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4月14日

4月14日の映像

※ご視聴の際は、イヤホン及びヘッドホンのご利用を推奨いたします。
※テキストを基に字幕を設定しております。


何について 話しましょう

掃除 手伝う

どうやって 捨てよう

逆さまにすれば ガスを抜ける

外で やりましょう

逆さにしたら できます

夏の風物詩 風情があります

に なりました

どうやって 届けよう

どうだろう どうだろう

送らないで おきましょう

身体を 拭く

洗濯機を 回す

話を してました

もう 満足

抜きで やりましょう

穴が あいてる

似合ってない 似合ってない

ドライヤーを 当てる

髪型が 決まる

家で 洗える

大人は 経験してるから 一人暮らしをしてて 上が 多いから 尊敬する

尊敬してなかった まったく尊敬してなかったけど すごい尊敬した 大人に対して 守られている時に 上の 守られていない 経験している それを考えると すごいなあ 思います

長かった印象があるから 重みが 言葉の重みが

花火みたい


本人たち|作品概要

4月7日

一、二、三、四、ペロリ した。

たぶん零時過ぎに寝て、朝目覚ましがなって、気が済むまでベッドの上に居ました。

本当ならば お昼ご飯 は家で食べる予定だったんだけど、なーんかね、ふと 買ってしまった。お芋のタルト みたいな 小さい すぐ 食べれる。買ってから、公園 色んなお店がたくさんあって、溢れてるんですよ。食 食 材 に だから、あー あれも食べたい これも食べたい ってなって 結局食べ歩きみたいなことをしてた。で その お芋 みたいな タルト 食べた後に、なんか牡蠣の、なんだろ甘酢っぽい味の。で、ネギが入ってる 中華 なのか 和食 なのかわからない、カレーとか、あの 野菜炒めとか、とも言えないような、あの なんか お客さんがね よく入ってる。あ お客さんが並んでた団子屋さんを見つけてしまって、団子と、団子食べて、そうしましたらよ、冷凍庫にある余り物とか、スーパーで安く仕入れたもので、タイトルみたいなのがない創作料理が出てくる。出てくるのは、その、牡蠣の料理なんですよね。でも、それがなんなのかもわからないし、唐揚げがあるじゃないかと、甘いものに揚げ物はやっぱりちょっと、それも、そのね、そこも、並んでる唐揚げだったの。で、テイクアウトしたいなって 思って あの 梅しそ唐揚げ 一個買って食べました。好きな食べ物 何 って言われても、牡蠣のあれをなんて言ったらいいかわからなくて 好きなんだけど その後に餃子を見つけてしまって、もう最近餃子食べたいなと思ってたから、そこはテイクアウトじゃなくてイートインで。餃子を 四 個。ブロッコリーと、鶏肉を、下味つけて、マヨネーズを網目状にかけて、オーブンで焼く。近くには、平日休みでお酒を飲んでて、三人で来てて、キツいんだけど、すごい甘甘な会話を聞いて。聞きながら、餃子を 四 つ。食べました。ずっと メインディッシュ 柳葉魚 鰯を焼きましたみたいな 煮魚シリーズ メインかと思ったら スティック野菜 マヨネーズつけて皆さんでどうぞ 肉がダン あとなんだろ あ そうしたらよ ミスタードーナツの抹茶の新味 抹茶のポンデリング 楽しい休日 終わり。おやすみ。今日は言わない。日付が変わるところから考えてた。じゃあ、遡って、昨日の出来事をお話します。ホワイトロリータです、って言ったら、ダメだ、って言われたぐらいルマンド派だった。リアルなお話。七時とかだったかな。早く寝れない理由を探りたかったのと、気持ちが良い生活習慣に戻したいと思って、朝ご飯を。七時に起きて、お手洗いと口内洗浄を行なった。お水を飲みながら朝食の準備をした。玄米 納豆卵かけご飯 お味噌汁 サラダ 文旦 林檎 スタートを、切れたかな。最近 引越しを考えてるけど、最近 柑橘を買うってなるとよく行くお店に行けなくなることが、可能性としてあるかなあ と思うと ちょっと寂しくて。朝ご飯食べて、ちょっと自転車乗りたいな って思ったのと、物件見に行こうかな って思って、自転車に乗って、公園まで行きました。街道沿いを走ったんだけど、すごい公園があったりとか、緑が多くて、閑静。住宅街なんだけど閑静な住宅街って感じ。もしね、引越しするなら、そこもいいな、って、思って、思ったんだ。でも 結局探していくと 希望とする 持っている 希望とする条件とかで探してもらうと やっぱり ちょっと残念な感じ え、本当に、もうちょっと話したいな。まだあるけど、まだあるけど きっと 一時くらいかなあって思って、何度も整えていたから、覚えていない。夢を見てたし、もうお昼過ぎてるだろうなあって もうお昼過ぎてるだろうなあって 何度も 何度も 思いながら、ふとした瞬間に時計を確認したら 十一時。十三時ではなくて、何度も、タイミングを見計っていたことを思い出した。


本人たち|作品概要

4月6日

一年前は がんばろう としてる時期ですかね

四月二日 十五時 作るっていうのが仕事であって、それが 一分で、一分のために十九時から しか その仕事はなくて。だから本当にそれまでパソコン開いて 何してたっけなあ トートバッグとかを調べて過ごしてました。仕事はありませんか、って訊いても ないです って言われるので、十五時から十九時まで 仕事なし

四人で二人はその二人プラスもう二人の四人でもう一人唯一の四人の中の一人だけ一緒だったので四人が三年間ぐらいは四人ともう一人のもう二人も四人で四人で行きました。四人の内の一人の四個目ぐらい食べて手が止まったんですね。自由な縛りのないんで、そりゃもちろん人気で、二時間くらい四時間ぐらい電動自転車の電動自転車を電動自転車を買ったので電動自転車が電動自転車の値段で四時間使って、電動自転車で電動自転車を電動自転車を四時間の使い方がバラバラに去っていく。ていう感じでした

仕事があるから 物件があるから

説明していないと ものすごいやばい。誤解されそうなコミュニケーションの取り方をして。本当に直接ちゃんと会うんだけど、ちょっとみんなに誤解されるみたいなのが あって

今日 まだ食べてない ずっと そう 冷蔵庫に アイスがあって どのタイミングで食べるかっていうのが 今日のメインイベント。

昨日 行ったところは もう どうでもよかった。昨日の物件は、

一昨年 一番最初にコミュニケーションで覚えてるのは 悔しさに乗っかって突っ込んでみたのがすごい コミュニケーションの取り方を、上下関係だけを見て物事を言ってくる人に対しては それをやらせるわけにはいかないので、敬うという心がけ、そういうタイプの普通に関わってくるっていうのは ある程度、気を遣えますよ まあ えーと で なんだろ えー なんか あの なになに みたいな なんかこう って でも その って ま チャレンジとして センス 言葉選びのセンスの良さ、発揮できなかったセンスの良さみたいなのに 距離 壁 みたいなものを持っていた

無期限の延長をします。それはすごい綺麗な桜だった

唯一、訊かれた質問は。ルマンドと、ホワイトロリータ。


本人たち|作品概要

4月5日

桜が 思い出します。その時にいただいた おいなりさんがすごく美味しく 待ち受け おいなりさん おいなりさんの裏側を使ってる おいなりさん。

四月スタートの予定だったんだけど、最初だけ、三月の、いつだったっけ、三月に、もらってた 一番 最後。それが三月で、電化製品は買ったんだけど届くのが遅くて、最初の一週間は電化製品なし。電化製品が届いても布団が届かなくて、最初は、一ヶ月は、掛け布団で全身をぐるぐる巻きにして過ごす あと エアコンが壊れ、シャワーが壊れ、ガスの火が付かなくなり、洗濯機から水が漏れ、最初の一ヶ月はちょっと地獄

メイン。コーチしてくれてた人が、キーパーソン。身体を整えるみたいなので、耳のラインと肩が前に出てる人は同じラインにできます それをやりたいです って言いに行ったら、いいよ って言ってくれて、

生活を、送っておりました 生活をし、ゴミ捨て場の位置とかも、言われてるところと違う場所だったらしくて、お母さんがゴミとか持って、ゴミ捨て 指定された場所に持ってったけど そこじゃないです。って言われて、もっと奥の方です。とか

ボッコリ ボッコリしてるところを 思い出す。この地の、ボッコリしたところを思い出す。

いつを最後に会ったのか 覚えてないなあ 連絡は年に一回 お手紙をくれる お花 押花 貝殻付き。もらって、一回水に浸して、投げる。

三月の最終週。一番おもしろかったのが、友達を家に呼んで、ご飯振舞います って言って出た料理が やきそば たこやき おにぎり だった時。なんで って思ったけど めっちゃ料理上手だけど なんじゃこれ そんな感じで みんなで笑った。

知らなかった

そう

うん 予約。予約っていうか、買ったの あったけど、それは ギリギリ

でも、あれだな。一年前だ。


本人たち|作品概要

4月4日

三人目のお母さんは窓辺を覗いてて 外を眺めるのが好きな人でした。

準備 本当 三日前 までなんもやってなくて、段ボールの束だけもらってて、やらなきゃ、ってなって、断捨離をまず始めて、もういらないや、と思ってきちゃって、めっちゃ捨てた。いっぱい捨てました。切り替えよう、と思って、すべてを捨てて、そしたら入れるもの少ないからすぐ終わって、

四万円 って言われてて、他にも電話で見積もり訊いてて、そこは 二万五千円 だったから、そこに決めようと思ってた。

十月に引越して、そこからまず十月の六日にすごい大きい台風が来て、四月。六月末で引越したくなかったけど、解約をし、注文して、キャリーに服と書類とかを詰めて、引越すことに急遽なりまして、家を探していました。実家に帰ろうかな。

四万円 って言われたから、前に 二万五千円 って言われたところあるので、そちらにしようかな、って言ったら じゃあ どうにかして 二万五千円 にします ってすごい電話かけて そしたら たぶんお兄さんたちと電話してて そしたらおじさんが いいの みたいな お前 二万でいいのか って言ってて いいんだな わかった って言って 二万でいいことになったので 二万円 で 四万円 の作業だった。すっごい汗。すっごい早い

四月一日 十一時 名刺、パソコンを貰い、オリエンテーションを受けました。パソコンの使い方、メールが送れるか、コピーできるか みたいなミッションを受けて、難なく

ぺぺん 組み立て パフォーマンスできる

最初の一時間は、コピーして色んな場所に配る っていう仕事をして、ただそれだけ。やりがいのない仕事だね とか言いながら やりがいないね

トイレの、トイレットペーパー立てが、鉄の棒なんだけど、微動だにしない。動かせない。床にくっついちゃってんの こんなトイレットペーパー立て あるの

ない 何もすることが。きっと実家に戻っても、とりあえず家を探すのを手伝ってあげるから、しばらくここにいないかと言ってくださったので、近いところに 近い っていうか 行き易いところに 引越すことにしまして っていう 話ですけど、

三人。いて、お母さんが 不動産と ちょっとバチバチで。自転車を置けます って書いてあってそこにしたんだけど 急に不動産が 自転車 駐輪場 なし みたいなシール貼られてて あれ、ってなって お母さんが 大さじ小さじ使わないので、それを真似したい。味が安定しないのが家庭料理の良さだよ って言ってくれて、

何 今 食べたのは、即席生春巻。中身は チーズ アボカド ブロッコリースプラウト ブロッコリー ハムを入れようか迷ったけど 桜海老


本人たち|作品概要

4月3日

バイト先の向かいに不動産があって、終わった時かな、終わって見つけたのかな。身体 勝手に入って 入って、どうしましたか って言われて、日当たりの良い部屋探してます って言ったら、座ってください って言われて、資料出してくれて、そこに今の部屋があって、まだ今住んでるんだけど、二日後かな、に引越す予定で、ウェブサイトにも載ってなくて、情報は外に出してない。

だんだんスピードが上がる感じ。危なくなさそう。

広いし、窓二つあるし、で ちっちゃい窓のところに 机 置こうと思って。そしたら作業とか、やりやすいスペースができる。やってけるぞ。そこに 机 を置く。

急にビューンって スピードが、怖いぐらいに出ちゃう。だから、ヤマハにします。って言って もう これだ、ってなっちゃったので、買いました。

ピーン て、もうここにします。って言って。お母さんに連絡して オッケーもらってから契約しようと思ってた。もう良過ぎたから 契約しちゃえと思って 契約しちゃって そこからお母さんに言って。

引越し業者の人って めっちゃかっこいいし 力持ちだし 本当に早い。すごいね。ここに持ってる服掛けてね、って言われて。掛けたまま持っていける感じ。それで、掛けてたら、気付いたら もう 無いの。家具

すっごい速い。

二月にスタートしたので、三、四、月は 結構やる気に 新しい 違う世界だけど 結構ちゃんと向き合ってみようかなっていう時期だった。気がするから、今考えたら、なんでそんなところに時間を掛けてんの、って思えちゃうけど。まあ、でも、いい経験だったのかなあ。

ま、でも、いいと思ったなら いいじゃない

今思えば、始まった頃だったし、そうねえ、あと何してたかな。

年始に帰る予定だったんですよ。それが欠航になっちゃって、帰れません、ってなって。チケットがキャンセルになるとかじゃなくて、違う日にズラすってことができるから、いつ頃 帰られる っていうのを訊かれて。四月だと帰れるかなと思ってて、四月の この日 と この日 から この日 まで 帰れます。って


本人たち|作品概要

4月2日

引越す。新しい家が、自転車を置けるっていうことになりまして、絶対に買おう 自転車。交通費削減のためにも。電動を、一回 乗ったことがあって、もう楽過ぎたから、買うなら絶対電動。決めてて。自転車屋に行きました。まず、最初に行った自転車屋

匂いをしっかりと確認しましょう。バイト先は、条件だけで決める。ではなく 昨日 自転車で行ってみたの。カフェ、そしたら、店員一人。ピッ て入ってみたら、結構 臭。臭いが、好きじゃ なくて やばいぞ ぜってぇ働けねぇぞ。その場で バイトできなくなりました すみませんでした って送りました。アルバイト募集してたから カフェで働いたら 使い放題って書いてあったから とりあえず応募だけして。面接の日は、四月七日です。

やっぱり新しいのちゃんと欲しいなって思って、大きな大手自転車屋に行きました。

ちょうど電動の中古が置いてあったんだけど、ついさっき 売り切れ ました

中古だと 二万円くらい、

バッテリーも一個 五万円

電動は、色んなメーカーによって 踏み込ん だ時の 進み方 踏み込ん で急に進むパターンと、ゆっくり速度が上がっていくパターンと 色々ある。ので、乗ってみてください。

どこでも行けるっていう気持ちになれるの。持ってるだけで、こんな気持ちがワクワクするんだ。飛行機のマイル。マイルが貯まったから、十月にも一回帰ってるんだけど、会えなかった。から 今回は 会いに行こう。おばあちゃんに、それが、すごい楽しみ。おじいちゃん。会いに行こう。

買います。

電動で帰る途中に、無印良品があるので、そこで 給水 できるから 二リットル ペットボトル に、水を補給して、帰る。という日々を送っていました。神社に、商店街 ふらふらしたり。神社の桜が今 すごいの

桜を見る それはすごい綺麗な桜だった 桜が 思い出します。

おじいちゃん、二人。ヤマハと、ブリジストン。


本人たち|作品概要

4月1日

本当のことを隠す時がある

移動して 移動する 乗っている 景色を連れていくけど 身体は連れていかない。留まっている。等速 直線 運動。暗く なる と、トンネルに入るような地下に辿り着くから、そこはトンネルでは ない。人が 或いは 物が、地点 から 地点 に 移ること。地点 から 地点 に 移ることも、移動と呼ばれる。移動するために、手段を持っていて、歩く 走る 自動車を運転する 電車に乗る 自転車を漕ぐ 飛行機に乗る 飛ばす。ジャンプ する。

人 っていう漢字は カタカナの、ノ。

子供の頃、年に一回 冬休み 父の実家に帰っていて、実家から実家へ、車 二百キロメートル かなあ。だっけなあ。タオルの だいじ と、毛布を持って。真ん中のお席、後ろのお席、陣取っていた

いつできるの

インプレッサ から オデッセイ。オデッセイだと、真ん中のお席。後ろのお席。

明日。料金を見直したい。買い換えようか。

だいじ を 車内の手すりとかに、くっつけて、テントみたく張って、テント遊び をしていた。で だいじ から外を覗いて、追い抜かした車に バイバイ 手を振って遊んでいた。よく覚えてる。

明後日。相談をしたい。事情 どうなってるのかしら、

本当のことを 隠している、もしかしたら

弧を描くように。丸玉があって、それを支えるかのように弧を描く。中心から交わり、中心で交わったところから 直線のような 弧を描いている。人の字。

スッ スッ と。で終わり。

本当なのかもしれないと思った。


本人たち|作品概要

3月31日

全部 嘘の話にしよう

私には、お母さんが五人。います。

一人 一人目は、

二年前のことを思い出そうとしている。時間に追われている。ような 気がして 桜を見れなかったことを 今、思い出している。この場所が、知っている 景色 と、どこか似ているような気がする。から そういう場所。結びつく。ということが起きている。

二人目は、

一年前は何もしていなかったけれど。

五年後は、

景色 は、見ていなかった。のは 確かだと思う。

三人目は

特別なこともないような時間について考えると、例えば、今、水が流れている。途中で 石や岩に 辿り着いて、流れが よりわかりやすい模様となって 水面に現れている。

み う う み 四人目は、

というような描写を細かく考えて言葉にすることもできてしまう。

いい いいね もう さくら。もも

止まって考えるということを大切にしていることは一番 よく わかっていて 常に焦らない。いや焦った。止まることのできる勇気を保っていたい。

何 いい人、ぶってんだ

いい人、ぶっている 芸術ということを、表すことを、誰からも求められなかったとしても、世界と世界に責任を保とうとしてしまう。

五人目は、小野小町。六人目は、小野妹子。妹子は男 どう いい いい

いい文章だった。それが死に続けるということ。

死に続ける。言葉だから、ね


本人たち|作品概要

光の中のアリス|松原俊太郎:インタビュー

スペースノットブランクと松原俊太郎さんの共作としては『ささやかなさ』に次ぐ2作目となる『光の中のアリス』。松原さんは『みちゆき』でAAF戯曲賞、『山山』で岸田戯曲賞を受賞し、京都を拠点とするカンパニー・地点と協働しつつ、戯曲に小説にとさまざまな傑作を作り上げて来られました。公演に先駆け、『光の中のアリス』はどのようにつくられなにを目指しているのか、地点とのクリエーションの違いはどこにあるかといったお話を、作品の保存記録を務める植村朔也がお聞きしました。

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松原俊太郎 まつばら・しゅんたろう
劇作家。1988年、熊本県生まれ。神戸大学経済学部卒。2015年、処女戯曲『みちゆき』で第15回AAF戯曲賞大賞受賞。2019年『山山』で第63回岸田國士戯曲賞を受賞。小説『ほんとうのこといって』を「群像」(講談社)2020年4月号に寄稿。主な作品に『忘れる日本人』『正面に気をつけろ』『ささやかなさ』等。2020年度セゾン文化財団セゾン・フェローⅠ。

稽古と並走して書くこと

植村 まず、どういった経緯でスペースノットブランクと仕事をすることになったのかをお聞きしたいです。早い段階での仲だったという風には伺っているんですが。

松原 京都芸術センターの「演劇計画Ⅱ」という企画があって、それに書き下ろした『カオラマ』という戯曲の第一稿をスペースノットブランクが読んで連絡をくれて。これは企画上、「上演を前提としない戯曲」で、特に初稿は手探りのなか書いたものだったので、どこが良かったんだろう……という感じはありました。だから、いまだにスペースノットブランクがなんで自分の戯曲に興味があるかはわかっていません。戯曲に関して上演以外にフィードバックをもらうということもないし。

植村 中澤さんは、松原さんの文章のリズム感や起伏、テンションの持っていき方がスペースノットブランクに近いと仰っていました。『光の中のアリス』(以下、ヒカリス)のチラシの宣伝文にも「ぜんぺん、クライマックス」とありましたが。

松原 そういう手癖みたいなのはあるかもしれないですね。スペノの起伏自体はあまりまだよくわかってないですけど、音楽の使い方とかは面白いですよね。
スペノが舞台で提示したいものは何となくわかるんです。テキスト自体をその時々のチームで作っていくというスペノの普段のやり方の中に、劇作家の書いた戯曲という異質なものをぶちこんで、これまでとは違うものを作っていきたいのかな、とはおぼろげに思っています。
地点の場合は書かれた戯曲を上演するという古典的なスタイルがあって、書く側としてはわかりやすい。書かれた言葉が声と身体に託されて観客に聞かれるというのは、とてもふつうのことだと思われている節があるけれども、すごいことだと思うんですよ。自分は、それにずっと感動しているはずなんです。そして、それはここ最近の演劇では見えないものになっている。
平田オリザ以降の現代口語演劇では、それまでは舞台にのってこなかったような日常的な言葉を、自然な演技態でそのまま演じることで、その微小な差異や日常性を異化・強調していて、ストレスなく見聞きできる。アングラみたいな異質な声はほぼ消えていて、ストレスなくそれこそ映画みたいに。でも、そういう戯曲は自分みたいなやくざものがわざわざ書かなくても、演出家を兼ねた作家の人たちが書くほうがいいと思う。

植村 お話をお聞きしていて、松原さんのような仕方で上演を想定する戯曲だからこそ、スペースノットブランクが戯曲を頼めるのだろうという気がしました。『ウエア』でゆうめいの池田亮さんと協働したときも、あくまで池田さんは原作者で、純粋な劇作家というスタイルは取っていないんですよね。
『ウエア』の場合、池田さんが書かれた言葉を編集して上演台本を作るというプロセスをたどっていたんですが、スペースノットブランクが松原さんの戯曲を上演する場合、少なくとも現状そういうコラージュをしていない。

松原 コラージュをしない、ということは、書かれた言葉のすべてが声として上演にかけられてしまう。これは書き手にはけっこう大変な事態です。今回は稽古動画を見ながら書き直すということをやっていて、いつもより上演に密接に関わりながら書いています。文学座に書き下ろした『メモリアル』も、できるならそうしたかったですね。ただ、このやり方は、すごい時間がかかるんです……

植村 今回の『ヒカリス』は難産だったという風に仰られていたと思うんですが、それはコラージュ的な上演でないことと、稽古を見ながら書き直すというプロセスが大きかったということですね。

松原 地点に書き下ろすときとは違って、完全分業の形はとらなかったということですね。地点は稽古の始まる段階で完全にパッケージ化されたものを渡すけれども、今回スペースノットブランクには途中のものを渡して書き足していくということをしていて。この形がよいのか悪いのかはまだわからないですね。
何度も再演されるということなら話は変わってくるけれど、基本的に上演は一回で終わってしまうので、その状況に向けて書かなくてはいけない。そうすると気になってくるのが、作者と演出家、俳優との関係で。書き直せちゃうわけじゃないですか。それって大丈夫なの? と思っちゃって。書き下ろしで劇作と演出を分けるというのは、相当綿密にヴィジョンを共有していかないとなかなか難しいという気がしていますね。でも、そちらの方が現状は可能性を感じる。

植村 それはまさにスペースノットブランクのクリエーションのあり方に関わる問題ですね。
中澤さんが、松原さんとスペースノットブランクは作品に近さがあるけれども、通過してきたものが全然違うから話がまるでかみ合わなくて面白いという風に仰ってました。

松原 そもそもかみ合ったことがあんまりない笑 スペースノットブランクと共有しているのは、個々のシーンがうまくいっているかどうかという強度かな。戯曲の作り方に関しては何も言ってこないし、戯曲の強度についてはこちら側で精査するしかない。

植村 地点の場合は戯曲の質について口出しがされる場合があるということですか?

松原 ありますよ。で、結構助かる。劇作ってすごい孤立して書いているので、外からの言葉って言うのはカチンとくることもあるけれどそれすらも重要で、影響もされる。
今回は読み合わせをして感想を言ってもらうということはありましたけれど、具体的に細かいところを指摘してくるということはなかったですね。

植村 それは小野さん中澤さんなりの、松原さんへの信頼のあり方なんでしょうね。

類型性の突破

松原 今回、小野さん中澤さんを除いても俳優が四人いるけれど、たとえば三人表に出して一人は裏方、みたいな書き方はできないんですよ。四人全員平等な形を目指す書き方でやっているから。

植村 それは、上演についての美学からそうなさっているんですか? それとも書く時に必然的にそうなるんでしょうか。

松原 書く時ですかね。チョイ役で存在感を出すみたいな書き方ももちろんあるはずなんですけど、あんまりそこに今のところ魅力を感じないというか。
戯曲の中の登場人物は、言葉を発していないと、存在することにならないんですよね。分量とかいう話じゃないかもしれないけど、これだけの言葉があってこそ役が存在するというイメージで書いています。
(『ヒカリス』の)イントロダクションにもありましたが、ぼくは戯曲では、固有名よりは類型化されたキャラを立てて書きます。その類型を最後には突破して、そこで個別具体的な固有名を獲得するまでの過程を描いているので、それなりの言葉が必要になってきます。
でも、台詞で類型を描写するというのがすごいめんどくさくて笑 『忘れる日本人』のころは類型をどう面白おかしくアイロニカルに表出するかを試行錯誤していたんですけれど、そうすると分量が嵩んでしまう。だから最近はどんどん短くしていってますね。

植村 そこであえて類型化のステップを積極的に踏むところも、スペースノットブランク的だと感じます。やりたいことは個別具体性の提示なんだけれど、あえてそのために一旦逆へ行くという手続きがある。たとえば俳優から言葉を拾っておきながら、誰が喋っているかわからない抽象的なテキストを用意する。
松原さんの戯曲も、どの登場人物の発話もある意味ではすべて松原さん一人の語りとも思われるような、わかりやすいキャラづけのないことが特徴だと思うんですよね。口癖だとかそういうわかりやすい手段でない仕方で、個別性に到達なさろうとしている。

松原 そういうギミックみたいなものも面白おかしく使えれば使っていきたいんですけど、まだその技術が全然ないですね。口癖みたいなものが、これまで自分の中に残ってこなかった。
映画だと言葉よりは顔や身振りの面白みがあるけれど、それを台詞だけで表現するというのはなかなか難しいですね。演出をしないので、最終的なイメージがあったとしても表現ができないから、どうしても台詞でそれをなんとか表現しなければいけない立場にある。

いま可能な「おとぎ話」へ

植村 『ヒカリス』はいつにもましてパロディが多いと思うんですが、それはどうしてなんでしょうか。

松原 新作をどうするか話し合っているときに、スペノ側が「明るい」ものや「ハピネス」という単語出してきたので、彼らの作風も鑑みて、「おとぎ話」みたいなのをやったらどうかと思ったんです。ふわふわした感じだけれど毒もあるような。
それで、今主流の「おとぎ話」と言えばジブリとかディズニーとかかなあと思って、それと合わせて、往年の歌謡曲とか、そういう懐かしさを醸すようなものを取り込んで、懐かしさそれ自体を主題化していきたいなと。

植村 わりとポジティブな動機からのことだったんですね。

松原 半々ですね笑 ジブリはいいですからね。なんの批判をするつもりもない。
ただ、懐かしさのなかにいるっていうのはどうなんだろう、とは思っています。今の若者の文化も8,90年代の反復のようなところがあるし、そういうノスタルジックなものを加工して気持ちいいものをつくっていくような、ヌルい快楽主義を今の風潮に感じてもいて。まあ、そういうのをネタにしつつなにか別のものを、いま可能な「おとぎ話」を創ろうというモチベーションですね。

植村 そうした非歴史化されたJ-POP的なセラピーが、広く『ヒカリス』では扱われていますよね。
ところで、イントロダクションでも指摘したんですが、松原さんは作品中で映像をよくモチーフとして使用されます。Zoomなどビデオ通話でのコミュニケーションが一般化したいま、映像に対する意識に変化はありましたでしょうか。

松原 今回は、それよりはアニメの身体を意識させられました。あの無理のある動きが、観る側にすごく自由を与える。CGだと嘘だなと思ってしまうけれど、アニメは嘘とかそういうレベルにない。それが生身の身体より簡単に受け入れられるというのはどういうことなんだろうと思ってます。
三次元は鬱陶しくて映像は楽。楽に観れる映像の中から、飛び出す絵本のように次元が変わっていくというようなことがしたいなと思ったんです。そうすると言葉のレベルも変わっていくだろうし、次元を変えていくことで書きやすくなる、書ける言葉も変わっていく。
当然かもしれないけど、映像の中の言葉って外の言葉と特に変わらないんですよね。何の新鮮味もないというか。そんななかでもゴダールだと、言葉が文脈から離れてモノとしてこちらに飛び込んでくる、アニメでは、たとえばポニョだと魚が半魚人になって人間になっていくっていう生成変化を扱いつつ言葉も変わっていく。舞台でもそうした変化をつけられないものかと試行錯誤しています。

地点と「かたまり」

植村 全体的な傾向として、近頃の松原さんの作品ではこれまでと比べて長いモノローグが減っていると思います。『ヒカリス』でも途中の稿ではモノローグがあったんですが、複数の台詞に分割されていました。

松原 上演を全く気にせずに書ければモノローグの使い方も多様化できると思うんですけど、上演に関わると、モノローグを託すというのが大変なんです。モノローグって作り方が結構特殊で、なんでもぶちこめるし、強度が作りやすいんですよ笑 書いてる方はすごく楽しいんですけど、それを舞台にのせるとき、俳優にものすごく負荷がかかるんです。
地点はコラージュ的な上演をするので台詞が短く切られるし、こちらもそういうやり方を知ったうえで書いている。けれどそのやり方でいくつか書いてきて、今はまた別のものが見てみたいなと思っているんです。

植村 先日地点の『正面に気をつけろ』をアンダースローで拝見しまして、松原さんもTwitterで褒めていらっしゃいましたけど、大変感動しました。

松原 こんなことがあるんだ!って思いましたね。2018年が初演で、去年の12月に書き換えたんですが、今年になってまたちょっと冒頭とか変わっていて。ほんのちょっとしたこと、微調整のたまものなんでしょうね、あとは全体のテンションが落ち着いていた。

植村 あれで落ち着いていたんですか? 僕は初めて観たので、かなり勢いに呑まれてしまいました。

松原 『正面』のモチーフになっている『ファッツァー』もあんな感じで間を詰めていて、台詞も早いしついていくのが大変なんです。

植村 僕はこれまで四度ほど地点をみてきた中で、今回が一番感動しました。アンダースローで観ること自体が初めてだったんですが、開演5分後から脈絡なく涙が止まらなくなっちゃって。

松原 早くない?笑 開演して5分って、空間現代の音が入ってきたくらいでしょう。

植村 そうですね。イメージの強度が凄すぎて、やられちゃったんでしょうね。言葉もイメージもすごく入ってきて、体が震えるのに近い感じで、これまでにないような観劇体験でした。

松原 ぼくも初めてのアンダースローで『ファッツァー』を見たときそんな感じでした。それが演劇の初体験で。『正面』よりもっとテンション高く始まるんですよ、『ファッツァー』って笑 いきなりドラムがバンバン叩き出して、台詞もバンバン入ってくる。演劇ってすごいなと思ってたら、それが他の劇団とは全然違うということに後で気付いた笑
今回の『正面』は三浦(基)さんも手ごたえを感じていたみたいですね。空間現代の力も大きくて、それに俳優も触発されながら一緒くたになって、理想的な関係にはなっていると思います。

植村 そうですね。忘我状態になってしまいました。アンダースローでの観劇自体したことがなかったんですが、初めて地点という劇団に出会ったような感覚がありました。

松原 台詞とかいうレベルじゃないですからね。「かたまり」でやってくる。
没入して観る方が俯瞰して見るより面白いとは思っているんですよ。でも、そうしているとやっぱり言葉が聞こえてこないし、なんのための台詞なのかもよくわからない。没入させようと思って書くのは難しいですね。

植村 忘我と言っても言葉自体はよく聞こえてきたんですが、批判的に観るというのが普段のレベルでは出来なかったんです。
でも、地点の舞台自体が理想的にはそういう鑑賞を要請している気がしますね。「事後的に」批判的になることを要求している気がします。舞台の現場では分節し得ない、(ポジティヴな意味で)空虚としか言いようのないものをぶつけてくるというか。松原さんはいま「かたまり」とおっしゃっていましたね。
昨日の『正面』は、時間の流れ方が違いました。僕は上演時間を知らないので、何分だったかいまもわかっていないんです。50分と言われても2時間半と言われても「そうなんだ」と思ってしまいそうですね。

松原 いいですね。70分くらいだったかな。理想的な時間ですよね。

植村 話は変わるんですが、昨日バスで京都を降りてしばらく歩いたときに、この町が松原さんの作品に与えている影響は大きいのではないかと思ったんです。僕は関東の郊外に住んでいるので、こんな多層的な歴史を思わせる街並みは散歩していてもないんですね。ロームシアターの近くにしても、平安神宮なんてものがあって、「日本」というものがハリボテ感も混みで強く感じられる。なんだか松原さんの戯曲について変に納得してしまったんです。

松原 住んでるんでそれなりに影響は受けてるでしょうけど、「京都」っていうものに何か感じるところがあるかというとそうでもないです。それにぼくも郊外に育ったので、感覚としてはそういう目線で観ています。
なんにもないほうがいいですよ。この辺はすごく整備されてしまっているし。京都でいいのは鴨川ですね。なんにもないから。郊外はなにもないでしょう。

植村 郊外のなんにもなさと、鴨川のそれは違いますよね。鴨川のよさは、僕がさきほど地点は空虚だと言ったことに近いんじゃないかという気がします、たぶん。飛躍しすぎですかね笑。

松原 笑。なにかあれば鴨川に行きますね。なにもなくても行くけど。

リーダビリティの問題

植村 『ヒカリス』は文章の抵抗量が比較的に少ないですよね。引っ掛かりが少ない。

松原 うん。すんなりしていると思う。稽古を観ながら書き直すことでなめらかになっていったと思います。その言葉の角ばった感じが面白みにつながっているかというとよくわからない。読みやすければ読みやすいほどそりゃいいだろうと思っちゃう。

植村 そうなんですか笑?

松原 笑。なんだろう、読みにくいってこれまでさんざん言われてきたから。リーダビリティねえ……

植村 僕は小説はリーダブルなものがすごく好きなんです。志賀直哉とか、武者小路実篤とか、なんでこんなに素直な物言いをするのかと思うと笑ってしまう。一周まわってシニカルだと思います。

松原 あそこまでいきたい、ほんとは。

植村 ただ、小説と戯曲とではリーダビリティの意味が全然変わってきますよね。戯曲のリーダビリティを上げることは松原さんにとってかなり大きな決断じゃないかと思うんです。作品の質が決定的に変わってしまう。

松原 小説のリーダビリティは上げたいけど、戯曲のリーダビリティはその要請自体がない。リーダビリティよりはリズム、声の印象を大事にしたい。

植村 なるほど。そうなるとやっぱり松原さんが意図してというよりは、稽古に応じてモノローグが減少していって、自然と読みやすい文章になったということになるんでしょうね。

松原 うん。演技の何がよくて何が悪いのかは、いまだに全然わかっていない。実際に舞台を見てみるまではわからない。書く時の必然性はむしろ必要なんですよ。モノローグはその必然性が作りやすい。でも、上演を強く意識すると難しくなる。

退屈に抗う────情動と笑い

松原 スペースノットブランクはこんなシーンの作り方には自分ではならないというのはすごいあるし、そこは楽しい。
ただ、ここ最近、演出の二人とメールでよく話しているんですけれど、テキストの中で強度を上げていったときに、そこで類型でも非人間的でもない情動が立ち上がるのを待ち望んで書き進めているところがあって、それがやってこない限り、終われないんですよ。終われないし、書いた意味がない。上演側がそれをテキストとは別のやり方で立ち上げなければいけないのは、相当難しいと思います。

植村 なにか主題やメッセージを完結させることよりも、そうした情動の生まれる瞬間があることが大事なんですね。

松原 逆にそういう主題に収まらない、これまで書いてきた物語の外から人物に立ち上がってくる言葉みたいなものを書けたらいいなと思って書いていて、書けたと思ったら終わるんです。

植村 松原さんはモチーフやテーマを作品を超えてかなり反復なさっていますが、それはそれらがクリシェ的になるよう意図的になさっているんでしょうか。

松原 そうだと思います。作家の固有性や固有のモチーフだとかいうのはまああるだろうなと思っていて、だってひとりで書いているわけだから笑 孤立して。
そのわりに、書く期間がすごく短いわけですよ。そのなかで戯曲を立ち上げるときに、取材して独自のテーマを構築していくのって難しいですよね。そういう風に作られたものはそれなりのものしかできないと思っています。それよりはもっと長いスパンで培ってきたものを使っていかないと、ということもあって似たようなモチーフを使いつつ、短期間でやってきた偶然のものをぶちこんでいって、別のところに迷走していくというのをやってるのかな。
でも、おおもとの自分の身体を変えていかないと、自分で自分に飽きてきちゃうというか。

植村 テーマでないところで新しいものを求めるというときに、スペースノットブランクは主に形式の面で毎回観たことのない物を追求していると思うんです。松原さんの場合、退屈せず新作をつくることのモチベーションはどういったところにあるんでしょうか。

松原 この前の『正面』は奇跡みたいなもので、自分たちの意図で出来上がるようなものではないんですよね。戯曲を書いたときに抱いたヴィジョンでは出来ていない。個人のそういうモチベーションとはまた別のところから毎回立ち上がってくる。
あと、笑いですかね。ここは絶対に笑えるというところが、毎回出て来るんですよ。まあ、それも飽きちゃうんですけどね。笑いはすぐに飽きる。古びない、飽きない笑いを作りたいですね。

植村 創作の核としての個別具体的な独自性が、松原さんが悲劇でなく喜劇を書かれることにも関係してくるということですね。

松原 そうですね。
最近は悲劇を書いてみたいなという気も徐々にしていますけど、ヴァリエーションが退屈なんですよね。ほんとうに自分にそういう経験がないと書けないものじゃないかという気はしています。

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植村朔也 うえむら・さくや
大学生。1998年12月22日生まれ。小劇場と市街の接続をスローガンに批評とプレイを実践する〈東京はるかに〉を主宰。広くやさしく舞台芸術を批評し、日本の小劇場シーンの風通しをよくしていく。

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光の中のアリス|作品概要
光の中のアリス|植村朔也:イントロダクション