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フィジカル・カタルシス|出演者インタビュー


瀧腰教寛 たきごし・たかひろ
2月23日生まれ。石川県七尾市出身。俳優。2007年から2018年まで〈重力/Note〉に参加。俳優として、新聞家「失恋」、スペースノットブランク「言葉だけでは満ちたりぬ舞台」などの作品に出演している。


──上演に向けて
今回スペースノットブランクに関わらせてもらえるのは2作品目になるんですけど前回も僕にとって結構ターニングポイント的な時期、去年からもちょうどなにか転換をしながらどういう風に今後活動したり生活したりっていうことを考えるきっかけになりつつ考えながらやらせてもらってるな、っていう期間で、充実しています。仕事をしながら生活と共にどういう風に舞台をしていくのか、よく稽古場で出る、通過点ていう言葉が新鮮で好きで、そういう観点からこう、舞台と生活との両立を考えた時に、今までやっぱりなにか舞台って特別なもの、神秘的なものっていう要素も入ってるぐらいの、ちょっと僕の中ではもやっとしたものも含み込んだもの、が表現だったんですけど。その中での表現、自分でしかないものが、どうそこの舞台に出てくるかっていう、「恐れ」みたいなものはいままでもあるんですけど、そこがどう変わっていくのか、自分自身も楽しみです。今回の作品は作品ていう言い方自体も、言うのをやめていきたいなって思ってるんですけど、一応ダンスみたいな形なんですよね今回、結構最初はそこへの緊張感というか、不安もあったんですけど、今その体をどう舞台上に成立させるのかっていう仕方が、さっき話した、どう生活と表現との間で自分を出せていくのかみたいなことの課題は僕にとって今後どう演劇を更新、または関わり直していくのかをダンスという名目の中でやっているにすぎない。

──ステートメントについて

①それは多様な選択ができるものとする。
なんにでも応用が利く。それこそ今割と一生懸命なんで、余裕がないけどたぶんその5月10、11、12を過ぎたあとにその応用するチャンスが訪れると思うし、たぶん応用していくんだと思う。ていうことはもう見えてます。

②それは躰の内在と外在から構築される。
今その前半のシーンを作ってて、それは確かにその山口静さん、花井瑠奈さんの動きを見て、振りを思い出したり、浮かんだりっていうのと、自分からこう動きたいなって思うものとが、交互に動きになっていってるってのは内在と外在。だなっていう感じがある。

③それは作家のためだけのものではない。
これも、お客さんも自由に動きを作ったりできるな、っていう感じはある。応用ができる。だから今回の作り方、見たもの、もしかしたら見たものも、見てくれた方は、応用が利く、ような気がする。僕はたぶんこれを見にきたら、応用してしまうだろう。

──ダンスについて
ダンス=踊ることってなんなのか。よくまだわからないんですけど、演技とダンスは結構同義なんじゃないかなって、だんだん思ってきてます。稽古を通して。それを今もっと考えてみると、たぶん体の可能性の拡張の中に、社会的な生活の中で抑制しているものを解き放った時に、ダンスや僕の見たい演技があるのかな、って思う。

──作品の中での自身の行為、役割、意識について
僕の感覚としては、割と好き勝手やらしてもらってるなってとこはある。たぶん好き勝手やれたら本当にいいんだろうなって、今思ってます。踊ることに慣れてない人なんですよ、僕。振りとかも作ったことがないけど、ある時稽古で、花井瑠奈さんと山口静さんに自分の動きをトレースしてもらう時があって、その時にちょっと、あの、嬉しかったです。振りを見てる人が踊りたくなるように思わせる可能性を秘めてるんじゃないかなって思ってます。踊ったことってほとんどないから、そういう自分が踊ることによって、たとえば近所にいるおばあちゃんとかがこうやって作ったよ、って僕に見せに来てくれるんじゃないかなって勝手に思ってる。



花井瑠奈 はない・るな
1991年8月26日生まれ。パフォーマー。2014年から2019年までテーマパークにてさまざまなプログラムに出演。パフォーマーとして、中村蓉「桜ノ森ノ満開ノ下デ」、サカサマナコ「静かな欠片」、新聞家「失恋」「遺影」、鳥公園「終わりにする、一人と一人が丘」、スペースノットブランク「ネイティブ」「言葉だけでは満ちたりぬ舞台」などの作品に参加している。


──上演に向けて
3月から制作をはじめて、3月30日にワークインプログレスの発表があって、で今日は4月の26日です。スペースノットブランクの作品制作に参加しているのは3作品目でこれまでの2作品は自分の生活とか経験の中で大きなポイントとなっているような感じがしていて今回は時期的にも自分が仕事を辞めた前後が制作期間になっていて、その前後の期間を作品と共に過ごして5月の上演に向かっているところです。今。

──ステートメントについて

①それは多様な選択ができるものとする。
まず、作っているサイドから見ると、ある動きの次に起こることとか、ある動きのきっかけとなる背景とかが、いくらでも無限にパターンがあり得る。ということ。見る側からいうと、その動きに個人的な、とても私的な、見方をできる。ということ。

②それは躰の内在と外在から構築される。
前に、どうやって動きができるか、っていう質問をこの制作中にされた記憶があるんですけど、今思うと、まったくもって、この一文のことだな、っていう風に思いました。自分の無意識とか自分の経験とか記憶から生まれるものと、それが物足りない時に、同じ空間に存在する物や人からの情報で、刺激を得て出てくるもので動きが作られること。

③それは作家のためだけのものではない。
これは、この一文は、フィジカル・カタルシスに限ったことではないんですけど、どうして作品を上演するのか。ということに対して一番目指すところに自分たちもいるけれど見る人がいる。ということ。

──ダンスについて
動くこと自体は好きだけど、ダンスと言われると、身構える感覚があって、ダンスを子供の時からしてきたつもりだったのに、なんでそう思うんだろう。たぶん自分が勝手になにか、ある技術とかそういう定まった基準のようなものについて勝手に否定的な気持ちになってるだけなんだと思うんだけど、もっとなんでもダンスと呼べる気持ちでありたい。

──作品の中での自身の行為、役割、意識について
フィジカル・カタルシスの最初の上演(2019年1月|d-倉庫)を見ていて、詳細にはわからないけど、作り方についてなにかルールがあるっていうことを見ていて、作品がおもしろかったからその内側から作品を見ることができて、それは嬉しい。でも、ダンス大丈夫かな、って思った。たくさん踊るのどういう風に自分がいられるか、大丈夫かな、って思った。でも、一緒に振付と出演をする人が、ほかに2人いて、演出者がもう2人いて、その4人を近くで見ていて、それぞれすごいなと思うので、ダンスをする動機が自分の中だけじゃなくて外にたくさんある環境があって、ありがたいなと思う。ここからの時間と3回上演する時間の間にたぶん感覚が変わっていくと思うから、見る人もいるし。変化についていってその時々でクオリティのある方法を見つけたい。



山口静 やまぐち・しずか
1990年4月12日生まれ。ダンサー、振付家、ダンス講師。企画者として、自らダンサー、俳優、作家を集い作品を上演する「アトリエタキグチにて」などの公演を企画。ダンサー、振付家として、茶番主義!「白い馬の上で踊れ」などの作品や、中島トキコが手掛ける〈POTTENBURN THOKII〉の展示イベントに参加している。


──上演に向けて
今年のはじめ、体は他の体の中で育つよなあ、そろそろ外へ出ていかないといけないな、と思っていたところに、お声がけいただいたので、願い叶った、という気持ちで、実際に出演、演出の皆さんと体を動かしていく中で、やはり自分がいままで自ら手を伸ばさなかったところへ体を持っていかれるし、意識を引き延ばされる。拡張される。その拡張されるのが自分の中では、心地がいいから、かけた時間と運動量を信じて、このままフレッシュな気持ちで、本番を迎えたい。

──ステートメントについて

①それは多様な選択ができるものとする。
作る側も、見る側も、多様な選択ができるように心がけているのかなっていう意識は、稽古の中で感じている。それは平面が立体になっていく感じというか、意味のないものがより豊かに変容していく、魔法みたいな感じ。

②それは躰の内在と外在から構築される。
クリエーションの中で自分の周りの景色や環境は常に変化し続けているんだけれど、それに振り回されずに自分の衝動や気持ち良さを守れる。

③それは作家のためだけのものではない。
自我の押し付けにならずに、風通しよく、すべての人に開かれたもの。

──ダンスについて
人は踊りたいという欲求を本来持っていると思っているけど、いつから生活とダンスが離れちゃったんだろう。自分にとって、ダンスは特別だけど、多くの人たちにとってそうじゃないこともよく知っているし、でもその踊りたい欲求をみんなが持っているっていうことを、信じて、ダンスを続けている気がする。

──作品の中での自身の行為、役割、意識について
意識としては自分の中で完結しないように、動きが生まれた時の感覚を忘れないように、未熟で粗い動きも肯定し整えすぎないように、その場の選択や衝動を信じ、すべて受け入れるように、と思っています。とても難しいけど。


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