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松井周と私たち|レビュー|越智雄磨:「何」がそれを語らせているのか?:『松井周と私たち』レビュー

越智雄磨 Yuma Ochi
東京都立大学人文社会学部准教授。早稲田大学坪内博士記念演劇博物館招聘研究員。博士(文学)。専門はフランスを中心としたコンテンポラリー・ダンス研究。早稲田大学演劇博物館においてコンテンポラリー・ダンスに関する展示「Who Dance? 振付のアクチュアリティ」(2015-2016)のキュレーションを担当。著書に『コンテンポラリー・ダンスの現在─ノン・ダンス以後の地平』(2020)がある。

 「誰が話そうが構わないではないか」。サミュエル・ベケットの言葉である。
 『松井周と私たち』を鑑賞した後に、頭を巡っていたのはこの言葉だ。私にとって、この作品で最も印象に残ったのは、「小野彩加 中澤陽 スペースノットブランク」というコレクティヴ(あるいは概念?)の創作姿勢である。
 冒頭のベケットの言葉は、ミシェル・フーコーが『作者とは何か』の冒頭で引用していることでも知られる。フーコーはこの本の中で従来の「作者」の概念を解体し、「機能としての作者」という概念を提起しているのだが、その新たな作者像を表す言葉としてベケットの言葉を引用した。つまり、「作者」の座にいるのは従来の習慣的な意味での作者ではないし、話の語り手として特定の人物が設定されているわけではない。そこでは、言葉をまとめあげる機能として、新たに「作者」の座が設定し直されているのである。「スペースノットブランク」が舞台芸術という分野において試みているのは、まさにこの「作者」の座の変更のように見える。

 原案となったジェローム・ベルの『ピチェ・クランチェンと私』の構造と同様に『松井周と私たち』において、スペースノットブランクの2人と松井周は、相互にインタビューをする形で上演を進めていく。その過程で際立つのは、両者の創作方法、創作に関する観念の違いである。
 前半は、主にスペースノットブランクが松井周に対して質問を投げかける。名前、結婚しているのか? などの質問から始まり、なぜこの職業を選んだのか? という問いによって、松井の幼年時代の話、嘘をつくのが好きな子供だったという、自伝的な話が引き出される。劇や演技の根源として存在する「嘘」という視点から展開される松井のエピソードの数々はそれ自体魅力的であり、またこの作家の特異性をよく示している。
 捕捉的なことになるが、今回の上演を見ていて改めて気づいたのは、この質問、インタビューという上演形態は、舞台芸術というエフェメラルに過ぎ去っていくものを歴史の中にピン留めするような作業を伴うということだ。ともすれば十分に言語化されないままに、ただ多くの作品が消費されていくことは、舞台芸術の根源的な課題の一つと思われる。作品の量に対して批評や言説の量は圧倒的に少ないからだ。この上演が持つ構造は、出演する作家や過去の作品を振り返り、文脈化する機能を持っている。少なくとも、私にとって、この公演は松井周とスペースノットブランクというアーティストやその作品について理解を改め、よりよく知る機会となった。その意味で、過去作品の単なる反復以上のものである。
 松井周の話は、大学時代に唐十郎や寺山修司の活動を知り、卒業後に平田オリザに出会い、そして作家として独立していくことへと進んでいくが、この語りは、既に一筋の日本の演劇史を織り成している。そして、このある種のオーラル・ヒストリーには学術的な演劇史書では記述され得ないディティールに満ちている。大学卒業後に平田オリザの青年団で活動を始めるものの自分で戯曲を書くのに10年を要したというエピソードは、ポスト平田世代の作家にとって、平田オリザが作り出したパラダイムから脱するのがいかに困難だったかを物語っている。松井によれば平田のような「本当ぽい嘘」ではなく、確率としては起こりそうもないことの方向に筋を展開させることでようやく戯曲が書けるようになったという。そのようにして出来上がったデビュー作が駒場アゴラ劇場で上演を迎えた『通過』だった。劇作家協会の戯曲賞において最終選考にノミネートされたものの、「とても気持ち悪い」「愛を知らない」「このシーンは再現できない」と評された審査委員たちの言葉や、初演を見た家族たちが家族会議で発言した「周はどうしてああなった?」という言葉も松井によって語られる。
 そこで、中澤は松井に対して、その劇の「気持ち悪い」と言われた一部を再現してみてほしいという無茶振りを投げかける。戸惑う松井に対して、「できないんですか? やったんですよね?」と質問は強めの詰問に変わり、松井が応じるという場面もあった。質問という他者への関わり方が、「力」を持つことを大いに感じさせる場面である。この「力」は両義的で、他者を窮地に陥れる暴力性を持つとも言えるし、日常的な上下関係を反覆する力を持つとも言える。私自身はこの場面を見て笑ってしまったのだが、それはまさにこの質問が持つ転覆する力によるユーモラスな関係の変質に感化されたからだ。同時に松井に対して気の毒な思いも生じたが、流石といったところかそれに応じるところに松井の懐の深さも感じられた。
 松井という先行世代のアーティストに対するスペースノットブランクの普段からの関係を知っているわけではないが、公演の過程で、松井は51歳、スペースノットブランクの2人は31歳であることも明らかになる。日常的に作動しうる他者、とりわけ年長者に対して生じそうな遠慮や憚りを「質問」という形式はよくも悪くも無視することができる。あるいはこの相手の意向を無視する力はジェローム・ベルの原案が持つ作品の「構造」を反復するという芸術上の選択によって可能になったと言えるかもしれない。
 その後、人間は演劇・舞台という枠組みに関係なく冠婚葬祭のような場面でも演技を行っていること、身体の置かれた環境や身体がどのような態勢をとるかによって、振る舞いが変化すること、この上演のなかにあっても演技しているということ、反対に演技していない時間はないという松井の演劇観・演技観が語られる。
 「芸術や表現において信じているものは何か?」と問われた時、松井は「芸術はネガティヴな衝動を形にすること。汚いもの、摩擦を露呈させるもの」という自身の芸術観を語る。そうした語りを聞くうちに、松井が作家として書こうとし、舞台化しようとするものは、特殊な状況下に置かれた人間の「気持ち悪い」と形容される「変態・トランスフォーム」ということが分かってくる。
 後半は、主に松井からスペースノットブランクの2人に対して質問が投げかけられる。名前、年齢、カンパニー名の由来、小野と中澤の役割、彼らは自分の仕事を何だと考えているのか? などの質問である。スペースノットブランクの回答によれば、2人の役割は特になく、便宜的にコレクティヴと名乗ることもあるが、そうは思っていないこと、「スペースノットブランク」とは、小野と中澤が2人で揃うと現れる概念のようなものであり、演劇やダンスといったジャンル区分に関係なく「舞台芸術を創る作家」「シアターメイカー」と自認しているといったことが語られる。この後半パートによって、松井とスペースノットブランクの間にある様々な差異が明瞭になってくる。自らの職業を「劇作家・演出家・俳優」と述べた松井との「舞台芸術」の観念も創作方法も異なることが次第に際立ってくる。
 質問と回答は松井に対して投げかけられたものと全く同じという訳ではない。とりわけ、気になったのは、意図的にそうなっているのか、無意識的にそうなったのかは判断できないが、松井が自伝的なエピソードと結びつける形で「劇作家・演出家・俳優」へとなっていく自らの経歴を語っていたのに対して、スペースノットブランクの語りにはそうした要素がほとんど現れないことだ。どのようにして舞台芸術を創る道を選んだのか、その点については明らかにされない。つまり、自らの履歴の晒し方において双方の語りは対称的に形成されている訳ではない。このことに対して解釈は二つありえる。一つ目の解釈は、この上演をコントロールする主体が「松井周」ではなく、小野と中澤という「私たち」であり、『ピチェ・クランチェンと私』に対する批評に見られたように「私」という主体が「力」を行使して、対象の行動や見え方を制御しているという見方である。もう一つの解釈は、松井とスペースノットブランクの「作家性」の違いによって自然に現れた双方の「回答」の仕方に差異が生じたのではないか、というものだ。少し迂回する形になるが、この解釈の可能性について考えるために、スペースノットブランクの創作についての語りを確認しておきたい。
 小野と中澤は自らの二つの創作方法について松井に説明するが、松井の創作方法とは明確に異なる。一つ目は「聞き取り」という方法である。2人は、松井が自らの職能の一つとして述べた「劇作家」に依ることなく、テキストを生み出す方法として「聞き取り」を考案したという。様々な題を設定して、それについて特に劇作家ではない上演の参加者から聞き取った言葉を構成して、上演のためのテキストを作り出す方法である。
 もう一つは「フィジカル・カタルシス」という動きを作り出す方法である。こちらも動きを創る作家としての「振付家」の存在に依ることなく、上演の参加者から動きをつないで作り出すというものである。「フィジカル・カタルシス」は、動きを「ミュージック」「リプレイ」「フォーム」「ジャンプ」「トレース」という5つのフェーズに分解した実践らしい。この上演では「フォーム」が実演された。舞台では小野が「動く彫刻」のように、短い動きのフレーズを繰り返し行い、その動きから特徴的な一部を松井が受け取り発展させ、またその特徴を中澤が捉えた動きを行い、その動きをつないでいくというプロセスが行われる。
 松井が「芸術や表現することにおいて信じているものは何か?」と自身にも尋ねられた質問を投げかけると、中澤は「『他者』が存在している構造、他者がいないと成立しないもの」と答えた。実際、スペースノットブランクが紹介した「聞き取り」「フィジカル・カタルシス」という方法は、特定の作家だけでは成り立たず、複数の人間がいて成立するものである。それに対して、松井が「アーティストはエゴがあって表現するという考え、信仰もある」というアンチテーゼを示す(誰がこの発言をしたかには記憶違いがあるかもしれない。それこそ「誰が語ろうが構わない」ことなのかもしれない)。
 松井は作品に「他者」を描いていない訳ではない、と思う。しかし、ここで言われる「他者」は創作体制の次元における他者のことであり、松井とスペースノットブランクの「作家性authorship」の考え方の違いが露わになる点である。松井の劇作は、松井というアーティストの固有名と分かち難く結びついているが、スペースノットブランクの劇作、というより舞台作品は、この上演での説明を聞く限り、誰かが語ったこと、誰かが動いた動きによって構成されているのだ。『松井周と私たち』で語られることからは、スペースノットブランクの作品において、特定の劇作家の言葉にも振付家の指示に従うでもなく、「誰が話そうが構わない」「誰が振り付けようが構わない」という精神に貫かれており、劇作家や演出家を頂点とする従来的な舞台芸術の創作体制を脱ヒエラルキー化しようとしているように見える。松井とスペースノットブランクの違いは、「作品」をオーサライズ(authorize)する主体の在り処、位置付けの違いにある。
 このように見ていくと、松井の語りと比して、なぜ小野と中澤の語りの中には自伝的要素がほとんど見られなかったのかを理解する一つの道筋が見える。たとえば、かつてロラン・バルトが提唱した「作者の死」というテーゼがなぜ挑発的だったかというと、彼がそのように言うまで、作品・テキストとというものはそれを生み出した作者の人生に分かち難く結びついているものであり、文学的テキストを解釈する作業には、作家のバイオグラフィを探査することが必然的に伴っていたからだ。しかしバルトは周知のように、テキストと作家を分離して、作家の人生や意図、決定とは分けてテキストを解釈することを提案した。そうなると、従来、「作者・作家」の座につくのはきわめて人間的な存在、ロマン主義的な主体が想定されていたが、「作者」とはむしろ作品を産出する上で、多様な情報を統合する「機能」あるいは経由する点という見方が生じる。冒頭にみたフーコーの「機能としての作者」はバルトと同時代的な見方から現れた作者像だと言ってよい。
 「聞き取り」というシステムについて、松井は自分も「使ってみたい」と述べ、スペースノットブランクは「ぜひ使って欲しい」と述べていた。この発言は、スペースノットブランクの創造における中心的な関心が、作品の内容というより作品を生み出すシステムにあることに由来する。小野と中澤は、自分たちがいなくなってもスペースノットブランクの生み出した創造のシステムが残存し、誰か別のアーティストにそれを利用してもらうことを願っていた。脱作者中心的な考え、「機能としての作者」という志向を持っているからこそこうした発言が出てくるのだと考えられる。
 しかし、このように自分で書いておきながら、何かが引っかかる。ある意味、1960年代末に現れた作家論を反復するように、モダンな作者像とポスト・モダンな作者像という対比的な見方を松井とスペースノットブランクの関係に当てはめることは妥当なのか? と問う必要もあるかもしれないと思い始めた。原案の『ピチェ・クランチェンと私』にしても、東洋と西洋を分割する二項対立的な図式に依拠しない見方はできないものだろうか。文化にも混じり合いがあるように、二項対立的に捉えられる「自己」と「他者」という存在もまたきれいに分割できるものではなく、互いの自己像を互いに投影しながら、混じり合う部分を持ち始める存在でもあるはずだ。
 終幕時、私はスペースノットブランクにこう尋ねてみたいと思っていた。なぜあなたたちは「『他者』が存在する構造」を必要と思ったのか? それが必要だとたどり着くのにどのような道を歩んできたのか? というバイオグラフィカルな問いである。構造と機能を志向するクールなスペースノットブランクだからこそ、上にみたバルトの見解を逆行するようだが、2人のロマン主義的な語り(histoire)を聞いてみたくなったのだ。「何」が彼らにそう語らせているのだろうか? 時代なのか? 社会なのか? 世代なのか? 個人的な経験からなのか?
 どうやら私自身、スペースノットブランクが画策する「他者が存在する構造」に首尾よく組み込まれたようだ。それは、スペースノットブランクが生起させた「誰が話そうが構わない」時間と空間に立ち会う経験だったのだと思う。

松井周と私たち

イントロダクション
植村朔也:質問の陥穽 あるいは、透明性の時代
越智雄磨:『松井周と私たち』のために

レビュー
中島梓織:いやいや踊ってるじゃん/わたしも踊ってたじゃん
越智雄磨:「何」がそれを語らせているのか?:『松井周と私たち』レビュー

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