Spacenotblank

松井周と私たち|イントロダクション|植村朔也:質問の陥穽 あるいは、透明性の時代

植村朔也 Sakuya Uemura WebX
批評者。1998年12月22日生まれ。千葉県出身。東京大学大学院表象文化論コース修士課程所属。スペースノットブランクの保存記録を務める。文章としては「柴幸男 劇場の制作論」「その手のもとに「劇場」はある」(いずれも演劇最強論-ing ウェブサイト掲載)など。東京はるかに主宰。PARAにて「ドラッカーを読んで上演をつくる、集団をつくる」「「ドラマトゥルクの今日(The Dramaturg, Today)」(国際誌『Sound Stage Screen』掲載、英語、2021年)を読む」を開講。影響学会広報委員。過去の上演作品に『ぷろうざ』『えほん』『死後の恋』などがある。

1.
 2023年11月、小野彩加 中澤陽 スペースノットブランク(以下、スペースノットブランクと略す)はジェローム・ベルによる『ピチェ・クランチェンと私』[*1-1]を原案として、新作『松井周と私たち』を発表する。
 ベルはコンセプチュアルな作風で知られるフランスのコンテンポラリー・ダンスの振付家。対するクランチェンは、タイの仮面舞踊劇コーンを踊るダンサーだ。『ピチェ・クランチェンと私』でクランチェンとベルは向かい合って質問を投げかけあい、自分の踊りを踊ってみせ、お互いを示し合う。このうち、対話の部分にかなりの時間が割かれる上に、その対話も静かに淡々とした調子で行われ、身振りを誇張することもないので、ダンスというよりはバラエティ・ショーのような趣がある。
 質問を投げかけ合うという相互性の形式のために見落とされかねない論点だが、作品に東洋の文化を見下すオリエンタリズムが内包されていることは否定しがたい。作品の前半ではまずベルがクランチェンにコーンの踊りについて紹介を求める。そして実際にコーンを踊るようクランチェンに促すのだが、西洋の踊りの規範を逸脱した身振りの数々にベルは困惑の表情を隠さない。
 たとえばコーンの冒頭が踊られるのを観て、ベルは踊りというよりもむしろエクササイズや準備体操のように見えるという感想を漏らす。そこで、準備体操ではない本来的な踊りとして前提されているのはいかなるものなのか、といったことが問われてもいいはずだが、話はそうした方向に向かいはしないし、クランチェンはベルの指摘をただ平然と受け止めるばかりである。
 コーンは『ラーマキエン物語』のストーリーを表象するもので、身振りの意味性が強いのだが、その意味性はごく様式化されているために、コードを共有していない観衆からは理解しがたい。たとえば物語には男性、女性、悪魔、猿の四キャラクターがあり、踊りもそれに応じて四つの様式に分かれる。これに対し、どの身振りがどのキャラクターに該当しているかは容易に理解できないとベル。コーンの踊りの解釈し難さは以降もしきりに指摘される。
 こうした無理解ばかりでなく、無遠慮も示される。作中には死の明白な表象や発話など、もともとコーンにおいて不自然な要素をベルがソフトに強制するくだりが見受けられるのだ。
 さて、コーンに戸惑うベルの話しぶりは冷静だが、明らかに観客の笑いを誘うことを意識したものである。へんにオーバーな口調で話されるよりも、淡々と話を進めた方がウケをとりやすいというのはままあることで、実際観客の笑い声はしきりに聞かれる。最初に作品をバラエティ・ショーに例えた理由もそこにあるが、ここで観客は知ってか知らずか、クランチェンを笑いものにするベルの一味の仲間入りをさせられる構造になっているのだ。
 さて、作品の後半ではクランチェンの問いかけに応じてベルが自作の説明や実演を行うが、ここでも観客の笑いは起きる。しかし、その笑いの内実はクランチェンへのそれとは明らかに異なっている。というのは、ベルの言動に触発された観客の笑いにはその前衛性を肯定するニュアンスが含意されているからだ。その笑いは、コンセプチュアルなベルの表現に、笑うに足るだけの異常性、尖鋭性が存していることの証左となるのだ。

 作品のオリエンタリズム、ベルとクランチェンの間の非対称性を指摘する議論は多い。サンサン・クアンの論も作品に否定的な見解を示すものだが、同時にクアンは、ヨーロッパ中心主義や間文化主義に対してベルが意識的であったことも指摘している。間文化主義的なダンス作品がある美的伝統を他に接続しようとする際には一般に両者間の妥協点を均衡に配分することが難しいものだが、『ピチェ・クランチェンと私』の場合はダンスでなく対話の形式を選び取り、異なる二つのダンス作品を無理に繋ぎ合わせようとせず並置することで、この問題を回避しようとした点を評価しているのだ[*1-2]。
しかし、互いに質問を投げかけ合うというこの対話の形式にこそ『ピチェ・クランチェンと私』の問題が集約されている。

[*1-1]ベルギーはカーイシアターでの2011年3月の公演が映像として記録され、公開されている。本稿の記述はこの映像に準拠している。https://vimeo.com/405731351
[*1-2]Kwan, SanSan. (2014). Even as We Keep Trying: An Ethics of Interculturalism in Jérôme Bel’s Pichet Klunchun and Myself. Theatre Survey, 55(2), 185-201.

2.
 質問。それはスペースノットブランクが舞台をかたちづくる際の主要な方法でありつづけてきた。

 出演者に質問やタスクを投げかけ、それを受けて生成された表現を選び取り、編集的に構成することで舞台をかたちづくるというクリエーションの在り方は、ピナ・バウシュを以て嚆矢とする。
 それまでモダンダンスの形式の範疇で創作を続けていたピナ・バウシュがダンサーに質問を投げかけることで振付を行うようになったのは1975年の『七つの大罪/怖がらないで』からのことだが、当時はダンサーからの反発の声も複数聞かれ、それが「一つのメソッドとして確立するのは、ボーフム市立劇場での『マクベス』による『彼は彼女の手を取り城に誘う――皆もあとに従う』の客演出の時だった」という。バウシュのダンサーとボーフムの俳優、フランクフルトの歌手など多様な出演者からなる座組において、「作品、つまりシェイクスピアのテクストや場面、状況に対する各自の意見や姿勢を質問することによってしか、共通の地平は生れな」かったのだ[*2-1]。
 このように、バウシュの「質問」の技法は、異なる出自を持つ者たちとの協働において、ある「共通の地平」を探るための有効な活路であった。カンパニー単位ではなくプロジェクト単位での座組構成に移行しつつあり、異領野間のコラボレーションやコレクティヴの活動が隆盛を誇る今日の状況に対して、「質問」の方法論は有効だろうことが、ここからわかる。そしてそれは、コレオグラファーと個々のダンサーの間にあるさまざまな間隔を架橋する方法論として、ヴッパタールでの創作においても継続的に使用されたのだろう。

 しかし、そうした「共通の地平」を探るに際してバウシュが選択したものが、なぜ他でもない「質問」の技法だったのか、という疑問は残る。たとえば『マクベス』の戯曲は、そこにあった。バウシュが新たに上演台本を書いても良かった。演劇について言えば、戯曲や上演台本こそが「共通の地平」を代表するものでありつづけてきたはずだ。
 一方、繰り返される「質問」を通じて上演内容をかたちにしていくバウシュにとって、その「上演台本」はあらかじめ書き記されず、共同で次々と書き改められていく不定形なものとしてあった。そこには作品概念や作家概念への疑いも秘められていただろう。
 たとえばフォルクヴァング学校でバウシュの師を務めたクルト・ヨースは、代表作『緑のテーブル』の上演にあたり厳格な振付指導を行ったことで知られる。今なお再演の際にはヨース・エステートからの舞台指導者の派遣を受けた上で、長期のリハーサルを経ることが、上演の必須条件として定められているのだ。このような、作品の完成形のイメージは振付家のなかにあり、ダンサーはそれを忠実に守らなければならないという考えに対して、バウシュの「質問」はその対極にある。
 「私に興味があるのは、ひとがどう動くかではなく、何がひとを動かすのか、ということ」[*2-2]。このバウシュの発言に顕著なように、バウシュはあらかじめムーブメントを確定させず、むしろムーブメントを生じさせるところの意識や状態に手を伸ばす。そのために有効な方法が「質問」だったのだとすれば、「質問」の技法は今日の制作現場における座組の流動性に起因するばかりではなく、作者や作品にまつわる固着した概念を集団的な未完のそれに開いていく努力や、舞台で行われる身振りや行為の深層に広がるより広範な次元への目配りとともにある。
 だから、質問の技法の内実については、舞台に関わるそれぞれの主体がどのようなものとして生起し、その集団や場に対してどのような関係にあるのか、という視点を欠いて問うことはできない。

 ベルがクランチェンに舞台上で投げる質問と、バウシュの質問とでは、ありようが全く異なる。比較するために、両者をカウンセラーにたとえよう。
 バウシュの創作を精神分析と類比する見方がある[*2-3]。バウシュの舞台の出演者は患者のように問いを投げかけられ、自己の深層にあるものにかたちを与えていくのだ。
 一方、ベルがクランチェンに質問を投げかける際には、クランチェンの内面や深層部が問題にされているわけではない。にもかかわらず、その問いかけには臨床的な効果が付随する。その効果こそ、私が問題にするところのものである。

[*2-1]ヨッヘン・シュミット『ピナ・バウシュ――怖がらずに踊ってごらん』(谷川道子訳)、アートフィルム社、1999年、91頁。
[*2-2]同上、 20頁。
[*2-3]たとえば、三浦雅士『考える身体』、あるいは『ユリイカ』1995年3月号での渡邊守章・浅田彰・石光泰夫の三氏による座談会「ピナ・バウシュの強度」など。

3.
 日本のカウンセリング現場で強い影響力を示してきたのは、精神分析の技術というよりもむしろ、カール・ロジャーズの説いたクライアント中心療法の理論であった[*3-1]。クライアント中心療法では、カウンセラーは鋭い分析や解釈を提示してクライアントを導くといったことはしない。ただクライアントの語りに耳を傾け、共感の姿勢を示すばかりである。ところがそうするうちに、クライアントは自らに本性的に内在する生命力によって、自然と悩みを解消していくのだという。河合隼雄いわく、技術より共感に力点を置くロジャーズの方法は「初めてカウンセリングを学ぶものにとっては、魅力的であったし、また、便利なものでもあった。つまり、あまり理論的な勉強をしなくても、この方法に頼っておれば、すぐにでもカウンセリングができると思われたのである」[*3-2]。
 さて、「聞く力」や傾聴と言った語は耳あたりがよいし、すばらしいものとされることが多い。しかし、その傾聴の態度が人を追い詰める場合がある。いつのまにか語るに落ちる、ということがしばしばあるからだ。小沢牧子『「心の専門家」はいらない』は、傾聴の態度が持つこうした効果が国内でのロジャーズ流のカウンセリングの現場において盛んに働かれてきたことを示し、告発するものだ。聴く者と話す者の間に非対称な上下関係がある場合、話す側は意識的であれ無意識的であれ、聴く側の意向を自然に汲んで、その意に沿うように話すことがしばしばである。しかもその時、話す側は自分の発言を自己責任の自分事として引き受けていくだろう。話しているのは自分自身であるし、カウンセラーとの間に存する非対称性は、相手の共感の態度によって隠蔽されるからだ。
 小沢が同書でとりわけ問題視するスクールカウンセリングを例にとろう。たとえば不登校問題についてカウンセリングを受ける児童は、カウンセラーに悩みを吐露していくうちに、共感の声を浴びて、その怒りを収めていく。そしてそうするうちに、悩みをもともとの状況(横暴な教師や意地悪な級友など)から切り離し、あくまでも自分の内面の問題として引き受けてしまう傾向にあるという。児童を不登校に至らしめた問題は、児童の側の問題へとすり替えられ、見過ごされるのだ。小沢は言う。「学校現場とりわけ管理職にカウンセリングが歓迎される理由がわかる。生徒の抗議を「問題行動」としてのみ受け取り、それを巧妙に処理し、当事者の一方である教師を弁護し、すべてを円く治め、最後に生徒に「説教」を受け入れさせてさえいるのであるから」[*3-3]。傾聴は、このように、聴き役にとって都合のいい考えを相手にソフトに植え付ける方法論として有効なのだ。
 こうした傾聴の効果はカウンセリングルームという場所、すなわちクライアントとカウンセラーの二者だけからなる閉じた世界において、一層強められる。クライアントにとってそこにあるのはまずもってカウンセラーとの関係であって、他の世界は見えない。そのような二者関係において自らの悩みを見つめる時、当初の問題は見失われ、クライアントは悩みを自分の側に帰責してしまうのだ。

 演出家や振付家の独裁的な指示による創作を避け、質問やタスクの技法を通じたバウシュ流のボトムアップでの制作を試みる作家たちが、ロジャーズ流の陥穽に知らず知らずのうちにはまることがないかという危惧がある。すなわち、演出者と出演者の間にある非対称性の隠蔽と、自己責任論の加速である。
 『ピチェ・クランチェンと私』の舞台は、どこかこのカウンセリングルームに似ている。実際のところ、クランチェンはなぜベルや観客に怒りださないのであろうか。私はその理由の一端をベルの傾聴の態度にみる。ベルは観客の笑いを促しこそすれ、露骨に冷笑的な態度を取ることはない。むしろコーンの文化を理解しようと歩み寄ろうとしさえする。そうするうちに、クランチェンはその場で暗に期待されている役割、すなわち「ベルと対等な関係性に立つ東洋のダンサー」としての役割を自ら引き受けることになる。ベルの望む間文化主義のコンセプトを進んで体現しようとするのである。そしてこの時クランチェンは、ベルが図らずも実践してしまっているエスノセントリズムの再演を告発する視点に立つことが出来なくなる。ベルの質問に熱心に答えれば答えるだけ、一層そうなるのだ。そして、コーンが観客からの理解を得難い珍妙な踊りとされるのは、あくまでもコーンやクランチェンの側の問題として示される。ベルがクランチェンに言い放つ“Good Luck”には、たしかにそういう響きがある。

[*3-1]国内のカウンセリング実践について、たとえロジャーズ流の療法が採用される場合でも他の技術との複合的なカウンセリングが行われているケースが大半だとは思われるが、話の見通しをよくするため、ここでは説明を単純化している。
[*3-2]河合隼雄『カウンセリングと人間性』、創元社、1975年、4頁。
[*3-3]小沢牧子『「心の専門家」はいらない』、洋泉社、2002年、108頁。

4.
 ベルははじめ、膝の上にMacのPCを構えている。PCの画面とクランチェンとの間で視線を行き来させながら、名前や出自について疑問を重ねていくさまは、企業の採用面接官を思わせる。
 踊るためにクランチェンが立ち上がったタイミングでベルはPCを床面に置くのだが、やがて音楽を流そうとする際にベルはふたたびこのPCに向かい、作業する。つまり、ふつうは観客の視界から秘匿されているはずの音響の仕事をむしろ露わにしているのだ。
 こうした音響の可視化の工夫はベルの過去作にも見受けられる。インタビューで自作の『ザ・ショー・マスト・ゴー・オン』(2001)についてベルは次のように語っている。「音響係は普通ならば客席の後方にいるものですが、私はDJを舞台のすぐ前の、観客から見える場所に配置しようとはじめから考えていました。それは、観客に対して何も隠さず、「透明性」を保とうとする私の意図によるものです」[*3-1]。透明性。観る者をあざむくことが旨とされる舞台芸術において、フィクションやイリュージョンを生み出す構成要素を可視化し、はじめから手の内を明かしておくこと。舞台がスペクタクルに堕することに対して強い抵抗を示すベルが、それでもなお舞台をつくるなら、そうしたフェア・プレーの態度がおのずから要請されるというわけなのだろう。ベルの舞台において名人芸的な踊りが避けられること、素舞台が愛好されることもまた同じ観点から解釈できる。

 しかしこと『ピチェ・クランチェンと私』の文脈で考えた場合には、この透明性という言葉はまた別の響きを帯びる。そこで示されていたのは「プロセスへの透明性」でもあったからだ。
 観客の前でベルとクランチェンが示す質問の掛け合いは、バラエティ番組のようではあるが、バラエティとは違って(あるいは、まさにバラエティのように)その場でリアルタイムに生み出されたやりとりではなく、事前に用意されたものだ。それにもかかわらず上演がリアルタイム性を帯びて観客に経験されるとしたら、それらの質問が生じたその現場、すなわち稽古場に居合わせているような質感が上演において生まれているからだろう。殺風景な空間のなかにPCを持った振付家とダンサーが二人でいるその風景は、実際いかにも稽古場然としているではないか。
 ところで、現在の国内の舞台芸術実践を思考する上でも「プロセスへの透明性」という観点の重要性は無視できない。舞台に立っていない出演者の素顔といったものを想像させることで観客の興味をかきたてるセミ・ドキュメンタリー的な方法は以前からあり、そこでも「プロセスへの透明性」は模索されていたと言える。しかし、今日の上演実践では、よりさまざまな意図や欲望のもと、舞台の内外で「プロセスへの透明性」の実現がしきりに目指されている。たとえば、2020年には新型コロナの流行を受けて本番の実施に至らない公演が増加し、上演に至るまでのプロセスそれ自体を重視し、公開しようとする流れが生まれた。制作プロセスのアーカイブ化はその現れとみなせる。また、クリエーションのプロセスにおける加害や暴力を抑止するために、第三者による稽古場の視察や、上演におけるその可視化が望まれるようになった。後者の実例としては、舞台が演出家のトップダウンな独裁によるのではなく成員全体の決定によってつくられているといったことが作品のコンセプトに掲げられ、観客も上演を通じてそのコンセプトを喜ばしいものとして経験する、といった事態が散見されるようになった。
 しかし観客は実際に稽古の現場に立ち会うことはできないのだから、この「プロセスへの透明性」はどこまでもフィクショナルなもの、つくりものにすぎない[*3-2]。上で論じてきたカウンセリングの政治性の文脈で『ピチェ・クランチェンと私』を判ずる場合にもこの視点が欠かせない。
 ベルが発する質問は抑圧的であるにしても前もって準備されたものであるし、上演に至っている以上はそれにクランチェンが同意したとみられる。まさにその同意のプロセスこそが問題にされなければならないのであった。ベルは質問という一見対等な方法によって、クランチェンが自発的に上演内容に同意するようクランチェンを仕向けたと考えることもできる。そして上演はまさにその手続きを実演するものであるかのように受け取ることもできる。しかし、結局のところ制作プロセスは観客には開示されえず、上演からイメージされるプロセスと実際のそれとがどの程度対応しているかなど知りえないのだから、制作におけるクランチェンへのベルの態度を難ずるような論評は、あくまでも邪推に留まる。しかし、これからの批評は、あえて邪推たらんとすることも、時には求められるだろう。
 もっとも、上演それ自体の効果を問題にすることは依然としてできる。観客はクランチェンの応答を傾聴し、時に笑ってみせることで、いつのまにか場の権力構造に加担してしまう仕組みが準備されていることはすでにみた。そして、観客が自身のふるまいの持つ効果を反省的に捉え返すための機会は作品において希薄であったし、そのことはクランチェンとベルのやり取りがあくまでもフィクションにすぎないことが作品中で強調されずにいたという事実との関係において評価されるべきである。

[*3-1]藤井慎太郎監修『ポストドラマ時代の創造力:新しい演劇のための12のレッスン』 、白水社、2014年、174頁。
[*3-2]スペースノットブランク『セイ』評で、私は同作が「プロセスへの透明性」を徹頭徹尾フィクショナルに呈示したことについて論じた。

5.
 なぜスペースノットブランクは『松井周と私たち』を上演しようと思ったのだろうか。作品をまだ観ていない以上語れることは少ないが、いくつか述べておきたいことがある。
 スペースノットブランクは、質問により舞台をつくってきた。そのスペースノットブランクが『ピチェ・クランチェンと私』を原案に舞台を制作するのだから、舞台上で交わされる質問は、「プロセスへの透明性」の意識を喚起せずにはおかないだろう。『共有するビヘイビア』や『クローズド・サークル』に連なる系譜の作品となることが予想される。
 松井周とスペースノットブランクとの間には、文化的・民族的アイデンティティの亀裂はおそらくない。活動するシーンの政治経済的背景についても目立った相違はない。公式Webサイトのステートメントには「出自、創造性、世代など、あらゆる異なる点を持つ二組」という表現が見られるが、ここに挙げられた相違点は二者間の上下関係をそれほど含意しない。キャリアとしては松井の方がスペースノットブランクよりも上のはずではあるが、作品を企画したのがスペースノットブランクの側であることによってクリエーション上の対等性は担保されやすくなるだろうし、両者の世代間格差には、ベルとクランチェンの間の隔絶のような酷薄さはない。
 『松井周と私たち』は『ピチェ・クランチェンと私』にあった権力関係についての問いをあらかじめ回避し、より純粋かつ水平な地平で作家同士の関係性を取り扱うものとなるだろう。だとしたら、いま「より純粋かつ水平な地平」と書いた場所がいかなるフィクションとしてあるか、暴かれてほしいのは、その嘘である。

※Dance Base Yokohama「ProLab 第1期舞踊評論家【養成→派遣】プログラム」の課題で執筆した内容を含んでいます。

松井周と私たち

イントロダクション
植村朔也:質問の陥穽 あるいは、透明性の時代
越智雄磨:『松井周と私たち』のために

レビュー
中島梓織:いやいや踊ってるじゃん/わたしも踊ってたじゃん
越智雄磨:「何」がそれを語らせているのか?:『松井周と私たち』レビュー

Back to Messages