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松井周と私たち|イントロダクション|植村朔也:質問の陥穽 あるいは、透明性の時代

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イントロダクション|越智雄磨:『松井周と私たち』のために

植村朔也 Sakuya Uemura WebX
批評者。1998年12月22日生まれ。千葉県出身。東京大学大学院表象文化論コース修士課程所属。スペースノットブランクの保存記録を務める。文章としては「柴幸男 劇場の制作論」「その手のもとに「劇場」はある」(いずれも演劇最強論-ing ウェブサイト掲載)など。東京はるかに主宰。PARAにて「ドラッカーを読んで上演をつくる、集団をつくる」「「ドラマトゥルクの今日(The Dramaturg, Today)」(国際誌『Sound Stage Screen』掲載、英語、2021年)を読む」を開講。影響学会広報委員。過去の上演作品に『ぷろうざ』『えほん』『死後の恋』などがある。

1.
 2023年11月、小野彩加 中澤陽 スペースノットブランク(以下、スペースノットブランクと略す)はジェローム・ベルによる『ピチェ・クランチェンと私』[*1-1]を原案として、新作『松井周と私たち』を発表する。
 ベルはコンセプチュアルな作風で知られるフランスのコンテンポラリー・ダンスの振付家。対するクランチェンは、タイの仮面舞踊劇コーンを踊るダンサーだ。『ピチェ・クランチェンと私』でクランチェンとベルは向かい合って質問を投げかけあい、自分の踊りを踊ってみせ、お互いを示し合う。このうち、対話の部分にかなりの時間が割かれる上に、その対話も静かに淡々とした調子で行われ、身振りを誇張することもないので、ダンスというよりはバラエティ・ショーのような趣がある。
 質問を投げかけ合うという相互性の形式のために見落とされかねない論点だが、作品に東洋の文化を見下すオリエンタリズムが内包されていることは否定しがたい。作品の前半ではまずベルがクランチェンにコーンの踊りについて紹介を求める。そして実際にコーンを踊るようクランチェンに促すのだが、西洋の踊りの規範を逸脱した身振りの数々にベルは困惑の表情を隠さない。
 たとえばコーンの冒頭が踊られるのを観て、ベルは踊りというよりもむしろエクササイズや準備体操のように見えるという感想を漏らす。そこで、準備体操ではない本来的な踊りとして前提されているのはいかなるものなのか、といったことが問われてもいいはずだが、話はそうした方向に向かいはしないし、クランチェンはベルの指摘をただ平然と受け止めるばかりである。
 コーンは『ラーマキエン物語』のストーリーを表象するもので、身振りの意味性が強いのだが、その意味性はごく様式化されているために、コードを共有していない観衆からは理解しがたい。たとえば物語には男性、女性、悪魔、猿の四キャラクターがあり、踊りもそれに応じて四つの様式に分かれる。これに対し、どの身振りがどのキャラクターに該当しているかは容易に理解できないとベル。コーンの踊りの解釈し難さは以降もしきりに指摘される。
 こうした無理解ばかりでなく、無遠慮も示される。作中には死の明白な表象や発話など、もともとコーンにおいて不自然な要素をベルがソフトに強制するくだりが見受けられるのだ。
 さて、コーンに戸惑うベルの話しぶりは冷静だが、明らかに観客の笑いを誘うことを意識したものである。へんにオーバーな口調で話されるよりも、淡々と話を進めた方がウケをとりやすいというのはままあることで、実際観客の笑い声はしきりに聞かれる。最初に作品をバラエティ・ショーに例えた理由もそこにあるが、ここで観客は知ってか知らずか、クランチェンを笑いものにするベルの一味の仲間入りをさせられる構造になっているのだ。
 さて、作品の後半ではクランチェンの問いかけに応じてベルが自作の説明や実演を行うが、ここでも観客の笑いは起きる。しかし、その笑いの内実はクランチェンへのそれとは明らかに異なっている。というのは、ベルの言動に触発された観客の笑いにはその前衛性を肯定するニュアンスが含意されているからだ。その笑いは、コンセプチュアルなベルの表現に、笑うに足るだけの異常性、尖鋭性が存していることの証左となるのだ。

 作品のオリエンタリズム、ベルとクランチェンの間の非対称性を指摘する議論は多い。サンサン・クアンの論も作品に否定的な見解を示すものだが、同時にクアンは、ヨーロッパ中心主義や間文化主義に対してベルが意識的であったことも指摘している。間文化主義的なダンス作品がある美的伝統を他に接続しようとする際には一般に両者間の妥協点を均衡に配分することが難しいものだが、『ピチェ・クランチェンと私』の場合はダンスでなく対話の形式を選び取り、異なる二つのダンス作品を無理に繋ぎ合わせようとせず並置することで、この問題を回避しようとした点を評価しているのだ[*1-2]。
しかし、互いに質問を投げかけ合うというこの対話の形式にこそ『ピチェ・クランチェンと私』の問題が集約されている。

[*1-1]ベルギーはカーイシアターでの2011年3月の公演が映像として記録され、公開されている。本稿の記述はこの映像に準拠している。https://vimeo.com/405731351
[*1-2]Kwan, SanSan. (2014). Even as We Keep Trying: An Ethics of Interculturalism in Jérôme Bel’s Pichet Klunchun and Myself. Theatre Survey, 55(2), 185-201.

2.
 質問。それはスペースノットブランクが舞台をかたちづくる際の主要な方法でありつづけてきた。

 出演者に質問やタスクを投げかけ、それを受けて生成された表現を選び取り、編集的に構成することで舞台をかたちづくるというクリエーションの在り方は、ピナ・バウシュを以て嚆矢とする。
 それまでモダンダンスの形式の範疇で創作を続けていたピナ・バウシュがダンサーに質問を投げかけることで振付を行うようになったのは1975年の『七つの大罪/怖がらないで』からのことだが、当時はダンサーからの反発の声も複数聞かれ、それが「一つのメソッドとして確立するのは、ボーフム市立劇場での『マクベス』による『彼は彼女の手を取り城に誘う――皆もあとに従う』の客演出の時だった」という。バウシュのダンサーとボーフムの俳優、フランクフルトの歌手など多様な出演者からなる座組において、「作品、つまりシェイクスピアのテクストや場面、状況に対する各自の意見や姿勢を質問することによってしか、共通の地平は生れな」かったのだ[*2-1]。
 このように、バウシュの「質問」の技法は、異なる出自を持つ者たちとの協働において、ある「共通の地平」を探るための有効な活路であった。カンパニー単位ではなくプロジェクト単位での座組構成に移行しつつあり、異領野間のコラボレーションやコレクティヴの活動が隆盛を誇る今日の状況に対して、「質問」の方法論は有効だろうことが、ここからわかる。そしてそれは、コレオグラファーと個々のダンサーの間にあるさまざまな間隔を架橋する方法論として、ヴッパタールでの創作においても継続的に使用されたのだろう。

 しかし、そうした「共通の地平」を探るに際してバウシュが選択したものが、なぜ他でもない「質問」の技法だったのか、という疑問は残る。たとえば『マクベス』の戯曲は、そこにあった。バウシュが新たに上演台本を書いても良かった。演劇について言えば、戯曲や上演台本こそが「共通の地平」を代表するものでありつづけてきたはずだ。
 一方、繰り返される「質問」を通じて上演内容をかたちにしていくバウシュにとって、その「上演台本」はあらかじめ書き記されず、共同で次々と書き改められていく不定形なものとしてあった。そこには作品概念や作家概念への疑いも秘められていただろう。
 たとえばフォルクヴァング学校でバウシュの師を務めたクルト・ヨースは、代表作『緑のテーブル』の上演にあたり厳格な振付指導を行ったことで知られる。今なお再演の際にはヨース・エステートからの舞台指導者の派遣を受けた上で、長期のリハーサルを経ることが、上演の必須条件として定められているのだ。このような、作品の完成形のイメージは振付家のなかにあり、ダンサーはそれを忠実に守らなければならないという考えに対して、バウシュの「質問」はその対極にある。
 「私に興味があるのは、ひとがどう動くかではなく、何がひとを動かすのか、ということ」[*2-2]。このバウシュの発言に顕著なように、バウシュはあらかじめムーブメントを確定させず、むしろムーブメントを生じさせるところの意識や状態に手を伸ばす。そのために有効な方法が「質問」だったのだとすれば、「質問」の技法は今日の制作現場における座組の流動性に起因するばかりではなく、作者や作品にまつわる固着した概念を集団的な未完のそれに開いていく努力や、舞台で行われる身振りや行為の深層に広がるより広範な次元への目配りとともにある。
 だから、質問の技法の内実については、舞台に関わるそれぞれの主体がどのようなものとして生起し、その集団や場に対してどのような関係にあるのか、という視点を欠いて問うことはできない。

 ベルがクランチェンに舞台上で投げる質問と、バウシュの質問とでは、ありようが全く異なる。比較するために、両者をカウンセラーにたとえよう。
 バウシュの創作を精神分析と類比する見方がある[*2-3]。バウシュの舞台の出演者は患者のように問いを投げかけられ、自己の深層にあるものにかたちを与えていくのだ。
 一方、ベルがクランチェンに質問を投げかける際には、クランチェンの内面や深層部が問題にされているわけではない。にもかかわらず、その問いかけには臨床的な効果が付随する。その効果こそ、私が問題にするところのものである。

[*2-1]ヨッヘン・シュミット『ピナ・バウシュ――怖がらずに踊ってごらん』(谷川道子訳)、アートフィルム社、1999年、91頁。
[*2-2]同上、 20頁。
[*2-3]たとえば、三浦雅士『考える身体』、あるいは『ユリイカ』1995年3月号での渡邊守章・浅田彰・石光泰夫の三氏による座談会「ピナ・バウシュの強度」など。

3.
 日本のカウンセリング現場で強い影響力を示してきたのは、精神分析の技術というよりもむしろ、カール・ロジャーズの説いたクライアント中心療法の理論であった[*3-1]。クライアント中心療法では、カウンセラーは鋭い分析や解釈を提示してクライアントを導くといったことはしない。ただクライアントの語りに耳を傾け、共感の姿勢を示すばかりである。ところがそうするうちに、クライアントは自らに本性的に内在する生命力によって、自然と悩みを解消していくのだという。河合隼雄いわく、技術より共感に力点を置くロジャーズの方法は「初めてカウンセリングを学ぶものにとっては、魅力的であったし、また、便利なものでもあった。つまり、あまり理論的な勉強をしなくても、この方法に頼っておれば、すぐにでもカウンセリングができると思われたのである」[*3-2]。
 さて、「聞く力」や傾聴と言った語は耳あたりがよいし、すばらしいものとされることが多い。しかし、その傾聴の態度が人を追い詰める場合がある。いつのまにか語るに落ちる、ということがしばしばあるからだ。小沢牧子『「心の専門家」はいらない』は、傾聴の態度が持つこうした効果が国内でのロジャーズ流のカウンセリングの現場において盛んに働かれてきたことを示し、告発するものだ。聴く者と話す者の間に非対称な上下関係がある場合、話す側は意識的であれ無意識的であれ、聴く側の意向を自然に汲んで、その意に沿うように話すことがしばしばである。しかもその時、話す側は自分の発言を自己責任の自分事として引き受けていくだろう。話しているのは自分自身であるし、カウンセラーとの間に存する非対称性は、相手の共感の態度によって隠蔽されるからだ。
 小沢が同書でとりわけ問題視するスクールカウンセリングを例にとろう。たとえば不登校問題についてカウンセリングを受ける児童は、カウンセラーに悩みを吐露していくうちに、共感の声を浴びて、その怒りを収めていく。そしてそうするうちに、悩みをもともとの状況(横暴な教師や意地悪な級友など)から切り離し、あくまでも自分の内面の問題として引き受けてしまう傾向にあるという。児童を不登校に至らしめた問題は、児童の側の問題へとすり替えられ、見過ごされるのだ。小沢は言う。「学校現場とりわけ管理職にカウンセリングが歓迎される理由がわかる。生徒の抗議を「問題行動」としてのみ受け取り、それを巧妙に処理し、当事者の一方である教師を弁護し、すべてを円く治め、最後に生徒に「説教」を受け入れさせてさえいるのであるから」[*3-3]。傾聴は、このように、聴き役にとって都合のいい考えを相手にソフトに植え付ける方法論として有効なのだ。
 こうした傾聴の効果はカウンセリングルームという場所、すなわちクライアントとカウンセラーの二者だけからなる閉じた世界において、一層強められる。クライアントにとってそこにあるのはまずもってカウンセラーとの関係であって、他の世界は見えない。そのような二者関係において自らの悩みを見つめる時、当初の問題は見失われ、クライアントは悩みを自分の側に帰責してしまうのだ。

 演出家や振付家の独裁的な指示による創作を避け、質問やタスクの技法を通じたバウシュ流のボトムアップでの制作を試みる作家たちが、ロジャーズ流の陥穽に知らず知らずのうちにはまることがないかという危惧がある。すなわち、演出者と出演者の間にある非対称性の隠蔽と、自己責任論の加速である。
 『ピチェ・クランチェンと私』の舞台は、どこかこのカウンセリングルームに似ている。実際のところ、クランチェンはなぜベルや観客に怒りださないのであろうか。私はその理由の一端をベルの傾聴の態度にみる。ベルは観客の笑いを促しこそすれ、露骨に冷笑的な態度を取ることはない。むしろコーンの文化を理解しようと歩み寄ろうとしさえする。そうするうちに、クランチェンはその場で暗に期待されている役割、すなわち「ベルと対等な関係性に立つ東洋のダンサー」としての役割を自ら引き受けることになる。ベルの望む間文化主義のコンセプトを進んで体現しようとするのである。そしてこの時クランチェンは、ベルが図らずも実践してしまっているエスノセントリズムの再演を告発する視点に立つことが出来なくなる。ベルの質問に熱心に答えれば答えるだけ、一層そうなるのだ。そして、コーンが観客からの理解を得難い珍妙な踊りとされるのは、あくまでもコーンやクランチェンの側の問題として示される。ベルがクランチェンに言い放つ“Good Luck”には、たしかにそういう響きがある。

[*3-1]国内のカウンセリング実践について、たとえロジャーズ流の療法が採用される場合でも他の技術との複合的なカウンセリングが行われているケースが大半だとは思われるが、話の見通しをよくするため、ここでは説明を単純化している。
[*3-2]河合隼雄『カウンセリングと人間性』、創元社、1975年、4頁。
[*3-3]小沢牧子『「心の専門家」はいらない』、洋泉社、2002年、108頁。

4.
 ベルははじめ、膝の上にMacのPCを構えている。PCの画面とクランチェンとの間で視線を行き来させながら、名前や出自について疑問を重ねていくさまは、企業の採用面接官を思わせる。
 踊るためにクランチェンが立ち上がったタイミングでベルはPCを床面に置くのだが、やがて音楽を流そうとする際にベルはふたたびこのPCに向かい、作業する。つまり、ふつうは観客の視界から秘匿されているはずの音響の仕事をむしろ露わにしているのだ。
 こうした音響の可視化の工夫はベルの過去作にも見受けられる。インタビューで自作の『ザ・ショー・マスト・ゴー・オン』(2001)についてベルは次のように語っている。「音響係は普通ならば客席の後方にいるものですが、私はDJを舞台のすぐ前の、観客から見える場所に配置しようとはじめから考えていました。それは、観客に対して何も隠さず、「透明性」を保とうとする私の意図によるものです」[*3-1]。透明性。観る者をあざむくことが旨とされる舞台芸術において、フィクションやイリュージョンを生み出す構成要素を可視化し、はじめから手の内を明かしておくこと。舞台がスペクタクルに堕することに対して強い抵抗を示すベルが、それでもなお舞台をつくるなら、そうしたフェア・プレーの態度がおのずから要請されるというわけなのだろう。ベルの舞台において名人芸的な踊りが避けられること、素舞台が愛好されることもまた同じ観点から解釈できる。

 しかしこと『ピチェ・クランチェンと私』の文脈で考えた場合には、この透明性という言葉はまた別の響きを帯びる。そこで示されていたのは「プロセスへの透明性」でもあったからだ。
 観客の前でベルとクランチェンが示す質問の掛け合いは、バラエティ番組のようではあるが、バラエティとは違って(あるいは、まさにバラエティのように)その場でリアルタイムに生み出されたやりとりではなく、事前に用意されたものだ。それにもかかわらず上演がリアルタイム性を帯びて観客に経験されるとしたら、それらの質問が生じたその現場、すなわち稽古場に居合わせているような質感が上演において生まれているからだろう。殺風景な空間のなかにPCを持った振付家とダンサーが二人でいるその風景は、実際いかにも稽古場然としているではないか。
 ところで、現在の国内の舞台芸術実践を思考する上でも「プロセスへの透明性」という観点の重要性は無視できない。舞台に立っていない出演者の素顔といったものを想像させることで観客の興味をかきたてるセミ・ドキュメンタリー的な方法は以前からあり、そこでも「プロセスへの透明性」は模索されていたと言える。しかし、今日の上演実践では、よりさまざまな意図や欲望のもと、舞台の内外で「プロセスへの透明性」の実現がしきりに目指されている。たとえば、2020年には新型コロナの流行を受けて本番の実施に至らない公演が増加し、上演に至るまでのプロセスそれ自体を重視し、公開しようとする流れが生まれた。制作プロセスのアーカイブ化はその現れとみなせる。また、クリエーションのプロセスにおける加害や暴力を抑止するために、第三者による稽古場の視察や、上演におけるその可視化が望まれるようになった。後者の実例としては、舞台が演出家のトップダウンな独裁によるのではなく成員全体の決定によってつくられているといったことが作品のコンセプトに掲げられ、観客も上演を通じてそのコンセプトを喜ばしいものとして経験する、といった事態が散見されるようになった。
 しかし観客は実際に稽古の現場に立ち会うことはできないのだから、この「プロセスへの透明性」はどこまでもフィクショナルなもの、つくりものにすぎない[*3-2]。上で論じてきたカウンセリングの政治性の文脈で『ピチェ・クランチェンと私』を判ずる場合にもこの視点が欠かせない。
 ベルが発する質問は抑圧的であるにしても前もって準備されたものであるし、上演に至っている以上はそれにクランチェンが同意したとみられる。まさにその同意のプロセスこそが問題にされなければならないのであった。ベルは質問という一見対等な方法によって、クランチェンが自発的に上演内容に同意するようクランチェンを仕向けたと考えることもできる。そして上演はまさにその手続きを実演するものであるかのように受け取ることもできる。しかし、結局のところ制作プロセスは観客には開示されえず、上演からイメージされるプロセスと実際のそれとがどの程度対応しているかなど知りえないのだから、制作におけるクランチェンへのベルの態度を難ずるような論評は、あくまでも邪推に留まる。しかし、これからの批評は、あえて邪推たらんとすることも、時には求められるだろう。
 もっとも、上演それ自体の効果を問題にすることは依然としてできる。観客はクランチェンの応答を傾聴し、時に笑ってみせることで、いつのまにか場の権力構造に加担してしまう仕組みが準備されていることはすでにみた。そして、観客が自身のふるまいの持つ効果を反省的に捉え返すための機会は作品において希薄であったし、そのことはクランチェンとベルのやり取りがあくまでもフィクションにすぎないことが作品中で強調されずにいたという事実との関係において評価されるべきである。

[*3-1]藤井慎太郎監修『ポストドラマ時代の創造力:新しい演劇のための12のレッスン』 、白水社、2014年、174頁。
[*3-2]スペースノットブランク『セイ』評で、私は同作が「プロセスへの透明性」を徹頭徹尾フィクショナルに呈示したことについて論じた。

5.
 なぜスペースノットブランクは『松井周と私たち』を上演しようと思ったのだろうか。作品をまだ観ていない以上語れることは少ないが、いくつか述べておきたいことがある。
 スペースノットブランクは、質問により舞台をつくってきた。そのスペースノットブランクが『ピチェ・クランチェンと私』を原案に舞台を制作するのだから、舞台上で交わされる質問は、「プロセスへの透明性」の意識を喚起せずにはおかないだろう。『共有するビヘイビア』や『クローズド・サークル』に連なる系譜の作品となることが予想される。
 松井周とスペースノットブランクとの間には、文化的・民族的アイデンティティの亀裂はおそらくない。活動するシーンの政治経済的背景についても目立った相違はない。公式Webサイトのステートメントには「出自、創造性、世代など、あらゆる異なる点を持つ二組」という表現が見られるが、ここに挙げられた相違点は二者間の上下関係をそれほど含意しない。キャリアとしては松井の方がスペースノットブランクよりも上のはずではあるが、作品を企画したのがスペースノットブランクの側であることによってクリエーション上の対等性は担保されやすくなるだろうし、両者の世代間格差には、ベルとクランチェンの間の隔絶のような酷薄さはない。
 『松井周と私たち』は『ピチェ・クランチェンと私』にあった権力関係についての問いをあらかじめ回避し、より純粋かつ水平な地平で作家同士の関係性を取り扱うものとなるだろう。だとしたら、いま「より純粋かつ水平な地平」と書いた場所がいかなるフィクションとしてあるか、暴かれてほしいのは、その嘘である。

※Dance Base Yokohama「ProLab 第1期舞踊評論家【養成→派遣】プログラム」の課題で執筆した内容を含んでいます。

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越智雄磨 Yuma Ochi
東京都立大学人文社会学部准教授。早稲田大学坪内博士記念演劇博物館招聘研究員。博士(文学)。専門はフランスを中心としたコンテンポラリー・ダンス研究。早稲田大学演劇博物館においてコンテンポラリー・ダンスに関する展示「Who Dance? 振付のアクチュアリティ」(2015-2016)のキュレーションを担当。著書に『コンテンポラリー・ダンスの現在─ノン・ダンス以後の地平』(2020)がある。

1.
 突然だが、私はピチェ・クランチェンのFacebookページをフォローしている。小野彩加 中澤陽 スペースノットブランク(以下スペースノットブランクと略記)がジェローム・ベルの『ピチェ・クランチェンと私』を原案とした作品を作ると聞き、ふとそのことを思い出した。10年ほど前、ジェローム・ベルとモンフェルメイユの街角を歩いていた時のことだったと思う。細かな経緯は覚えていないが、なぜかピチェ・クランチェンの話になった。「きわめて重要なアーティストだから絶対Facebookをフォローしておいたほうがいい」とジェローム・ベルに強く勧められたのだ。ベルの言葉には、ジャンルも活動する場所も異なれど、同じ時代を生きるピチェ・クランチェンというアーティストに対する深い敬意が込められていたように思う。

2.
 スペースノットブランクが今作の原案とする『ピチェ・クランチェンと私』は2004年にバンコクで初演された作品である。上演記録を見ると、その後ヨーロッパでは2005年にベルギーのクンステンフェスティヴァル・デザールを皮切りに、欧米やアジア圏の諸国で上演を重ねてきた。日本でも横浜と京都で3回上演されている。本作の誕生は、当時バンコク・フリンジ・フェスティヴァルのキュレーターだったタン・フ・クエンがベルに創作を委嘱したことに遡る。当時タイの文化やダンスについてほぼ何も知らなかったベルは長く躊躇した末、タイの伝統舞踊のダンサーと共同で制作することを条件にこの依頼を受けることにした。そして紹介されたのがタイの宮廷舞踊コーンの踊り手であるピチェ・クランチェンだった。当初のアイディアは、ベルがクランチェンと共に一つのダンス作品を作ることにあったようである。
 しかし、当初の想定を逸れて、彼らの共同作業はいわゆる普通のダンス作品に結実しなかった。代わりに、互いのダンスをめぐる相違、彼らの活動が置かれている異なる歴史や文脈、異なる様式や美学を確かめていく2人のデモンストレーションを交えた会話がそのまま舞台に上げられることになったのだ。
 たとえば、「死」をどのように表象するのか? という話題に際して、ベルは自作『The show must go on』(2001)の「Killing me softly with his song」をかけながらゆっくりと床に倒れ込み、目を閉じて死んで行く場面を再現する。一方クランチェンはコーンにおける死の表現方法を見せる。それは以下のような手順で示される。殺された人物が舞台からはける。死者の家族が喪に服するためにゆっくりと歩く。その家族は泣くために椅子に座るが、涙を隠すために顔を背けるといった具合である。
 あるいは、互いの国のダンスの歴史が話題になった時には、クランチェンは200年以上前のタイのラーマ2世の治世下にコーンが始まったことや、ラーマ4世が優れたダンサーであったこと、しかし、革命後の新政府はコーンを禁じ、現在では観光客向けのダンスになった経緯を語る。一方ベルは、自身のダンスにおける民主主義的な理念について200年以上前のフランス革命での王や王族の処刑、王政の廃止にまで遡って説明する。それは、ダンスについてメタ視点で語るレクチャー・パフォーマンスであり、ドキュメンタリー演劇でもある。

3.
 ベルは2005年に書いたこの作品のステートメントに次のような言葉を残している。

 ヨーロッパ中心主義、インターカルチュラリズム、文化のグローバリゼーションといった問題含みの概念が、この作品のなかで争点として明らかになる。扱う上でデリケートであるが、これらの概念を脇に置いたままにはできない。現在という歴史的瞬間が、これらの争点を無視することを許さないのだ。

 2008年にベルとクランチェンはこの作品によって、オランダの「文化的多様性のためのルート・プリンセス・マルグレート賞」を受賞した。ちなみに、同年にこの賞を受賞したもう1人の人物は、カルチュラル・スタディーズの代表的研究者であるスチュアート・ホールだった。
 かつてエドワード・サイードが指摘したように、ヨーロッパにおいて「東洋」は周縁化された存在として捉えられてきた。18世紀、19世紀に創作された多くのオペラもまた「東洋」についてその当事者や歴史について無知のままに都合よく解釈し、それを繰り返し表象してきた。パリ・オペラ座は2021年になって『パリ・オペラ座における多様性についてのレポート』を刊行し、植民地的視点で作られた差別的表現が残る作品を上演してきたことを反省し、プログラムの編成や出演者の人種的構成に配慮するという課題を明文化した。こうした昨今の流れと比較すると、ベルとクランチェンの「多様性」に関する取り組みは、ヨーロッパの芸術の文脈の中で極めて早期の傑出した成果だったことが理解される。

4.
 当初の想定からは外れたかもしれないが、フ・クエンの狙いは、従来のダンスの概念を逸脱したダンス作品を作ることに最初からあったのだろう。委嘱当時の2004年のヨーロッパのダンスシーンにおいて、ベルは実験的なダンス作品を創作する最も尖った振付家として既にその名を馳せていたからだ。ル・モンド紙のダンス批評家ドミニク・フレタールがベルの作品を既存のダンスの慣習やコードを拒絶する「ノン・ダンス」と評し、この言葉と共にヨーロッパ内外でベルはその知名度を高めていた。念のため断っておくと、ベル本人はこの言葉で称されることを強く拒絶しているが、ひとまずそれは脇に置く。フレタールは、ジェローム・ベルが『ジェローム・ベル』を発表した1995年前後を一つの境としてフランスのダンス界に新しい動きが出現したとみているが、それは確かだと思われる。当時のダンスの新しい傾向を「ノン・ダンス」と呼ぶ者もいれば、「コンセプチュアル・ダンス」と呼ぶ者もおり、「ヌーヴェル・フォルム」と呼ぶ者もいれば「パフォーマンス的ダンス」と呼ぶ者もいた。それぞれの論者が採用した呼称は、微妙にフォーカスに違いはあるものの、従来のダンスの概念では捉えられない新しく出現したダンスの傾向を捉えようとして考えられたものである。そして、常に筆頭に挙げられる人物が、ジェローム・ベルだった。
 キュレーターとしてのフ・クエンの仕事の意義は、ジェローム・ベルの意識を初めてアジアに向けさせ、クランチェンというダンサーと出会わせて、この作品を世に出したことにある。これまでにない、奇妙な文化的ハイブリッドの産物が出来上がったのだ。その狙いは達成されたと言えるだろう。

5.
 さて、「ノン・ダンス」とは結局何だったのか? 私なりにまとめると、それはダンスという概念を支える中心的要素のシフトである。ダンスの中心的要素は長らく「動くこと(moving)」にあると考えられてきた。ダンスの語源には、「身体をのばす」という意味が含まれており、坪内逍遥はdanceを日本語に訳す上で、水平運動を示す「舞」と垂直運動を示す「踊」を組み合わせた「舞踊」と言う言葉を採用した。現在でも動くことはダンスの変わらない基本的な原理である。テレビ番組などで扱われるダンスなどを見てもそのほとんどは、長い修練を通して身につけたであろう高度な技術によって、目を魅了する豊かな動きで空間を満たしている。
 しかし、「ノン・ダンス」などと呼ばれたダンサーや振付家が重視したのは「動くこと」ではない。彼ら・彼女らのダンスは「動き」を差し引き、時に身体が全く動かないことさえある。そして、動きの代わりに前面に現れるのは、ダンサーの身体そのものである。もちろん、それまでのダンスにおいても動きと身体は同時に存在していたし、不可分のものである。観客もまた常に動きと身体を同時に見ている。ただし、フォーカスが違うのだ。「ノン・ダンス」と呼ばれる傾向が引き起こしたことは「図」と「地」の関係を成してきた「動き」と「身体」の関係の反転である。「図」としての動きが最大限に捨象される結果、「地」であった身体が必然的に浮き立つ。これはかつて、ロラン・バルトが「演劇性」について「演劇から戯曲を差し引いたもの」と定義したことにも似ている。バルトの大胆さは、それまで演劇の中心的要素と考えられてきた戯曲を、最も抜けてはならないと考えられてきた要素を差し引くことで演劇を新たに定義しなおしたことにある。さらにこの見方は、演劇という概念をアップデートしたハンス・ティース・レーマンの「ポストドラマ演劇」にも通じる。ドラマを演劇の中心的要素とみなす習慣を捨てたレーマンに倣うならば、ノン・ダンスを「ポスト・(ムーヴメント)ダンス」ということも可能だろう。このダンスにおけるパラダイムシフトを「動くこと(moving)」から「存在すること(being)」へのフォーカスの移行と言い換えることもできる。

6.
 では、ダンスの中心的要素を身体に据えて、あるいは「存在する」ということに力点を置いて、ジェローム・ベルが行おうとしたことは何だったのだろうか? それは、出演者の「生(英語:life、仏語:vie)」そのものを素材とすることである。その人物はどのような存在なのか? その人物はどのような経験を通じてその身体を獲得したのか? そのような問いかけがベルの作品には共通して見出せる。ダンスの基底材としての身体の内側に目を向ける作品は必然的に、視覚性に訴える外面的に壮麗なスペクタクルではなくなっていく。ジェローム・ベルの作品が「反スペクタクル的」と称されることもあるのはそのためである。また、そこには芸術的ダンスが無批判に文化産業化し、経済的消費サイクルに飲み込まれてしまう危険性に対する自戒と批判意識も見出せる。1980年代のフランスの文化政策の功罪として、ダンスの「プロダクション主義」やマンネリズム、メディアを意識した「スペクタクル化」が生じたことも背景にある。振付家のディレクター・シップや創造性に依存するのではなく、出演するダンサーの身体そのものにダンス作品の拠り所を見出す流れが生まれたのだ。
 ジェローム・ベルは多くの作品タイトルに出演者の名前を採用しているが、それは、まさに出演者の生、人生、生活が問題とされているからである。自身の名を冠した『ジェローム・ベル』(1995)にはじまり、『グザヴィエ・ル・ロワ』(2000)、『ヴェロニク・ドワノー』(2004)、そして『ピチェ・クランチェンと私』(2004)を発表した。その後にも『イザベル・トレス』、『ルッツ・フォルスター』(2009)、『セドリック・アンドリュー』(2009)などを発表しており、出演者であるダンサーや振付家の名前をタイトルにそのまま採用した作品を現在も作り続けている。これらの作品群を便宜的に「ダンサー・シリーズ」と呼ぶことにする。それらは出演者の身体そのものから分泌される意味を味わうような作品である。

7.
 ジェローム・ベルは読書家としても知られる。ベルが創作を行う際には、様々な思想や哲学が参照されるが、ここでは特にミシェル・フーコーがベルに与えた影響について触れておきたい。フーコーは膨大な歴史的資料を綿密に調査することで、特有の時代と文化における「人間」という存在の形成や変化を詳らかにした思想家として知られる。その研究によれば、近代において我々の身体=生は、社会、政治、経済など様々なレベルでの「生-政治」と呼ばれるシステムの中で管理され、規範化され、形成されている。ベルの作業はある意味、それを逆に辿り直すような作業である。つまり、今ここにある身体から、その身体の振る舞いや言葉を可能ならしめた「歴史」を明らかにしていく。私たちの身体は、膨大な歴史の蓄積によって成り立っていることを示すのだ。たとえば、『ジェローム・ベル』では、出演者は全員裸で登場し、その背景には、氏名、年齢、身長、体重、電話番号、銀行口座残高などが書かれている。またその身体そのものにも、それぞれの出演者にとって意味があると思われる年月日が書き込まれていく。『ヴェロニク・ドワノー』では、出演者ドワノーの身体の様々な位相が露わになる。2人の子供の母親としてのドワノーの身体は、ルイ14世時代にまで起源を遡ることができるパリ・オペラ座バレエ団の特有の階級の中に位置づけられた身体でもあり、バレエという身体運用のシステムの中で秩序化された身体でもある、そしてその秩序への抵抗を示す身体としても現れる。
 フーコーは、私たちの存在が巨大な超−個人的な「生-政治」というシステムの中で規定されている世界の有り様を描き出したが、「生−政治」に対するカウンターとなる「生存の美学」という思想も晩年に用意していた。この思想に含まれる「自身の生を一つの作品にする」という考えをベルは敷衍しつつ実践しているように見える(ちなみに、この思想を積極的に取り入れた日本人アーティストはダムタイプの古橋悌二だった)。
 つまり、ベルの「ダンサー・シリーズ」は、人間が「システム」や「歴史」の外に立つことの困難を示すと同時に、それらに抵抗し、その外部へと出て自身の生を作り替えようとする人間の力も示しているように思われる。従って、身体は諸力が拮抗するバトル・フィールドになる。規範化する力と、規範から脱しようとする力の両方が作用する場として、身体が立ち現れてくる。

8.
 ベルの「ダンサー・シリーズ」の中でも、『ピチェ・クランチェンと私』は異色の作品と言えるかもしれない。ベル自身が出演者の対話者として出演している唯一の作品だからである。そして、それまでのダンサー・シリーズが扱っていたのが欧米圏のダンサーだったのに対して、アジア圏のダンサーを扱う初めての作品でもあった。この作品に対する評価は様々にあるが、多くの研究や批評が、ベルとクランチェンの間の「権力関係」を論点としている。
 否定的な論は、西洋の前衛的アーティストと東洋の伝統舞踊のアーティストという対比構造に着目する。暗に西洋のアーティストの東洋に対する優位性が仄めかされているとみなし、植民地主義的な構造が再生産されているとみる。タイトルにみられる「myself(私)」という言葉がベルの主観的立場を示しており、客体として観察するような構造が読み取られた時に、ベルの視線がニュートラルではなく「上から目線」に見えるということが起こるのだと思われる。たしかに、植民地主義やオリエンタリズムの歴史的経緯を踏まえた時に、この両者の関係はニュートラルではありえないのかもしれない。その点を強調する批判に応えるとすれば、『ジェローム・ベルと私』といったタイトルの作品を誰かが作って、ベルの存在を相対化し、「権力」のバランスを調整する他に手段はないのかもしれない。
 肯定的な論は、この作品が、エキゾティシズムや植民地主義的関係を回避しながら、民俗学的な観点から2つの異なる文化圏の芸術的実践の文化的特異性についての探求することに成功していると考える。
 論者の立場によって、この作品の見え方はこれら肯定的なものと否定的なものの2極の間を揺れ動くのではないだろうか。私自身は、冒頭で述べたように、ベルがクランチェンに対して敬意を抱いていることを経験的に、感覚的に知り得たこともあって、この作品に対して否定的ではない。そして、これまでの「ダンサー・シリーズ」とは異なり、ジェローム・ベルは自らが姿を表し、発言することで、自身の態度や言葉が批判にさらされるリスクを取っているという点は評価すべきだと考えている。その行為は、実際に多くの論者の考察対象となっており、この作品に対する批判や考察をより多様に引き起こす論争上の豊かな可能性をもたらしていると感じる。またゲラルト・ジークムントが言うように、この作品が生まれたグローバリゼーションの時代には中心と終焉という二項対立的な世界の捉え方は既に廃れていると考えた方が良いかもしれない。この作品はそれぞれにとっての「他者」とのコンタクト・ゾーンを発生させ、そこで互いの文化的枠組みによって違いを理解しようとする試みだと評価できる。たとえば、クランチェンが、ベルのじっと立っている様子を仏教的なフレームで理解する一方、ベルはコーンの歴史にバレエにおける君主制の歴史に似たものを見出すように。

9.
 さて、今回スペースノットブランクが取り組もうとしているのは、この『ピチェ・クランチェンと私』に基づいた松井周との対話である。よくぞこの作品を再現(リエンナクト)しようと思ったものだ。そのためにベルのカンパニーR.B Jérômeの正式な許可も得たというから驚きだ。なんと突飛な行動だとも思ったが、しかし考えてみれば、ジェローム・ベルも若かりし頃、当時の常識からすれば突飛な実験ばかり行なっていたのだ。かつてベルは、ピナ・バウシュの振付を自身の作品の中で完全にコピーして使用するために手紙を書いたこともあった。バウシュには断られたそうだが、ドイツ表現主義の流れを汲む大御所スザンヌ・リンケから『Wandlung』のコピーの許可を得て、伝説的とも言える『最後のスペクタクル』という作品を生み出した。ちなみにこの作品は、「本来コピーできないはずのダンスをコピーすると何が起こるのか?」という問いに端を発して創作されたが、ニューヨークの前衛集団ウースターグループによってさらにコピーされ、『I am Jérôme Bel』という作品も生まれた。ベルにもウースターグループにも共通してみられるのは類稀なる遊び心である。両者の作品は、ギャグの様相すら呈するが、遊び心とギャグこそが新境地を開くことは往々にしてある。スペースノットブランクの今回の試みも彼らに続くものになるのかもしれない。ぜひ、そうなってほしい。

10.
 『松井周と私たち』は、『ピチェ・クランチェンと私』を原案としながらもズレを生じさせるはずである。同じ日本の舞台芸術のアーティスト同士の対話になることから、原作に見られたヨーロッパとアジアという対比的構造は消え、それに伴いポスト・コロニアリズム的観点は消えるだろう。しかし、それに代わって、世代の異なる日本人アーティストたちが対話する中で現代の日本特有の何かが浮かび上がってくるはずだと予感している。スペースノットブランクと松井周の関係性について私はほとんど何も知らないが、対話の中で、見えてくるであろう舞台芸術をめぐる双方の立場や見解、環境の差異や世代間格差などに注目してみたい。そして、現代の日本社会の中での、それぞれのアーティストの身体と生の有り様が露わになってくることを期待している。そして原作同様に、対話の過程で生じるであろうその両者間の力のバランス、その揺れ動きも見どころなのではないかと思っている。
 再びミシェル・フーコーを持ち出すが、フーコーはあらゆる人間関係には権力関係が生じると考えていた。そして、その権力関係や優劣関係は、差し向けられる言葉の選択、振る舞いなど様々な要因によって絶えず変動する。権力関係などというと物々しい感じもするが、それは、私たちが普通にコミュニケーションを行う時にも刻一刻と変化している双方の力の関係の揺れを思い起こせばよい。このパフォーマンスの中で、スペースノットブランクと松井周の間には、どのような関係が生じるのだろうか? 敬意があるからこそぎりぎり許容される無礼講が現れるのか、それとも年長者を前にした遠慮や忖度が現れるのか? 全く通じ合わない異質性の衝突が現れるのか? それとも共感や共通性が現れるのか? なんらかの継承が現れるのか、それとも断絶が現れるのか? 
 できることなら、このパフォーマンスを観られる方すべてに、観賞後どう思ったか聞いてみたい。みなさんは、どうのように思われるだろうか?

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イントロダクション|植村朔也:質問の陥穽 あるいは、透明性の時代

松井周と私たち

ダンスダンスレボリューションズ|レビュー|竹田真理:ループする構造と発露の空間

竹田真理 Mari Takeda
ダンス批評。関西を拠点に1990年代後半以降のコンテンポラリーダンスを中心とした批評活動を行っている。

『ダンスダンスレボリューションズ』において松原俊太郎とスペースノットブランクは戯曲の執筆と上演の構築を同時に行うことを試みている。完成した戯曲に身体をあてがい、立体的に再現するのが通常の演劇の作り方だとすれば、今作ではイレギュラーな方法が試されたわけである。生まれたての創造の芽を既存の言語に定着させるより前に上演空間に現出させること。思考と実践が時差なく現れ出る場を実現しようとする試みは、ダンスにおけるクリエーションを参考にしたという。今日のダンスの作られ方は、考案された振付をダンサーの身体に振り移すのではなく、振付家とダンサーが現場で共働しながら動きを生み出し発見していく。再現ではなく生成をこそ本質とするダンスの実践が、「舞台芸術に成る以前」の言語を探るスペースノットブランクに有効な方法となることは十分に考えられる。創造のパフォーマティブな渦から言葉が、身振りが、ダンスが、動線が、やりとりが生まれ、消えていく。実際にはクリエーションするその場で言葉が書かれたのではなく、一人に戻る時間の中で執筆したと松原は述べている。だが時差が小さいほど創作の遂行性が保たれることは確かだろう。そのようにして書かれた戯曲はパフォーマンスの果実? 残余? 痕跡? あるいは記譜でありスコアであるところの何か、だろうか。

『ダンスダンスレボリューションズ』は恋する男女のメロドラマである。バレエ『白鳥の湖』をモチーフに、死をもって結ばれる悲劇の物語をベースとし、チャイコフスキーによる前奏曲がドラマの開始を告げる。主役を演じる児玉北斗と斉藤綾子が京都芸術センターのフリースペースのフロアに大きく弧を描いて歩行し、交差する動線が、偶然と宿命のなせる出会いと物語のラインを提示する。とはいえ今日のヒーローとヒロインはロマンチック・ラブの定形を生きるわけではない。劇は現代のボーイ・ミーツ・ガール、台詞は言葉遊びを多用し、ストーリーラインは意味で縫い閉じられない遊戯空間を迷走する。だが私たちの日常とはそのようなものではないか。誰かと交わす言葉や身振りの行き先などその時その場で見えてはいない。女子高生のおしゃべりに物語の端緒を見ると述べた作家がいたと思うが、咲き誇る身振りや発話の瞬間の愉悦を是とし、ただ可能性としてのみ存在し得る物語を生きている。

本作の最大のチャレンジはダンサーである児玉と斉藤の起用にあるだろう。二人は台詞を話し、ダンスを踊る。思考や感情が言葉にのることもあればダンスの動きに現れることもあり、その差異に大きな意味はないといった具合だ。発話の技術を持たないダンサーの声を発するテンションは低く、内的衝動を動きに変えることに大きな負荷を負わないダンサーの身体は、上演の印象をシンプルにしている。それは例えば演劇の俳優を起用した松原とスペースノットブランクによる過去作において、松原の書く言葉の速度や運動性と、俳優らの演技の重力・密度が相克、もしくは相乗することで異様なまでの上演の磁場を発生させていた例に照らせば対照的である。私はそれを以前「デフォルメ」と言ってみたが、戯曲を前提とする演劇創作の方法論に根差した、文字列への定着を図る発話の磁力ということになろう。かたや今作では松原の言葉の運動性がダンサーの身体により順接的に体現され、両者が同じ方向へ渦を巻きながら上演の軽やかな推進力を生んでいる。

児玉演じる「スワン」の思い込みの激しい一目惚れ、あさっての方向を向く思考回路。そのモノローグに小野彩加と中澤陽の演じる狂言回しが言葉の応酬で介入し、言葉尻から別文脈へと跳躍を繰り返す序盤の展開が爽快だ。児玉のふわりとした声の響きや、欧州のバレエ団で活躍したキャリアとテクニックを封印した日常的なピッチによるダンスは、隠しきれない筋の良さと、チャラ男でもオタクでもテロリストでもあるような今日のドン・キホーテ像を造形する。一度だけノーブルな王子の流儀でヒロインに応じる場面があり、その振舞いの落差もまた逃走的なドン・キホーテぶりを増幅するが、観客にとってはボーナスだった。

ヒロイン「ディディ」役の斉藤綾子の魅力は本作において決定的だ。寂寥感のある声の質、発語に宿る憂いのニュアンスと松原の書きつける言葉が奇蹟のような出会いを果たしている。児玉のスワンとのキュートな会話や、迷走しがちなやりとりや、渾身のダンスシーンを含んだ逢瀬の後の「また会いましょう、ここで」の一言に、この愛すべき時間はいずれ失われるのだという予感が滲んでいて、胸を突かれる。定形のヒロイン像に収まらない感受性の揺れを見せる一方、生まれ落ちたことが悲しみであるとどこかで知っているようなディディのキャラクターは斉藤自身のものでもあるのだろう。児玉とデュオを踊る場面の、体をいっぱいに使った動きを同調させてダンスを踊り終えてひと言「楽しい!」と発するディディの台詞は、斉藤が書かせたものだろう。むしろ本作の遊戯的な台詞の多くは、直接間接を問わず、ダンサーたちが松原に書かせた痕跡であるのだろう。

ある舞踏家の踊りを「受肉の喜び」と評した人がいるが、本作上演に見られるものは発露の喜び──上演の遂行的な局面を生きることの愉悦だと、言ってみる。

そうであるなら、こちらについても言及しなければならない。劇の最初、小野と中澤はト書きを声に出して発し、演劇言語の制度に対する侵犯を犯している。フロアの中央には最小限の装置としてパソコン操作用のデスクが置かれ、ここに松原と小野、中澤が待機して劇の進行を見守ったり音響を操作したりしている。従来バックヤードにいる者たちが演技空間に同席しており、しかも配役もされている小野と中澤は、同じ身体と声のピッチでト書きの発話から狂言回しの台詞へとシームレスに移行する。位相を異にするト書きと台詞が同じ平面におかれ、身体がそれらを行き来するのである。つまりこれは演技論に留まらず、劇の制度の構造に関わる。さらにト書きの一部は客観的な状況描写を逸脱し、情景に心情をのせた語りを含み(「窓に張りついて離れない心の友」、「時間は味わいであることを思い出し、涙が一滴」など)、能や文楽の謡いにもなぞらえられる形式上の遊びを試みている。因みに、今公演に伴って設けられた2回のオープンリハーサルを見学したが、通しの合間に出演者たちが自分の台詞を練習しており、任意の発話のおそらく偶然の交差が、楽しげなやりとりとしてその場に成立している場面を目撃した。各々が気ままに声にのせ、細切れに発するそれらは完遂を意図しない発話の「こぼれ」であるが、時にこれ以上ない愉楽の瞬間を立ち上らせる。クリエーションの現場とは時にこのように恩寵のような瞬間の訪れる場であるのだろう。

さて一方で、本作は紛れもないメロドラマの構造をもっている。主人公の二人がどちらへ転がっていくか予測のつかない思考や感受性を示すのに対し、よく見れば物語の磁場を作るモチーフが散りばめられている。『白鳥の湖』のバレエ音楽が随所で流れるのも然り。そして主人公以外の人物たちも物語の骨格を支える側である。中澤に配役された複数の人物はスワンの死んだ友人であり、過去であり、時間軸そのものと考えられる。狂言回しの「矢印」は「物語」とも「タケシ」とも称する役どころの三位一体の存在としてドラマの構造に太い主柱を通す。支離滅裂のスワンに対し、真実や思慮深さのメタファーとなるこの人物(たち)を、中澤は哲学的な問答を通してくっきりと造形している。

──  あなたは何者ですか?
──  ぼーくーが聞いてるんだ。
──  わたしはあなたの矢印です。

言葉のセンスにしびれるが、この「矢印」は「時間軸をもった物語」そのものと読め、この三位一体の人物によって、スワンは物語に繋ぎとめられる。小野の演じる「気印」「ハハ」「ミチコ」は、呪いをかける役どころの母、ヒロインを泰然とした世の理(ことわり)によってたしなめ支える乳母と、こちらも物語の定形をなす役者が揃ったことになる。シスターフッドによって「守ってあげる」と約束した『再生数』(前出)(2022、戯曲・松原俊太郎、演出・スペースノットブランク)のミチコの再来でもあろう。

何より「物語」の視覚的なモチーフとなるのが、主役の二人がフリースペースを巡って描く動線だ。前述のように、同期し、交差する動線は主人公たちの出会いや行方を暗示するが、2本の線は舞台奥の両端に設置されたテントをそれぞれ起点としていて、フロアを巡ると再びテントに帰ってくる。やがてこの反復がどうやらループ構造であることが明らかになり、さらに、テントがその入り口になっているワームホールを通じて2階ギャラリー=別の階層世界を設定したメタ構造も示される。人物たちはループの外に出たいと望み、実際にギャラリー背後の扉を開けてフリースペースの外へ出ていく。

劇空間に独自の時間構造を作ること、その構造から外へ出ることは、松原とスペースノットブランクによってこれまでにも実践されてきた劇構築の方法論だ。『光の中のアリス』(2020)では鏡面の反射が、『再生数』(2022)では舞台(上演)とスクリーン(上映)の混合が、作り出した独自の構造を、『ダンスダンスレボリューションズ』では動線のループ構造が担う。また2階ギャラリ―を利用し、上演を俯瞰する上位の階層およびメタレベルの視点を設けることも、従来の舞台芸術の制度/構造/言語/形式を構築し直そうとするスペースノットブランクのミッションに沿ったものだろう。

──  あなたがループの外に出るんじゃなくて、ループを外に出してあげたら?

ルイス・キャロルばりの言葉遊びにも聞こえるが、希望を感じさせる最後の台詞である。だが正真正銘の最終の場面で、ヒロインとヒーローが小野と中澤に交代していることが示唆される。物語の強固なループは永遠に続くのか。構造の中で、遊戯と創造の瞬間に身を投じ続けることが希望だろうか。

動線、時間軸、俯瞰する階層。劇世界を構成する複数のフェーズの構造を、舞台芸術の言語/形式の再構築に重ね合わせる構想が鮮やかだ。この構造上の冒険と、遂行的な身体の発露との緊張関係が本作上演を成立させている。

ダンスダンスレボリューションズ

批評・レビュー
2023年10月11日(水) ダンスダンスレボリューションズ|レビュー|越智雄磨:脱-演劇、脱-俳優、脱-劇作家の時代─『ダンスダンスレボリューションズ』を巡って
2023年10月31日(火) ダンスダンスレボリューションズ|レビュー|竹田真理:ループする時間と発露の空間
2023年11月5日(日) 浄土複合スクール|ダンスダンスレボリューションズ|レビュー|神田恵理:踊る言葉、場が呼び起こすダンス
2023年11月5日(日) 浄土複合スクール|ダンスダンスレボリューションズ|レビュー|各務文歌:矢印はダンスを踊らない

クラウドファンディング|塚原悠也:応援メッセージ

 まじで期待しています!! 思いつくこと全部やってほしい。

contact Gonzo メンバー/KYOTO EXPERIMENT 共同ディレクター
塚原悠也 Yuya Tsukahara
2002年にNPO DANCEBOXのボランティアスタッフとして参加した後、運営スタッフとして勤務。2006年パフォーマンス集団contact Gonzoの活動を開始。殴り合いのようにも、ある種のダンスのようにも見える、既存の概念を無視したかのような即興的なパフォーマンス作品を多数制作。またその経験をもとに映像 写真、様々な形態のインスタレーション作品、雑誌の編集発行、ケータリングなどもチームで行う。2011-2017年、セゾン文化財団のフェロー助成アーティスト。2020「読売演劇大賞」スタッフ賞受賞(演劇作品「プラータナー」におけるセノグラフィと振付に対して)、2021年contact Gonzoとして京都市芸術新人賞受賞。
ご支援のお申込みはこちらから|2023年10月31日(火)23:59まで
2023年9月、京都芸術センター フリースペースにて上演を行なった『ダンスダンスレボリューションズ』公演について、アーツサポート関西の「寄付型クラウドファンディング助成」に採択いただき、クラウドファンディングを実施いたしております。皆様からご支援を賜りたく、心よりお願い申し上げます。

クラウドファンディング|ジュリエット・ナップ:応援メッセージ

 ダンスと演劇をまたいで活動するスペースノットブランクの作品は、常にこの2つのジャンルの境界と関係について考えさせられます。 松原俊太郎とのコラボレーション作品は愛や記憶などのテーマに触れていますが、一連のテーマに集約されることを回避しようとするところが挑戦的だと思います。 その代わりに、彼らは形式に重点を置くことで、独自の演劇言語を編み出していると感じます。 彼らは作品を通じて、パフォーマンス、演劇、ストーリーテリングとは何か、そしてテキスト、演出家、出演者、観客の関係とは何かをいつも問いかけてます。今後の活動を楽しみにしてます、ぜひ応援してください!

©︎ Takuya Matsumi
KYOTO EXPERIMENT 共同ディレクター
ジュリエット・ナップ Juliet Knapp
福岡生まれ。オックスフォード大学英語英文学科卒業。2015ー2017年Ryoji Ikeda Studio Kyotoでコミュニケーションマネージャー、音楽及びパフォーマンスのプロジェクトマネジャー。2017年よりKYOTO EXPERIMENTに広報として参加し、2020年より共同ディレクター。
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クラウドファンディング|谷竜一:応援メッセージ

 スペースノットブランクの作品は、これまでも何度か拝見していましたが、クリエイションに関わるのは初めてでした。
 本当にほとんどゼロの状態から、1ヵ月余りで作品を立ち上げていくさまは興味深く、かつ朗らかな現場で、楽しんで伴走させていただきました。
 京都の辣腕劇作家、松原さんの実力はもはや疑いないものですが、スペノのお二人や、出演者の斉藤綾子さん、児玉北斗さんとの化学反応で有機的に作品が発展していくさまに、また新しい舞台芸術の可能性を想像することができました。
 こういう刺激があるからこそ、創作の場としての京都芸術センターは、歩みを止めずにいられるのだと思います。

 上演成果である『ダンスダンスレボリューションズ』は、とっても軽やかで、どこでも上演できそうで、かつ舞台芸術の楽しさと可能性が詰まっている作品になったと感じています。
 本作は、京都芸術センターのCo-programというプロジェクトでも採択し支援しているため、会場と付帯設備、上限付きで予算も提供していますが、どんなに軽やかにみえる作品にも、相応の時間とコストがかかるものです。ましてや1か月の合宿を組んでの創作・上演となると、なによりアーティストのみなさんから、時間的にも体力的にも、多くを賭していただくことで成立しています。
 こんなにも貴重で、楽しい作品が、京都でのわずか4ステージの上演ではもったいない限り。
 ぜひ再演を。そして、再演とさらなる可能性の探求のための体力をスペースノットブランクが維持し続けられるよう、ぜひご支援をお願いいたします。

京都芸術センター プログラムディレクター
谷竜一 Ryuichi Tani
1984年福井県大飯郡高浜町生まれ。詩人、演劇作家、芸術労働者。山口大学教育学部卒、東京芸術大学音楽研究科音楽文化学専攻芸術環境創造研究分野(修士)修了。京都芸術センターアートコーディネーター、京都府地域アートマネージャー(山城地域担当)を経て、2021年より現職。演劇・ダンスを中心に、現代美術、伝統芸能等多岐にわたる事業企画・運営に携わる。2022年度からはアーティスト・イン・レジデンス事業の統括も担当。本企画「松原俊太郎 小野彩加 中澤陽 スペースノットブランク 不自由な言葉を離す身体『ダンスダンスレボリューションズ』」の京都芸術センター側の担当者でもある。また、山口大学在籍中に舞台芸術ユニット「集団:歩行訓練」を立ち上げ、以降現在まで陰に日向に演劇等の作品を制作。演劇作家としての近作に、BEBERICA theater company「あかちゃんとおとなのための演劇 ベイビーシアター『水の駅』」(2022、演出)等。
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クラウドファンディング|河井朗:応援メッセージ

 作品ごとに舞台芸術の製作と上演において革新と革命を起こすので、舞台芸術というものが何かについて何度も問われることになった。原初的な立ち位置から、言葉ってなんだろう、身体ってなんだろう、生活ってなんだろう、物語ってなんだろうというふうに、舞台芸術がそもそも何から生まれるのかを見つめ続け、提供するからである。
 きっと小野彩加 中澤陽 スペースノットブランクはこれからも我々の過去と、我々の未来を照らしながら作品を提供するだろう。彼らを応援することは自分たちの過去と未来を応援することでもあると思っています。ぜひ応援をよろしくお願いします。

©︎ manami tanaka
ルサンチカ 主宰/演出家
河井朗 Hogara Kawai
1993年大阪生まれ。演出家。年齢職業問わずインタヴューを継続的に行い、それをコラージュしたものをテキストとして扱い上演を行う。そのほかにも既成戯曲、小説などのテキストを使用して現代と過去に存在するモラルと、取材した当事者たちの真実と事実を織り交ぜ、実際にある現実を再構築することを目指す。近作に『殺意(ストリップショウ)』(2023)、『女生徒』(2022)、『GOOD WAR』(2021-2023)、『PIPE DREAM』(2019-2022)など。
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クラウドファンディング|川崎陽子:応援メッセージ

 スペースノットブランクの活動にはこの数年注目していて、矢継ぎ早に発表される作品をなるべく追いかけてきた。…とはいえ、追いかけきれないくらいたくさんの活動を展開していて、それ自体が驚嘆すべきことである。そしてさらに驚くべきことに、毎回それらの作品や活動たちは想像のあさってをいくもので、生半可な「理解」なんか必要としていない。なかでも、劇作家の松原俊太郎とのコラボレーションは何度回数を重ねても「理解」を軽々と飛び越えてきた。『ダンスダンスレボリューションズ』は、そうした松原との協働のなかでも、今までにも増して軽やかに時間も空間も行き来しながら、決して重苦しくない挑戦を観る者に提案してきて、非常に楽しかった。ぜひまたミチコに会えるように、クラウドファンディングがうまくいくよう願っています。

©︎ Takuya Matsumi
KYOTO EXPERIMENT 共同ディレクター
川崎陽子 Yoko Kawasaki
株式会社CAN、京都芸術センター アートコーディネーターを経て2014-15 年、文化庁新進芸術家海外研修制度によりドイツ、ベルリンにて研修。2011年よりKYOTO EXPERIMENT制作スタッフ、2020年より共同ディレクター。
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クラウドファンディング|斉藤綾子:応援メッセージ

 肩書を飛び越えるって、素直に相手をよく見ることなのかも。スペースノットブランクさんの作品づくりに参加してストンと腑に落ちました。わたしは普段ダンサーを名乗りますが、それ以前に斉藤綾子であると思い出させてくれる場でした。
 手段や形式で溢れている今の時代にお二人が舞台芸術を選択している、それによってあらゆる閉塞感が軽やかに開かれていく。その様をリアルタイムで見続けられるのはとても尊いことだと感じます。

©︎ manami tanaka
ダンサー
斉藤綾子 Ayako Saitoh
1990年大阪府生まれ。幼い頃から踊りに親しむ。大阪芸術大学舞台芸術学科舞踊コース卒業。2016年よりダンスユニット …1[アマリイチ] での活動を開始。関西を拠点とし、多くの作品に出演。バレエダンサーへの振付提供や指導、サイトウマコトの振付助手、制作なども行う。自身の主な作品は『夢の跡』『Les Sylphides』『ほねのかげ』など。2020年に開催したソロ公演『書くとか歩くとか』では、オンステージ新聞で新人振付家として取り上げられた。令和3年度京都市芸術新人賞を受賞。今年2月「京都マラソン2023」完走。
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クラウドファンディング|白神ももこ:応援メッセージ

 スペースノットブランクはずっと挑戦的であり友好的である。尖っているようでするっと柔らかく、知的に親しみある笑みで、さくっと地元のスーパーでばったり会っちゃいそうな人たち。ダンスと演劇、身体と言葉がかろやかに友好的に交わる。ニッチなようで、ちゃんとキラリふじみの清掃のおじさんまで虜にしていた、スペノ。世代や場所を越えて人々が楽しむ何か一つの光を提示してくれそうな、そんな期待をしている。

©︎ 北川姉妹
モモンガ・コンプレックス 主宰/振付家・演出家・ダンサー
富士見市民文化会館キラリ☆ふじみ 芸術監督
白神ももこ Momoko Shiraga
2005年よりダンス・パフォーマンス的グループ、モモンガ・コンプレックスを立ち上げ、すべての作品の構成・演出・振付を担当。
個人史や生活をもとにした作品創作を行い、無意味・無駄を積極的に取り入れユニークな空間を醸し出す。
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