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言葉とシェイクスピアの鳥|レビュー|関田育子:『言葉とシェイクスピアの鳥』をみて

関田育子 Ikuko Sekita WebXInstagramYouTube
立教大学現代心理学部映像身体学科卒。2019年に演劇ユニット[関田育子]として団体を設立。俳優の身体と劇場の壁や床、戯曲など、演劇を構成するあらゆる要素を同じ解像度で知覚、認識することを目指す“広角レンズの演劇”を提唱し、その実践として演劇作品の上演を行なっている。観客の身体が、普段は知覚しないこと(俳優の身体と劇場の壁などが等価に見えるなど)を実感することにより、有用性のもと規定された今までの価値基準を解体させ、新たな視座を獲得することを目的としている。2023年『micro wave』で「かながわ短編演劇アワード2023」⼤賞・観客賞を同時受賞。

ある一定の時間を有したプロジェクトであるということ

 2024年1月に吉祥寺シアターにて上演された『言葉とシェイクスピアの鳥』という作品(試み)は、2022年の7月より「クリエーションを前提としたクリエーションを実践しないチーム」として集まったメンバーが対話や情報共有を通じて“集団の言葉”を生成することを目指し、2023年の7月より上演に向けてのクリエーションが開始された。また、この上演は、“舞台を物体として配置すること”すなわち、“上演と舞台の関係を見直し、観客をも物体として保存することを志す”=「物体三部作」という構想の中の第二部作品である(第一部は2021年9月に上演された『舞台らしきモニュメント』)。本作品のコンセプトは「集団」「集団の言葉」「言葉の意味の侵入」と掲げられており、タイトルにもあるウィリアム・シェイクスピアとの関係は、シェイクスピアの「言葉」が、間接的にアメリカという大国を侵略してしまったかもしれないという逸話を創作の導入とし、舞台による舞台の侵略を描く。これの情報はステートメントや公式のサイトから読み取るとこのできる情報であるが、ここでいう「言葉」とはどのように定義され、いかにして検討されているのかが気になった。なぜならば、最初に行う「言葉」の定義がズレてしまっていたら、その後に書くこと全てが的外れになるという恐怖があるからだ。

鑑賞状態と恐る恐るの定義

 前提として、私はこの試みの位置付けやプロセスを知らないままに鑑賞した。さらに、シェイクスピアに対しての知識もない状態であった。会場である、吉祥寺シアターは三階まであり、コの字型にギャラリー(バルコニーのようなもの)で囲まれている。さらに、舞台面の中央奥にはシャッターがありその奥にはガレージのようなスペースがある。壁や床や扉、シャッターの色は黒い。観客が目視できる扉は上手と下手に2つずつ、ガレージの上手と下手に1つずつ。6枚の扉を確認できた。また客席の後方には二階のホワイエに通じる出入り口が2つと一階から客席に通じる扉が左右にあった。
 客席は前方から緩やかな傾斜があり、前から3列目あたりで一度中通路があった。劇場のサイトでは最大座席数は189席となっている。私は中通路を挟んで1列目、すなわち全体で見るとおそらく4列目くらいから観劇した。俳優がさまざまな出捌け口から出てくる本作品においてどこから鑑賞したのかということも検討されるべきだと思い示しておく。
 さて、作品の上演が始まり、その中で様々な運動や会話がなされているが、そこに物語的な脈絡は意図的に排除され、15人の俳優が群れであり、個人でもあるようなタスクをこなしている印象がある。この作品における「言葉」とはなんだろうか。ステートメントに以下のような表現がある。

『言葉とシェイクスピアの鳥』には、大きな三つの要素として「関係のない言葉」と「関係のある言葉」と「劇場という構造物に対していくつかの形態を示そうとする空間と身体」が表現される。そこに筋立てた物語は存在しない。それぞれの要素の生態のようなものが、それぞれの環境のようなものにどのようにして適合しようとするのか、そもそもの存在のようなもの自体を選択しようとするのか。敵対と親睦を用いて舞台による舞台の侵略を上演の時間と空間に体現することを目指す。

 「関係のない言葉」「関係のある言葉」とあるが、何との関係なのだろうか。一度、この“関係”というのを“他のものへの作用をもたらすか否か”と仮留めする。作用というのはこの場合向けられた対象によって異なる。例えば、名前であれば、相手の存在あるいは相手との立場の相関関係を広く提示することである。その点で言えば、「関係のある言葉」とは普段、使い慣れており、イメージがつく。しかし、「関係のない言葉」とはなんだろうか。言葉というのはそもそも物事を伝達する記号的な側面もあることから、どうしても他に作用を与えてしまうのではないかと思うが、上演を観ているうちにその“関係のなさ”を発見した。さっぱり意味がわからないところが、そこかしこにあった。観劇という体験を持って初めて「関係のない言葉」の存在をきちんと認識させてもらった。他の作品を鑑賞している時に意味がわからないことなどたくさんあるのだが、そのわからなさを自分の知識や経験の不足のせいであると思いどこか罪悪感を感じていたが、今回はその罪悪感を感じることが一切なく、堂々とわからなかった。
 次に、「言葉」について仮の定義をする。舞台上では複数人が同時に発話することもあり、すべての台詞を聞き取ることは不可能であったが、戯曲を拝読している際も、すべての台詞を読み取ることに失敗した。もちろん文字を追うことは可能であるが、言葉を実感を持って理解することができない。今までの「言葉」とは全く異なる様相で、出会い頭につぐ出会い頭といったような殆ど事故と言ってもいいような読書体験になった。そして、その体験から得たものがあった。

「読めない」文字と「醸す身体と空間」

 小野彩加 中澤陽 スペースノットブランクの戯曲を読むのは初めてではなかったが、本作の戯曲を「読む」という作業は文字をあるいは表現の意味をとるという作業ではなかった。その作業は「詠む」という表記の方が近いように思う。「詠む」というのを辞書で引くと「1 声を長く引く。また、声を長く引いて詩歌などをよむ。2 詩歌・俳句などを作る。(goo辞書)」とあるが、2個目の要素にある“作る”という感覚がとても近い。関田育子の作品を鑑賞した学生の感想にも「まるで演劇を“詠んで”いるかのようでした」と評されたことがあるが、その時に受けたこの「詠む」という動詞の印象が今回の読書体験と類似している。読者が意味を汲み取るだけでは読めないのだ。読み手も何かを生成しなくては、よみ進めることができない。「何か」というのは人それぞれにあってよい。イメージであったり、空間であったり、身体、動作でもいい。私自身は戯曲を持ちながら、劇場の図を描いていた。しかし、それは実際の吉祥寺シアターではなく、全くの別の図面だった。その架空の劇場を拵えることで、「詠もう」としていたのである。
 15人の俳優が舞台上に一堂に会するシーンがある。物理的な俳優の多さに群れを感じるが、そこには「同類が集める」という意味合いは全くない。統制がとれている状態からかけ離れた、ただいるだけの群れである。その環境には中心も周縁もなく、また、それらを規定する基準すらない。ただ、そこ(舞台)にいる俳優の身体にはそれぞれの生活から引っ張り出されたものや、舞台という状況から要請された、観客に観られていることに起因するような動きがそれぞれの身体から湧き出ていた。その身体を「醸す身体」と仮定する。それらの身体の把握はおそらく劇場という空間がもたらすものだ。なぜならば、客席にもその身体が散らばっているのに、それらの身体には意識が向くことが少ないからである。劇場という空間が俳優の身体を、観客の視認の対象たらしめている。

「言葉」とは

 本作品における「言葉」の仮定義として私が導き出したのは、「言葉とは何かを規定するためのものではなく、その定まらなさを保証するもの」とも言えるのではないかということ。常に暫定的なもので、「言葉」以外の様々な要素との相互連関の中でしか効力を持たない記号のようなものに思えた。そしてこの構造は他の事柄(演劇、演技、照明、音響、戯曲など)に置き換えても考えることができるかもしれない。今後の「物体三部作」を鑑賞した際にそのことについても考えたい。

言葉とシェイクスピアの鳥

吉祥寺シアター
出演者インタビュー
出演者インタビュー:動画
稽古場レポート

小野彩加 中澤陽 スペースノットブランク
長いステートメント
最初で最後のイントロダクション
ふみかのゆうがなひととき|吉祥なおきち×吉祥寺ダンスLAB. vol.6 小野彩加 中澤陽 スペースノットブランク『言葉とシェイクスピアの鳥』上演記念コラボメニュー紹介

レビュー
佐々木敦:舞台芸術にとって「システム」とは何か?
関田育子:『言葉とシェイクスピアの鳥』をみて

言葉とシェイクスピアの鳥|レビュー|佐々木敦:舞台芸術にとって「システム」とは何か?

佐々木敦 Atsushi Sasaki X
思考家/批評家/文筆家。HEADZ主宰。SCOOLオーナー(桜井圭介と共同)。映画美学校言語表現コース「ことばの学校」主任講師。早稲田大学非常勤講師。立教大学兼任講師。著書多数。演劇論集として『小さな演劇の大きさについて』。最新刊は『増補新版 ニッポンの思想』(ちくま文庫)。

 近年、お笑いの世界において、システム漫才、もしくはただ単にシステムと呼ばれている方法論がある。その名の通り、何らかのシンプルなシステムに則って行われる漫才のことで、掴みの後にまず提示されるやりとりのパターンが繰り返され、何往復かしてオチが来る。M-1グランプリの覇者たち、ダブルボケの笑い飯、リターン漫才のミルクボーイ、あるなしクイズのウエストランドは典型的なシステム漫才であり、その他にも、ナイツやオードリー、ハライチなど、実力派とされる漫才コンビにシステムを導入している者は多い。
 システムの利点は、それ自体はまさにシステム=形式的なパターンだけなので、題材や内容を変えるだけで漫才の流れが成立する、したがって量産が容易になるということである。もちろん客を笑わせるためにはディテールが重要なのだが、ユニークなシステムを創造し、看板にすることによって認知度も高まるし、客に一種の安心感を与えることにもなる。この意味でのシステム漫才の最高峰は何と言ってもミルクボーイだろう。彼らは「オカンが忘れた」何かを当てるというシステムだけで、膨大な数のネタをストックしており、しかもそれらがどれも面白い。
 だが、もちろん、これは両刃の剣であって、システムは安易だと批判されることも多いし、やがては(あるいは突然に)飽きられてしまう可能性もある。システムといってもその強度はさまざまだし、耐用年数もある。とはいえ、魅力的なシステムの開発が、多くのお笑い芸人の目指すところであろうことは想像に難くない。
 ポイントは、システム芸人は同じネタをやっているわけではないということである。むしろ別の出力=ネタを(大袈裟だが原理的には)無限に編み出すためにシステムを導入しているのであって、M-1優勝後にグランプリを獲った芸人がテレビで何度も決勝ネタを披露させられているように、同一の漫才を複数の機会にやっているわけではない。同工異曲がシステムの効用である。システムはいわば計算式であり、代入する数値によって算出される解はまったく異なってくる。

 さて、舞台芸術にかんして、システムという考え方をすることは可能だろうか? 漫才も一種の舞台芸術だが、ここでは演劇、ダンス、パフォーマンスを指すものとする。当然ながら完全に同列に語ることは出来ない。漫才やコントは演劇と似ているところがあるが、イコールではない。笑える二人芝居は漫才とは違う。もしも漫才に見えたとしたら、そこでは俳優たちが漫才師の役をやっているのである。確かに、ある種の演劇とコントは今やかなり近接しており、かもめんたるやダウ90000のように両方のジャンルで活躍したり、一方からもう一方へ越境していくケースもあるが、コントは一種の演劇であるとは言えても、演劇がコントと同じということにはならない。システム漫才やシステムコントは存在しても、システム演劇という言い方は(おそらく)今のところ存在していない。
 だが、ダンスにかんしては、少々話が違ってくる。言うまでもなく、振付=コレオグラフィは、ある種のシステムだと考えられるからである。振付家の才能と個性は、独自の振りと、その連結や編集の妙によってはかられる。だが、もちろん振付家によって、やり方はそれぞれであって、システムと呼べるくらいに形式的な振付法を案出する者もいれば、もっと感覚的であったり即興的であったりするようなやり方を好む者もいるだろう。だが、特徴的な振付が、その振付家のマーキングとして観客に受け取られるという意味では、ダンスにはシステム的思考と呼べるものがあると言ってよい。コレオグラフィとは、システムの構築と、その応用である。ダンス作品を観て、先行する誰某ぽい、と思う時、若手芸人のネタを先輩芸人の誰某ぽいと言うのと同じく、システムの類似が言われているのである。

 小野彩加 中澤陽 スペースノットブランク(以下スペノ)は、2023年11月にこまばアゴラ劇場で上演された『松井周と私たち』──ジェローム・ベルの『ピチェ・クランチェンと私』にインスパイアされたこの作品は、松井周とスペノが互いにインタビューし合うという内容だった──の中で、自らのダンス作品の振付法のひとつ(「フォーム」と呼ばれている)を解説し、松井とともに実演してみせた。スペノが「フィジカル・カタルシス」という総タイトルのもとに継続的に実験/実践しているダンスの考案法の一種だが、それはおおよそ次のようなものである。
 ひとりの振付家が振付を全て考えるのではなく、このやり方には二人以上が必要である。まず一方が短い動き=フォーム(それは何でもよい)を何度も反復する。もう一方はそれを見て、そこから自分が「取れる」要素を探し出し、それに反応した動き=フォームを反復する。相手はそこからまた要素を取ってフォームを……というように何度も往復していくと、互いに相手の動きを「取り合う」ことで複数のフォームが出来上がる。それらを覚えておいて、最初から全部繋げると一連の振りとなり、二人が同時に遂行すると別々の振りだが内的に関連したデュオ・ダンスが完成する。
 こうした具体的な、だが抽象的でもある方法をスペノは「仕組み」と呼んでいる。言い換えればシステムである。連想と反応のピンポン運動によるフォーム=振付の生成。重要な点は、ここには言語が介在していないということである。身体と、その動きしかない。だが同時に「取る」という行為には明らかに観念的な次元が存在している。何を持って「取った」ことになるのかは、取る側の感覚と判断に委ねられており、言葉で説明する必要はない(説明してもよいのだが)。そして、こんな単純な仕組み=システムを実際にやってみると、ダンサーではない松井周のひとつながりのフォームも、あたかもダンスのように見えてくる、いや、それは紛れもなくダンスそのものであった。
 すでによく知られていることだが、スペノは演劇作品も独自に考案した仕組み=システムによって作っている。それは次のようなものだ。まず出演者それぞれに何らかのテーマで話をしてもらう。それは思い出話でもいいし、最近の体験談でもいいし、いま思いついたこと、考えていることでもいいし、全部嘘でもいい。スペノはそれらをすべて文字に書き起こし、加工変形し、編集して、台詞にする。そうして得られた台詞は話した本人たちに戻され、もともと彼ら彼女らから発せられた虚実混淆のエピソード群は配分され配列されて、或る長さの「演劇」が出来上がる。振付家の権能をダンサーに分与した「フィジカル・カタルシス」の「フォーム」と同様、このシステムも、劇作という上演の土台となる作業を出演者に明け渡すことによって、演劇の作者性を解体してみせる。だが、そのシステムを発明し、駆動させているのはスペノである。結果としてスペノの作品は同じ題名(それはある意味で「同じ作品」ということである)であっても、出演者が変わればまったく別の内容になる。システムは同じだが──むしろ同じであるからこそ──結果は異なる。それは計算式と代入される数値の関係と同じである。スペノの場合、再演は新作初演と同じことなのだ。

 『言葉とシェイクスピアの鳥』は、吉祥寺シアターが主催する連続企画「吉祥寺ダンスLAB.」の一環として上演された。出演者は総勢15名、休憩を挟んで上演時間2時間半というかなり長尺の作品である。キャストには俳優もいれば、ダンス経験を持つ者、俳優でもダンサーでもない者など、さまざまな出自と経験を持った人々が集まっていた。
 確かめたわけではないが、上演を観て台本に目を通した限りでは、今回もこれまでと同様のシステムによって作られたものと推察される。しかも「演劇」と「ダンス」の二重のシステムである。タイトルを構成する「言葉」「シェイクスピア」「鳥」は内容やテーマを指すものというよりも、起動因というか作業仮説としてのキーワードのごときものだったのかもしれない。むしろ観客がこの題名と響きあう何かを上演の内に意識的/無意識的に探し当てようとしてしまうことが、この不思議で魅力的なタイトルの狙い、少なくともそのひとつであったと言えるのではないかと思う。スペノの作品は、そのシステム上、出演者が多ければ多いほど、豊かで複雑な内容になる。これもいつものことだが、出演者たちの個性や能力を踏まえて、民主的と呼ぶべき「見せ場」の等分が為されている(ことによって長大化していることも確かである)。個々の場面を詳しく観ていったらキリがないので、ここでは「システム」にかかわる二つの点について述べておきたい。
 まずひとつは、この作品には何度かダンスを観せる場面があり、終わりがけには出演者全員による群舞のシーンが設定されているのだが、私にはそれがまさに「フォーム」の実演というか(それはそうに違いないが)、より精確に言うと、目の前で行われている振りから、それがどのようにして産み出されたのかを逆算出来るような気がした、ということである。『松井周と私たち』と同じことが行われていたわけではないのだが、私は結果としてそこに在るダンスに、システムの駆動ぶりを、いわばリバースモードで見出した。もちろんそれは、そのような気がした、ということでしかない。だが、これは特異な体験だった。確かに『松井周と私たち』を観ていたから私はそう思ったのであって、何も知らない人はそんなことは考えなかっただろう。ダンスだと思わなかった人もいたかもしれない。しかしスペノは、わざわざ『松井周と私たち』という作品の中で自分たちが創り出したシステムを解説し実演してみせたのであって、そのような自己言及的、メタ的な趣向はこれまでの作品でもたびたび試みられていた。何かしらの「作品」を産出/算出するためのシステムの多くは隠蔽されていることが多い。なぜならその方が長持ちするからである。だがスペノはそれをすでに幾度となく公然と開示して、ネタばらししている。二人はシステムを開発しただけではなく、そのマニュアルを公開し、他者たちに供与しようとしているのである。スペノのダンスはシステムの生産物であると同時に、システムのデモンストレーションでもある。普通はシステムがわかってしまうと興醒めするものだが、スペノの場合は逆である。その「作品」は、システムが透けて見えるほど、より一層面白いのである。
 もうひとつは、これもおそらくだが、いつもの「台詞生成システム」によって台本が作られたと思しき『言葉とシェイクスピアの鳥』を観つつ、つまりそこで発される言葉の数々は、スペノの二人にとって「他者たちの言葉」であったわけだが、にもかかわらず、それらには明らかに共通するトーンのようなものがある、ということである。これは以前から、最初からそうだったのかもしれないが、私は今回、はっきりと認識した。台詞が出来上がっていくシステムの一部始終に立ち会ったわけではないので、そのプロセスにおいていかなる作業が施されているのかは未詳だが、スペノの台本=戯曲には、間違いなく「文体」と呼べる傾向性がある。このことは、スペノが松原俊太郎の戯曲を上演するときと比較してみればわかる。「文体」とは「作者」に所属するものである。個別の出演者たちに起源を持つ、舞台の上で発され語られる言葉は、しかし同時にスペノの言葉にもなっている。それは、別役実の文体、唐十郎の文体、平田オリザの文体、岡田利規の文体、藤田貴大の文体、松原俊太郎の文体、などという場合と同じ意味で、スペースノットブランクの文体なのである。
 では、どうしてそんなことが起こるのか? ただ単にスペノが書き直しているからか? そうなのかもしれないが、私としては、ここにシステムのマジックが存しているのだと断じてみたい。つまり、スペノが開発したシステムは、汎用性を持つとともに固有性も導出するのだ。逆に言えば、私が「スペースノットブランクの文体」だと認識している言葉の有様も、システムの側に属しているということである。いやむしろ、小野彩加と中澤陽にとって、スペースノットブランク自体が、ひとつの複合的なシステムなのかもしれない。ブランクは空無だがスペースは余白である。スペースにXを代入すると、それは俄かに動き出し、作品と呼ばれる何かを算出/産出する。『言葉とシェイクスピアの鳥』は、そのような驚嘆すべきスペノシステムの、最新のプロダクツである。

言葉とシェイクスピアの鳥

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小野彩加 中澤陽 スペースノットブランク
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ふみかのゆうがなひととき|吉祥なおきち×吉祥寺ダンスLAB. vol.6 小野彩加 中澤陽 スペースノットブランク『言葉とシェイクスピアの鳥』上演記念コラボメニュー紹介

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佐々木敦:舞台芸術にとって「システム」とは何か?
関田育子:『言葉とシェイクスピアの鳥』をみて

松井周と私たち|レビュー|越智雄磨:「何」がそれを語らせているのか?:『松井周と私たち』レビュー

越智雄磨 Yuma Ochi
東京都立大学人文社会学部准教授。早稲田大学坪内博士記念演劇博物館招聘研究員。博士(文学)。専門はフランスを中心としたコンテンポラリー・ダンス研究。早稲田大学演劇博物館においてコンテンポラリー・ダンスに関する展示「Who Dance? 振付のアクチュアリティ」(2015-2016)のキュレーションを担当。著書に『コンテンポラリー・ダンスの現在─ノン・ダンス以後の地平』(2020)がある。

 「誰が話そうが構わないではないか」。サミュエル・ベケットの言葉である。
 『松井周と私たち』を鑑賞した後に、頭を巡っていたのはこの言葉だ。私にとって、この作品で最も印象に残ったのは、「小野彩加 中澤陽 スペースノットブランク」というコレクティヴ(あるいは概念?)の創作姿勢である。
 冒頭のベケットの言葉は、ミシェル・フーコーが『作者とは何か』の冒頭で引用していることでも知られる。フーコーはこの本の中で従来の「作者」の概念を解体し、「機能としての作者」という概念を提起しているのだが、その新たな作者像を表す言葉としてベケットの言葉を引用した。つまり、「作者」の座にいるのは従来の習慣的な意味での作者ではないし、話の語り手として特定の人物が設定されているわけではない。そこでは、言葉をまとめあげる機能として、新たに「作者」の座が設定し直されているのである。「スペースノットブランク」が舞台芸術という分野において試みているのは、まさにこの「作者」の座の変更のように見える。

 原案となったジェローム・ベルの『ピチェ・クランチェンと私』の構造と同様に『松井周と私たち』において、スペースノットブランクの2人と松井周は、相互にインタビューをする形で上演を進めていく。その過程で際立つのは、両者の創作方法、創作に関する観念の違いである。
 前半は、主にスペースノットブランクが松井周に対して質問を投げかける。名前、結婚しているのか? などの質問から始まり、なぜこの職業を選んだのか? という問いによって、松井の幼年時代の話、嘘をつくのが好きな子供だったという、自伝的な話が引き出される。劇や演技の根源として存在する「嘘」という視点から展開される松井のエピソードの数々はそれ自体魅力的であり、またこの作家の特異性をよく示している。
 捕捉的なことになるが、今回の上演を見ていて改めて気づいたのは、この質問、インタビューという上演形態は、舞台芸術というエフェメラルに過ぎ去っていくものを歴史の中にピン留めするような作業を伴うということだ。ともすれば十分に言語化されないままに、ただ多くの作品が消費されていくことは、舞台芸術の根源的な課題の一つと思われる。作品の量に対して批評や言説の量は圧倒的に少ないからだ。この上演が持つ構造は、出演する作家や過去の作品を振り返り、文脈化する機能を持っている。少なくとも、私にとって、この公演は松井周とスペースノットブランクというアーティストやその作品について理解を改め、よりよく知る機会となった。その意味で、過去作品の単なる反復以上のものである。
 松井周の話は、大学時代に唐十郎や寺山修司の活動を知り、卒業後に平田オリザに出会い、そして作家として独立していくことへと進んでいくが、この語りは、既に一筋の日本の演劇史を織り成している。そして、このある種のオーラル・ヒストリーには学術的な演劇史書では記述され得ないディティールに満ちている。大学卒業後に平田オリザの青年団で活動を始めるものの自分で戯曲を書くのに10年を要したというエピソードは、ポスト平田世代の作家にとって、平田オリザが作り出したパラダイムから脱するのがいかに困難だったかを物語っている。松井によれば平田のような「本当ぽい嘘」ではなく、確率としては起こりそうもないことの方向に筋を展開させることでようやく戯曲が書けるようになったという。そのようにして出来上がったデビュー作が駒場アゴラ劇場で上演を迎えた『通過』だった。劇作家協会の戯曲賞において最終選考にノミネートされたものの、「とても気持ち悪い」「愛を知らない」「このシーンは再現できない」と評された審査委員たちの言葉や、初演を見た家族たちが家族会議で発言した「周はどうしてああなった?」という言葉も松井によって語られる。
 そこで、中澤は松井に対して、その劇の「気持ち悪い」と言われた一部を再現してみてほしいという無茶振りを投げかける。戸惑う松井に対して、「できないんですか? やったんですよね?」と質問は強めの詰問に変わり、松井が応じるという場面もあった。質問という他者への関わり方が、「力」を持つことを大いに感じさせる場面である。この「力」は両義的で、他者を窮地に陥れる暴力性を持つとも言えるし、日常的な上下関係を反覆する力を持つとも言える。私自身はこの場面を見て笑ってしまったのだが、それはまさにこの質問が持つ転覆する力によるユーモラスな関係の変質に感化されたからだ。同時に松井に対して気の毒な思いも生じたが、流石といったところかそれに応じるところに松井の懐の深さも感じられた。
 松井という先行世代のアーティストに対するスペースノットブランクの普段からの関係を知っているわけではないが、公演の過程で、松井は51歳、スペースノットブランクの2人は31歳であることも明らかになる。日常的に作動しうる他者、とりわけ年長者に対して生じそうな遠慮や憚りを「質問」という形式はよくも悪くも無視することができる。あるいはこの相手の意向を無視する力はジェローム・ベルの原案が持つ作品の「構造」を反復するという芸術上の選択によって可能になったと言えるかもしれない。
 その後、人間は演劇・舞台という枠組みに関係なく冠婚葬祭のような場面でも演技を行っていること、身体の置かれた環境や身体がどのような態勢をとるかによって、振る舞いが変化すること、この上演のなかにあっても演技しているということ、反対に演技していない時間はないという松井の演劇観・演技観が語られる。
 「芸術や表現において信じているものは何か?」と問われた時、松井は「芸術はネガティヴな衝動を形にすること。汚いもの、摩擦を露呈させるもの」という自身の芸術観を語る。そうした語りを聞くうちに、松井が作家として書こうとし、舞台化しようとするものは、特殊な状況下に置かれた人間の「気持ち悪い」と形容される「変態・トランスフォーム」ということが分かってくる。
 後半は、主に松井からスペースノットブランクの2人に対して質問が投げかけられる。名前、年齢、カンパニー名の由来、小野と中澤の役割、彼らは自分の仕事を何だと考えているのか? などの質問である。スペースノットブランクの回答によれば、2人の役割は特になく、便宜的にコレクティヴと名乗ることもあるが、そうは思っていないこと、「スペースノットブランク」とは、小野と中澤が2人で揃うと現れる概念のようなものであり、演劇やダンスといったジャンル区分に関係なく「舞台芸術を創る作家」「シアターメイカー」と自認しているといったことが語られる。この後半パートによって、松井とスペースノットブランクの間にある様々な差異が明瞭になってくる。自らの職業を「劇作家・演出家・俳優」と述べた松井との「舞台芸術」の観念も創作方法も異なることが次第に際立ってくる。
 質問と回答は松井に対して投げかけられたものと全く同じという訳ではない。とりわけ、気になったのは、意図的にそうなっているのか、無意識的にそうなったのかは判断できないが、松井が自伝的なエピソードと結びつける形で「劇作家・演出家・俳優」へとなっていく自らの経歴を語っていたのに対して、スペースノットブランクの語りにはそうした要素がほとんど現れないことだ。どのようにして舞台芸術を創る道を選んだのか、その点については明らかにされない。つまり、自らの履歴の晒し方において双方の語りは対称的に形成されている訳ではない。このことに対して解釈は二つありえる。一つ目の解釈は、この上演をコントロールする主体が「松井周」ではなく、小野と中澤という「私たち」であり、『ピチェ・クランチェンと私』に対する批評に見られたように「私」という主体が「力」を行使して、対象の行動や見え方を制御しているという見方である。もう一つの解釈は、松井とスペースノットブランクの「作家性」の違いによって自然に現れた双方の「回答」の仕方に差異が生じたのではないか、というものだ。少し迂回する形になるが、この解釈の可能性について考えるために、スペースノットブランクの創作についての語りを確認しておきたい。
 小野と中澤は自らの二つの創作方法について松井に説明するが、松井の創作方法とは明確に異なる。一つ目は「聞き取り」という方法である。2人は、松井が自らの職能の一つとして述べた「劇作家」に依ることなく、テキストを生み出す方法として「聞き取り」を考案したという。様々な題を設定して、それについて特に劇作家ではない上演の参加者から聞き取った言葉を構成して、上演のためのテキストを作り出す方法である。
 もう一つは「フィジカル・カタルシス」という動きを作り出す方法である。こちらも動きを創る作家としての「振付家」の存在に依ることなく、上演の参加者から動きをつないで作り出すというものである。「フィジカル・カタルシス」は、動きを「ミュージック」「リプレイ」「フォーム」「ジャンプ」「トレース」という5つのフェーズに分解した実践らしい。この上演では「フォーム」が実演された。舞台では小野が「動く彫刻」のように、短い動きのフレーズを繰り返し行い、その動きから特徴的な一部を松井が受け取り発展させ、またその特徴を中澤が捉えた動きを行い、その動きをつないでいくというプロセスが行われる。
 松井が「芸術や表現することにおいて信じているものは何か?」と自身にも尋ねられた質問を投げかけると、中澤は「『他者』が存在している構造、他者がいないと成立しないもの」と答えた。実際、スペースノットブランクが紹介した「聞き取り」「フィジカル・カタルシス」という方法は、特定の作家だけでは成り立たず、複数の人間がいて成立するものである。それに対して、松井が「アーティストはエゴがあって表現するという考え、信仰もある」というアンチテーゼを示す(誰がこの発言をしたかには記憶違いがあるかもしれない。それこそ「誰が語ろうが構わない」ことなのかもしれない)。
 松井は作品に「他者」を描いていない訳ではない、と思う。しかし、ここで言われる「他者」は創作体制の次元における他者のことであり、松井とスペースノットブランクの「作家性authorship」の考え方の違いが露わになる点である。松井の劇作は、松井というアーティストの固有名と分かち難く結びついているが、スペースノットブランクの劇作、というより舞台作品は、この上演での説明を聞く限り、誰かが語ったこと、誰かが動いた動きによって構成されているのだ。『松井周と私たち』で語られることからは、スペースノットブランクの作品において、特定の劇作家の言葉にも振付家の指示に従うでもなく、「誰が話そうが構わない」「誰が振り付けようが構わない」という精神に貫かれており、劇作家や演出家を頂点とする従来的な舞台芸術の創作体制を脱ヒエラルキー化しようとしているように見える。松井とスペースノットブランクの違いは、「作品」をオーサライズ(authorize)する主体の在り処、位置付けの違いにある。
 このように見ていくと、松井の語りと比して、なぜ小野と中澤の語りの中には自伝的要素がほとんど見られなかったのかを理解する一つの道筋が見える。たとえば、かつてロラン・バルトが提唱した「作者の死」というテーゼがなぜ挑発的だったかというと、彼がそのように言うまで、作品・テキストとというものはそれを生み出した作者の人生に分かち難く結びついているものであり、文学的テキストを解釈する作業には、作家のバイオグラフィを探査することが必然的に伴っていたからだ。しかしバルトは周知のように、テキストと作家を分離して、作家の人生や意図、決定とは分けてテキストを解釈することを提案した。そうなると、従来、「作者・作家」の座につくのはきわめて人間的な存在、ロマン主義的な主体が想定されていたが、「作者」とはむしろ作品を産出する上で、多様な情報を統合する「機能」あるいは経由する点という見方が生じる。冒頭にみたフーコーの「機能としての作者」はバルトと同時代的な見方から現れた作者像だと言ってよい。
 「聞き取り」というシステムについて、松井は自分も「使ってみたい」と述べ、スペースノットブランクは「ぜひ使って欲しい」と述べていた。この発言は、スペースノットブランクの創造における中心的な関心が、作品の内容というより作品を生み出すシステムにあることに由来する。小野と中澤は、自分たちがいなくなってもスペースノットブランクの生み出した創造のシステムが残存し、誰か別のアーティストにそれを利用してもらうことを願っていた。脱作者中心的な考え、「機能としての作者」という志向を持っているからこそこうした発言が出てくるのだと考えられる。
 しかし、このように自分で書いておきながら、何かが引っかかる。ある意味、1960年代末に現れた作家論を反復するように、モダンな作者像とポスト・モダンな作者像という対比的な見方を松井とスペースノットブランクの関係に当てはめることは妥当なのか? と問う必要もあるかもしれないと思い始めた。原案の『ピチェ・クランチェンと私』にしても、東洋と西洋を分割する二項対立的な図式に依拠しない見方はできないものだろうか。文化にも混じり合いがあるように、二項対立的に捉えられる「自己」と「他者」という存在もまたきれいに分割できるものではなく、互いの自己像を互いに投影しながら、混じり合う部分を持ち始める存在でもあるはずだ。
 終幕時、私はスペースノットブランクにこう尋ねてみたいと思っていた。なぜあなたたちは「『他者』が存在する構造」を必要と思ったのか? それが必要だとたどり着くのにどのような道を歩んできたのか? というバイオグラフィカルな問いである。構造と機能を志向するクールなスペースノットブランクだからこそ、上にみたバルトの見解を逆行するようだが、2人のロマン主義的な語り(histoire)を聞いてみたくなったのだ。「何」が彼らにそう語らせているのだろうか? 時代なのか? 社会なのか? 世代なのか? 個人的な経験からなのか?
 どうやら私自身、スペースノットブランクが画策する「他者が存在する構造」に首尾よく組み込まれたようだ。それは、スペースノットブランクが生起させた「誰が話そうが構わない」時間と空間に立ち会う経験だったのだと思う。

松井周と私たち

イントロダクション
植村朔也:質問の陥穽 あるいは、透明性の時代
越智雄磨:『松井周と私たち』のために

レビュー
中島梓織:いやいや踊ってるじゃん/わたしも踊ってたじゃん
越智雄磨:「何」がそれを語らせているのか?:『松井周と私たち』レビュー

言葉とシェイクスピアの鳥|最初で最後のイントロダクション

 私たちの新作、言葉とシェイクスピアの鳥が、2024年1月9日(火)から14日(日)の期間、吉祥寺シアターにて上演されます。
 この上演は、吉祥寺ダンスLAB. vol.6として行なわれる、吉祥寺シアターを運営する公益財団法人武蔵野文化生涯学習事業団と私たちが共同で主催する公演となります。
 言葉とシェイクスピアの鳥は、私たちが2017年以降研究開発を続けている「聞き取り」というテキストの生成手法を、完結へと向かわせようとする物体三部作の第二部として企画しました。
 第一部は、2021年にカフェムリウイにて上演した舞台らしきモニュメントという作品で、在る物としての舞台を現れる物としてのモニュメントに代置し、上演時間と舞台空間の関係を見直そうとする。と銘打たれた舞台でした。
 今回は、大きな集団に生まれる小さな集団たちが、言葉の意味の侵入を自覚的と無自覚的に行ない合いながら膨張し、飽和し、収縮し、最後に残るべきものことの何かが残る。または何も残らない。という群像になる。と銘打っている舞台になります。
 出演者は15名居ます。
 まず、2022年7月に私たちが実施したオープンコールにご応募いただき、私たちが選出した、青田亜香里さん、青本柚紀さん、大石英史さん、加賀田玲さん、黒澤多生さん、髙橋慧丞さん、土田高太朗さん、中尾幸志郎さん、永山由里恵さん、野間共喜さん、深澤しほさん、吉田卓央さん、の12名です。
 オープンコールでは、ゆるやかなネットワークのようなチームを作ろうとしていることや、これから作ろうとしている言葉にまつわる新しい舞台を一緒に作っていただきたいということなどを掲げ、2023年7月までの一年間は、特にクリエーションは行なわず、チームであるという実感だけを保ったまま、それぞれの生活を過ごしていました。
 そして2023年8月。いよいよクリエーションが始まりました。
 城崎国際アートセンターに集まった12名と私たちは、20日間、生活を共にしながら制作をし、最後の日にはワークインプログレスの上演を行ないました。
 次に、これまでに私たちのクリエーションに幾度となく参加いただいている古賀友樹さんと奈良悠加さんの2名です。
 最後に、現在吉祥寺シアターで働く上山史華さんを加えて、全員で15名になります。
 上山史華さん、古賀友樹さん、奈良悠加さんの3名は、城崎国際アートセンターに来ていません。
 ワークインプログレスでは、12名の出演者が舞台を作る側と見る側のどちらもを演じていました。
 それは、異なる12名の出演者の属性が、舞台を作ることと見ることのどちらに傾倒する方がより適しているのかを考えようとしたからでした。
 そうして、作りたいものを作り上げ、見たいものを見てしまったからか、なんだか満足してしまい、12名の属性に寄り添うことはもう充分にやり終えただろうと考えるようになりました。
 なので、来る吉祥寺シアターで上演される言葉とシェイクスピアの鳥では、出演者の属性を取り扱おうとできる限りしていません。
 まさしく出演者。まさしくパフォーマー。としての15名の出演者に何らかのエンターテインメントを期待して、ぜひ遊びにいらしてください。
 シェイクスピアは登場しません。シェイクスピアの鳥をモチーフにした作品です。シェイクスピアの鳥とは何なのかは、長いステートメントを読んでいただけますと幸いです。
 長いステートメントを書くためのみならず、企画を立てる際に参照したBBC “The birds of Shakespeare cause US trouble”の文章内より、印象的な部分をご紹介します。

 人々はシェイクスピアの作品に自分の見解を押し付ける傾向があり、それがヴィクトリア朝の鳥愛好家たちが外来種の放鳥を正当化するためにシェイクスピアの文章を使おうとした理由のひとつかもしれない。鳥マニアはシェイクスピアの中に自分の聞きたいことを見出すだろうし、鳥嫌いも同じようにシェイクスピアの中に自分の都合のいい材料を見出すだろう。

 舞台の上演で行なわれることを、行なわれているからといって現実で行なってしまってはいけないこともあるかもしれません。
 その選択肢を、たくさんの言葉と身体とそれらが保有する意味、つまり情報として放出します。
 「聞き取り」によって収集された沢山の完結し得ない情報の海と山から、目に見えたものと耳にしたものをただ拾得するだけのような展開と、無こそ有であるだろうと信じ切りすぎているようなシンプルな装置によって、上演と舞台として具現化しました。
 今度は、現れた物としてのモニュメントを、在った物としての舞台にコピー&ペーストします。
 上演時間は、途中約10分間の休憩を挟む、約140分になりました。(※2024年1月9日に、約145分に更新しました。)
 イントロダクションを最後までご清聴いただき、ありがとうございました。
 2024年1月9日(火)から14日(日)の期間、吉祥寺シアターにてご来場お待ちしております。
 よろしくお願いいたします。

2023年12月30日(土)小野彩加 中澤陽 スペースノットブランク

参照:BBC “The birds of Shakespeare cause US trouble”

チケット発売中|お申込みはこちらから
チケット取扱:公益財団法人武蔵野文化生涯学習事業団 電話:0422-54-2011

言葉とシェイクスピアの鳥

吉祥寺シアター
出演者インタビュー
稽古場レポート

小野彩加 中澤陽 スペースノットブランク
長いステートメント
最初で最後のイントロダクション

ワークインプログレス|滞在レポート+レビュー
大石英史:小野彩加 中澤陽 スペースノットブランク『言葉とシェイクスピアの鳥』KIAC滞在レポート①
野間共喜:小野彩加 中澤陽 スペースノットブランク『言葉とシェイクスピアの鳥』KIAC滞在レポート②
深澤しほ:小野彩加 中澤陽 スペースノットブランク『言葉とシェイクスピアの鳥』KIAC滞在レポート③
髙橋慧丞:あしたのば、あさってのこと──小野彩加 中澤陽 スペースノットブランク『言葉とシェイクスピアの鳥』KIAC滞在レポート④+レビュー
山田淳也:アメーバ化する舞台と身体──小野彩加 中澤陽 スペースノットブランク『言葉とシェイクスピアの鳥』ワークインプログレス レビュー

松井周と私たち|レビュー|中島梓織:いやいや踊ってるじゃん/わたしも踊ってたじゃん

中島梓織 Shiori Nakajima WebXInstagram
劇作家・演出家・俳優・ワークショップファシリテーター。いいへんじ主宰。個人的な感覚や感情を問いの出発点とし言語化にこだわり続ける劇作と、くよくよ考えすぎてしまう人々の可笑しさと愛らしさを引き出す演出が特徴。創作過程における対話に重きを置いて活動している。代表作に、『夏眠/過眠』(第7回せんだい短編戯曲賞最終候補)、『薬をもらいにいく薬』(第67回岸田國士戯曲賞最終候補)などがある。

 今回の小野彩加 中澤陽 スペースノットブランク(以下、小野さん・中澤さん・スペノ)の作品は「ノンダンス作品」だと伺っていた。上演時間のほとんどが「対話」を中心に進んでいくという。「対話」の相手は松井周(以下、松井さん)。お互いが、それぞれの芸術的実践について、現代日本の演劇界について、舞台芸術界全体について、問いを共有して実践する。タイトルはずばり『松井周と私たち』。素直に、おもしろくないわけがない、と思った。
私自身、普段は主に会話劇を創作しており、正直ダンスには明るくない。果たしてわたしがスペノの作品を語ることができるのか、という不安もあったが、「対話」で進んでいく作品のことならば、少しはお役に立てるのではないか、と思い、今回のレビューの依頼をお引き受けすることにした。

実際に上演を拝見して、いやいや踊ってるじゃん、と思った。
舞台上で起こっているのは、三人が向かい合うように座った状態で、質問をして回答をする、という言葉のやりとり。一見すればインタビューやトークショーなのだが、お互いの問いに呼応する三人の身体は、常に踊っているように見えた。
小野さんのゆっくりとした頷き、中澤さんの椅子に座り直す動き、松井さんの「ん?」と困った顔で首を傾げる動き、挙げればキリがないけれど、踊ってるじゃん、と思ってしまってからは、いたって日常的な動作もそうとしか見えなくなってしまった。

少し脱線するが、私が演出を務める作品の稽古場に来てくれた方に、こう言われたことを思い出した。「俳優さんの声に合わせて、踊っているように見えた」と。
指摘されるまでまったく自覚がなかったのだが、たしかに、俳優が発している声に合わせて、手を動かしたり、横に揺れたり、のけぞったり、前のめりになったり、しているかも…テンポのいい台詞のやりとりが続くとノリノリになるし、予想外の抑揚がついていたりするとワクワクする。そうやって自然に身体が動いているのだろう。
そう考えると、私たちは普段から、踊ろうと思わなくても踊っているのかもしれない。ダンスではないと思っているものもダンスなのかもしれない。

作品に話を戻す。上演の途中には、相手が創作の場で行っているワークをお互いに「やってみる時間」がある。
客席に居た私は、ひとりの劇作家・演出家・俳優として、興味深く三人の「やってみる時間」を眺めながら、これが「作られたもの」であり「繰り返されるもの」であることにときどきハッとしてゾッとした。見られることが前提となっている。作家としてのこの三人の「対話」は、おもしろ~い、と思われる「対象」であることがセットなのだ。
そう考えると、先ほど言及した、踊ってるじゃん、という感覚も、目の前にある現象をそのまま受けてのものというよりも、もっとメタ的な捉え方によるものだったのかもしれない。彼らはこれを「作品」として上演しているから、踊っているように見えた。私が見ているから、彼らは踊っていた。

再び少し脱線するが、私自身、幼い頃から現在に至るまで、中島梓織という人間を演じている、という感覚が強くある。そして、そのことに対して、どちらかというとネガティブな感情を抱くことが多かった。みんなが見ているのは所詮ペルソナであり、実際はそんなにできた人間ではないのだ…(できた人間だと思われていると思っているのか? という自意識にまで言及してしまうとキリがないのでここでとどめておく。)
しかし、この「演じている」という言葉を「踊っている」という言葉に置き換えてみるのはどうだろうか。
本当の自分を偽っていると感じてしまう振る舞いも、もしかしたらある人にはダンスに見えるかもしれない。実際に「踊っているように見えた」人が一人は存在している。個人的に見られる「対象」であることを苦しく感じることが多いのだが、もしかしたらそれを逆手に取ることができるかもしれない。
これから、中島梓織を演じているだけだ…と卑屈になりそうになったときには、中島梓織を踊っているだけだ…と言い換えてみようかな、と思っている。ちょっと滑稽で、ちょっと救われる。

再び作品に話を戻す。最後に、今後の展望として中澤さんが語ったのは、スペースノットブランクというコレクティブが代替可能なものになること。これも目から鱗だった。この人たちはどんだけ見られることを逆手に取れるんだ。
スペノにはスペノにしかつくれない作品があり、松井さんには松井さんにしかつくれない作品があり、私には私にしかつくれない作品がある。多くの作り手や多くの受け取り手がそのように考えているだろう。そうではない、と言われることには、驚きと寂しさがあるけれど、一方で、作り手の一人としては肩の荷が降りたような気持ちにもなる。
ラストシーンで、松井さんが小野さんの椅子に座ったとき、一番シンプルな形で「代替可能である」ことが示され、それを見た私は救われた気持ちになった。私が私を演じられなくなったとしても、誰かが代わりに私を踊ってくれるだろう。

いやいや踊ってるじゃん/わたしも踊ってたじゃん/踊ろう(演じよう)と思わなくても踊って(演じて)いる/わたしはわたしを演じている/見よう(対象化しよう)と思わなくても見て(対象化して)いる/代替可能である(ということの寂しさ/ということの救い)/…
たくさんの要素が重なって繋がって響き合って、少し時間が経ったいまでも、この作品についてぐるぐると考えていて、うまくまとまらないままである。ここまで揺さぶられたのは、やはりこの三人の「対話」だったからこそのものでは? とも思ってしまう。本当に代替可能なのか?
うまくまとまらないままだが、人間としての自分にとっても、作家としての自分にとっても、とにかく刺激的な体験だったことは間違いない。そして、このように誰かに見られる場所でレビューを書くことで、私も三人と少しだけ「対話」ができたような気がしている。
これからも中島梓織を踊っていきます。

松井周と私たち

イントロダクション
植村朔也:質問の陥穽 あるいは、透明性の時代
越智雄磨:『松井周と私たち』のために

レビュー
中島梓織:いやいや踊ってるじゃん/わたしも踊ってたじゃん
越智雄磨:「何」がそれを語らせているのか?:『松井周と私たち』レビュー

松井周と私たち|イントロダクション|植村朔也:質問の陥穽 あるいは、透明性の時代

植村朔也 Sakuya Uemura WebX
批評者。1998年12月22日生まれ。千葉県出身。東京大学大学院表象文化論コース修士課程所属。スペースノットブランクの保存記録を務める。文章としては「柴幸男 劇場の制作論」「その手のもとに「劇場」はある」(いずれも演劇最強論-ing ウェブサイト掲載)など。東京はるかに主宰。PARAにて「ドラッカーを読んで上演をつくる、集団をつくる」「「ドラマトゥルクの今日(The Dramaturg, Today)」(国際誌『Sound Stage Screen』掲載、英語、2021年)を読む」を開講。影響学会広報委員。過去の上演作品に『ぷろうざ』『えほん』『死後の恋』などがある。

1.
 2023年11月、小野彩加 中澤陽 スペースノットブランク(以下、スペースノットブランクと略す)はジェローム・ベルによる『ピチェ・クランチェンと私』[*1-1]を原案として、新作『松井周と私たち』を発表する。
 ベルはコンセプチュアルな作風で知られるフランスのコンテンポラリー・ダンスの振付家。対するクランチェンは、タイの仮面舞踊劇コーンを踊るダンサーだ。『ピチェ・クランチェンと私』でクランチェンとベルは向かい合って質問を投げかけあい、自分の踊りを踊ってみせ、お互いを示し合う。このうち、対話の部分にかなりの時間が割かれる上に、その対話も静かに淡々とした調子で行われ、身振りを誇張することもないので、ダンスというよりはバラエティ・ショーのような趣がある。
 質問を投げかけ合うという相互性の形式のために見落とされかねない論点だが、作品に東洋の文化を見下すオリエンタリズムが内包されていることは否定しがたい。作品の前半ではまずベルがクランチェンにコーンの踊りについて紹介を求める。そして実際にコーンを踊るようクランチェンに促すのだが、西洋の踊りの規範を逸脱した身振りの数々にベルは困惑の表情を隠さない。
 たとえばコーンの冒頭が踊られるのを観て、ベルは踊りというよりもむしろエクササイズや準備体操のように見えるという感想を漏らす。そこで、準備体操ではない本来的な踊りとして前提されているのはいかなるものなのか、といったことが問われてもいいはずだが、話はそうした方向に向かいはしないし、クランチェンはベルの指摘をただ平然と受け止めるばかりである。
 コーンは『ラーマキエン物語』のストーリーを表象するもので、身振りの意味性が強いのだが、その意味性はごく様式化されているために、コードを共有していない観衆からは理解しがたい。たとえば物語には男性、女性、悪魔、猿の四キャラクターがあり、踊りもそれに応じて四つの様式に分かれる。これに対し、どの身振りがどのキャラクターに該当しているかは容易に理解できないとベル。コーンの踊りの解釈し難さは以降もしきりに指摘される。
 こうした無理解ばかりでなく、無遠慮も示される。作中には死の明白な表象や発話など、もともとコーンにおいて不自然な要素をベルがソフトに強制するくだりが見受けられるのだ。
 さて、コーンに戸惑うベルの話しぶりは冷静だが、明らかに観客の笑いを誘うことを意識したものである。へんにオーバーな口調で話されるよりも、淡々と話を進めた方がウケをとりやすいというのはままあることで、実際観客の笑い声はしきりに聞かれる。最初に作品をバラエティ・ショーに例えた理由もそこにあるが、ここで観客は知ってか知らずか、クランチェンを笑いものにするベルの一味の仲間入りをさせられる構造になっているのだ。
 さて、作品の後半ではクランチェンの問いかけに応じてベルが自作の説明や実演を行うが、ここでも観客の笑いは起きる。しかし、その笑いの内実はクランチェンへのそれとは明らかに異なっている。というのは、ベルの言動に触発された観客の笑いにはその前衛性を肯定するニュアンスが含意されているからだ。その笑いは、コンセプチュアルなベルの表現に、笑うに足るだけの異常性、尖鋭性が存していることの証左となるのだ。

 作品のオリエンタリズム、ベルとクランチェンの間の非対称性を指摘する議論は多い。サンサン・クアンの論も作品に否定的な見解を示すものだが、同時にクアンは、ヨーロッパ中心主義や間文化主義に対してベルが意識的であったことも指摘している。間文化主義的なダンス作品がある美的伝統を他に接続しようとする際には一般に両者間の妥協点を均衡に配分することが難しいものだが、『ピチェ・クランチェンと私』の場合はダンスでなく対話の形式を選び取り、異なる二つのダンス作品を無理に繋ぎ合わせようとせず並置することで、この問題を回避しようとした点を評価しているのだ[*1-2]。
しかし、互いに質問を投げかけ合うというこの対話の形式にこそ『ピチェ・クランチェンと私』の問題が集約されている。

[*1-1]ベルギーはカーイシアターでの2011年3月の公演が映像として記録され、公開されている。本稿の記述はこの映像に準拠している。https://vimeo.com/405731351
[*1-2]Kwan, SanSan. (2014). Even as We Keep Trying: An Ethics of Interculturalism in Jérôme Bel’s Pichet Klunchun and Myself. Theatre Survey, 55(2), 185-201.

2.
 質問。それはスペースノットブランクが舞台をかたちづくる際の主要な方法でありつづけてきた。

 出演者に質問やタスクを投げかけ、それを受けて生成された表現を選び取り、編集的に構成することで舞台をかたちづくるというクリエーションの在り方は、ピナ・バウシュを以て嚆矢とする。
 それまでモダンダンスの形式の範疇で創作を続けていたピナ・バウシュがダンサーに質問を投げかけることで振付を行うようになったのは1975年の『七つの大罪/怖がらないで』からのことだが、当時はダンサーからの反発の声も複数聞かれ、それが「一つのメソッドとして確立するのは、ボーフム市立劇場での『マクベス』による『彼は彼女の手を取り城に誘う――皆もあとに従う』の客演出の時だった」という。バウシュのダンサーとボーフムの俳優、フランクフルトの歌手など多様な出演者からなる座組において、「作品、つまりシェイクスピアのテクストや場面、状況に対する各自の意見や姿勢を質問することによってしか、共通の地平は生れな」かったのだ[*2-1]。
 このように、バウシュの「質問」の技法は、異なる出自を持つ者たちとの協働において、ある「共通の地平」を探るための有効な活路であった。カンパニー単位ではなくプロジェクト単位での座組構成に移行しつつあり、異領野間のコラボレーションやコレクティヴの活動が隆盛を誇る今日の状況に対して、「質問」の方法論は有効だろうことが、ここからわかる。そしてそれは、コレオグラファーと個々のダンサーの間にあるさまざまな間隔を架橋する方法論として、ヴッパタールでの創作においても継続的に使用されたのだろう。

 しかし、そうした「共通の地平」を探るに際してバウシュが選択したものが、なぜ他でもない「質問」の技法だったのか、という疑問は残る。たとえば『マクベス』の戯曲は、そこにあった。バウシュが新たに上演台本を書いても良かった。演劇について言えば、戯曲や上演台本こそが「共通の地平」を代表するものでありつづけてきたはずだ。
 一方、繰り返される「質問」を通じて上演内容をかたちにしていくバウシュにとって、その「上演台本」はあらかじめ書き記されず、共同で次々と書き改められていく不定形なものとしてあった。そこには作品概念や作家概念への疑いも秘められていただろう。
 たとえばフォルクヴァング学校でバウシュの師を務めたクルト・ヨースは、代表作『緑のテーブル』の上演にあたり厳格な振付指導を行ったことで知られる。今なお再演の際にはヨース・エステートからの舞台指導者の派遣を受けた上で、長期のリハーサルを経ることが、上演の必須条件として定められているのだ。このような、作品の完成形のイメージは振付家のなかにあり、ダンサーはそれを忠実に守らなければならないという考えに対して、バウシュの「質問」はその対極にある。
 「私に興味があるのは、ひとがどう動くかではなく、何がひとを動かすのか、ということ」[*2-2]。このバウシュの発言に顕著なように、バウシュはあらかじめムーブメントを確定させず、むしろムーブメントを生じさせるところの意識や状態に手を伸ばす。そのために有効な方法が「質問」だったのだとすれば、「質問」の技法は今日の制作現場における座組の流動性に起因するばかりではなく、作者や作品にまつわる固着した概念を集団的な未完のそれに開いていく努力や、舞台で行われる身振りや行為の深層に広がるより広範な次元への目配りとともにある。
 だから、質問の技法の内実については、舞台に関わるそれぞれの主体がどのようなものとして生起し、その集団や場に対してどのような関係にあるのか、という視点を欠いて問うことはできない。

 ベルがクランチェンに舞台上で投げる質問と、バウシュの質問とでは、ありようが全く異なる。比較するために、両者をカウンセラーにたとえよう。
 バウシュの創作を精神分析と類比する見方がある[*2-3]。バウシュの舞台の出演者は患者のように問いを投げかけられ、自己の深層にあるものにかたちを与えていくのだ。
 一方、ベルがクランチェンに質問を投げかける際には、クランチェンの内面や深層部が問題にされているわけではない。にもかかわらず、その問いかけには臨床的な効果が付随する。その効果こそ、私が問題にするところのものである。

[*2-1]ヨッヘン・シュミット『ピナ・バウシュ――怖がらずに踊ってごらん』(谷川道子訳)、アートフィルム社、1999年、91頁。
[*2-2]同上、 20頁。
[*2-3]たとえば、三浦雅士『考える身体』、あるいは『ユリイカ』1995年3月号での渡邊守章・浅田彰・石光泰夫の三氏による座談会「ピナ・バウシュの強度」など。

3.
 日本のカウンセリング現場で強い影響力を示してきたのは、精神分析の技術というよりもむしろ、カール・ロジャーズの説いたクライアント中心療法の理論であった[*3-1]。クライアント中心療法では、カウンセラーは鋭い分析や解釈を提示してクライアントを導くといったことはしない。ただクライアントの語りに耳を傾け、共感の姿勢を示すばかりである。ところがそうするうちに、クライアントは自らに本性的に内在する生命力によって、自然と悩みを解消していくのだという。河合隼雄いわく、技術より共感に力点を置くロジャーズの方法は「初めてカウンセリングを学ぶものにとっては、魅力的であったし、また、便利なものでもあった。つまり、あまり理論的な勉強をしなくても、この方法に頼っておれば、すぐにでもカウンセリングができると思われたのである」[*3-2]。
 さて、「聞く力」や傾聴と言った語は耳あたりがよいし、すばらしいものとされることが多い。しかし、その傾聴の態度が人を追い詰める場合がある。いつのまにか語るに落ちる、ということがしばしばあるからだ。小沢牧子『「心の専門家」はいらない』は、傾聴の態度が持つこうした効果が国内でのロジャーズ流のカウンセリングの現場において盛んに働かれてきたことを示し、告発するものだ。聴く者と話す者の間に非対称な上下関係がある場合、話す側は意識的であれ無意識的であれ、聴く側の意向を自然に汲んで、その意に沿うように話すことがしばしばである。しかもその時、話す側は自分の発言を自己責任の自分事として引き受けていくだろう。話しているのは自分自身であるし、カウンセラーとの間に存する非対称性は、相手の共感の態度によって隠蔽されるからだ。
 小沢が同書でとりわけ問題視するスクールカウンセリングを例にとろう。たとえば不登校問題についてカウンセリングを受ける児童は、カウンセラーに悩みを吐露していくうちに、共感の声を浴びて、その怒りを収めていく。そしてそうするうちに、悩みをもともとの状況(横暴な教師や意地悪な級友など)から切り離し、あくまでも自分の内面の問題として引き受けてしまう傾向にあるという。児童を不登校に至らしめた問題は、児童の側の問題へとすり替えられ、見過ごされるのだ。小沢は言う。「学校現場とりわけ管理職にカウンセリングが歓迎される理由がわかる。生徒の抗議を「問題行動」としてのみ受け取り、それを巧妙に処理し、当事者の一方である教師を弁護し、すべてを円く治め、最後に生徒に「説教」を受け入れさせてさえいるのであるから」[*3-3]。傾聴は、このように、聴き役にとって都合のいい考えを相手にソフトに植え付ける方法論として有効なのだ。
 こうした傾聴の効果はカウンセリングルームという場所、すなわちクライアントとカウンセラーの二者だけからなる閉じた世界において、一層強められる。クライアントにとってそこにあるのはまずもってカウンセラーとの関係であって、他の世界は見えない。そのような二者関係において自らの悩みを見つめる時、当初の問題は見失われ、クライアントは悩みを自分の側に帰責してしまうのだ。

 演出家や振付家の独裁的な指示による創作を避け、質問やタスクの技法を通じたバウシュ流のボトムアップでの制作を試みる作家たちが、ロジャーズ流の陥穽に知らず知らずのうちにはまることがないかという危惧がある。すなわち、演出者と出演者の間にある非対称性の隠蔽と、自己責任論の加速である。
 『ピチェ・クランチェンと私』の舞台は、どこかこのカウンセリングルームに似ている。実際のところ、クランチェンはなぜベルや観客に怒りださないのであろうか。私はその理由の一端をベルの傾聴の態度にみる。ベルは観客の笑いを促しこそすれ、露骨に冷笑的な態度を取ることはない。むしろコーンの文化を理解しようと歩み寄ろうとしさえする。そうするうちに、クランチェンはその場で暗に期待されている役割、すなわち「ベルと対等な関係性に立つ東洋のダンサー」としての役割を自ら引き受けることになる。ベルの望む間文化主義のコンセプトを進んで体現しようとするのである。そしてこの時クランチェンは、ベルが図らずも実践してしまっているエスノセントリズムの再演を告発する視点に立つことが出来なくなる。ベルの質問に熱心に答えれば答えるだけ、一層そうなるのだ。そして、コーンが観客からの理解を得難い珍妙な踊りとされるのは、あくまでもコーンやクランチェンの側の問題として示される。ベルがクランチェンに言い放つ“Good Luck”には、たしかにそういう響きがある。

[*3-1]国内のカウンセリング実践について、たとえロジャーズ流の療法が採用される場合でも他の技術との複合的なカウンセリングが行われているケースが大半だとは思われるが、話の見通しをよくするため、ここでは説明を単純化している。
[*3-2]河合隼雄『カウンセリングと人間性』、創元社、1975年、4頁。
[*3-3]小沢牧子『「心の専門家」はいらない』、洋泉社、2002年、108頁。

4.
 ベルははじめ、膝の上にMacのPCを構えている。PCの画面とクランチェンとの間で視線を行き来させながら、名前や出自について疑問を重ねていくさまは、企業の採用面接官を思わせる。
 踊るためにクランチェンが立ち上がったタイミングでベルはPCを床面に置くのだが、やがて音楽を流そうとする際にベルはふたたびこのPCに向かい、作業する。つまり、ふつうは観客の視界から秘匿されているはずの音響の仕事をむしろ露わにしているのだ。
 こうした音響の可視化の工夫はベルの過去作にも見受けられる。インタビューで自作の『ザ・ショー・マスト・ゴー・オン』(2001)についてベルは次のように語っている。「音響係は普通ならば客席の後方にいるものですが、私はDJを舞台のすぐ前の、観客から見える場所に配置しようとはじめから考えていました。それは、観客に対して何も隠さず、「透明性」を保とうとする私の意図によるものです」[*3-1]。透明性。観る者をあざむくことが旨とされる舞台芸術において、フィクションやイリュージョンを生み出す構成要素を可視化し、はじめから手の内を明かしておくこと。舞台がスペクタクルに堕することに対して強い抵抗を示すベルが、それでもなお舞台をつくるなら、そうしたフェア・プレーの態度がおのずから要請されるというわけなのだろう。ベルの舞台において名人芸的な踊りが避けられること、素舞台が愛好されることもまた同じ観点から解釈できる。

 しかしこと『ピチェ・クランチェンと私』の文脈で考えた場合には、この透明性という言葉はまた別の響きを帯びる。そこで示されていたのは「プロセスへの透明性」でもあったからだ。
 観客の前でベルとクランチェンが示す質問の掛け合いは、バラエティ番組のようではあるが、バラエティとは違って(あるいは、まさにバラエティのように)その場でリアルタイムに生み出されたやりとりではなく、事前に用意されたものだ。それにもかかわらず上演がリアルタイム性を帯びて観客に経験されるとしたら、それらの質問が生じたその現場、すなわち稽古場に居合わせているような質感が上演において生まれているからだろう。殺風景な空間のなかにPCを持った振付家とダンサーが二人でいるその風景は、実際いかにも稽古場然としているではないか。
 ところで、現在の国内の舞台芸術実践を思考する上でも「プロセスへの透明性」という観点の重要性は無視できない。舞台に立っていない出演者の素顔といったものを想像させることで観客の興味をかきたてるセミ・ドキュメンタリー的な方法は以前からあり、そこでも「プロセスへの透明性」は模索されていたと言える。しかし、今日の上演実践では、よりさまざまな意図や欲望のもと、舞台の内外で「プロセスへの透明性」の実現がしきりに目指されている。たとえば、2020年には新型コロナの流行を受けて本番の実施に至らない公演が増加し、上演に至るまでのプロセスそれ自体を重視し、公開しようとする流れが生まれた。制作プロセスのアーカイブ化はその現れとみなせる。また、クリエーションのプロセスにおける加害や暴力を抑止するために、第三者による稽古場の視察や、上演におけるその可視化が望まれるようになった。後者の実例としては、舞台が演出家のトップダウンな独裁によるのではなく成員全体の決定によってつくられているといったことが作品のコンセプトに掲げられ、観客も上演を通じてそのコンセプトを喜ばしいものとして経験する、といった事態が散見されるようになった。
 しかし観客は実際に稽古の現場に立ち会うことはできないのだから、この「プロセスへの透明性」はどこまでもフィクショナルなもの、つくりものにすぎない[*3-2]。上で論じてきたカウンセリングの政治性の文脈で『ピチェ・クランチェンと私』を判ずる場合にもこの視点が欠かせない。
 ベルが発する質問は抑圧的であるにしても前もって準備されたものであるし、上演に至っている以上はそれにクランチェンが同意したとみられる。まさにその同意のプロセスこそが問題にされなければならないのであった。ベルは質問という一見対等な方法によって、クランチェンが自発的に上演内容に同意するようクランチェンを仕向けたと考えることもできる。そして上演はまさにその手続きを実演するものであるかのように受け取ることもできる。しかし、結局のところ制作プロセスは観客には開示されえず、上演からイメージされるプロセスと実際のそれとがどの程度対応しているかなど知りえないのだから、制作におけるクランチェンへのベルの態度を難ずるような論評は、あくまでも邪推に留まる。しかし、これからの批評は、あえて邪推たらんとすることも、時には求められるだろう。
 もっとも、上演それ自体の効果を問題にすることは依然としてできる。観客はクランチェンの応答を傾聴し、時に笑ってみせることで、いつのまにか場の権力構造に加担してしまう仕組みが準備されていることはすでにみた。そして、観客が自身のふるまいの持つ効果を反省的に捉え返すための機会は作品において希薄であったし、そのことはクランチェンとベルのやり取りがあくまでもフィクションにすぎないことが作品中で強調されずにいたという事実との関係において評価されるべきである。

[*3-1]藤井慎太郎監修『ポストドラマ時代の創造力:新しい演劇のための12のレッスン』 、白水社、2014年、174頁。
[*3-2]スペースノットブランク『セイ』評で、私は同作が「プロセスへの透明性」を徹頭徹尾フィクショナルに呈示したことについて論じた。

5.
 なぜスペースノットブランクは『松井周と私たち』を上演しようと思ったのだろうか。作品をまだ観ていない以上語れることは少ないが、いくつか述べておきたいことがある。
 スペースノットブランクは、質問により舞台をつくってきた。そのスペースノットブランクが『ピチェ・クランチェンと私』を原案に舞台を制作するのだから、舞台上で交わされる質問は、「プロセスへの透明性」の意識を喚起せずにはおかないだろう。『共有するビヘイビア』や『クローズド・サークル』に連なる系譜の作品となることが予想される。
 松井周とスペースノットブランクとの間には、文化的・民族的アイデンティティの亀裂はおそらくない。活動するシーンの政治経済的背景についても目立った相違はない。公式Webサイトのステートメントには「出自、創造性、世代など、あらゆる異なる点を持つ二組」という表現が見られるが、ここに挙げられた相違点は二者間の上下関係をそれほど含意しない。キャリアとしては松井の方がスペースノットブランクよりも上のはずではあるが、作品を企画したのがスペースノットブランクの側であることによってクリエーション上の対等性は担保されやすくなるだろうし、両者の世代間格差には、ベルとクランチェンの間の隔絶のような酷薄さはない。
 『松井周と私たち』は『ピチェ・クランチェンと私』にあった権力関係についての問いをあらかじめ回避し、より純粋かつ水平な地平で作家同士の関係性を取り扱うものとなるだろう。だとしたら、いま「より純粋かつ水平な地平」と書いた場所がいかなるフィクションとしてあるか、暴かれてほしいのは、その嘘である。

※Dance Base Yokohama「ProLab 第1期舞踊評論家【養成→派遣】プログラム」の課題で執筆した内容を含んでいます。

松井周と私たち

イントロダクション
植村朔也:質問の陥穽 あるいは、透明性の時代
越智雄磨:『松井周と私たち』のために

レビュー
中島梓織:いやいや踊ってるじゃん/わたしも踊ってたじゃん
越智雄磨:「何」がそれを語らせているのか?:『松井周と私たち』レビュー

松井周と私たち|イントロダクション|越智雄磨:『松井周と私たち』のために

越智雄磨 Yuma Ochi
東京都立大学人文社会学部准教授。早稲田大学坪内博士記念演劇博物館招聘研究員。博士(文学)。専門はフランスを中心としたコンテンポラリー・ダンス研究。早稲田大学演劇博物館においてコンテンポラリー・ダンスに関する展示「Who Dance? 振付のアクチュアリティ」(2015-2016)のキュレーションを担当。著書に『コンテンポラリー・ダンスの現在─ノン・ダンス以後の地平』(2020)がある。

1.
 突然だが、私はピチェ・クランチェンのFacebookページをフォローしている。小野彩加 中澤陽 スペースノットブランク(以下スペースノットブランクと略記)がジェローム・ベルの『ピチェ・クランチェンと私』を原案とした作品を作ると聞き、ふとそのことを思い出した。10年ほど前、ジェローム・ベルとモンフェルメイユの街角を歩いていた時のことだったと思う。細かな経緯は覚えていないが、なぜかピチェ・クランチェンの話になった。「きわめて重要なアーティストだから絶対Facebookをフォローしておいたほうがいい」とジェローム・ベルに強く勧められたのだ。ベルの言葉には、ジャンルも活動する場所も異なれど、同じ時代を生きるピチェ・クランチェンというアーティストに対する深い敬意が込められていたように思う。

2.
 スペースノットブランクが今作の原案とする『ピチェ・クランチェンと私』は2004年にバンコクで初演された作品である。上演記録を見ると、その後ヨーロッパでは2005年にベルギーのクンステンフェスティヴァル・デザールを皮切りに、欧米やアジア圏の諸国で上演を重ねてきた。日本でも横浜と京都で3回上演されている。本作の誕生は、当時バンコク・フリンジ・フェスティヴァルのキュレーターだったタン・フ・クエンがベルに創作を委嘱したことに遡る。当時タイの文化やダンスについてほぼ何も知らなかったベルは長く躊躇した末、タイの伝統舞踊のダンサーと共同で制作することを条件にこの依頼を受けることにした。そして紹介されたのがタイの宮廷舞踊コーンの踊り手であるピチェ・クランチェンだった。当初のアイディアは、ベルがクランチェンと共に一つのダンス作品を作ることにあったようである。
 しかし、当初の想定を逸れて、彼らの共同作業はいわゆる普通のダンス作品に結実しなかった。代わりに、互いのダンスをめぐる相違、彼らの活動が置かれている異なる歴史や文脈、異なる様式や美学を確かめていく2人のデモンストレーションを交えた会話がそのまま舞台に上げられることになったのだ。
 たとえば、「死」をどのように表象するのか? という話題に際して、ベルは自作『The show must go on』(2001)の「Killing me softly with his song」をかけながらゆっくりと床に倒れ込み、目を閉じて死んで行く場面を再現する。一方クランチェンはコーンにおける死の表現方法を見せる。それは以下のような手順で示される。殺された人物が舞台からはける。死者の家族が喪に服するためにゆっくりと歩く。その家族は泣くために椅子に座るが、涙を隠すために顔を背けるといった具合である。
 あるいは、互いの国のダンスの歴史が話題になった時には、クランチェンは200年以上前のタイのラーマ2世の治世下にコーンが始まったことや、ラーマ4世が優れたダンサーであったこと、しかし、革命後の新政府はコーンを禁じ、現在では観光客向けのダンスになった経緯を語る。一方ベルは、自身のダンスにおける民主主義的な理念について200年以上前のフランス革命での王や王族の処刑、王政の廃止にまで遡って説明する。それは、ダンスについてメタ視点で語るレクチャー・パフォーマンスであり、ドキュメンタリー演劇でもある。

3.
 ベルは2005年に書いたこの作品のステートメントに次のような言葉を残している。

 ヨーロッパ中心主義、インターカルチュラリズム、文化のグローバリゼーションといった問題含みの概念が、この作品のなかで争点として明らかになる。扱う上でデリケートであるが、これらの概念を脇に置いたままにはできない。現在という歴史的瞬間が、これらの争点を無視することを許さないのだ。

 2008年にベルとクランチェンはこの作品によって、オランダの「文化的多様性のためのルート・プリンセス・マルグレート賞」を受賞した。ちなみに、同年にこの賞を受賞したもう1人の人物は、カルチュラル・スタディーズの代表的研究者であるスチュアート・ホールだった。
 かつてエドワード・サイードが指摘したように、ヨーロッパにおいて「東洋」は周縁化された存在として捉えられてきた。18世紀、19世紀に創作された多くのオペラもまた「東洋」についてその当事者や歴史について無知のままに都合よく解釈し、それを繰り返し表象してきた。パリ・オペラ座は2021年になって『パリ・オペラ座における多様性についてのレポート』を刊行し、植民地的視点で作られた差別的表現が残る作品を上演してきたことを反省し、プログラムの編成や出演者の人種的構成に配慮するという課題を明文化した。こうした昨今の流れと比較すると、ベルとクランチェンの「多様性」に関する取り組みは、ヨーロッパの芸術の文脈の中で極めて早期の傑出した成果だったことが理解される。

4.
 当初の想定からは外れたかもしれないが、フ・クエンの狙いは、従来のダンスの概念を逸脱したダンス作品を作ることに最初からあったのだろう。委嘱当時の2004年のヨーロッパのダンスシーンにおいて、ベルは実験的なダンス作品を創作する最も尖った振付家として既にその名を馳せていたからだ。ル・モンド紙のダンス批評家ドミニク・フレタールがベルの作品を既存のダンスの慣習やコードを拒絶する「ノン・ダンス」と評し、この言葉と共にヨーロッパ内外でベルはその知名度を高めていた。念のため断っておくと、ベル本人はこの言葉で称されることを強く拒絶しているが、ひとまずそれは脇に置く。フレタールは、ジェローム・ベルが『ジェローム・ベル』を発表した1995年前後を一つの境としてフランスのダンス界に新しい動きが出現したとみているが、それは確かだと思われる。当時のダンスの新しい傾向を「ノン・ダンス」と呼ぶ者もいれば、「コンセプチュアル・ダンス」と呼ぶ者もおり、「ヌーヴェル・フォルム」と呼ぶ者もいれば「パフォーマンス的ダンス」と呼ぶ者もいた。それぞれの論者が採用した呼称は、微妙にフォーカスに違いはあるものの、従来のダンスの概念では捉えられない新しく出現したダンスの傾向を捉えようとして考えられたものである。そして、常に筆頭に挙げられる人物が、ジェローム・ベルだった。
 キュレーターとしてのフ・クエンの仕事の意義は、ジェローム・ベルの意識を初めてアジアに向けさせ、クランチェンというダンサーと出会わせて、この作品を世に出したことにある。これまでにない、奇妙な文化的ハイブリッドの産物が出来上がったのだ。その狙いは達成されたと言えるだろう。

5.
 さて、「ノン・ダンス」とは結局何だったのか? 私なりにまとめると、それはダンスという概念を支える中心的要素のシフトである。ダンスの中心的要素は長らく「動くこと(moving)」にあると考えられてきた。ダンスの語源には、「身体をのばす」という意味が含まれており、坪内逍遥はdanceを日本語に訳す上で、水平運動を示す「舞」と垂直運動を示す「踊」を組み合わせた「舞踊」と言う言葉を採用した。現在でも動くことはダンスの変わらない基本的な原理である。テレビ番組などで扱われるダンスなどを見てもそのほとんどは、長い修練を通して身につけたであろう高度な技術によって、目を魅了する豊かな動きで空間を満たしている。
 しかし、「ノン・ダンス」などと呼ばれたダンサーや振付家が重視したのは「動くこと」ではない。彼ら・彼女らのダンスは「動き」を差し引き、時に身体が全く動かないことさえある。そして、動きの代わりに前面に現れるのは、ダンサーの身体そのものである。もちろん、それまでのダンスにおいても動きと身体は同時に存在していたし、不可分のものである。観客もまた常に動きと身体を同時に見ている。ただし、フォーカスが違うのだ。「ノン・ダンス」と呼ばれる傾向が引き起こしたことは「図」と「地」の関係を成してきた「動き」と「身体」の関係の反転である。「図」としての動きが最大限に捨象される結果、「地」であった身体が必然的に浮き立つ。これはかつて、ロラン・バルトが「演劇性」について「演劇から戯曲を差し引いたもの」と定義したことにも似ている。バルトの大胆さは、それまで演劇の中心的要素と考えられてきた戯曲を、最も抜けてはならないと考えられてきた要素を差し引くことで演劇を新たに定義しなおしたことにある。さらにこの見方は、演劇という概念をアップデートしたハンス・ティース・レーマンの「ポストドラマ演劇」にも通じる。ドラマを演劇の中心的要素とみなす習慣を捨てたレーマンに倣うならば、ノン・ダンスを「ポスト・(ムーヴメント)ダンス」ということも可能だろう。このダンスにおけるパラダイムシフトを「動くこと(moving)」から「存在すること(being)」へのフォーカスの移行と言い換えることもできる。

6.
 では、ダンスの中心的要素を身体に据えて、あるいは「存在する」ということに力点を置いて、ジェローム・ベルが行おうとしたことは何だったのだろうか? それは、出演者の「生(英語:life、仏語:vie)」そのものを素材とすることである。その人物はどのような存在なのか? その人物はどのような経験を通じてその身体を獲得したのか? そのような問いかけがベルの作品には共通して見出せる。ダンスの基底材としての身体の内側に目を向ける作品は必然的に、視覚性に訴える外面的に壮麗なスペクタクルではなくなっていく。ジェローム・ベルの作品が「反スペクタクル的」と称されることもあるのはそのためである。また、そこには芸術的ダンスが無批判に文化産業化し、経済的消費サイクルに飲み込まれてしまう危険性に対する自戒と批判意識も見出せる。1980年代のフランスの文化政策の功罪として、ダンスの「プロダクション主義」やマンネリズム、メディアを意識した「スペクタクル化」が生じたことも背景にある。振付家のディレクター・シップや創造性に依存するのではなく、出演するダンサーの身体そのものにダンス作品の拠り所を見出す流れが生まれたのだ。
 ジェローム・ベルは多くの作品タイトルに出演者の名前を採用しているが、それは、まさに出演者の生、人生、生活が問題とされているからである。自身の名を冠した『ジェローム・ベル』(1995)にはじまり、『グザヴィエ・ル・ロワ』(2000)、『ヴェロニク・ドワノー』(2004)、そして『ピチェ・クランチェンと私』(2004)を発表した。その後にも『イザベル・トレス』、『ルッツ・フォルスター』(2009)、『セドリック・アンドリュー』(2009)などを発表しており、出演者であるダンサーや振付家の名前をタイトルにそのまま採用した作品を現在も作り続けている。これらの作品群を便宜的に「ダンサー・シリーズ」と呼ぶことにする。それらは出演者の身体そのものから分泌される意味を味わうような作品である。

7.
 ジェローム・ベルは読書家としても知られる。ベルが創作を行う際には、様々な思想や哲学が参照されるが、ここでは特にミシェル・フーコーがベルに与えた影響について触れておきたい。フーコーは膨大な歴史的資料を綿密に調査することで、特有の時代と文化における「人間」という存在の形成や変化を詳らかにした思想家として知られる。その研究によれば、近代において我々の身体=生は、社会、政治、経済など様々なレベルでの「生-政治」と呼ばれるシステムの中で管理され、規範化され、形成されている。ベルの作業はある意味、それを逆に辿り直すような作業である。つまり、今ここにある身体から、その身体の振る舞いや言葉を可能ならしめた「歴史」を明らかにしていく。私たちの身体は、膨大な歴史の蓄積によって成り立っていることを示すのだ。たとえば、『ジェローム・ベル』では、出演者は全員裸で登場し、その背景には、氏名、年齢、身長、体重、電話番号、銀行口座残高などが書かれている。またその身体そのものにも、それぞれの出演者にとって意味があると思われる年月日が書き込まれていく。『ヴェロニク・ドワノー』では、出演者ドワノーの身体の様々な位相が露わになる。2人の子供の母親としてのドワノーの身体は、ルイ14世時代にまで起源を遡ることができるパリ・オペラ座バレエ団の特有の階級の中に位置づけられた身体でもあり、バレエという身体運用のシステムの中で秩序化された身体でもある、そしてその秩序への抵抗を示す身体としても現れる。
 フーコーは、私たちの存在が巨大な超−個人的な「生-政治」というシステムの中で規定されている世界の有り様を描き出したが、「生−政治」に対するカウンターとなる「生存の美学」という思想も晩年に用意していた。この思想に含まれる「自身の生を一つの作品にする」という考えをベルは敷衍しつつ実践しているように見える(ちなみに、この思想を積極的に取り入れた日本人アーティストはダムタイプの古橋悌二だった)。
 つまり、ベルの「ダンサー・シリーズ」は、人間が「システム」や「歴史」の外に立つことの困難を示すと同時に、それらに抵抗し、その外部へと出て自身の生を作り替えようとする人間の力も示しているように思われる。従って、身体は諸力が拮抗するバトル・フィールドになる。規範化する力と、規範から脱しようとする力の両方が作用する場として、身体が立ち現れてくる。

8.
 ベルの「ダンサー・シリーズ」の中でも、『ピチェ・クランチェンと私』は異色の作品と言えるかもしれない。ベル自身が出演者の対話者として出演している唯一の作品だからである。そして、それまでのダンサー・シリーズが扱っていたのが欧米圏のダンサーだったのに対して、アジア圏のダンサーを扱う初めての作品でもあった。この作品に対する評価は様々にあるが、多くの研究や批評が、ベルとクランチェンの間の「権力関係」を論点としている。
 否定的な論は、西洋の前衛的アーティストと東洋の伝統舞踊のアーティストという対比構造に着目する。暗に西洋のアーティストの東洋に対する優位性が仄めかされているとみなし、植民地主義的な構造が再生産されているとみる。タイトルにみられる「myself(私)」という言葉がベルの主観的立場を示しており、客体として観察するような構造が読み取られた時に、ベルの視線がニュートラルではなく「上から目線」に見えるということが起こるのだと思われる。たしかに、植民地主義やオリエンタリズムの歴史的経緯を踏まえた時に、この両者の関係はニュートラルではありえないのかもしれない。その点を強調する批判に応えるとすれば、『ジェローム・ベルと私』といったタイトルの作品を誰かが作って、ベルの存在を相対化し、「権力」のバランスを調整する他に手段はないのかもしれない。
 肯定的な論は、この作品が、エキゾティシズムや植民地主義的関係を回避しながら、民俗学的な観点から2つの異なる文化圏の芸術的実践の文化的特異性についての探求することに成功していると考える。
 論者の立場によって、この作品の見え方はこれら肯定的なものと否定的なものの2極の間を揺れ動くのではないだろうか。私自身は、冒頭で述べたように、ベルがクランチェンに対して敬意を抱いていることを経験的に、感覚的に知り得たこともあって、この作品に対して否定的ではない。そして、これまでの「ダンサー・シリーズ」とは異なり、ジェローム・ベルは自らが姿を表し、発言することで、自身の態度や言葉が批判にさらされるリスクを取っているという点は評価すべきだと考えている。その行為は、実際に多くの論者の考察対象となっており、この作品に対する批判や考察をより多様に引き起こす論争上の豊かな可能性をもたらしていると感じる。またゲラルト・ジークムントが言うように、この作品が生まれたグローバリゼーションの時代には中心と終焉という二項対立的な世界の捉え方は既に廃れていると考えた方が良いかもしれない。この作品はそれぞれにとっての「他者」とのコンタクト・ゾーンを発生させ、そこで互いの文化的枠組みによって違いを理解しようとする試みだと評価できる。たとえば、クランチェンが、ベルのじっと立っている様子を仏教的なフレームで理解する一方、ベルはコーンの歴史にバレエにおける君主制の歴史に似たものを見出すように。

9.
 さて、今回スペースノットブランクが取り組もうとしているのは、この『ピチェ・クランチェンと私』に基づいた松井周との対話である。よくぞこの作品を再現(リエンナクト)しようと思ったものだ。そのためにベルのカンパニーR.B Jérômeの正式な許可も得たというから驚きだ。なんと突飛な行動だとも思ったが、しかし考えてみれば、ジェローム・ベルも若かりし頃、当時の常識からすれば突飛な実験ばかり行なっていたのだ。かつてベルは、ピナ・バウシュの振付を自身の作品の中で完全にコピーして使用するために手紙を書いたこともあった。バウシュには断られたそうだが、ドイツ表現主義の流れを汲む大御所スザンヌ・リンケから『Wandlung』のコピーの許可を得て、伝説的とも言える『最後のスペクタクル』という作品を生み出した。ちなみにこの作品は、「本来コピーできないはずのダンスをコピーすると何が起こるのか?」という問いに端を発して創作されたが、ニューヨークの前衛集団ウースターグループによってさらにコピーされ、『I am Jérôme Bel』という作品も生まれた。ベルにもウースターグループにも共通してみられるのは類稀なる遊び心である。両者の作品は、ギャグの様相すら呈するが、遊び心とギャグこそが新境地を開くことは往々にしてある。スペースノットブランクの今回の試みも彼らに続くものになるのかもしれない。ぜひ、そうなってほしい。

10.
 『松井周と私たち』は、『ピチェ・クランチェンと私』を原案としながらもズレを生じさせるはずである。同じ日本の舞台芸術のアーティスト同士の対話になることから、原作に見られたヨーロッパとアジアという対比的構造は消え、それに伴いポスト・コロニアリズム的観点は消えるだろう。しかし、それに代わって、世代の異なる日本人アーティストたちが対話する中で現代の日本特有の何かが浮かび上がってくるはずだと予感している。スペースノットブランクと松井周の関係性について私はほとんど何も知らないが、対話の中で、見えてくるであろう舞台芸術をめぐる双方の立場や見解、環境の差異や世代間格差などに注目してみたい。そして、現代の日本社会の中での、それぞれのアーティストの身体と生の有り様が露わになってくることを期待している。そして原作同様に、対話の過程で生じるであろうその両者間の力のバランス、その揺れ動きも見どころなのではないかと思っている。
 再びミシェル・フーコーを持ち出すが、フーコーはあらゆる人間関係には権力関係が生じると考えていた。そして、その権力関係や優劣関係は、差し向けられる言葉の選択、振る舞いなど様々な要因によって絶えず変動する。権力関係などというと物々しい感じもするが、それは、私たちが普通にコミュニケーションを行う時にも刻一刻と変化している双方の力の関係の揺れを思い起こせばよい。このパフォーマンスの中で、スペースノットブランクと松井周の間には、どのような関係が生じるのだろうか? 敬意があるからこそぎりぎり許容される無礼講が現れるのか、それとも年長者を前にした遠慮や忖度が現れるのか? 全く通じ合わない異質性の衝突が現れるのか? それとも共感や共通性が現れるのか? なんらかの継承が現れるのか、それとも断絶が現れるのか? 
 できることなら、このパフォーマンスを観られる方すべてに、観賞後どう思ったか聞いてみたい。みなさんは、どうのように思われるだろうか?

松井周と私たち

イントロダクション
植村朔也:質問の陥穽 あるいは、透明性の時代
越智雄磨:『松井周と私たち』のために

レビュー
中島梓織:いやいや踊ってるじゃん/わたしも踊ってたじゃん
越智雄磨:「何」がそれを語らせているのか?:『松井周と私たち』レビュー

ダンスダンスレボリューションズ|レビュー|竹田真理:ループする構造と発露の空間

竹田真理 Mari Takeda
ダンス批評。関西を拠点に1990年代後半以降のコンテンポラリーダンスを中心とした批評活動を行っている。

『ダンスダンスレボリューションズ』において松原俊太郎とスペースノットブランクは戯曲の執筆と上演の構築を同時に行うことを試みている。完成した戯曲に身体をあてがい、立体的に再現するのが通常の演劇の作り方だとすれば、今作ではイレギュラーな方法が試されたわけである。生まれたての創造の芽を既存の言語に定着させるより前に上演空間に現出させること。思考と実践が時差なく現れ出る場を実現しようとする試みは、ダンスにおけるクリエーションを参考にしたという。今日のダンスの作られ方は、考案された振付をダンサーの身体に振り移すのではなく、振付家とダンサーが現場で共働しながら動きを生み出し発見していく。再現ではなく生成をこそ本質とするダンスの実践が、「舞台芸術に成る以前」の言語を探るスペースノットブランクに有効な方法となることは十分に考えられる。創造のパフォーマティブな渦から言葉が、身振りが、ダンスが、動線が、やりとりが生まれ、消えていく。実際にはクリエーションするその場で言葉が書かれたのではなく、一人に戻る時間の中で執筆したと松原は述べている。だが時差が小さいほど創作の遂行性が保たれることは確かだろう。そのようにして書かれた戯曲はパフォーマンスの果実? 残余? 痕跡? あるいは記譜でありスコアであるところの何か、だろうか。

『ダンスダンスレボリューションズ』は恋する男女のメロドラマである。バレエ『白鳥の湖』をモチーフに、死をもって結ばれる悲劇の物語をベースとし、チャイコフスキーによる前奏曲がドラマの開始を告げる。主役を演じる児玉北斗と斉藤綾子が京都芸術センターのフリースペースのフロアに大きく弧を描いて歩行し、交差する動線が、偶然と宿命のなせる出会いと物語のラインを提示する。とはいえ今日のヒーローとヒロインはロマンチック・ラブの定形を生きるわけではない。劇は現代のボーイ・ミーツ・ガール、台詞は言葉遊びを多用し、ストーリーラインは意味で縫い閉じられない遊戯空間を迷走する。だが私たちの日常とはそのようなものではないか。誰かと交わす言葉や身振りの行き先などその時その場で見えてはいない。女子高生のおしゃべりに物語の端緒を見ると述べた作家がいたと思うが、咲き誇る身振りや発話の瞬間の愉悦を是とし、ただ可能性としてのみ存在し得る物語を生きている。

本作の最大のチャレンジはダンサーである児玉と斉藤の起用にあるだろう。二人は台詞を話し、ダンスを踊る。思考や感情が言葉にのることもあればダンスの動きに現れることもあり、その差異に大きな意味はないといった具合だ。発話の技術を持たないダンサーの声を発するテンションは低く、内的衝動を動きに変えることに大きな負荷を負わないダンサーの身体は、上演の印象をシンプルにしている。それは例えば演劇の俳優を起用した松原とスペースノットブランクによる過去作において、松原の書く言葉の速度や運動性と、俳優らの演技の重力・密度が相克、もしくは相乗することで異様なまでの上演の磁場を発生させていた例に照らせば対照的である。私はそれを以前「デフォルメ」と言ってみたが、戯曲を前提とする演劇創作の方法論に根差した、文字列への定着を図る発話の磁力ということになろう。かたや今作では松原の言葉の運動性がダンサーの身体により順接的に体現され、両者が同じ方向へ渦を巻きながら上演の軽やかな推進力を生んでいる。

児玉演じる「スワン」の思い込みの激しい一目惚れ、あさっての方向を向く思考回路。そのモノローグに小野彩加と中澤陽の演じる狂言回しが言葉の応酬で介入し、言葉尻から別文脈へと跳躍を繰り返す序盤の展開が爽快だ。児玉のふわりとした声の響きや、欧州のバレエ団で活躍したキャリアとテクニックを封印した日常的なピッチによるダンスは、隠しきれない筋の良さと、チャラ男でもオタクでもテロリストでもあるような今日のドン・キホーテ像を造形する。一度だけノーブルな王子の流儀でヒロインに応じる場面があり、その振舞いの落差もまた逃走的なドン・キホーテぶりを増幅するが、観客にとってはボーナスだった。

ヒロイン「ディディ」役の斉藤綾子の魅力は本作において決定的だ。寂寥感のある声の質、発語に宿る憂いのニュアンスと松原の書きつける言葉が奇蹟のような出会いを果たしている。児玉のスワンとのキュートな会話や、迷走しがちなやりとりや、渾身のダンスシーンを含んだ逢瀬の後の「また会いましょう、ここで」の一言に、この愛すべき時間はいずれ失われるのだという予感が滲んでいて、胸を突かれる。定形のヒロイン像に収まらない感受性の揺れを見せる一方、生まれ落ちたことが悲しみであるとどこかで知っているようなディディのキャラクターは斉藤自身のものでもあるのだろう。児玉とデュオを踊る場面の、体をいっぱいに使った動きを同調させてダンスを踊り終えてひと言「楽しい!」と発するディディの台詞は、斉藤が書かせたものだろう。むしろ本作の遊戯的な台詞の多くは、直接間接を問わず、ダンサーたちが松原に書かせた痕跡であるのだろう。

ある舞踏家の踊りを「受肉の喜び」と評した人がいるが、本作上演に見られるものは発露の喜び──上演の遂行的な局面を生きることの愉悦だと、言ってみる。

そうであるなら、こちらについても言及しなければならない。劇の最初、小野と中澤はト書きを声に出して発し、演劇言語の制度に対する侵犯を犯している。フロアの中央には最小限の装置としてパソコン操作用のデスクが置かれ、ここに松原と小野、中澤が待機して劇の進行を見守ったり音響を操作したりしている。従来バックヤードにいる者たちが演技空間に同席しており、しかも配役もされている小野と中澤は、同じ身体と声のピッチでト書きの発話から狂言回しの台詞へとシームレスに移行する。位相を異にするト書きと台詞が同じ平面におかれ、身体がそれらを行き来するのである。つまりこれは演技論に留まらず、劇の制度の構造に関わる。さらにト書きの一部は客観的な状況描写を逸脱し、情景に心情をのせた語りを含み(「窓に張りついて離れない心の友」、「時間は味わいであることを思い出し、涙が一滴」など)、能や文楽の謡いにもなぞらえられる形式上の遊びを試みている。因みに、今公演に伴って設けられた2回のオープンリハーサルを見学したが、通しの合間に出演者たちが自分の台詞を練習しており、任意の発話のおそらく偶然の交差が、楽しげなやりとりとしてその場に成立している場面を目撃した。各々が気ままに声にのせ、細切れに発するそれらは完遂を意図しない発話の「こぼれ」であるが、時にこれ以上ない愉楽の瞬間を立ち上らせる。クリエーションの現場とは時にこのように恩寵のような瞬間の訪れる場であるのだろう。

さて一方で、本作は紛れもないメロドラマの構造をもっている。主人公の二人がどちらへ転がっていくか予測のつかない思考や感受性を示すのに対し、よく見れば物語の磁場を作るモチーフが散りばめられている。『白鳥の湖』のバレエ音楽が随所で流れるのも然り。そして主人公以外の人物たちも物語の骨格を支える側である。中澤に配役された複数の人物はスワンの死んだ友人であり、過去であり、時間軸そのものと考えられる。狂言回しの「矢印」は「物語」とも「タケシ」とも称する役どころの三位一体の存在としてドラマの構造に太い主柱を通す。支離滅裂のスワンに対し、真実や思慮深さのメタファーとなるこの人物(たち)を、中澤は哲学的な問答を通してくっきりと造形している。

──  あなたは何者ですか?
──  ぼーくーが聞いてるんだ。
──  わたしはあなたの矢印です。

言葉のセンスにしびれるが、この「矢印」は「時間軸をもった物語」そのものと読め、この三位一体の人物によって、スワンは物語に繋ぎとめられる。小野の演じる「気印」「ハハ」「ミチコ」は、呪いをかける役どころの母、ヒロインを泰然とした世の理(ことわり)によってたしなめ支える乳母と、こちらも物語の定形をなす役者が揃ったことになる。シスターフッドによって「守ってあげる」と約束した『再生数』(前出)(2022、戯曲・松原俊太郎、演出・スペースノットブランク)のミチコの再来でもあろう。

何より「物語」の視覚的なモチーフとなるのが、主役の二人がフリースペースを巡って描く動線だ。前述のように、同期し、交差する動線は主人公たちの出会いや行方を暗示するが、2本の線は舞台奥の両端に設置されたテントをそれぞれ起点としていて、フロアを巡ると再びテントに帰ってくる。やがてこの反復がどうやらループ構造であることが明らかになり、さらに、テントがその入り口になっているワームホールを通じて2階ギャラリー=別の階層世界を設定したメタ構造も示される。人物たちはループの外に出たいと望み、実際にギャラリー背後の扉を開けてフリースペースの外へ出ていく。

劇空間に独自の時間構造を作ること、その構造から外へ出ることは、松原とスペースノットブランクによってこれまでにも実践されてきた劇構築の方法論だ。『光の中のアリス』(2020)では鏡面の反射が、『再生数』(2022)では舞台(上演)とスクリーン(上映)の混合が、作り出した独自の構造を、『ダンスダンスレボリューションズ』では動線のループ構造が担う。また2階ギャラリ―を利用し、上演を俯瞰する上位の階層およびメタレベルの視点を設けることも、従来の舞台芸術の制度/構造/言語/形式を構築し直そうとするスペースノットブランクのミッションに沿ったものだろう。

──  あなたがループの外に出るんじゃなくて、ループを外に出してあげたら?

ルイス・キャロルばりの言葉遊びにも聞こえるが、希望を感じさせる最後の台詞である。だが正真正銘の最終の場面で、ヒロインとヒーローが小野と中澤に交代していることが示唆される。物語の強固なループは永遠に続くのか。構造の中で、遊戯と創造の瞬間に身を投じ続けることが希望だろうか。

動線、時間軸、俯瞰する階層。劇世界を構成する複数のフェーズの構造を、舞台芸術の言語/形式の再構築に重ね合わせる構想が鮮やかだ。この構造上の冒険と、遂行的な身体の発露との緊張関係が本作上演を成立させている。

ダンスダンスレボリューションズ

批評・レビュー
2023年10月11日(水) ダンスダンスレボリューションズ|レビュー|越智雄磨:脱-演劇、脱-俳優、脱-劇作家の時代─『ダンスダンスレボリューションズ』を巡って
2023年10月31日(火) ダンスダンスレボリューションズ|レビュー|竹田真理:ループする時間と発露の空間
2023年11月5日(日) 浄土複合スクール|ダンスダンスレボリューションズ|レビュー|神田恵理:踊る言葉、場が呼び起こすダンス
2023年11月5日(日) 浄土複合スクール|ダンスダンスレボリューションズ|レビュー|各務文歌:矢印はダンスを踊らない

クラウドファンディング|塚原悠也:応援メッセージ

 まじで期待しています!! 思いつくこと全部やってほしい。

contact Gonzo メンバー/KYOTO EXPERIMENT 共同ディレクター
塚原悠也 Yuya Tsukahara
2002年にNPO DANCEBOXのボランティアスタッフとして参加した後、運営スタッフとして勤務。2006年パフォーマンス集団contact Gonzoの活動を開始。殴り合いのようにも、ある種のダンスのようにも見える、既存の概念を無視したかのような即興的なパフォーマンス作品を多数制作。またその経験をもとに映像 写真、様々な形態のインスタレーション作品、雑誌の編集発行、ケータリングなどもチームで行う。2011-2017年、セゾン文化財団のフェロー助成アーティスト。2020「読売演劇大賞」スタッフ賞受賞(演劇作品「プラータナー」におけるセノグラフィと振付に対して)、2021年contact Gonzoとして京都市芸術新人賞受賞。
ご支援のお申込みはこちらから|2023年10月31日(火)23:59まで
2023年9月、京都芸術センター フリースペースにて上演を行なった『ダンスダンスレボリューションズ』公演について、アーツサポート関西の「寄付型クラウドファンディング助成」に採択いただき、クラウドファンディングを実施いたしております。皆様からご支援を賜りたく、心よりお願い申し上げます。

クラウドファンディング|ジュリエット・ナップ:応援メッセージ

 ダンスと演劇をまたいで活動するスペースノットブランクの作品は、常にこの2つのジャンルの境界と関係について考えさせられます。 松原俊太郎とのコラボレーション作品は愛や記憶などのテーマに触れていますが、一連のテーマに集約されることを回避しようとするところが挑戦的だと思います。 その代わりに、彼らは形式に重点を置くことで、独自の演劇言語を編み出していると感じます。 彼らは作品を通じて、パフォーマンス、演劇、ストーリーテリングとは何か、そしてテキスト、演出家、出演者、観客の関係とは何かをいつも問いかけてます。今後の活動を楽しみにしてます、ぜひ応援してください!

©︎ Takuya Matsumi
KYOTO EXPERIMENT 共同ディレクター
ジュリエット・ナップ Juliet Knapp
福岡生まれ。オックスフォード大学英語英文学科卒業。2015ー2017年Ryoji Ikeda Studio Kyotoでコミュニケーションマネージャー、音楽及びパフォーマンスのプロジェクトマネジャー。2017年よりKYOTO EXPERIMENTに広報として参加し、2020年より共同ディレクター。
ご支援のお申込みはこちらから|2023年10月31日(火)23:59まで
2023年9月、京都芸術センター フリースペースにて上演を行なった『ダンスダンスレボリューションズ』公演について、アーツサポート関西の「寄付型クラウドファンディング助成」に採択いただき、クラウドファンディングを実施いたしております。皆様からご支援を賜りたく、心よりお願い申し上げます。