている時点ではもうすぐひと月経とうとしている。今このタイミングで思うこととして、『言葉だけでは満ち足りぬ舞台』は、作品に関わった事実がものすごくクッキリとした輪郭を持って自分の中に残ってるんだなっていうこと。作品をつくる行為が、ある限定された期間特別に行われる活動としてではなく、もとある日常の中に組み込まれたこととして、他のあらゆる活動と当価値で過ぎていくものとして体験できたことは個人的にすごく新鮮で嬉しい時間だった。そのことが、輪郭の濃さにとっても関係していると思ってる。(まだひと月だけど、この感覚は来年以降にだって持ち続けていたい。)もう少し具体的にいうと、仕事の後に稽古、仕事休みに稽古、別の創作との合間に稽古があって、それが特に負担ではなく日常の一部として受け入れられたこと、さらには逆にマチネ終わりに他の作品を見に行く余裕があったり、本番中に日常が存在していたことがすごく面白かった。この経験から自分がこの先クリエーションするっていうこととどう向き合うのか、向き合っていきたいのか、創作と生活を関わりの深いものとして体の感覚を持って認識できたことは今後の自分に大きな影響になるだろうなと考えてる。終わった後の時間も、この作品に関わることで気付けたことや感覚を思い返しながら、そういう形でこの作品のことを繰り返している。普通の生活を送りながら創作活動を行なっていけるこということは素敵だと思う。

今回一般公募のおかげかいろんなバックボーンを持った人たちが集まった。そのバックボーンの違いから、例えば稽古場で「観客をもうちょっと意識しましょう」という話があった際、本番の時にはいるであろう観客を想定して意識する人がいたり、今目の前にいる共演者を観客として意識する人がいたり、そういう言葉を一つとってもその解釈の仕方がまちまちで、そういう違いがある人が集まって同じ作品を作ろうとすることが面白く素敵なことだったなと個人的に感じていた。その一方で、この違いをどこまで許容して作品をつくることができるのかを考えたりもして、あんまりバラバラだと作品として成り立たないんじゃないかって思ったり。

でもクリエーションメンバーの古賀さん近藤さんが中に入っていてくれたおかげで作品の軸がすごい安定していくように感じ、二人の存在のおかげで僕らが僕ららしくそれぞれの違いを内包したまま舞台の空間に入れたんじゃないかと思って二人の存在の強さを感じた。

演出補で入ってくれていた山下さんは、稽古を一通り見てその時の感覚やポイントを言葉にしてくれて、自分たちが今どういう状態なのかを適切に教えてくれるのがすごいありがたかった。山下さんの言葉で何度も全体を見返して、修正できるチャンスをもらったように感じてる。稽古や本番前に山下さんにリードしてもらいながらやった「ガガ」っていうエクササイズがあってとっても印象的。

ここまで書いて、なんか自分の文章が妙に外側というか、客観的なのが気になる。

うーん、、稽古場でも劇場でも、前で観客と同じ目線でずっとみんなの声や様子を聞いていたからなのか、どうなのか、わからないけど、僕も一緒にボンバーしていたメンバーです。間違いなく。

これに関わっていた時間はいまも続いてるし、これからも。ここで出会った言葉や感覚を大事にまた日常の中で創作を始めてゆきたいです。

みなさん本当にありがとうございました。

─────


花井瑠奈 Luna Hanai

何かを振り返ると、何でもすぐに忘れていて悔しくなってしまう。

『言葉だけでは満ちたりぬ舞台』を通過した自分と通過しなかった自分がいても、今通過した方だけ知っている。当たり前だけど、影響を受けたと思います。具体的には言えない。あんまりわからないから。すぐ忘れたとしても、あらゆるひとつずつは積もってはいます。舞台を作った日々が特別だからじゃなくて、そうでなくてもどの日々でも積もって、覚えたり消したり好いたりなどしてると思う。
各々持てるコードを最大に持ち寄った時間でした。だから自分以外のも積もって、胸がいっぱいなような気がして、重要なような気がする。気がするだけでもいいことな気がする。自分以外のは、いっそう丁寧に扱いたい気持ちになれることもよかった。

クリエーションメンバーの三人についても、何かを書こうといろいろ考えたけど、すごく難しい。個々への気持ちは心の中にあるのと、また会えたら伝えられること。なのでこんな大々的には秘密です。クリエーションメンバーの三人も、ほかの出演者も演出者も、誰についてもそう。ともかく、わたしたちの間にわたしたちを積み重ねたものがあったと思えていて、それはうれしかった。

そうこう云々でんでん振り返るうちにも、時間が過ぎている。「言葉だけでは満ちたりぬ舞台」を通過した時間は、これからの時間の傘となります。なりますように。

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中條玲 Rei Chujo

もう半月経つのか、という感じです。

あれだけの頻度で会っていたわけですから、半月しか経っていないといっても、少し寂しさを感じます。みんな、いま何をしてるんだろう。
もちろん数人とは連絡先を交換しました。でも、そんなに連絡を取り続ける訳じゃない。僕はそもそも、そういうのは苦手な方だし。だから、これを書きながら、すでに皆さんの書く内容が気になっていて、楽しみです。手紙みたいな感じ。

3月3日に、この作品は終わりを迎えました。というか、僕の中では終わったと思っていた。
でも、実は終わってないのかもしれないと、いま感じている。なんか、制作過程の延長みたいな気分で書いている。

とても刺激的な一か月でした。いろんなことを覚えている。でも、忘れた、厳密に言うと覚えていない、ことのほうが多い気がして、もったいない気分。いま覚えていることも、徐々に忘れちゃうのかも。舞台だから、作品自体は残ることはないけど、作った、という事実は残る。それだけでも大事にしていけたらいいな。

僕にしては、短期間で結構な枚数の写真を撮りました。稽古場だったり、全く関係ない場所だったり。いま作っているものに、組み込みたいという意思もあったし、感覚的な部分で、その過ごした濃密な時間を形に残しておきたかったのだと思う。まだ受け取りに行っていないフィルムが一本残っている。その時は、またちょっと思い出して懐かしくなるはず。

終わってからの半月の間に、僕は、なんか聞いたことあるぞ、という体験が増えました。この作品の中での台詞だったり、それこそ似ても似つかないような言葉にも懐かしさのようなものを感じる瞬間。前者はまだわかるけど、謎現象です。でも、集まって、作るっていう過程を経ているからこそ、そんなことが起こるのも当たり前なような気もします。バラバラの人たちが集まった。それで今はまたバラバラ。前よりもつながりは確実に増えている。たぶんこれからも、みなさんのことは気になり続ける。みんな、いま何をしてるんだろう。もう一生会わない人もいると思うそれはそれでいいそんなに寂しいと思わない。古賀さんの言葉は嘘じゃない気もする。

あれ、最初と逆のこと書いてる。
まあいっか。書いてる今は、こんなことを思ってる。ひどく断片的で、言語化しても消化できない、こんなこと。

クリエーションメンバーのお三方には、大変お世話になりました。

確実に何回もすれ違いました。普段は絶対にないレベルの意識で。特異点みたいなことを僕の紹介の時に書いていた気がする。そんなこと思ってたんや、って思いました。いつも面白いこと考えてる感じ。そんなつもりないのかもしれないけど、僕にとっては思いつかない面白いこと。聞き取りの時とか、言葉の力を最大限使ってる人って思ってました。すごい魅力があるなぁと。笑顔も素敵だなぁとも。内側のエネルギーがグルグルしてるように見えてました。ハチャメチャパワフル! が第一印象です。仲良くしていただいてありがたかったです。カレー食べてるときは、この世で一番おいしいもの食べてる時みたいな、すっごい笑顔で。思わずシャッターを切りました。ブレブレでしたけど。ケーキ食べてる写真はきれいに撮れてましたね。ほかには撮ってないんですけども。別の方法で、言葉の力を最大限に活用してる方やなぁと思ってました。一個しか違わんのかぁ。不思議な気分でした。なんとなく、これは希望的観測に近いですが、僕のことを新しい世界に連れてってくれる気がしてます。どういう気分かは説明できません。

お三方含め、共演者の皆さん、スペースノットブランクのお二人、奥殿さん、そのほか公演に携わってくださった方々、本当にありがとうございました。たぶん、これからも、どこかで、意思を持ってだったり、偶然だったり、会うことになると思います。その時は、またよろしくお願いします。

こういう時、長くなりがちなんですよね。では、皆さんどこかで、また。

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瀧腰教寛 Takahiro Takigoshi

最初から最後まで創作の現場で出会った人、皆さんといることがこんなに楽しく思えることってなかったです。
それまで経験した創作の現場は泥臭いし自分を追い詰めて追い込んで、生活と切り離してしまう傾向があったので、今回は稽古も三日間の上演も今までより、生活と地続きの感じがあって、軽やかで楽しかった。これをきっかけに軽やかにいること、軽やかに生きることを考えてみようと思います。

下北沢のことを少し知れた気がして、街を、含めて好きになってました。
一昨日もフラッと下北沢へ行ったくらい特別な体験をした今回のクリエーションの経験と思い出が僕にとっての聖域のような場所になってしまったかもしれないです。

─────古賀友樹さんについて
俳優として脅威的だなと、、。今回、約三ヶ月の間ご一緒する中でずっと思っていました。
対応力の早さ。柔軟さ。その場その時に確固として自分でいること。その透明感。
僕はああなりたくてもなれないので、尊敬する俳優の一人です。

─────近藤千紘さんについて
もう、なんというか、、、いとこ感が満載というか誰の懐にも自然に入ったり出たり。自由で。無防備に見えるくらい自分を曝け出して生きてて大胆で、めっちゃキラキラしていました。稽古場でも、遊んでるだけのように見えてしっかり一人一人見てくれてる。ギスギスしない空気をいつも作ってくれてたことに感謝!

─────山下恵実さんについて
笑顔がめちゃめちゃ可愛いです。
たぶん本番を見に来てくださったみなさんは、知らないと思うんですが、山下さんは笑顔が可愛いんですよ。
身体のトレーニングもしてくれて、それがめちゃ面白かったので、またいろいろ聞きたいし話したいです。
それと稽古場でのコメントが鋭いからハッとさせられて、そのたびに、あの若さにして脅威を感じています。

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中島晃紀 Koki Nakashima

言葉だけでは満ちたりぬ舞台が終演して思うことはとても充実した期間だったと思います。

年齢も、性別も、育ってきた土地も全く違う人達が集まりひとつの作品を作っていくという事や、その作品をブラッシュアップしてアッセンブルしている姿はまさにアベンジャーズの様な勇姿を感じていて、毎日が高揚感に溢れていました。(誰にも言ってはないですが)

また、自分自身の人間の器というものも再認識していたのかなぁと思っています。

日常で意識せずに思っていたことを頭の中を掘り返してその時の体験を思い返す事によって、自分はなんて器の小さな人間なのだろうと感じた時もありました。

なので、終演してから半月たった今、自分自身の長所と短所を受け入れ中島晃紀のバランスを保とうという事を考えるようになりました。
そういう意味でこの制作に参加させていただいた事にとても感謝しております。

それと同時にクリエーションメンバーの古賀友樹さん、近藤千紘さん、山下恵実さんにも本当に感謝しております。
古賀さん、近藤さんは稽古中から常に周りの事に気を配って頂いてどんな事にも柔軟に対応している姿。
本番中もそれは変わらず同じ板の上に立っていて絶大な安心感を僕も含め周りに与えてくださっていてとても尊敬していました。

山下さんも作品のクオリティを上げるという事をとても考えていて、毎回、全体にアドバイスをしてくださり、つぎの稽古、又は本番へのモチベーションどんどん上げて頂いて凄く頼もしい存在でした。
長々と書きましたが、総括すると去年の終わり頃から本番の3月までの期間は僕の人生にとって良い例えかわからないですが、疲れた時に口にするチョコレートの様なモノでした。
この作品に関われた事をとても誇らしく思っております。
本当に本当にありがとうございました!

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長井建都 Kento Nagai

公演が終わってから何やってたかなあと考えると、就活。その一言に尽きてしまう。味気なさすぎ、って思うけど仕方ない。世間一般のイメージがどうかは知らないけど、就活は面白い部分もある。いろんな仕事があることを知る、いろんな大人に会う、就活のシステムに支配され不思議な人になっている人(俺もそうかもしれない!)を見る。意外と悪くない。

公演のことを思い出してみる。一番印象的なのはステージの上で光を浴びて奇妙に踊る瀧腰さん。カッコ良かったなあ! 他の人にはどう見えていたんだろう。あのBGMは今もちょっとしたテーマソング。周回してる時、足腰結構しんどかった。目を移すと、必死に戦う瀧腰さんが見えて燃えた。ここが、踏ん張り所だな。勝手に励まされる。

高嶋さんに、あのシーンの俺は優しい蜘蛛みたいだって言われた。劇を見に来てくれた子に、普段歩いてる時と同じ質感って言われた。中澤さんは、舞台は続きますと言っていた。
今、就活してる。虎ノ門のオフィス街。ビルが高い、息が詰まる。イヤホンからロッキー流す。蜘蛛みたいに歩く。しんどいなあ。舞台で戦う瀧腰さんを思う。ここが踏ん張り所。歩き続ける。意外と悪くないぞ。

─────古賀友樹さんについて
穏やかに見えるけど、多分そんなことない。俺はそんなに人間観察得意じゃないけど、古賀さんは世の中に対して「これはおかしいでしょう。」みたいなこといっぱい思ってるんじゃないかって、そんなイメージ。舞台ではそれが放出される感じ。必要とあらば躊躇なく引き金を引く人。

─────近藤千紘さんについて
一番はじめ、『舞台らしき舞台されど舞台』で見た時は上品な人ってイメージだったけど、それはぶち壊されました、良くも悪くも! 千紘さんが恐れることって何なんだろう、と感じます。人間なんだから不安も抱くはずなのにあんまりそんな感じしない。爆笑しながら大砲をぶっ放す人。

─────山下恵実さんについて
稽古期間始まって一週間くらいは年上かと思ってました。しっかりしてるなあ、と。優しいし面倒見がいいんですけど、それとは別にちゃんとこちらを見定めている感じ。優しいスナイパー。

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高嶋柚衣 Yui Takashima

皆さま、こんにちは、高嶋柚衣と申します。
まさかこのクリエーションボンバーを書く日が来るとは思ってもいませんでした。読むのはとても好きでした。ひとまず、私はどんな風に言葉を綴って行ってしまうのか、自分の筆を見守ってみることにします。

そういえば、選考では自己紹介をたくさんしました。色んな人の名前があって、顔があって、それぞれの人生の物語があって。
ここに集まって自己紹介をする度に、今回の共演者の皆さんと何度も出会い直すという経験をしました。
出会って別れて、稽古場も舞台上も、下北沢の街でも、たくさんの人とすれ違いながら、多くの交流が生まれてとても充実した日々でした。

公演を終えてもう半月、まだ半月なんですね。もっと経っていると思ってました。気持ち的には去年の出来事、のような感じです。
真面目な話しちゃうと、今回私は自分のことで精一杯になってしまって、この作品に対して、メンバーに対して、もっと色んな関わり方があっただろうし、言葉のことも身体のことも、沢山の可能性を潰してしまったのではないかと思ったりもしてます。本当にたくさんの人に助けられて何とか舞台の上にいましたもので。
千秋楽の日の日記に「点と点、通過点。ここで誰かと出会ってすれ違って別れたことは真実。ここで終わらないし、この経験が次どんなことに繋がって行くのか長い目で見届けてください」と自分に向けて書き残してあるんです。
でも半月経っても、まだまだ見えないし、わからないことが多すぎる、まだ、作品の延長線上にいる、そんな感じなんです。それがいいとか悪いとかじゃなくて。
急いで答えや正解を出すものでもないと思う、わからないことはわからないと言っていいのだから、私はこれからも、その時の仲間と一緒に探していきたいです。なんて今は考えています。

─────古賀友樹さんについて
千紘さんも言ってたけど色気が凄いです。初めは生まれたての赤ちゃんのような、やわらかい無垢な印象が勝手にあったのですが、至近距離ですれ違う時どきっとします。チャーミングだし、同時にかっこよくて憧れます。

─────近藤千紘さんについて
個人的にはスーパーヒーローです。千紘さんそのもの、その存在が、私にとってスーパーヒーローという事です。稽古場で千紘さんが何気なく放った言葉に実はとても感化されてしまいました。これまたかっこよい人で、舞台上ですれ違う時こわいくらいです。目がスッとしてます。

─────山下恵実さんについて
とても客観的に物事全体を見ることができて、純粋に頭の良さも憧れてしまうし、舞台稽古に入ってから、山下さんのやわらかい声、言葉にたくさんホッとして救われました。身体めちゃくちゃ凄いんです、動きのことを教えてほしいです。

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岡澤由佳 Yuka Okazawa

コード・コード・コードの期間は本番も含め、おおきな通過点だったなあと今は思います。

確か、終盤ごろの稽古の帰り道。花井さんと二人で歩いていたんですが、中島さんの声がして。その声の主は全然中島さんじゃなくて知らない人だったんですが、あまりにも似ていたので二人でぷち盛り上がりしました。

公演が終わって、3月末上演の別の稽古に行くようになって、コードの稽古には行かなくなって、という日が続きました。その中のふとしたところでコードのかけらに触れるような気がします。そして、その方向へ頭が持ってかれてしばらく思いにふける。中島さん(みたいな感じ)の声に出会って、盛り上がったような感じに近いななんて思います。

でも、大事なのはしばらくなんです。ずっと思いにふけっているわけにはいかないし、どうしたって時間は流れていきます。それでも不思議といやな感じはしないです、時間が流れていくこと。ときたまふと思うくらいにはおおきな存在として残っています、身にしみこんでいます。だから今は通り過ぎて、たまの偶然でふと出会えればそれでいいかな、それがいいかもと思っています。

─────古賀友樹さんについて
わたしのノートに興味をもって話しかけてくれたの覚えています。稽古で思ったこととか観た劇の感想とか演劇に関することを気の向くまま書いているノートです。たぶんその話になったのは1月ごろだったんですが、年はじめから使い始めたそのノートがすでに三分の一ほど埋まってて、一年もたないねーみたいな。とりとめないけど、うれしかったからきっと覚えてるんだと思います。

─────近藤千紘さんについて
わたしを「のんちゃん」と認識しているらしいんですが、直接そう呼ばれたことはないかも。呼んでもらいたいなーなんて思ってます、すぐに振り向けるか自信がないけれど。エネルギッシュでいつも笑ってるイメージ。千紘さんみたいな孫がいたら楽しいだろうなと今ふと思いました。

─────山下恵実さんについて
物腰がやわらかくって、それでいて芯が通ったしなやかな女性っていう感じを受けます。そんな大人な感じとは裏腹に、身体を動かしているときとっても楽しそうで身体と遊んでいる感じ。山下さんとは同い年なんですが、それがなんだかうれしいなと思っています。もっともっと演劇の話もとりとめのない話もしてみたいなと思うひと。

そうそう、伝えそびれていましたが、クリエーションメンバーの三人が書くクリエーションボンバーを読むとそれぞれの考えていること、感じていることに触れることができるような感覚でした。そんな体温を持った文章たちを眺めるのをいつも楽しみにしてました。素敵な文章をありがとうございます。

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程島けい子 Keiko Hodoshima

お礼

斬新な演出や明快な理論に支えられた舞台にご一緒に、貴重な経験をさせていただきました。
指導の言葉をメモしながら、はっとしたり、今まで疑問に思った事が、少し光明がみえたり、何より若い方の真剣さに昔と未來に希望をもちました。いつも何かに熱中できるのは、本当に素敵です。
貴重な経験をさせて頂きました。

皆さんとの時間が私の宝です。たくさんのご配慮とお心遣い有り難うございます☺

舞台の調和やリズム感を壊さず、できたかは分かりません。が、私は心から舞台を楽しませて貰いました。
深く感謝いたします。

これからのご活躍とご発展を祈念してます。有り難うございました。

追伸

何よりも、皆様に出逢えたこと、感動を共有しあえ、今 この場所で同じ空気を吸い、この瞬間を活かせて貰い、生きてる実感を頂き、嬉しかったです。濃厚な時間に感謝です。
これまで生きてきて、良かった。
感謝をこめて。

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齊藤玲子 Reiko Satio

本当にこの公演に出てた? と自分でも疑問に思い実感がないくらい遠い過去の出来事のように感じています。でもまだ今も公演を控えて毎日お稽古をしているような気分になる時もあります。そう感じてしまうのは、最初のセリフが飛んで頭の中が真っ白になって固まってしまったり、出るタイミングが遅くて焦って小走りしていたり、お稽古の休憩時間に出演者のみんなと他愛もないおしゃべりをしてゲラゲラ笑ったりしている夢を今も時々見るからかもしれません。完全にロス症状です(笑)。私にとって公演に関わること自体が初めての経験でした。ワークショップから始まった公演本番までの約3ヶ月は体と頭とメンタルに刺激的な本当に楽しい毎日だったので、終わったことをまだ充分に消化しきれていないのかもしれません。でも確実に時間は流れています。これを機に私も公演の余韻を楽しみつつ、いつもの生活に新しい何かを求めて歩き始めたいと思っているところです。

共演者のみんなは一人ひとり穏やかな人間性の中に自分だけの確固たる道を持っていて精神的に自立している方ばかりだと感じました。私の人生は順風満帆ではなかったけれど若い頃に戻りたいと思ったことは今まで一度もなかったのですが、今回みんなと一緒にいたら若い頃に戻って試してみたいなと思うことが色々出てきて自分でもビックリしました。本当にみんなといると気付かされることがたくさんあって、みんなのことが大好きになって、いつでもすぐに会いたいと思ってしまいます。みんなの声を聞きたくなります。すっかりみんなのファンです。そういう訳で、これからはみんなの活躍を応援するのを楽しみにしています。貴重な機会とたくさんの出会いに本当に感謝しています。今回大好きになった挨拶です。「また会いましょう!」

─────古賀友樹さんについて
多種多様な面を感じる方。初めて会った時と次に会った時のイメージが違う。毎回違う。また今度会った時も違う感じを受けると既に思っています。また違う顔が見たい、役者さんというのはこういう人のことだと実感しました。できないことはある? もしあるとしても古賀くんにとっては関係ないことなのかなと勝手に解釈しています。舞台上で合った瞳が印象的。カードゲーム、楽しかった。木刀を丁寧に委ねられる時間、癒されました。古賀くん、ありがとうございました。

─────近藤千紘さんについて
いつも太陽のような方。屈託のない少女のような笑顔。元気印。でもふとした時に感じる大人の佇まいにドキっとした。自分が立つ場所立ちたい場所、自分が居る場所居たい場所、自分が帰る場所帰りたい場所のある人の強み。人との距離感が絶妙なんだろうなぁ。近くにいても遠くにいても同じぬくもりを感じる。私も可愛いおばあちゃんになりたいと思うようになった。目標ができたよ。千紘さん、ありがとうございました。

─────山下恵実さんについて
穏やかな微笑みの中にどっしりとした動かない何かを持っている方。年齢よりも精神的に絶対的に大人。でもきっと身体と同じようにかなり柔軟な動きも持ち合わせている。何処へでも行って自分の世界を作って形を残して、また違う場所で自分の世界を作る。残す。行く。作る。残す。誰かを通して作る方法を色々知っていて、それが的確。多くを語らない一言ひとことにたくさんのことを教えられました。恵実さん、ありがとうございました。

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片岡真優 Mayu Kataoka

中学生のころにはじめて、発話することにちょっとだけ絶望しました。

夕飯の食卓でした。
父が運転マナーの悪い車に遭遇した話をしていました。
父は怒っているように見えました。
父の話が一区切りついたので「その人にはきっとすごい緊急の事情があって考える余裕がなかったんだよ」と返事をしました。
すると父から「マリア様だね」という言葉が返ってきました。
なんか、そうじゃないな、と思いましたが、とくに返す言葉も思い当たりませんでした。
このときの感覚ははっきりと覚えていて、それから何度か蘇る瞬間があります。

「その人にはきっと事情がある」という返事には、その発言の内容を伝えたい意思ふくめ、状況に対してどう反応するかというところに判断の要因があったんじゃないかと思います。

発言にいたる思考の構成要素を分析してみます。
相手を許してやる理由を提案して怒っている父をイライラから解放してあげたい気持ち60パーセント。
それから、“事情がある”可能性もないことはないと思っていたから発言の10パーセントくらいは本心。
楽しい食事中にイライラしている態度をとった父に対してのわずかな反抗から、想像力はたらかせてないお父さんに悪いところあるんじゃないの? といじわるしたい気持ち10パーセント。
たぶんそのほかにもそのとき視界に入っていたものとか前の会話との繋がりとか、わずかな構成要素があったと思う。それらを統合して、とっさに「その人にはきっとすごい緊急の事情があって考える余裕がなかったんだよ」と発言する、という選択をとったのだと今は理解します。
それに対して父から「マリア様だね」という言葉が返ってきました。
この返事はわたしの発言のわずか10パーセントを占める「本当にきっと事情がある」という思考に対してのみの返答であり、残り90パーセントの思考を無視されている訳です。
だからわたしはその返事に対して「なんか、そうじゃないな、」みたいな納得いかない感情を抱くことになりました。この感情は字面に反してすごく恐怖寄りなものです。困惑です。

歳を重ねるにつれ、自分や他人の発言には嘘があるんじゃないか、発言が本心とは乖離してるんじゃないかと、その可能性に怯えることが増えました。発話に絶望することがたびたびあります。発話は不完全なコミュニケーションだからだと思います。
言葉は不完全。でも、不完全ということは創造の余地があるということです。言葉と言葉の間にできた隙間には無数に思考を詰め込めると思います。そこに希望を感じるようになりました。言葉だけでは不完全であると気づいていれば。

制作期間中、瀧腰教寛と中島晃紀の誕生日を祝った日。古賀友樹は横で眠っている。中條玲によって撮影。

言葉だけでは満ちたりぬ舞台

クリエーションメンバーによる制作雑記「クリエーションボンバー」
Vol.1:ワークショップについて
Vol.2:年末年始について
Vol.3:制作について
Vol.4:出演者たちについて
Vol.5:公演に向けて
Vol.6:公演を終えて
Vol.7:公演を終えて一ヶ月が経って

フィジカル・カタルシス|ステートメント

それは多様な選択ができるものとする。
それは躰の内在と外在から構築される。
それは作家のためだけのものではない。

2019年3月25日(月)
小野彩加 中澤陽


フィジカル・カタルシス|作品概要

言葉だけでは満ちたりぬ舞台|クリエーションメンバーによる制作雑記「クリエーションボンバー」Vol.6

古賀友樹 Yuki Koga
1993年9月30日生まれ。俳優。〈プリッシマ〉所属。これまでに俳優として、ゆうめい『みんな』『弟兄』『巛』、劇団献身『最悪な大人』『幕張の憶測』『死にたい夜の外伝』、スペースノットブランク『デーモン・ネーション』『緑のカラー』『共有するビヘイビア』『ラブ・ダイアローグ・ナウ』『ネイティブ』『舞台らしき舞台されど舞台』などの作品に参加している。
『言葉だけでは満ちたりぬ舞台』では、クリエーションメンバーとして出演者を務める。

この文章を読んでいるということは、僕はもうこの舞台を終えたということでしょう。いま僕はこの文章を舞台の上で書いています。観客に背中を向けてこっそり書いています。ペンを取り出してか、iPhoneを取り出してか、どちらなのかは秘密です。そもそも嘘かもしれません。

僕は「舞台が過ぎていったなあ」と感じることが多くて、食道を食べ物が通過していく感覚と近しいかもしれません。過ぎるというのは、決して悪い意味ではない。食べ物だったら自分の血となり肉となる。舞台の場合どうなるか。
『言葉だけでは満ちたりぬ舞台』は過ぎるべくして過ぎていきました。多くの人が舞台の上を行き交い、言葉を交わし、離れていく。距離はどんどん離れていく。そして忘れる。無くなるわけではありません。認識の問題でしょう。

話を少し戻し、今回はプロ・アマ問わずの公募で、最終的には12名が企画に参加、そこにプラスツー(クリエーションメンバーである古賀友樹と近藤千紘)、計14名が出演しました。常套句を言うならば、この14人でしか出来ないことをやりました。一人でも欠けたり足したりすれば、この作品のバランスは全く違うものになっていると思います。15人だったら15人なりの。100人だったら100人なりの作品は作れないことはないんでしょうけど、ちょっと今は想像つかないですね。あれ、どうやって上演するんだろう。いや、もしかしてこれは14人でないとダメなのかな。100人がダメはわかる。50人はダメで49人はギリギリ大丈夫。49人じゃないかもしれないけど、そのギリギリ大丈夫のラインって一体なんなんだ。たったひとりの差なのに。もう終えてしまっている立場だからかもしれないけど、ただの水増しになる気がしてならない。あーじゃあいいです、14人でしか上演出来ません。今書いた内容は全部忘れてください。各々鉛筆で上の何行か塗り潰しといてください。おっと、何故鉛筆というワードが出てきたんでしょうね。危ないところでした。

この文章こそ水増しが如く、内容がないような気もしますが、それだけスペシャルな14人の舞台にしたかったし、そうだったと胸を張りたいのです。ダジャレを言ったと思ってるでしょう。思ってるでしょう。ラスト15分、あなたは必ず騙される。意味はない。また会いましょう。

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近藤千紘 Chihiro Kondo
1993年11月10日生まれ。ダンサー、俳優。これまでにダンサーとして、DANCE PJ REVO『ハゲワシと少女』『Orange Gravity』、Empty-Kubrick『正午の伝説』、akakilike『シスターコンプレックスシンドローム』などの作品に参加。俳優として、ルサンチカ『春のめざめ』『メザスヒカリノサキニアルモノ若しくはパラダイス』、新聞家『白む』、女の子には内緒『光を束ねる』、スペースノットブランク『ネイティブ』『舞台らしき舞台されど舞台』などの作品に参加している。
『言葉だけでは満ちたりぬ舞台』では、クリエーションメンバーとして出演者を務める。

今は3月4日の0時10分です。布団でひとり横になっています。思い出します。今回の舞台。

生きていていろいろと選択しなきゃいけないことって多いじゃないですか、自販機レベルでもそうなんだけど、今回はその選択肢でたまたま選んでいってたら重なったから舞台したみたいな。全員が。
で、また普通に出発していくみたいな。全員が。

始まりと終わりがあったわけじゃなくて、通過点のような感じだなあと思っています。
だから来てくださったお客様もそういう感じでたまたま重なってて、だから3ステージ全然違う印象。でもどの回が一番よかったとかはなくて、どの回も皆さんがいてくれたから良くなった。
舞台を作っていて完成するっていう感覚はまだ味わったことがないけど、今回の舞台は毎ステージどこか到達出来ていた気がします。技術とかそういうんじゃなくて。
思い出せばたくさん感じたことってあるんだけど、言葉にしようとすると難しいですね。

あ、あと今回全員楽屋一緒で、席もみんなテキトーに決めてもらって、というかふわっと決まってて、待機中喋ってる人は喋ってたんですけど、みんなの話を聞いてると意外と知らなかったこととかがそこで見えてきて、この言葉(台詞)が出て来たのはこういう理由があったからなのか! って発見がいっぱいありました。詳しくは書けないんですけど。
電車で同じ車両に乗っている人たちがまた次もまるっきり同じ車両に乗ってるっていう確率って少ないじゃないですか! だから今後、街を歩いていて偶然周りが今回のメンバーで固められてる! みたいなことは絶対起きない。と思う。そんな奇妙なことが起きてしまったら過去のことでもこの舞台は別物になってしまうのかもしれない。
何が言いたいんだろうか…わからなくなってきたけど、偶然ってすごいこと、出会うってすごいことだって改めて思ったってことですね。

そして、なにより今回集まってくださった皆さんには、今後も健康で幸せであってほしいと思うってことです。
ありがとうございました! またね!

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山下恵実 Megumi Yamashita
1998年7月9日生まれ。演出家。〈ひとごと。〉主宰。
高校卒業後すぐに、こまばアゴラ演劇学校〈無隣館〉三期演出部に所属。
『言葉だけでは満ちたりぬ舞台』では、クリエーションメンバーとして演出補を務める。

ありがとうございました。

今日は雨も降っていて、どんよりしたマンデーですが、心の中はたくさんのラブで満杯です。この気持ちはたくさんの方々お陰だと思っています。この作品にともに関わって下さった皆さま、観に来てくださった皆さま、そしてこの文章たちを読んでくださってる方も、皆さまへ、スパシーバ。

2018年9月のWSから、それはそれはもうすごい数の秒が過ぎていって、たくさんの出会いがあって、もう思い出せないことも沢山あります。そういう思い出せない時間も全部含めて、ラブな気持ちです。

この企画が始動し始めて、稽古が始まって、本番を終えて、その時の中で何か変わったのかなー、変わってたらいいなと思うし、変わったんじゃないかとも思います。だってあらゆることが起こって、色んなものを見て、何も変わってることがなかったら、もったいない。私はどんどん変わっていきたいタイプ、アップデート、バージョンアップ、パワーアップしたい。でも何が変わったのかなんて誰も気づいてくれないかも。自分自身だって気づかないかもしれないですね。
それでも確かに少しずつ変化していくはずなので、同じ上演が繰り返されることは、二度とない。上演期間だった3月1日から3月3日の3日間だって毎日新しい作品を上演してた気持ちでいます。

だから、あらゆる偶然と奇跡が積み重なって『言葉だけでは満ちたりぬ舞台』は上演されていた、って言うとちょっと素敵な感じがしますね。当たり前のことを言っただけなんですけど、当たり前なことなんてなにもないのでたぶん。あらゆる偶然、必然、運命に感謝します。
いろんな気持ちを言葉にしようと思うと難しくて脳みそがガチガチになってしまうのでこのへんで。

本日はたいへんお忙しい中、大切なお時間と、指と頭と目と身体中の筋肉を使ってこの文章を読んで下さりありがとうございました。愛をこめて。

言葉だけでは満ちたりぬ舞台

クリエーションメンバーによる制作雑記「クリエーションボンバー」
Vol.1:ワークショップについて
Vol.2:年末年始について
Vol.3:制作について
Vol.4:出演者たちについて
Vol.5:公演に向けて
Vol.6:公演を終えて
Vol.7:公演を終えて一ヶ月が経って

言葉だけでは満ちたりぬ舞台|クリエーションメンバーによる制作雑記「クリエーションボンバー」Vol.5

古賀友樹 Yuki Koga
1993年9月30日生まれ。俳優。〈プリッシマ〉所属。これまでに俳優として、ゆうめい『みんな』『弟兄』『巛』、劇団献身『最悪な大人』『幕張の憶測』『死にたい夜の外伝』、スペースノットブランク『デーモン・ネーション』『緑のカラー』『共有するビヘイビア』『ラブ・ダイアローグ・ナウ』『ネイティブ』『舞台らしき舞台されど舞台』などの作品に参加している。
『言葉だけでは満ちたりぬ舞台』では、クリエーションメンバーとして出演者を務める。

今は2月の26日の13時を過ぎた頃。舞台上では黒ずくめの集団、もといスタッフさん達が照明をつくっている。なんだか凄そうだ。

12月からゆるやかに始まり、もうすぐ3月になろうとしています。我々出演者の仲は良好であると思う。仲の良さなんてどうでもいい? 馬鹿野郎? そこまで言う必要ないでしょ! まったくもう。そりゃどうでもいいんだけど、その感じが絶妙にちょうどいいんですよ。熱すぎず、ぬるすぎず。一致団結の言葉は似合わない。一人一人が真摯に向き合ってくれている、なんでしょう、グルーヴ感。グルーヴィー。あくまで印象ですが。
今回は一般参加の企画ですけども、その中身、創作スタイルと言いますか、普段のスペースノットブランクそのものなんです。まんまです。まんま。もちろん普段よりも無理難題をふっかけられる(ex. 空中に浮いてみて)回数は少なめですけども。

みんな、ちょうどいいバランスを保って適応してくれました。自分を捨てずに、無理はせず、挑戦をし続けてくれている。稽古が終われば、三々五々に帰っていく。グルーヴィー。ご飯とかみんなで食べに行ったりしてないのかな。一回くらいそういう会を僕から提案してみても良かったかもしれないですね。まあ、いいや。

コード・コード・コードを経て、みんながどうなっていくのか非常に興味があります。この経験を活かして頑張ってね、みたいな何かを与えたなんていう気持ちは毛頭ありません。予め用意された枠組みを疑うことは大事なことですから。演劇をやってようとなかろうと、本当に大事なことですから。元々みんなが持ってた自尊心とか相手を思いやる心(この思いやるというのは単に優しくするという意味ではないことに注意してほしい!)とか、そういうものを再認識するリハビリみたいなもんですね。僕らのやってることはリハビリ。北沢タウンホールでリハビリの成果を見せるとか言ったらさすがに怒られちゃうな。でもみんないつの間にか忘れちゃってる。なんでですか。擦れて均一化されてしまったのですか。僕もそうだな。気をつけないと。

そういうわけで、北沢タウンホールで僕らのリハビリの成果が見れます。やってることはバチバチでかっこいいので安心してください。下北沢でキラキラ輝く。

2019年2月26日の通しより。キラキラ輝く古賀友樹。

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近藤千紘 Chihiro Kondo
1993年11月10日生まれ。ダンサー、俳優。これまでにダンサーとして、DANCE PJ REVO『ハゲワシと少女』『Orange Gravity』、Empty-Kubrick『正午の伝説』、akakilike『シスターコンプレックスシンドローム』などの作品に参加。俳優として、ルサンチカ『春のめざめ』『メザスヒカリノサキニアルモノ若しくはパラダイス』、新聞家『白む』、女の子には内緒『光を束ねる』、スペースノットブランク『ネイティブ』『舞台らしき舞台されど舞台』などの作品に参加している。
『言葉だけでは満ちたりぬ舞台』では、クリエーションメンバーとして出演者を務める。

一目惚れした彼の顔ももう思い出せないくらい時間が経ちました。徳島で切った髪ももう肩にちゃんとつくくらいの長さに伸びました。いちご大福の餡を求肥で包む工程を経験して和菓子作りに満足してしまうくらいになりました。「はじめまして」で、名前と顔が一致しない出演者のみなさんから一人一人の印象を書けるまで距離が縮まりました。

この企画のお話を受けてから10ヶ月経ちました。

季節が一周して、わたしの周りの環境も、出来ることも出来ないことも変わりました。

9月のWSから今に続いていることを感じながら、ついに本番の月に進みます。

出会ってしまったから、生まれてしまった言葉の数々が私たちを舞台に立たせています。
下北沢でたくさんの人とすれ違いながら劇場に向かう今も、人生の鍵になる出来事が実は起きている。行きたかったミスドが空いていなかったことも、カレー屋さんが大行列なことも、実は何かに影響を与えているかもしれない。

この舞台を観てくださった方の日常に、新しい感情や、気がついていなかったことに気が付き始めるきっかけが増えますように。自分をいつもと違う角度で見えていけますように。観ただけで終わらない作品になっています。こちらは覚悟を持って立ちますので、お客様は少しのお金を持って観に来てください。チケット代もグットプライス。劇場も下北沢もいいところです。観た後のテンションで、いつもは選ばないような古着を選んで春を楽しむのもいいかもしれません。春は出会いと別れの季節と言いますが、実際は毎日出会いと別れを繰り返しているんですよね。3月の1日、2日、3日しか出会えません、この舞台。是非、少しだけ頑張ってでもお越しください。心よりお待ちしております。どんな方々に出会えるのかとっても楽しみです。もう思い出せない一目惚れの彼も来てくれるかな。来てくれてももう結婚はしないかな。そういう話じゃないのよね、今は。

2019年2月26日の通しより。笑う近藤千紘。

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山下恵実 Megumi Yamashita
1998年7月9日生まれ。演出家。〈ひとごと。〉主宰。
高校卒業後すぐに、こまばアゴラ演劇学校〈無隣館〉三期演出部に所属。
『言葉だけでは満ちたりぬ舞台』では、クリエーションメンバーとして演出補を務める。

眉間にピップエレキバンを貼ってから寝るとえらく目覚めがいいっていうことに最近気がついて、毎日眉間と、顔の筋肉という筋肉にピップエレキバンを貼って寝ています。

その事はここに書くまで私しか知らなかったことで、私とすれ違っても会話をしたとしても、夜中、私が顔中に磁石を貼り付けていることなんて誰も想像すらしないでしょう。

そういうことは世界に溢れていて、稽古場でオオゼキのお寿司のお弁当がプチブームになっていたことも、うどんが好きだと言った彼が最近、そばの方が好きかもと気持ちが揺らいでいることも、伝えなければ誰も知らないし、知らなくても別に、いい。でも知ったらちょっと嬉しくなったりすることもある、きっと。

この企画名の、コード・コード・コードのコードっていうのは、「遺伝」とか「記号」とかっていう意味らしいです。あんまり意味とか深く考えてなかったけど、なるほどと思いました。

12月のワークショップから始まり、3ヶ月かけて少しずつ、出演者のみなさんとコードを共有してきました。出会ったひとのこととか、出会ってない誰かのこととか、自分のこととか。本当に沢山の共有を辿ってきました。それこそ冒頭に書いたような表面には現れてこない、誰も想像すらしない内側のことも。

で、それで、それぞれの言葉も、身体も、思考も、ひとりひとりの多種多様な歴史とか、選択、経験から導き出されたコードだなと思って、だからなるほどと感じたわけです。

3月1日から3月3日、北沢タウンホールに来て頂けたら、私たちと、みなさんと、下北沢のコードを、きっとちょっと共有できるんじゃないかなあと思います。何かを押しつけたりとかはしないはずです。舞台を通してなにが出来るのか、謙虚な姿勢で虎視眈々とつくっております。

みなさまの貴重な時間とお金を使って下さってありがとうございます、ってな感じの低姿勢で、でもやる気と覚悟に満ちた心持ちでお待ちしています。

2019年2月26日の通しより。誰かが落としたローソンのレシート

言葉だけでは満ちたりぬ舞台

クリエーションメンバーによる制作雑記「クリエーションボンバー」
Vol.1:ワークショップについて
Vol.2:年末年始について
Vol.3:制作について
Vol.4:出演者たちについて
Vol.5:公演に向けて
Vol.6:公演を終えて
Vol.7:公演を終えて一ヶ月が経って

言葉だけでは満ちたりぬ舞台|クリエーションメンバーによる制作雑記「クリエーションボンバー」Vol.4

古賀友樹 Yuki Koga
1993年9月30日生まれ。俳優。〈プリッシマ〉所属。これまでに俳優として、ゆうめい『みんな』『弟兄』『巛』、劇団献身『最悪な大人』『幕張の憶測』『死にたい夜の外伝』、スペースノットブランク『デーモン・ネーション』『緑のカラー』『共有するビヘイビア』『ラブ・ダイアローグ・ナウ』『ネイティブ』『舞台らしき舞台されど舞台』などの作品に参加している。
『言葉だけでは満ちたりぬ舞台』では、クリエーションメンバーとして出演者を務める。
近藤千紘 Chihiro Kondo
1993年11月10日生まれ。ダンサー、俳優。これまでにダンサーとして、DANCE PJ REVO『ハゲワシと少女』『Orange Gravity』、Empty-Kubrick『正午の伝説』、akakilike『シスターコンプレックスシンドローム』などの作品に参加。俳優として、ルサンチカ『春のめざめ』『メザスヒカリノサキニアルモノ若しくはパラダイス』、新聞家『白む』、女の子には内緒『光を束ねる』、スペースノットブランク『ネイティブ』『舞台らしき舞台されど舞台』などの作品に参加している。
『言葉だけでは満ちたりぬ舞台』では、クリエーションメンバーとして出演者を務める。
山下恵実 Megumi Yamashita
1998年7月9日生まれ。演出家。〈ひとごと。〉主宰。
高校卒業後すぐに、こまばアゴラ演劇学校〈無隣館〉三期演出部に所属。
『言葉だけでは満ちたりぬ舞台』では、クリエーションメンバーとして演出補を務める。

Loop #1

岡澤由佳 Yuka Okazawa

古賀友樹:芯が通っている。優しい目と優しい顔つきをしてるけど、実は黒幕は私でした~がよく似合う。言い争いになったら相手を打ち負かしそうな予感がする。占い好き。
近藤千紘:わたしののんちゃん。なぜかのんちゃんって感じがしてる。見た目はふんわり系だけど話すとしっかりしてて鋭さもある。ギャップがいい。
山下恵実:物腰柔らかで、優しい微笑みが絶えないひと。合唱しているところと怒っているところをいつか見てみたい。

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Loop #2

片岡真優 Mayu Kataoka

古賀友樹:笑顔がとっても素敵。とっても存在感があり、存在感がない僕からしたらとっても羨ましい限り。人を惹きつける能力者です。
近藤千紘:オーラがある。「美しい」っていう言葉が似合う。センスも凄いある。わたしも片岡さんの作品出てみたい!
山下恵実:慎重に、言葉を選んで話すところが素敵だなと思う。空気をガラッと変えられる力を持っているひと。

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Loop #3

古賀友樹 Yuki Koga

古賀友樹:優柔不断。あまのじゃくで人が右と言ったら左に行きたくなる性質あり。やると決めたら全力で取り組むところは良いところ。そこは褒めてあげたい。
近藤千紘:同い年。色気がある。古賀くんが何かをやっていると見入ってしまう。遠くに行ってしまわないでって思うけど、才能がありすぎるから仕方ない。
山下恵実:アトラクティブ。気づいたら惹きつけられてる。おちゃめさと真摯さと対応力と、、色々なものを持ち合わせていて憧れる。

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Loop #4

近藤千紘 Chihiro Kondo

古賀友樹:未知の生命体。スーパーマンみたいな人です。僕の引き出しにはないものばかりを取り揃えた四次元ポケットモンスター。40代になってもきっと変わらない。でもこれは変わらないでほしいの願望込み込みプラン。
近藤千紘:雲丹が好きな人。上から目線っぽくここに書いてしまっていてなんだかソワソワしてる人。勘違いさせたらどうしようと思ってる人。
山下恵実:パワフルでラブリーで、でもストイックさも持ってる。場をパッと明るくしてくれるチャーミングなひと。

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Loop #5

齊藤玲子 Reiko Saito

古賀友樹:立ち姿が美しくてかっこいい。齊藤さんには晴れの日がよく似合う。着物レンタルじゃなくて。きっと着物も似合うと思う。これはネタバレですが、今回は残念ながら女スパイ役ではありません。いつか女スパイの役をやってほしい。
近藤千紘:ずっと若々しく美しいってすごい! いろんなことをいつでも楽しんでやっている齊藤さんはわたしの憧れ! こういう女性になりたい!
山下恵実:日々を楽しむ技術を持ってて、それって凄いことだなって思う。慈愛に満ちた笑顔がとても素敵。

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Loop #6

坂本沙季 Saki Sakamoto

古賀友樹:負けず嫌いなんだろうと思う。いや、自分が設定する目標が高いのか? 一つのことに打ち込んでいる彼女のキラキラの姿を見ると、そうはなれなかった自分の高校時代を思い出す。
近藤千紘:可愛い。ときどきギャルっぽさがあるのもまた良い。稽古場でどんどん変わっていく姿を見て凄いなあと思う。
山下恵実:素敵な存在感があって、頑張っている姿を応援したくなる。赤い服とかも似合いそうだなって勝手に思っている。

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Loop #7

櫻谷翔吾 Shogo Sakuraya

古賀友樹:センスが溢れています。でもドバドバ出してはいなくて、気持ちのいい、ついからだを揺らしたくなるような感じ。コントとかやったら絶対上手いんだろうなあ。
近藤千紘:特殊な能力を持っていると思う。隠されてる何かがまだまだいっぱいありそう。真剣に作品と向き合っていてくださる。
山下恵実:不思議な空気を身にまとっている。力を抜いてその場に存在できるのが本当にすごい。落ち着く声をしている。

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Loop #8

高嶋柚衣 Yui Takashima

古賀友樹:実際のところはわからないけど、高嶋さんは演劇が好きなんだろうと思う。演じている姿に説得力があって惚れ惚れする。ヘンテコなものも好きなんだろうとも思う。最高!
近藤千紘:役者だ!!! と観ていて気持ちの良い鳥肌が立つ。安心感が凄い。厳しく優しく誰でも仲良くできるって感じがある。
山下恵実:優しさに満ちていながら、強い芯も持ってて、キュート。踊っているところも素敵だってことを色んなひとに知ってもらいたい。

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Loop #9

瀧腰教寛 Takahiro Takigoshi

古賀友樹:かっこいい、漢の中の漢です。普段は気さくで優しい人だけど、内から湧き出てくるものはギラギラの鋭利な刃物ばりのシロモノだ! 痺れちまうぜ。
近藤千紘:石川県の人。いてくれるだけでワクワクドキドキする。毎回、新鮮に瀧腰さんのこと見れる。それが楽しい。
山下恵実:いつも全力。稽古も、普段話してるときも、常に真剣勝負って感じがして、それがすごく魅力的だと思う。

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Loop #10

中條玲 Rei Chujo

古賀友樹:今回の舞台がなければ一生交わることはなかった、僕にとって特異点みたいな存在。いや全然そんなことはなくて、友達にもなりたいし、とてもいい人なんですけど。何回も舞台ですれ違う度に、なんとなくそういうことを考えてます。
近藤千紘:ミステリアス。冷静に爆笑できるみたいな感じで、振り幅がすごい人だなあと思ってる。これからどんな風になっていくんだろう。気になる。
山下恵実:飄々としてるけど、周りで起きていることをしっかりみて考えていて、すごいなあと思う。アンファンテリブル。

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Loop #11

長井建都 Kento Nagai

古賀友樹:これから必ず大物になるのがこの長井建都という男です。直感で申し訳ないですが、文字通り大成するであろうと言い切れます。隙が多すぎて隙がないんですよ。これ意味わかりますか? わかってほしい。
近藤千紘:うどんが好き。裏切らないところがとても良いなあと。丁寧に生きてると思う。ほんと素敵。かわいい。
山下恵実:難しくても挑戦しようとする真摯さにグッとくる。普段から一生懸命に生きてる感じがする。

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Loop #12

中島晃紀 Koki Nakashima

古賀友樹:兄にしたい男性ランキングダントツの第一位。同い年らしい。でも兄にしたい。社会への反骨精神の具現化であり、象徴でもある。
近藤千紘:心が美しい人。最高に面白い。面白くしようとしてないだろうけど面白い。瞳の色が綺麗。存在感が良い。
山下恵実:好きなものは好き、嫌いなものは嫌いってハッキリ言える強さに憧れる。気遣いに満ちたピュアで熱いひと。

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Loop #13

花井瑠奈 Luna Hanai

古賀友樹:この人は好奇心の具現化。権化。楽しいやつだ! と気づいてからのスピードがとてつもなく速い。なるほど野性的な一面があるのですね。
近藤千紘:出会ったときは透明感がすごくて爽やかな女性だなあと思ったけど、今は逆に、すごく頭の回転も早くて、強くて、火が吹けそうなパワフルビューティーウーマンだと思っている!
山下恵実:華奢な身体のなかに、ものすごいパワーが満ちていて、そのエネルギーにいつも圧倒される。かっこよくもあり可憐でもある魅力に溢れたひと。

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Loop #14

程島けい子 Keiko Hodoshima

古賀友樹:いつも謙虚で、歳下の僕らにも丁寧に接してくれるけど、中身はめちゃくちゃホットでクール。物怖じせずに作品をつくる姿勢に僕はやられてしまいました。
近藤千紘:魂からの動きと言葉を出せる。いつでも新しい何かを吸収して発信してくださるから、わたしも頑張ろうと思える。ありがとうございます。
山下恵実:いろいろなことを感じ取る心の器がとても大きくて、心を開いて生きる美しさを感じさせてくれる。言葉にも身体にも壮大なエネルギーが満ちている。

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Loop #15

山下恵実 Megumi Yamashita

古賀友樹:思ったことを自分の言葉にして話すのが上手いなと毎日思っています。お姉さんっぽいと思ってたら、意外や意外、キュートでチャーミングなんですわね。
近藤千紘:身体への探究心がすごい。そして、この場で起きていることをスッと自分に入れるのが上手いなあと思う。地球を自分のものにできそう。
山下恵実:ストレッチをよくしているひと。みんな魅力的で、その素敵さを上手く言葉に出来ずもどかしく感じているひと。

言葉だけでは満ちたりぬ舞台

クリエーションメンバーによる制作雑記「クリエーションボンバー」
Vol.1:ワークショップについて
Vol.2:年末年始について
Vol.3:制作について
Vol.4:出演者たちについて
Vol.5:公演に向けて
Vol.6:公演を終えて
Vol.7:公演を終えて一ヶ月が経って

言葉だけでは満ちたりぬ舞台|クリエーションメンバーによる制作雑記「クリエーションボンバー」Vol.3

古賀友樹 Yuki Koga
1993年9月30日生まれ。俳優。〈プリッシマ〉所属。これまでに俳優として、ゆうめい『みんな』『弟兄』『巛』、劇団献身『最悪な大人』『幕張の憶測』『死にたい夜の外伝』、スペースノットブランク『デーモン・ネーション』『緑のカラー』『共有するビヘイビア』『ラブ・ダイアローグ・ナウ』『ネイティブ』『舞台らしき舞台されど舞台』などの作品に参加している。
『言葉だけでは満ちたりぬ舞台』では、クリエーションメンバーとして出演者を務める。
近藤千紘 Chihiro Kondo
1993年11月10日生まれ。ダンサー、俳優。これまでにダンサーとして、DANCE PJ REVO『ハゲワシと少女』『Orange Gravity』、Empty-Kubrick『正午の伝説』、akakilike『シスターコンプレックスシンドローム』などの作品に参加。俳優として、ルサンチカ『春のめざめ』『メザスヒカリノサキニアルモノ若しくはパラダイス』、新聞家『白む』、女の子には内緒『光を束ねる』、スペースノットブランク『ネイティブ』『舞台らしき舞台されど舞台』などの作品に参加している。
『言葉だけでは満ちたりぬ舞台』では、クリエーションメンバーとして出演者を務める。
山下恵実 Megumi Yamashita
1998年7月9日生まれ。演出家。〈ひとごと。〉主宰。
高校卒業後すぐに、こまばアゴラ演劇学校〈無隣館〉三期演出部に所属。
『言葉だけでは満ちたりぬ舞台』では、クリエーションメンバーとして演出補を務める。

Loop #1

古賀友樹:ここにクックパッドの和菓子特集のURLを一旦載せたのだが、消した。書いて消したという事実だけが残った。嘘かもしれない。
クリエーションはお互いがお互いに作用し合う。作品はその集合知と言うべきか。誰かが和菓子の話をしたらいつのまに頭の中は和菓子になって、和菓子がクリエーションに紛れ込み、作品は和菓子に侵食されるであろう。でも和菓子舞台っていいかもしれないですね。いやなにおいとかしなさそう。ただ、粉っぽい感じはしますよね。「わかる〜」。

近藤千紘:本格的な稽古の前に2日間ワークショップをした。
みんなには久しぶりに会えて嬉しかったし、古賀くんがパーマあててたし、わたしは髪の毛を切っていた。途中で聞いたお海苔の専門店の話を聞いて絶対合羽橋行くぞと思った。そしてその4日後くらいに本当に行って海苔買った。
とにかく今は新しい何かに出会いたくて、みんなの話を聞くといろんなことをしたくなるし、真似もしたくなる。今は和菓子作りしたい。教えて欲しい。

山下恵実:私は弾力がすごそうだなって思いました。和菓子演劇。
で、こういうことが稽古場でも起こっていて、粉っぽいって思う人もいれば、もちみたいなのをイメージする人もいる、みたいな。昨日の稽古で対立する意見が出た時の展開はちょっとアツかったな。
あと、中学生の頃のこととか思い出したりしてます。稽古みながら。それで、舞台上で起きてることが色んな人のこれまでとか、思考とかの断片とコネクトして、すごい大きい世界まで飛んでいったらいいなとかちょっと思いました。大きい世界ってなんか宇宙を想像しちゃう。短絡的?

下北沢にて。五右衛門も、植木にまでは、手をださず。

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Loop #2

古賀友樹:確かに宇宙に行ってきました、って言ってくれたら嬉しいですね。本当かどうかはさておいて、こちらは勝手に楽しい気分になるから良いと思います。でも10人いて、10人が10人とも宇宙に行ってきました、と言ってきたら僕はその人達を受け入れられないかもしれない。それぞれが自由意思で判断したのであれば間違いはないのだけど、とても大きな何かを嫌でも意識してしまう。
同じ行動であったとしても、意識してやるか無意識でやるかで強度は違ってくる。うまくはまとまらないのだけど、自分という存在は、自分の要素と他人の要素を混ぜ合わせた何かだっていうことです。自分は喋ってるのか、相手に喋らせられているのか、みたいなよくあるやつです。

近藤千紘:宇宙で思い出したんだけど、1月のワークショップで1時間だけ各々自由に外に出て、いろんなものと出会って、写真を撮って戻ってくるみたいなことをやって、そのときに「宇宙に行って戻ってきて写真は地球を撮りました」みたいな人がいたらいいのにって思ったことを思い出した。わたしからしたらみんな変わってるし、気持ちが全く一緒人間っていないから、そういう人たちの話を聞くと全て新鮮だし、でもわたし難しい言葉とかわからないから時々「?」ってなってわたしがどこかへ飛んで行くときある。ギャラクシー羊羹作ろうって思う。

山下恵実:自分で喋るよりも、喋らされてる方が楽だし、考えるより流される方が楽だし、Netflixみるより眠る方が楽。
でも楽と楽しいは、漢字同じだけど結構違うって思うし、そう信じたい。10人みんなが宇宙に行ったらって話読んでそう思った。
最近のリハーサルも、からだとか、言葉とか、意識とか、いろいろ考えなきゃいけなくて、大変そう。たぶん、私はうまくできないと思う。でも見てて楽しいし、体が動き出したいって言ってる時とかあるし、やってみたらいろんな発見がありそう。
こんなこと言っておきながら毎朝起きれない、ごめん、もうちょっとって二度寝してる。眠るのは楽しくはないけど、楽だし、幸せ。

下北沢にて。白いチェーンに縛られた黄色いポール。

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Loop #3

古賀友樹:上手く言葉に出来ない、当てはめることが出来ないことがよくあります。「なんだかよくわからないけどおもしろい」こいつが本当に困ったやつです。もう少しで言語化出来そうなんだけど、まあいっか。…これ、夢を見てすぐ忘れることとよく似ていません? 確かに今、目の前を何かが通過した。僕らはついついこれが何者かをつきとめようとするけれど、正体はわからないままでいいのかもしれない。1人だけが正解を知っているより、10人が何かいたよね、そうだよねと言い合ってる方が意味がある気がする。1人がそいつを手懐けるより、10人の頭の中でぼんやりとその輪郭を思い浮かべたら、いつかとんでもないモンスターが生まれるかもしれません。
今回のスローガン、イズ、正しさというまやかしに打ち勝つ勇気を持ちたい、です。

近藤千紘:わたしも寝たい。昨日、二度寝して1時間45分の遅刻をした。それはあかん。
悩んでることがあっても寝たら忘れるというか寝たらどうでもよくなるみたいなことある。そういうののためにも寝てる。だから昨日の二度寝の失敗は寝て忘れた。でもセリフとかは寝て覚えるみたいなのもある。寝るってすごい。稽古見ててこれ夢なんかなって思うときある。夢ってよくわからないし、ぶっ飛んでる時あるし、でも頭の中がゴロゴロ出てきちゃってるんだろうなあって。そういうのが今回の稽古場でいっぱいある。気がする。まだまだ制作途中だけど今回の作品絶対面白いだろうなぁって思う。見てると内側を刺激される感じ。そういうのってこわいけどな。

山下恵実:パクチー初めて食べた時に、この三つ葉おいしい、って言ってちょっと恥ずかしい思いをしたことがある私ですが、どっちにしろおいしかったっていうことに変わりはないですよね? ないと思っています、私は。
大勢の正しいとか、立場が上の人の正しいは強くて、惑わされがちだけど、人の正しいにビビったり頼ったりしないで、自分がしっくりくる答えを自分で見つけられたらいい。
これは、この作品つくっていく中でも何回も聞いてる言葉で、本当にそうだと思う。
みんなその難しさと戦ってるし、この先も戦っていってほしい。出演者たちも、お客さんも、わたしも、みんな。そんな感じです。

下北沢にて。ワークエイトアワーズ。スリープエイトアワーズ。プレイエイトアワーズ。

言葉だけでは満ちたりぬ舞台

クリエーションメンバーによる制作雑記「クリエーションボンバー」
Vol.1:ワークショップについて
Vol.2:年末年始について
Vol.3:制作について
Vol.4:出演者たちについて
Vol.5:公演に向けて
Vol.6:公演を終えて
Vol.7:公演を終えて一ヶ月が経って

言葉だけでは満ちたりぬ舞台|クリエーションメンバーによる制作雑記「クリエーションボンバー」Vol.2

古賀友樹 Yuki Koga
1993年9月30日生まれ。俳優。〈プリッシマ〉所属。これまでに俳優として、ゆうめい『みんな』『弟兄』『巛』、劇団献身『最悪な大人』『幕張の憶測』『死にたい夜の外伝』、スペースノットブランク『デーモン・ネーション』『緑のカラー』『共有するビヘイビア』『ラブ・ダイアローグ・ナウ』『ネイティブ』『舞台らしき舞台されど舞台』などの作品に参加している。
『言葉だけでは満ちたりぬ舞台』では、クリエーションメンバーとして出演者を務める。

年越しは大学の先輩の家で迎えました。大人数で過ごしたのはほぼ初めてで、福岡にいた頃は家族と過ごしたりなんだりしたけども。東京に来てからはそういういわゆる大学生っぽい年越しはしてこなかった。もう大学生じゃないけども。
ベタに初詣の列に並んだり、年賀状の仕分けのアルバイトをしていたらいつの間にか歳を越していたり、いつもそんなもんです、いつもは。だから今年は特別感がありました。嬉しかったな~。世間一般の若者達はいつもこういう感じなのかな。
みんなで年越し蕎麦を食べて、ゲームして遊んで、改め直して新年の挨拶、緩やかに近くの小さな神社に初詣に向かって、寒い寒い、とか。帰ってきてまたゲームしたり、眠くなった人は寝て、とかね。みんなやってきたのかな。僕は初めてやりました。うっかり感動してしまいました。
その場には猫がいて、とても人懐っこくて、こんなに猫ちゃんと触れ合ったのも生まれて初めて。初めての経験がこんなに重なっていいのかな。いいのか。こういうのは怒涛にやってくるもんだと思ってます。猫カフェに一回だけ行ったことがあって、そんな時よりも遥かに猫成分を摂取出来ました。
朝のお笑い番組まで起きてようと頑張ったけど、結局寝ちゃって。お餅を二つ食べて、お昼前には帰りました。そこから家でゆっくり寝ました。それでおしまいです。お正月らしいことはそれくらいしかやってないですけど、十二分に堪能させていただきました。
その様子をいくつかの写真でお見せできればと思ったのですが、人にはプライバシーというものがありまして、いやもちろんちゃんと確認を取れば良かったのですが、面倒くさがりの性格が今の今まで発動してしまい、結局連絡を取ることはありませんでした。ですので、プライバシーに考慮したバージョンの写真をいくつかお見せしたいと思います。この手間を考えれば、普通に連絡した方が早いのは明らかなんですけど、なんなんでしょうね。ホンマやで。

猫。他人の背中でくつろぐ。
猫。膝の上に出会って10分で乗る。
2018年。来たるべき2019年に向けてみんなで年越し蕎麦を食べる。

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近藤千紘 Chihiro Kondo
1993年11月10日生まれ。ダンサー、俳優。これまでにダンサーとして、DANCE PJ REVO『ハゲワシと少女』『Orange Gravity』、Empty-Kubrick『正午の伝説』、akakilike『シスターコンプレックスシンドローム』などの作品に参加。俳優として、ルサンチカ『春のめざめ』『メザスヒカリノサキニアルモノ若しくはパラダイス』、新聞家『白む』、女の子には内緒『光を束ねる』、スペースノットブランク『ネイティブ』『舞台らしき舞台されど舞台』などの作品に参加している。
『言葉だけでは満ちたりぬ舞台』では、クリエーションメンバーとして出演者を務める。

「飛行機と心の声」
わたしは徳島県が地元だ。
年に3回くらい帰ることにしている。

12歳。徳島市中常三島町のマンション11階で初めての阿波おどり。

そして、この文章を書いている今は徳島にいる。今は徳島阿波おどり空港で羽田行きの飛行機を待っているところ。ほんと東京戻りたくないってなっている心情。あ、今飛行機が来たらしい乗らなくちゃ。飛行機ってなんであんな大きいのに飛べるんじゃろ。怖。

25歳。阿波おどり空港で初めての阿波おどり。

今飛行機に乗り込んだ。「43A」3回くらい確認して座ったけん絶対大丈夫。慣れてないけん席間違えただけでパニクる。ほんまに飛行機は怖い。ほんで東京も怖い。昔は都会に憧れてた。東京に行けば誰でもスターになれるや思っとった。
あ、今飛行機のドアが閉まったらしい。動き出す。今、この瞬間は徳島にいる。もう少しで浮く。今は徳島におる! おるんじょ!

わたしの家族、お母さんとお父さんは徳島にいる。愛している徳島に愛している両親がいる。最高で最強の場所があるということがわたしは恵まれているなあと思う。
飛行機が動き出した。心の準備できてないよ~やめてよ~怖いよ~。
わたしは飛行機が苦手だ。地に足を付けていたいタイプ。高所恐怖症には厳しい高さ。でも窓側がいい矛盾。

飛んだ。

徳島の輪郭が見えてくる。わたしは今どこにもいない。全ては機長と飛行機にかかってる。そう思うたび機長に恋してしまいそうになる。意味が本当に分からん感情。
四国の輪郭が見えてきた。寂しい。徳島から東京に戻る飛行機で泣かんかったん初めてかも。
今、シートベルトのライトが消えた。
機内ではイヤフォンから平井堅の音楽が聞こえる。しんみりして泣きそうやんか!
今、わたしは空にいる。楽しかった思い出と共に東京へ帰って、また制作が始まる。
わたしのやりたいことをするには東京じゃないとできない。だから、東京へ戻る。仕方ない。やりたいことがあってそれには勝てないのかねえ。自分のことだけどわからない。
とかなんとか思いながら空。

どこの上を飛んびょんかもわからん今。
でもまだ徳島県には届く距離だろう。

「もう少しやりたいことをやらせてもらいまーーーーーす! 大好きなのは徳島やから! 忘れんけんな! またちゃんと帰ってくるけんねーーーーー!」

誕生日。渋谷で初めての阿波おどり。

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山下恵実 Megumi Yamashita
1998年7月9日生まれ。演出家。〈ひとごと。〉主宰。
高校卒業後すぐに、こまばアゴラ演劇学校〈無隣館〉三期演出部に所属。
『言葉だけでは満ちたりぬ舞台』では、クリエーションメンバーとして演出補を務める。

イスラエルにいます。
2019年1月5日午後9時17分。今。
ということで、あけましておめでとうございます。
も、ろくに言わぬまま、1月3日に日本を飛び出し香港経由してイスラエルに来ました、というのが一昨日1月4日金曜日。

早朝空港着で、厳しいと聞いて覚悟していた入国審査が思いのほかスムーズに終わって暇を持て余してしまったのでカフェで時間を潰し、交通機関が動き出した頃にバスを乗り継いでテルアビブに。乗るバスがわからなくて困っていたらお兄さんが目的地まで連れて行ってくれました。イスラエルの人、やさしい。

そんなこんな(?)で初中東、初ひとり海外、プラス肩も心もガチガチだけど、目的はダンス、ダンス、ダンスなのでしなやかにストレッチとマッサージで全身をほぐし、いざ Batsheva Dance Company のオーディションへ。
筋肉、呼吸、視線、意識、などなどなどなど、ありとあらゆる感覚の窓と毛穴を開いた数時間。たぶん大体2時間半。

Suzanne Dellal Centre で踊る。

たくさん動かしたおかげで肩のコリは全部何処かへ消えました。荒治療。
とはいえ空の旅から休む暇なく身体と想像の旅に出たのでヘトヘト。早く宿で寝たい、寝たい、寝たい、って感じで4日はおわり。
そして今日、5日も引き続きダンスな1日。頭、頭、頭でっかちなダンスはしたくないし、観たくない。身体と心と外側と対話しながら丁寧に、かつ直感的に、頭に支配されないトレーニングは毎日続けていかねばなあー。とか考えました。

ヤッファ旧市街でユリゲラーミュージアムを見つける。

で、そのあとは海やら、ヤッファの旧市街やら、ふらふら歩いたり名物ファラフェル(ピタパンに豆のコロッケみたいなのが挟まってる)を食べたり、イスラエルの空気を楽しんだりしました。
明日は何もないので観光します。市場に行く予定。本当は死海に行きたい。

カルメル市場でスパイスと出会う。

ということで、ダンス修行のための3泊6日の旅はもうすぐおわりです。
また近いうちに来るかも、意外と飛行機安いし、パンは美味しいし。人も優しいし。何より観たいし体験したいダンスカンパニーがまだまだ沢山あるし。
とかとか思いながら、早くおにぎりが食べたいです。いくらおにぎり。あとうどん。

言葉だけでは満ちたりぬ舞台

クリエーションメンバーによる制作雑記「クリエーションボンバー」
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