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言葉だけでは満ちたりぬ舞台|クリエーションメンバーによる制作雑記「クリエーションボンバー」Vol.1

古賀友樹 Yuki Koga
1993年9月30日生まれ。俳優。〈プリッシマ〉所属。これまでに俳優として、ゆうめい『みんな』『弟兄』『巛』、劇団献身『最悪な大人』『幕張の憶測』『死にたい夜の外伝』、スペースノットブランク『デーモン・ネーション』『緑のカラー』『共有するビヘイビア』『ラブ・ダイアローグ・ナウ』『ネイティブ』『舞台らしき舞台されど舞台』などの作品に参加している。
『言葉だけでは満ちたりぬ舞台』では、クリエーションメンバーとして出演者を務める。

こんにちは、古賀友樹です。第1回ワークショップは三日間にかけて行われました。一日完結型で、緩やかに前後は繋がっています。内容はどちらかというと創作というものの意識の共有に近かったかもしれません。思考のトレーニングとも言えます。自分自身、三日間は非常に刺激的でした。

第1回ワークショップより。下北沢で質問をする。

出演者の方々から出てくる言葉・仕草・情景はどれも新鮮です。家族というワードが提示されたとして、ある人にとっては自分と父親の構図、ある人にとっては自分と娘の構図になり、これは年齢や環境によって変わってくるごく当たり前のことなのですが、そんな些細なことでさえも、そうだよなあと唸っておりました。ただ、ここで勘違いしてほしくないのが、一般参加=アマチュア=初々しいということで新鮮だ、と言ってるのではないとういうことです。きっと、プロの俳優・ダンサーのみを集めて行っていたとしても、自分は同じ感想を言うでしょう。そこにはプロとアマチュアの境界線はありません(何をもってプロとするかの話は置いといて)。その人はその人で既に完成しているのです。ワークショップ三日目ともなると、出演者の皆さんがそれぞれが主導権を握って作品を生み出していたのがとても印象的でした。次回も楽しみです。

第1回ワークショップより。下北沢を歩く。

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近藤千紘 Chihiro Kondo
1993年11月10日生まれ。ダンサー、俳優。これまでにダンサーとして、DANCE PJ REVO『ハゲワシと少女』『Orange Gravity』、Empty-Kubrick『正午の伝説』、akakilike『シスターコンプレックスシンドローム』などの作品に参加。俳優として、ルサンチカ『春のめざめ』『メザスヒカリノサキニアルモノ若しくはパラダイス』、新聞家『白む』、女の子には内緒『光を束ねる』、スペースノットブランク『ネイティブ』『舞台らしき舞台されど舞台』などの作品に参加している。
『言葉だけでは満ちたりぬ舞台』では、クリエーションメンバーとして出演者を務める。

先日、初めて一目惚れをしました。

わたしはその日某テーマパークに遊びに行く予定で、新宿から東京駅に向かう電車に乗ろうとしていました。そして07:51に来た電車に乗り込んで閉まっているドアにもたれかかっていました。ふと横を見るとまつげの長い肌の白い整った顔の男性が。ドキドキの20分。こんなに緊張することがあるのだろうかと思うくらいカイロだらけの身体が一瞬にして火照りました。

名前も分からない、初めて出会った人。

第1回ワークショップより。下北沢で顔を差し出す。

そして奇跡でもない限り二度と会うことはないだろうと思います。少し寂しいけれど、この感覚を持てたことが嬉しい。
わたしは、生きていくのならこういう気持ちの揺れを大切にしたいと思います。

『言葉だけでは満ちたりぬ舞台』もきっとあちらこちらにこういう揺れが散りばめられるんだろうとワクワクしています。
この瞬間しか出来ない事っていっぱいある。映像じゃなくて、文章じゃなくて、写真じゃなくて、舞台だから。

この文章をその人が見てくれていて、観にきてくれたら結婚しようと思います。

第1回ワークショップより。下北沢の横断歩道を渡る。

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山下恵実 Megumi Yamashita
1998年7月9日生まれ。演出家。〈ひとごと。〉主宰。
高校卒業後すぐに、こまばアゴラ演劇学校〈無隣館〉三期演出部に所属。
『言葉だけでは満ちたりぬ舞台』では、クリエーションメンバーとして演出補を務める。

12月14日から16日、選考からだいたいちょうど1ヶ月あけてメンバーが集まりました。

集まったと言っても毎日全員が揃ったわけではないけれど。それぞれが参加できる日に、参加できる時間に来て、帰る時間になったら帰る。
参加メンバーには学生もいたり、お母さんもいたり、年代も生活の流れも全然違ういろんな人が集まっていて、それぞれがそれぞれの生活をしながらワークショップに参加している。それがなんだかいいな、と思う。
食事とか、移動とかと同じような感覚で、生活の流れの中で舞台製作が行われていく幸せ。

1日目は選考会場と同じ場所、2日目と3日目は陽の光が入ってくる心地よい会議室でワークショップ。
毎日一番最初はクリエーションメンバーの近藤千紘さんによるウォーミングアップ。久しぶりにちゃんと筋トレをした。体づくり、大事。

それから、演出の小野彩加さんと中澤陽さんから与えられたテーマに沿って出演者自身が語り、短いシーンを作っていく。
この流れの中で、ひとりひとりが作り手であり、演者であり、観客である。と言う環境が自然にできあがる。
輪になって座った出演者たちが、その役割を順に回しながらたくさんのシーンをトリップしていく。
私は、そこに現れては消えていくあらゆる関係性や風景をパイプ椅子に座って見て、シーンがひと通り終わると一番に印象を言う、そしてまた新しいシーンが作られていくのを見る、という流れを繰り返す。
感じたことを言語化するのが苦手なので緊張しながら喋っていたのはみんなにバレていたと思う。

ワークショップから少し経って振り返ってみると、代替可能な役割、代替可能な動きについて、考えて感じた3日間だったなあと思う。
作り手、演者、観客、テーマ、設定、などなどなどなど。そうじゃなきゃいけないと思っていることだって違うものと交換できてしまうかもしれないよ、と思った。

3日目の一番最後にみんなで少しだけ外に出てシーンを演じた時に通った人だって、私たちを見ていながら、私たちに見られてもいて、色々な役割が入り交じりながら舞台も生活もここにある。

第1回ワークショップより。下北沢の歩道に並ぶ。

コード・コード・コード、です。

言葉だけでは満ちたりぬ舞台

クリエーションメンバーによる制作雑記「クリエーションボンバー」
Vol.1:ワークショップについて
Vol.2:年末年始について
Vol.3:制作について
Vol.4:出演者たちについて
Vol.5:公演に向けて
Vol.6:公演を終えて
Vol.7:公演を終えて一ヶ月が経って

原風景|ステートメント

現前。舞台はそれはそう。
それがそこに写真があるとしたら、それは舞台に写真があるのか、写真が舞台なのか。

高松アーティスト・イン・レジデンス2018に選出され、スペースノットブランクにとっての新しい土地として訪れたここ高松では、間違いなく新しい環境と間違いなく新しい風景が広がっている。が、それは、あるひとつの視点からの視線でしかない。世界がそのひとつとそれに対するもうひとつの視点のふたつだけでできているのなら、それほどわかりやすいことはないのだが、素晴らしいことに世界には数えきれるが出会いきれない視線が無数に交わっている。外を見てみよう。

それがそこにある。ということにとって、美しいか醜いかはあまり重要ではない。記録だから。そして記録が土地を越えて異なる土地に異化される。写真は最も簡単に土地から土地を越えるワームホール。時も超える。

そこにそれがある。ということにとって、見えるか見えないかはあまり重要ではない。体験だから。そして体験が問いになり問いが表現になる。舞台は最も簡単にここからそこを繋ぐコミュニケーション。現前。

外からここに来た。次はここからそこへ、ここから外を見てみようと思います。
西井裕美さんと一緒に3人で、高松を巡り、新しい作品を作ります。

この作品は、外から来た3人がここから外を、他者の記録と記憶からファインダー越しに覗き込む、そこに表れる現前と表現を特別な虚構ではなく、純粋な事実として受容し、観客たちと体験する。写真、言葉、そして舞台の3つがひとつになった未来への「原風景」です。

2018年11月14日(水)
小野彩加 中澤陽

◉原風景|作品概要

言葉だけでは満ちたりぬ舞台|ステートメント

舞台を満たすものを考える。そこになにがあるのか、そこでなにをするのか。

舞台にあるいくつかの、いくつものファクターを通過して、舞台は形成されています。
そこになにがあれば舞台となり、そこでなにをすれば舞台となるのか、に、答えはないと仮定して、多様な選択を辿ること、逆説に怯えずあるとない、ないとあるを同時に行なうことが、言葉だけでは満ちたりないなにかを見つける手がかりになるのではないかと考えています。

人間対人間を前提として執り行なわれるパフォーマンスの時間。そこでは前提が見るものと見られるものに定義され続けます。「おもしろ味」というファクターを一方通行に舞台から観客席へ届ける環境は、舞台にとって、心地がよすぎるのではないかと疑っています。

「言葉だけでは満ちたりぬ舞台」は「コード・コード・コード」という「第29回下北沢演劇祭」にて行なわれる新しい企画のもとで制作される新作です。この企画は、一般の参加者たち、しかしプロかアマかは問わず、を集めてスペースノットブランクというアーティストと共に舞台を制作する。という企画です。アーティストも常に一般であり、一般も常にアーティストである可能性は十二分にあるのですが、この線引きが生みだす最たるものは「観客たちが舞台に表れてくる」という環境です。

その環境で作る「言葉だけでは満ちたりぬ舞台」とは、言葉だけでは満ちたりない、なら言葉のほかになにがあって、なにをすれば満ちたりるのか、際限のない多様によって舞台を満たすことはできるのか、舞台という環境に表れる会話と状態、そして表現を、新しくも身近な日常のドラマとして描き、観客たちと共有します。

スペースノットブランクに加えて、クリエーションメンバーとして、古賀友樹さん、近藤千紘さん、山下恵実さんの三人に協働いただきます。

出演者と、下北沢と、アーティストと、三つのコードが入り交ざり新しい舞台を作ります。
どんな舞台になるかは、まだわかりません。
出演者募集に応募いただき選考された出演者の皆様と共に舞台を作ります。
プロもアマも問いません。特別な技術や技能も必要ありません。舞台を作る意志だけで十分です。
一緒に舞台を作りましょう。

2018年10月24日(水)
小野彩加 中澤陽


言葉だけでは満ちたりぬ舞台|作品概要

舞台らしき舞台されど舞台|荒木知佳と古賀友樹・出演者たちの対談

スペースノットブランクの新作「舞台らしき舞台されど舞台」に出演する荒木知佳と古賀友樹による対談。これまで様々な舞台作品に出演してきた2人が考える舞台とは。



荒木知佳 あらき・ちか
俳優。1995年7月18日生まれ。これまでに俳優として、天ぷら銀河「テレビ万歳」「魔法の魔法の魔法瓶」、ヨネスク「奥の森の方」、FUKAIPRODUCE羽衣「愛死に」、スペースノットブランク「緑のカラー」「ラブ・ダイアローグ・ナウ」などの作品に参加している。



古賀友樹 こが・ゆうき
俳優。1993年9月30日生まれ。〈プリッシマ〉所属。これまでに俳優として、ゆうめい「みんな」「弟兄」「巛」、劇団献身「最悪な大人」「幕張の憶測」「死にたい夜の外伝」、スペースノットブランク「デーモン・ネーション」「緑のカラー」「ラブ・ダイアローグ・ナウ」「ネイティブ」などの作品に参加している。


荒木 荒木知佳です。

古賀 荒木さん。古賀友樹です。

荒木 古賀さん。こんばんは。

古賀 こんばんは。

舞台を作ることについて。

古賀 コンスタントにずっと、色んな舞台をやってるじゃないですか、学生の頃から。普通のいわゆる、ストレートプレイっていうかそういう演劇もやってればさ、なんか、ちゅパかぷらしゅ(荒木知佳のパフォーマンスユニット)、とかね、あれは舞台とはちょっと違うパフォーマンスにちょっと近いかもしれないけど。でも書道とかも、色々なんかやったり、最近も、色々やってるわけじゃないですか。どうですか。

荒木 舞台ってよりかは、人が好きだから。人となんかやるのが。

古賀 あ、じゃあ、アンドロイド演劇は? 相手アンドロイド。コンニチワ、知佳サンオ茶ヲ沸カシマスカ。

荒木 そのアンドロイドを好きになれば、多分いける。

古賀 でも、稽古終わった時に、プシューン(電源が落ちる音)。

荒木 やだ、それはやだ。

古賀 で、おじさんが、あ、ちょっと待ってくださいね、今、電池、ってそういう工学系のおじさんが、ちゃんとサポートスタッフみたいな人がいるからアンドロイド演劇。

荒木 あんまり見たことない。

古賀 一人芝居とか、どう思う?

荒木 どうなんだろう。

古賀 でも、一人芝居でも、結局お客さんは人だから。じゃあ、アンドロイド演劇プラス、お客さんもアンドロイドだったら。みんな目がピューって数字になってて、その日の出来栄えによって点数が目に表示される。

荒木 それやりたい。

古賀 62点。みたいな。

荒木 それやりたい。その反応見るの楽しそう。

古賀 あ、あいつだけ高得点のやついる、みたいな。それぞれのアンドロイドの特性があるから。これはちょっと楽しすぎるね。

荒木 古賀さんもコンスタントにやってますよね、あんまり暇、みたいなの作らなくない?

古賀 暇ですよ。常に暇にしてます。ずっとやってるね。

荒木 どうなんですか、作る。

古賀 舞台を作ること、でもさ、団体によってさ、色が違ったりとか、作り方が違ったりするとさ、自分がなに者なのかわからなくなるよね。色んな作り方あるけどさ、それに適応して作っていく。適応っていうのかわかんないけど、でも、そんなことしてたらさ、結局、自分なんなんだよって思う。僕ね、舞台本番中とかすごい気持ちが沈んじゃうんですよ。

荒木 なんかすごい風邪ひいてるイメージある。

古賀 ひいてないよ。全然ひいてないよ。直近で共演はしてないけど同じ期間いた時(2018年5月『ラブ・ダイアローグ・ナウ/ネイティブ』)も全然風邪ひいてないし。緑のカラー(2018年2月)の時も、風邪ひいてないよね。ひいてないと思う。ひいてたっけ。体調崩しかけた。崩しかけて、マスクつけてたけど、別にって感じ。でも、すごい本番中気持ちが沈む。まず、なんでこの出演者たちが、同じ、この決められた時間、なんで集まってくるのかがわかんなくなる。

荒木 そこから。

古賀 そこから。やる気があるからなんだろうけど、なんでこの人たちは本当に、ふらっと違う電車とか乗らないんだ、とか思って。でも自分も乗らないな、とか思ったり。だからそれが人数多ければ多いほど、あ、この人たちなんで来てるんだろう。とか、集合時間とかに、みなさんおはようございます。とか、なん日目ですね、みたいな感じとか、なんでだろう。すごいね、って思う。だから、舞台って、すごいよね。

荒木 そう思う。わかる。

古賀 本当。欠けたら大変じゃん。でも欠けてもやるんだろうけど。

荒木 でも、死んじゃいけない、ってめっちゃ思うんだけど、本番期間中とか特に。

古賀 今死んだら迷惑かけちゃう、みたいな。

荒木 普通だったらこの赤信号渡るけど、今は渡らないでおこう、みたいな。

古賀 確かに、アールワンドリンク飲むわ。

荒木 人として死んじゃいけないわ、みたいな。

古賀 人として。集団に属している、みたいな。私は借り物、みたいな。ツタヤのレンタル。舞台のことしか考えられなくなる?

荒木 どうなんだろ。

古賀 集中する? その作品に。それはそれぞれするだろうけど、度合いがやっぱりさ、違うじゃない。

荒木 なんだろう。でも稽古がいっぱい、毎日みたいになると、稽古場以外では、逆に考えないようにしてる時もあるかも。稽古場だけにして、他の時は、なんも考えず、みたいな。なんか稽古が嫌にならないようにしたくて。

古賀 それはいいことだと思う。

荒木 でも考えちゃう時はある。カフェとか行く、地味に。星乃珈琲。めっちゃいい。

古賀 そこでちょっと考え事をするの?

荒木 暗いの。暗闇の星乃珈琲。

古賀 完全にもう星乃珈琲っていう名前も込みでさ、星空みたいになってるじゃん。

荒木 そう、おもむろに想いとかをばーって描いたりして、気付くことが、あ、みたいな。

古賀 こういう感情抱いていて、こういうこと考えてる、みたいな?

荒木 まず、流れを描く。自分がやることの。これ出て来て、これして、これで終わる、みたいな。流れ。絶対考えるようにしてるかも。

古賀 必ず踏んでる行程、とかある? 僕はそういうのがなくて、必ずこういう時間を作るようにしてる、とかなくて。

荒木 なんだろう。でも、描くのは絶対やるんだよね。字と絵を描く。

古賀 それをすると整理されるの?

荒木 整理されるかも、自分の中で。でも描くのはめっちゃ本番に近い時。最後の最後、もう前日か前々日ぐらい。ビジュアルをね、絵とかが好き。

古賀 本番前日になって俳優から絵描きになる。みたいな。

荒木 本番前になると、ずっとバナナたべる。小学校の時からずっと。

古賀 もはやジンクスみたいになってるよね。

荒木 そういうことじゃないのか。

古賀 そういうのも込みで、僕は、ない。あ、でもすごいマイナスのことを発言することは、なんかあるかも。心配性ってわけじゃないんだけど、なんか今日失敗しそうだな、とか、いう。割とそういうことを、人に聞こえる声とかで、いう。結構自覚してゆってる。単純な興味として、この人どういう反応示すかなっていうのがある。すごい嫌な顔されることもある。そういうのいうなよ、とか。今日は二落ちの日ですね、とかをゆったりする。基本的に信じてないから、わざとゆったりする。でどういう反応するかな、とか、すごい興味があるそういうの。


舞台を見ることについて。

古賀 あんまり舞台を見てたりとかして、人の感情とか、あんまり興味がないんですよ。僕はあんまり舞台とか本当は興味ないんじゃないかとずっと思ってて、システムとかギミックとかそういうのにしか興味がなくて。

荒木 俳優に興味がないの?

古賀 俳優の感情が、ぶわって溢れ出てる、最近ようやくそういうのもいいな、って思いはじめるようになったぐらいで、ほぼ、その空間演出というか、こういう台詞があるから、この台詞が生きてくるんだな、とかそういう仕掛け的なことにしか興味がなくて、もともと。みんなテレビとかも見るだろうし、漫画とかも読むし、映画も見るだろうし、その中のうち、にひとつ、媒体としての舞台が存在していて、ていうので、ときどきさ、いじきたない舞台があるわけじゃないですか。

荒木 なに、例えば。

古賀 例えば、笑って泣かせて最後満足させるっていう。いいのよ、きっとさ、有名なさ、俳優とかアイドルの人とか呼んだりとかさ、そのみんなが満足してみんなが笑顔になって帰れる公演みたいなのあっていいと思うんですよ、でもそれってちょっといじきたないと思ってて、それを求めてる人は、それは摂取しようとしてるからいいと思うんだけど、僕は摂取しようとしてないのよそれを。本当に泣ける部分とかは、自分の泣けるもので摂取するし、笑えるのは自分の笑えるので摂取するし、それを一度に、ミックスピザ、このピザ食べたいのに、ミックスピザ出された、みたいな感じで。でも、ミックスピザ好きな人もいるからな。

荒木 私、ミックスピザ好きだけどね。

古賀 でもさ、それに生クリームとか乗ってたらどう? 全部の、4色の別の味だったらいいか。幸福度高いのかな。でもやっぱり、ひとつのピースで、この味めっちゃ美味しいって思ったら、×4で、あと3つあったらもっといいのに、って思うけど、これしかないのかよ、って僕はそう思っちゃう。だから、そういう舞台とか見ると、こう、鉤括弧付きですよ、「いじきたねえ舞台」だなって思う。全部乗せ、みたいな。

荒木 全部乗せ舞台。ミックスピザ舞台は好ましくないと。

古賀 なにかに特化してたりとか、攻めてるっていい方は違うけど、攻めた演出とか、革新的なことやろうとしてたりとか、この人は今これに興味があるんだなとかはっきりとわかる舞台の方が、好感が持てる。人の感情とかは、普遍的なものじゃん。人が悲しむ要素ってのは、物を失くしたりとか、大切な人を失くしたりとか、ある程度ジャンルってのはさ、あるわけじゃない。でもそうじゃない時みたいなものを、見たい。この悲しみの引き出しあったんだ、っていう発見をしたいの。でも、普遍的なものってのは強いから。お歌でもさ、普遍的なメッセージが好まれるじゃない。大好きだよ。ありがとう。みたいな。いままでありがとう。私だけのベストフレンド。好きだよ。とかさ、そういうメッセージ性が強いものの方が好まれるじゃん大衆に。見やすいし、わかるじゃん。どこで笑ってどこで泣くってわかるじゃん。舞台見る時、なに見てますか?

荒木 なに見てるんだろ。この人なに考えてるんだろみたいなのは考えちゃうけどね。その役の中のその人じゃなく、その人自体。その人自体、やりたくなくてやってんのかな、とか。

古賀 やりたくないのかな、って、相当だろうけどね。

荒木 おもしろくない? やりたくないのにやってる人がいたら。

古賀 ひとりだけこのシーンちゃんとやってない、とか。めちゃくちゃおもしろいけどね。

荒木 なに見てるんだろうな。意外だ、みたいなのがあるとおもしろいと思っちゃう。意外、予想外。ちょっとわかんない。でも細かいところも見ちゃう。私のツボみたいなところがある。

古賀 なんかタイトルっぽくない、私のツボ。

荒木 私のキュンみたいなのがある。


今作への意気込み。

古賀 300メートル上空から、近藤千紘さんがジェットパックで降り立つところから開演する、っていうのが僕の希望。そうはじまるとは断言できない。でもそういうの見れたら、見てよかったってなる。4人芝居。芝居? 芝居ってなに? 4人舞台。

荒木 よくわかんない。

古賀 4人がいて、なにか、やるかもしれないし、やらないかもしれないし、いるかどうかすら定かではない。こんな公演誰が見に来るんだ。どうなんですか。今回なん回目ですか。

荒木 今回3回目。全然違いますよね、これまでと、タイトルが。

古賀 2回目の時(2018年5月『ラブ・ダイアローグ・ナウ』)、どう思った? 1回目(2018年2月『緑のカラー』)経て、2回目の稽古やってどう思った?

荒木 早い感じした。体感が、あ、終わった、って。メンバー違うからね、おもしろい。それぞれ新鮮だった。今回は、なんだろう。

古賀 なに、になる? この4人は。

荒木 レンジャーみたいな。ということは、ひとりひとりに特性があって、ひとつの目的に、こうキュッて力合わせるけど、時に喧嘩があったり、ね、でも最後は、

古賀 ドラマが生まれる。あれ? めちゃくちゃ大衆向けになりそう。

荒木 そうだね。

古賀 荒木さんはなにレンジャーですか。なに色ですか。

荒木 青。

古賀 僕は?

荒木 赤。

古賀 やった。

荒木 適当だわ。

古賀 近藤千紘さんは?

荒木 近藤千紘は、レインボー。

古賀 石倉くんのも訊こうと思ったけどいいや。レインボーいるならもういいだろ。そいつひとりに出動させれば。もういいよ、おつかれさまです。

荒木 今回の意気込み、ないんですか。

古賀 がんばります。レインボー聞けてよかった。



スペースノットブランク
舞台らしき舞台されど舞台
2018年9月6日(木) – 9月9日(日)
カフェムリウイ

舞台らしき舞台されど舞台|石倉来輝と近藤千紘・出演者たちの対談

編集:中澤陽

舞台らしき舞台されど舞台|石倉来輝と近藤千紘・出演者たちの対談

スペースノットブランクの新作「舞台らしき舞台されど舞台」に出演する石倉来輝と近藤千紘による対談。これまで様々な舞台作品に出演してきた2人が考える舞台とは。



石倉来輝 いしくら・りき
俳優。1997年10月18日生まれ。〈ままごと〉所属。これまでに俳優として、SPAC(演出・古舘寛治、作・マキノノゾミ)「高き彼物」、パルテノン多摩×FUKAIPRODUCE羽衣「愛いっぱいの愛を」、チェルフィッチュ「三月の5日間」リクリエーション、芥正彦ノイズオペラ「カスパー」、ゆうめい「あか」などの作品に参加している。



近藤千紘 こんどう・ちひろ
ダンサー、俳優。1993年11月10日生まれ。これまでにダンサーとして、DANCE PJ REVO「ハゲワシと少女」「Orange Gravity」、Empty-Kubrick「正午の伝説」、akakilike「シスターコンプレックスシンドローム」などの作品に参加。俳優として、ルサンチカ「春のめざめ」「メザスヒカリノサキニアルモノ若しくはパラダイス」、新聞家「白む」、女の子には内緒「光を束ねる」、スペースノットブランク「ネイティブ」などの作品に参加している。


近藤 よろしくお願いします。

石倉 改めまして、石倉来輝です。

近藤 近藤千紘です。

舞台を作ることについて。

石倉 僕が最近興味があるのは、なにを、どんなことを目的にして、舞台が作られているかみたいなのは、気になるっていうか、あるんですよね。どんなこと考えてますか。

近藤 なんでこんな舞台やるか、とか。そういうの考えると、わかんない、ってなっちゃうから、逆に逃避してるのかな。そういうとこ考えずに、今自分にしっくりくるからやってる。一番しっくりくるものを、しっくりくるように作ってる感じ。参加させてもらうことに対しては、今までは、無理して頑張って、その時の稽古毎日毎日成長しなくちゃとか、なんか成果残さなきゃって、昔は思ってたけど、今はもう稽古場で作ってく中で、自分の中でしっくりくる。とか、無理してないな、ってところでのものを生み出す。みたいな感じになってきてる。

石倉 それはどうしてそうなったんですか。

近藤 東京に出て来て、最初の一年間って自分のこと知ってる人ってほとんどいなくて。私京都でずっとやってたし。でも、映像だけはネットで見れたりするから、その映像見て、オファーしてくれる人とかがいて、でも映像と実物って全然違うから、稽古場で私のこと実際に見た時に、なんか違うなって思いながら演出家もやってるのをすごい感じて。なんかその中でその演出家に合うように、どう擦り寄っていこうみたいなのを考える方がしんどくなるというか、私である意味ないな、って。もっと他にいい人いるしな、みたいなのを東京出て来て一年ですごい感じて、もう学生じゃないってこともあるけど。私にしかできないことっていうのもなんか、そういういい方をするわけじゃなくて、私ができることを並べていったら、私にしかできない。になるから、そういう感じに作るようになってきましたね。東京出て来てから、そういうことを考えるようになった。

石倉 なるほど。

近藤 色んな人の舞台に出演してるよね。

石倉 そんなにたくさんのところではないけど。

近藤 でも、外国行ってたじゃん結構。その中ではさ、見る人が違うから、変わる?作ってる人も。

石倉 そうですね、変わります。でも、あらかじめ変えるってことはない。皮膚で感じちゃうみたいな。そのやりとりの中で変わっていくってことはある。変わっていっちゃうみたいな。変わっていかざるを得ない、みたいなことはあるけど、あらかじめ作り変えるとか、その人たちのためになにかを変更するみたいなことはない。

近藤 外国行ったことなくて私。パスポートも持ってないから、外国ってことに対して偏見はすごい持ってる。知らないからこうだろみたいなの。25年間積み重なって、それで、色々外国いっぱい行ってる人とかって違う世界とか知ってるんじゃないかなって思っちゃうから、舞台とかも、外国だったら野次飛ぶんじゃない、みたいな偏見。

石倉 確かに、でも、僕も行く前は確かに偏見があって、でもやっぱり行って思ったことのひとつっていうか感じたことのひとつなんですけど、意外と外国も場所は場所で人は人なだけだって思っちゃって、なんかもう少し行く前は海外だぜ、みたいな。海外、絶対なんかもらえる。みたいな、俺は変われる、って思って行ったけど、意外とそうでもないっていうショックを受けたみたいなのがあって、別に、それは僕がどこまで行ってもツーリスト、ビジターって感じだったからかもしれないんですけど、なんか求めて行くと、別にそうでもないってことがわかったっていうか、変わらないことの方が大事かもと思ったのかもしれない。それが自分にとっての変化なのかもしれないですけど、あくまでも自分が訪れたみたいなのが、全部自分のものにしたいとかなるとよくわかんなくなっちゃうっていうか、体も壊すし、生活リズムが、みたいな。その土地で、自分でいる。みたいな。でもなんか全然違う土地に行けたから、自分を再獲得、みたいな感じはしますね。

近藤 私も行かなきゃ。

石倉 どこ行きたいですか。

近藤 行くとしたらね、スウェーデンとか行きたい。景色がブルーっぽそうなところ行きたい。ど偏見でしょ、外国に対して。

石倉 でもそんな感じですよ、いったら意外と、空気悪いな、みたいな。

近藤 今の方が楽しいのかもしれない。

石倉 世界が拡がるって結構大きなことじゃないっていうか、もはや拡がることが果たしていいことかもわからないぐらいに拡がった。

近藤 自分の行動範囲が拡がるってことなんだよね、身近になる。


舞台を見ることについて。

近藤 私、本当に久しぶりに自分で全然知らない舞台をひとつ、今日久しぶりに予約した。そんぐらい私、見に行かない人なんだよね。

石倉 どうしてですか?

近藤 2時間見るとかって、結構エネルギーがいることだから、おもしろくないことを見てしまった時の、すごい疲労感みたいなものを味わいたくないっていうのもあるんだけど、普通に生活してても結構おもしろいものに出会う機会は多いから。なんか、舞台だからおもしろい、とかは思ってなくて、舞台もおもしろいものはおもしろい。日常の生活も、同じ基準でおもしろい、だから。だったら、今は興味あることだけやって、ときどき舞台見るってなったら、見るっていうぐらい。

石倉 例えば、千紘さんの今選択してるおもしろいこと、舞台じゃないことってどういうことですか。

近藤 スーパーに行くことかな、新商品が出るのとか、それを見るのだけでも、お、新しい、とか。あの一瞬の、あ、みたいなものもめちゃめちゃ楽しいから。

石倉 僕もそう思うんですけど、そうありたいな、って思うんですよ。舞台とか演劇っていうレッテルで物事を判断するんじゃなくて、機能で判断したい。できるようになりたいなって。自分たちは、舞台を知ってるから、その機能を知ってて、日常にいると、おもしろいことってたくさんあるじゃないですか。でもそれは自分たちが舞台をやったことがある人だからなんじゃないかなっていうか、僕はそう思ってて。

近藤 舞台やってるんだから、新しい舞台芸術には、敏感になっとかないといけないんじゃない?みたいな、そういう考えもある?見なさすぎてもダメなんじゃない、みたいな。

石倉 それはあんまりわかんないですね。そうした方がいいような気がするけど、あんまりできないなあ、っていう感じ。

近藤 また舞台を作ることにも戻るけどさ、自分の中では新しいけど、他の人がもうやってるってこともあって、且つ私みたいに、たまにしか見ない人間はわかんないじゃない。今の流行りとか、今こういうものがもうすでに出てますよ、とか。そういう時に、そういうことが頻繁に起きてくると、あ、俳優としてもダンサーとしても撥ねられるんじゃないかなっていう恐怖があって、だから常に見なきゃいけないかなっていうモヤモヤはある。

石倉 でも疲れるんですよね。疲れますよ。

近藤 好きな団体、ある?

石倉 あんまり団体とかじゃなくて、見てよかったなって思う作品は、劇場から出るっていうことを考えてる作品が、最近は見てよかったなって思えますね。結構前は、舞台上がどれだけ筋が通ってるかっていうか、舞台上のクオリティみたいなのを求めてたけど、あんまり最近興味がなくて、どれだけ完成されたクオリティの舞台でも、劇場を出て、なににもならないものは、自分の生活にはもう必要ないというか、あんまりおもしろくないなって思いますね。

近藤 その時の記憶だけで残るよりかなにか入ってくるものの方がいいよね。

石倉 やるのと見るのやっぱ違うじゃないですか。

近藤 見るの好きな人、いるもんね。ありがたいけど、ありがたいなと思うけど、自分とは全然その人は違う感覚を持ってるんだろうな、とかって。同じ舞台で知り合ったけど、私は見るのはそんな得意じゃないから、見る人は、やるの得意じゃないから、みたいな。そう思ったら全然違うタイプの人間が、舞台のところで、出会えてるの、おもしろいな、と思いながら、ありがたいな。


今作への意気込み。

近藤 どうですか。

石倉 どうですか。あれですよね、2作目(2018年5月「ネイティブ」に続いて)。

近藤 そう2作目。でも、前の作品は結構踊った。体を動かした感じだったから、今回はどうなるかわからないけど。

石倉 場所もね、カフェだし。

近藤 多分同じ団体だけど、自ずと場所もやることも変わってくると思うから、自分で変化をつけなくても、前の作品とは違うものになるだろうと私は思ってるから、それこそ変な無理をして大人ぶるみたいなことはしないように、コツコツと、コツコツとやれたらいいなと、私にできることを。どうですか?なんだかんだ結局はじめてなんだよね?

石倉 はじめてなんですよ。だから、勝手がわからないからちょっとあれだけど。でもなんか、舞台じゃないところの話。舞台ではない世界の話を、つまり、ここから出るっていうことをしたい。ていうか、そのことを考える舞台作品にしたいなって思います。

近藤 いいね、ここから出る。



スペースノットブランク
舞台らしき舞台されど舞台
2018年9月6日(木) – 9月9日(日)
カフェムリウイ

舞台らしき舞台されど舞台|荒木知佳と古賀友樹・出演者たちの対談

編集:中澤陽

舞台らしき舞台されど舞台|ステートメント

舞台(と呼ばれてきたもの)を作るのをやめたい、そう思います。
思い返せば、最初から舞台(と呼ばれてきたもの)を作っているつもりはなかったと、そう思います。
いつの間にか、舞台と呼ばれるようになった私たちの舞台らしき舞台。
2012年から制作を開始して、ライブパフォーマンスに特化した作品を作り続けてきました。最初の頃は、これはダンスでも演劇でもない。なんて、わかりやすく傲慢に「私たちは違う」と表していた気がします。でも、いつからか、そんなことはどうでもよくなって、いや、もう、観客たちの想像力にすべておまかせしようと思いました。そうしてから、私たちは、舞台から解放されて、自分たちの独創性を詰め込んだ作品作りができるようになったと感じています。

新しく取り組みたいことは、観客たちの想像力のレッテルを受容し、私たちの作品に、舞台としての価値を生み出すことです。私たちが作っていたものは、そもそも舞台ではなかった。けれど、観客たちは、それを舞台だと受け容れてくれた。そして、私たちは観客たちと舞台を、舞台として、共有することができるようになりました。

これから、いくつかの作品で考えてみたいことの新しいスタートになると思っています。
出演者は、これまでに制作を共にしたことのある3名と、昨年からじっくり制作したいと思っていた石倉来輝さんを合わせて4名。演出は小野彩加と中澤陽の4つの目が行います。

この作品は、「舞台」を作るつもりがそうでなくなってしまった「舞台らしき舞台」を観客たちと共有することで「されど舞台」と、私たちと観客たちが信用し合う。そういう「舞台」にしたいと思っています。

2018年7月1日(日)
小野彩加 中澤陽

舞台らしき舞台されど舞台|作品概要

緑のカラー|荒木知佳:出演者インタビュー

スペースノットブランクの作品に、初めての参加となる荒木知佳。現在大学四年生の彼女が、小学生の頃から今に至るまでの変遷を章形式で聞いた。インタビューは石倉来輝との対談形式により、人々が行き交う街、渋谷にて行われた。


夜の渋谷にて。 撮影:石倉来輝

荒木知佳 あらき・ちか
1995年7月18日生まれ。俳優。多摩美術大学美術学部演劇舞踊デザイン学科在学。俳優として、天ぷら銀河『テレビ万歳』『魔法の魔法の魔法瓶』、ヨネスク『奥の森の方』、FUKAIPRODUCE羽衣『愛死に』などの作品に参加している。

目標があってそこに進む、とか、考えなきゃ、とかじゃなくて、常になんかわかんない状態、みたいな。

────石倉:ここまでの稽古は、どうですか?

荒木:わかんない、のが、おもしろい。なんか。

────石倉:わかんない。

荒木:自分、何してんだろ、みたいな。

────石倉:例えばどういった時に思うんですか?

荒木:なんか立ってて、寝ちゃったりとか。ずっと立ってて、無になっちゃった、呼吸をしていて、眠さもあり、目をつぶってたら、本当に寝ちゃってたらしくて、全然気づかなくて、ずっと目をつぶってたんだよね。そういうの、もう、わかんないから、おもしろいなあって。

────石倉:そんなこといままでありましたか。

荒木:ない。なんか、目標があってそこに進む、とか、考えなきゃ、とかじゃなくて、常になんかわかんない状態、みたいな。別にゴールとかもわかんないし、今、何が正解みたいなのもわかんないから、素でいれる、っていうか、なんだろうね、何も考えてない。頭は、常に。

────石倉:そういう、わかんない、に飛び込む時、何を信じて飛び込んでますか。

荒木:その日の気分。自分の気分。なんだろう。でも空間が結構、何をしてもいいよ、じゃないけど、すごい許される空間みたいなのが、そういうの初めてで、すごい良いなって思う。みんながフラットな感じ。

────石倉:荒木さんは、北海道出身だということ、上京してきたのは、大学で?

荒木:大学で。大学に、入るため。

────石倉:それは、演劇をやろうと思って?今も大学生なんですよね。

荒木:はい。多摩美の四年生。でも、別に演劇しようってわけじゃなくて。

────石倉:どうして上京ってことになったんですか?

荒木:雪が、嫌だったから。東京行きたくて、友達が多摩美の美術に入りたくて、でその子が調べてたら、演劇の新しい学科できるよ、みたいなの教えてくれて、それで、知佳なんかあってんじゃない、ってなって。一緒に東京行きたいし、一緒に行くか、って多摩美を受け、それで受かって。

────石倉:その新しい学科ができるよって時に、演劇に対する自分の興味っていうのはあったんですか?

荒木:ふざけて、小学校の夢で、女優、って書いてたの。あと、一回、市民ミュージカルみたいなのに、お母さんにやれやれすごいいわれて出て。いいじゃんみたいな。で、中学校の学芸会みたいなやつで、知佳、主役やれ、みたいな、そういうことはやったことあるけど。

────石倉:お母さんにやれっていわれてやってみて、自分の感情はどうでしたか?

荒木:普通に楽しかったけどね。でもバスケとかスポッチャしてる方が楽しかった。

────石倉:その頃は、バスケしてたんですね。

荒木:ずっとバスケしてた。スポーツしかしてなかった。

────石倉:振り返って、その時の荒木さんはどんな人でしたか。

荒木:小学校の時は、友達とコンビ組んで、ネタ考えて、先生に週一で見せて、点数をもらうっていうのをやったりしてた。先生も結構厳しい。60点だよ、とか。もう一回やって、とか。二人で作って、先生呼んで。バスケ部の部室とかでも、後輩座らせて、見せたりしてた。

────石倉:バスケ部は、中学校の頃ですか?

荒木:小中高。田舎だから、小中はみんな一緒。バスケ部は、小中高。

────石倉:その頃からお笑いが。人前で何かすることが好きだったんですね。

荒木:好きだった。笑ってくれるのがめっちゃ楽しかった。笑われるのが好き。

────石倉:どんなネタをやってたんですか。

荒木:ジャクソン、ジャクソン、マイケル・ジャクソン。みたいなやつ。

────石倉:コンビ名は?

荒木:プリプリプリン。恥ずかしい。


夜の渋谷にて。 撮影:石倉来輝

めっちゃ負けたくない。過去の自分とかに一番負けたくない。

────石倉:その頃から演劇を見たりしてましたか?

荒木:お母さんがめっちゃ好きだから。富良野塾とか、あとは劇団四季。ファンクラブ入ってて、見に行くぞみたいな感じで連れて行かれて。

────石倉:その頃はまだ将来何になるっていうのは。

荒木:なかった。女優とは書いてたけど、でも本気でなる。とは思ってなくて。

────石倉:その後、多摩美に入って、どうでしたか。

荒木:おもしろかった。多摩美で色んな友達ができた。八王子キャンパスとかとの関わり方とかが楽しかった。なんか美術みたいなのが楽しい。今は美術の方が興味ある。でも、舞踊も楽しかった。勅使川原さん(勅使川原三郎氏)楽しかった。こんな経験初めて、みたいな。三時間ジャンプし続けて、めっちゃ笑顔になってて。でも二年間やって、最後にはもう三人とかしかいなくて、でも私はずっといて、一回も休んでない。楽しかったから。

────石倉:そういう経験と、いままで見た演劇とかは、変わらなかった?

荒木:そもそも持ってなかったからなあ、価値観ていうのを。野田秀樹さんを知り、あ、こんな声出して動くんだ。スポーツやってたし、超楽しい。みたいな。で、うわあ!っていうの好きだったけど、でも知佳はちゃんとした演劇もした方がいいんじゃない、っていわれて、で柴さん(柴幸男氏)来て、台詞初めてちゃんと読む、みたいな。

────石倉:それまではちゃんとやってなかったんですか?

荒木:高都先生(高都幸男氏)も、とにかくやってみろ、みたいな感じだったから、一年生の頃は、集中して役考えてとかじゃなく。柴さんの授業になって、すごい台本を考えたりとか、普通の会話みたいな演劇、あるんだ、みたいな。そういう小劇場みたいなのを知って、あ、そういうのもあるんだなっていうのを知って。

────石倉:その辺りから、荒木さんは外部にも出演し始めるんですよね。

荒木:そうだね。呼んでいただいて。でも負けたくないみたいな気持ちがいっつもあるんだよね。負けず嫌い、みたいなの。ずっと。そういう大人の、プロみたいな人がいても、負けたくない。みたいなのをずっと思ってた。思いながらやってた。わかんないけど、若いから頑張ってるな、って思われるのが一番嫌だって思いながらやってた。外部は大人ばっかりだから。若いな、って見られたくないな、って思いながら、やってました。

────石倉:普段は穏やかでふわふわしている印象が第一印象であったので、そういう闘争心みたいなのがあるとは思ってませんでした。

荒木:そうなんだ。めっちゃ負けたくない。過去の自分とかに一番負けたくない。

────石倉:仲間とかじゃないんだ。同い年の人とか。

荒木:同い年の人はね、何も思わないんだよね。みんな違うから、みんなそれぞれだな、って思って。過去の自分とか、一番負けたくない。だから勅使川原さんのとかも、一回休んだら体力が衰えちゃうから、昨日より衰えてるのとかが、もうバスケとかも、一日100本打たないと。100本入るまで帰んなかったりしてた。そういう負けず嫌い。昨日よりも1本多く入れる。みたいな。精神が。マジ悔し泣きとかするもん。自分ができなくて。昨日はできたのに、みたいなのは、ある。

────石倉:外部に出てても、大学にいてもありましたか?

荒木:わかんない。ダンスとか、そういう体力的な問題かな。

────石倉:体力。今は22歳ですよね。

荒木:22歳。絶対、勅使川原メソッドずっとやってた時よりは、体力ない。もう本当嫌だ。やんなきゃって思ってる。最近。跳ばなきゃ。でも舞台何回も見に来てくれてて、成長してるなって思われないと、嫌だなってなる。前の方が良かったとかいわれると、うわあ、とかなる。


渋谷のカフェにて。 撮影:石倉来輝

東京はおもしろいですね。東京っていうか、こっち。色んな人がいるし。色んな場所があるし。

────石倉:自分の今までの人生を、章に分けるとしたら、どの辺りまでが第一章とかありますか?

荒木:第一章。小学校三年生まで。小三なって、バスケやったり。バスケやった理由が、めっちゃ太ってたの。すごいデブだったから、なんか痩せた方がいいなって思って、で小三から部活に入れるから、動けるやつやろうって思って、バスケ部に入って、で頑張るモチベーションはもう痩せるため、ずっと、常に。走るのとかも、みんなバテるんだけど、私はもう痩せるため、ってずっと思って、そしたらガリガリに痩せた。小六。小三から人生が変わった。男の子からも声掛けられるようになったし。今より昔は根暗で、全然喋らないし、恥ずかしがり屋の極み、みたいな感じだったんだけど、バスケ部入って、自信持ててから変わった。第一章はそこまで。金八先生って呼ばれてた、デブで、髪型が長いセンター分けだったから。

────石倉:第二章はどんな感じですか。

荒木:第二章は、小三から高校まで、かな。その間がめっちゃ痩せてて、一番自信持ってた時期。違う学校のバスケ部の男子が、私四番だったんだけど、なんか四番可愛い、っていわれてたりしてた。中学校にバスケ部がなかったから、自分たちでバスケのクラブチーム作って、学校の部活は卓球と陸上掛け持ちでやって、三つやってた。常に動く、みたいな。でピアノと、習字も習ってて、なんか自分イケイケって思ってた。なんでもできるぜ、って感じで思ってたけど、中三の高校受験で部活を辞めてから、また激太りして。動かないと、どんどん太る。


夜の渋谷にて。 撮影:石倉来輝

────石倉:そして第三章が。

荒木:第三章が、高校生。高校の三年間。すごかった。いじられて、ずっと日村のモノマネとか。トイレに呼び出されて、女子クラスメイトみんな女子トイレ入って、AKBのモノマネやれ。とか。いじめってほどにはいかないけど、知佳のネタ見に行くぞ!とか。全身タイツでパフォーマンスしたりしてた。やばいやつだった。共学で、全然モテなくて。もう、やばキャラナンバーツー。それを経て、友達が多摩美行こう、ってゆってくれた。あとはラジオやってた。地元のFMラジオ。私たちの高校が呼ばれる高校生枠があって、卒業する人がやりな、ってゆってくれて。で高校の頃やってた。

────石倉:高校の頃は、割とパフォーマンスの片鱗が。

荒木:片鱗あった。

────石倉:それを経て、第四章。

荒木:第四章。大学生。多摩美。大学入ってから、なんかちゃんと恋愛も経験した。経験ていうか、ちゃんと付き合うってことを知る、みたいな。それまではなんか微妙なよくわかんない感じだった。ちゃんとしてなかった。付き合うってこういうことなんだなあって。色んな男の人がいるんだなあって。大学すごかったなあ。東京はおもしろいですね。東京っていうか、こっち。色んな人がいるし。色んな場所があるし。

────石倉:北海道から東京に来て、一番違ったことというかびっくりしたことってなんですか?

荒木:梅雨がある。梅雨。なんだこれ、って思った。

────石倉:北海道にはない?

荒木:ない。あとエアコンは冷房だけだと思ってたの。だから一年の頃、冬、何もつけないで過ごしてた。寒すぎた。エアコンあるのに、暖房あるって知らなくて、東京寒い、って思って。北海道はね、部屋の中あったかいからね、めっちゃ。

────石倉:人の感じとかはどうですか。

荒木:道ゆく人は、他人て感じ。地元だとさ、通る人全員が知り合いって感じだから、鼻くそほじって歩いてたとするじゃん。で車ぶーんて通るとするじゃん。絶対知り合いに見られてんの。だからそういうのできない。でもこっちは、もう二度と会わない人ばっかりじゃん。だから鼻くそほじくったりとかしても、興味ないでしょ。こっちだと。見ないし、もう二度と会わない。だから自由でいれる、こっちの方が。向こうはもう、絶対知り合いだもん。


夜の渋谷にて。 撮影:石倉来輝

目標、理想みたいなのを、持たないようにしたいなあ。って。予想したくない。わかんないけど。

────石倉:スペースノットブランクの作品に参加するのは、初めてですよね? どうして出ようと思ったんですか?

荒木:声を掛けていただいたから。

────石倉:初めて作品を見た時はどうでしたか? (第8回せんがわ劇場演劇コンクールにて『ラブ・ダイアローグ・ナウ』)

荒木:なんだろう。なんか見たことない感じだった。最初は言葉を聞こうと思って、何をいいたいのかなって聞いてて。小松くん(小松大二郎)のことをみんな喋ってるのかなって聞いてたんだけど、途中から、言葉ってよりか、その小松くんの動き見てた。動きがおもしろい、ってなって、後半はもう、音あんま聞いてなかった。言葉あんま聞かずに、なんか動いてたり定規持ったり、古賀さん(古賀友樹)がなんか紐もってたりして、おもしろいな、みたいな。頑張って聞いてたのが、全体の形、フォルムがおもしろいなって。

────石倉:初めてのお二人(小野彩加、中澤陽)の印象はいかがでしたか。

荒木:めっちゃちゃんとしてるな、って思いました。しっかりスケジュールの表もあったし。信頼できるなって思いました。

────石倉:実際に参加してみて、お二人の印象がそこから変わったりとかしましたか。

荒木:変わらない。自由。自由って感じ。中澤さんはおもしろい、おもしろい。彩加さんもおもしろい、おもしろい。

────石倉:おもしろい四回。もう少し知りたいです。

荒木:嘘なのか本当なのかわかんないとこがおもしろいですね。中澤さん。常に。存在が本当なのか。喋ってることすべてが、何をゆってんのかなあって、本当なのか、嘘なのか、企みなのか、素直な言葉なのかが、わかんないから、おもしろい。彩加さんはずっと動いてるし、単純に身体の動きとかがおもしろいし、時々喋ったりする時とかも、爆発的におもしろい。爆発。みたいな感じ。爆発人間、って感じがします。

────石倉:その他の出演者の人たちについてはどうですか。

荒木:みんなね、すごいね、優しい人たちです。すごく。自分の色みたいなのが強い気がする。みんな。接しやすいんですよ、とても。優しい。暖かい。心が。冷めた人がいない。人間が暖かい。わかんないけど。黒木さん(黒木龍世)はわかんないけど。安心するんですよ。メンバーを見ると。このメンバーでよかったなあ。って思います。自分も素でいられるっていうか、気を遣わない。話さなきゃみたいなのもないし。ピリピリモードみたいなのもないし。

────石倉:佐々木美奈さんが、自分より年下のみんなをしっかりしてるってゆってました。

荒木:私しっかりしてないと思う。でも、望生ちゃん(鈴木望生)しっかりしてると思う。

────石倉:鈴木さんが一番年下ですもんね。荒木さんが、下から二番目。

荒木:望生ちゃんしっかりしてる。悩み相談もできるタイプ。みんなにできる。相談。おもしろい。帰り道が、ミヲさん(石田ミヲ)と結構一緒だから、そういう相談というか、思ってること話したりとか、プライベートの相談したりとか。古賀さんも安心する存在ですね。昔から知ってるし。結構古賀さんがいる時点で、あ、やろう、参加する。っていう。安心して、参加したいな、と。

────石倉:ここから本番に向けて、近づいてますけどどんなこと思ってますか。

荒木:目標、理想みたいなのを、持たないようにしたいなあ。って。予想したくない。わかんないけど。

────石倉:荒木さんが、今後自分の人生みたいなのが何章も続いていく中で、今後に向けて、何かありますか。

荒木:顎を手術するのね。私、顔が変わるから、その時点で、章が変わる。顎と歯が綺麗になって、CMに出たいって夢があるから、それは叶えたい。今の願望。でも顎だけじゃないじゃんCMって、スタイルとかもあるでしょ。そこまでに、どういう経験を積んで、顎の手術を迎えるのかなって、考える。

────石倉:見た目によって章が変わってくんですね。

荒木:見た目気にしてるのかなあ。あるかもしれない。すぐ太っちゃう体質だから。第三章からは痩せたい、しか思ってない。常にずっと。でも痩せれない。

────石倉:CMに出たい。更にその先はありますか。

荒木:書道。習字、書くのも好きだから、そういう場も常にあったらいいな。って。


夜の渋谷にて。 撮影:石倉来輝


出演者インタビュー
古賀友樹
佐々木美奈
鈴木望生
黒木龍世
石田ミヲ
荒木知佳


緑のカラー|作品概要

緑のカラー|石田ミヲ:出演者インタビュー

2017年9月に行われたスペースノットブランクとして初めてのワークショップオーディションに参加し、出演することになった石田ミヲ。大学卒業後本格的に演劇を始め、その後様々な舞台を経験しながら本作に参加することになった経緯と、彼女のこれまでの変遷を聞いた。インタビューは石倉来輝との対談形式により、「緑のカラー」稽古場にて行われた。


「緑のカラー」稽古場近くの緑道にて。 撮影:石倉来輝

石田ミヲ いしだ・みを
1987年7月8日生まれ。俳優。俳優として、バストリオ「Rock and Roll」「Very Story, Very Hungry」、サカサマナコ「祝辞の方法」「箱庭の愛で方」「ゆびさきの半景」「たたずむことしか」などの作品に参加している。

この人たちと一緒にできて幸せだなあみたいな風に思ってて。皆さんすごい、うまくいえないんですけど、能動的な人が多い感覚があって、なあなあでやろうとしない。

___石倉:白湯、なんですか?

石田:白湯、が好きで。今年の冬からちょっとハマっちゃって。白湯飲むとホッとするし、内臓が休まってる感じがあるんで、いつも稽古の時はもっと大きい1リットル入るピクニック用のを飲んでます。白湯、いいですよ。今、おいくつですか?

___石倉:今、二十歳です。

石田:もうちょっとしたら、白湯が欲しくなりますよ。冷たいもの飲むと、もうお腹を壊すようになっちゃって。私、30です。

___石倉:僕の勝手なイメージですけど、石田さんはめちゃくちゃ豊富にサブカルを持ってそうな気がするんですよね。白湯的な何かをいっぱい持ってそうな気がして。

石田:そんな印象を持たれることしましたか?私の参加してる作品を見た、とかじゃないですよね。

___石倉:あくまで印象ですけどね。どうですか、稽古の方は。

石田:稽古は、結構毎回、なんかドキドキします。贅沢な感じで稽古が行われてるから。

___石倉:それは時間のことですか?

石田:もちろん時間も。たっぷり、10月からやってるんですけど、この場にこの人たちがいる贅沢さみたいなのを私はすごく感じていて。この人たちと一緒にできて幸せだなあみたいな風に思ってて。皆さんすごい、うまくいえないんですけど、能動的な人が多い感覚があって、なあなあでやろうとしない。みたいな感じが私はいいなあって思いますね。人によってデフォルトが違うけど、そのデフォルトが同じくらいの人たちが集まってるのかなって勝手に思ってて。嬉しいなあって。自分に集中してればいい現場っていうか。

___石倉:なるほど。年下がめっちゃしっかりしてるって美奈さんはいってたんですけど。

石田:美奈さんもしっかりしてます。ブレない。

___石倉:年下ってことで何か思ったりすることは、あんまりないですか?

石田:もともとあんまり年齢的なものは気にしてなかったんですけど、でも確かに、深く考えたら、今回学生の子とかもいるのに、それが感覚、共通言語がある、じゃないけど、そういう状態になってるってのはすごいですよね。そういわれれば、私も上から2番目だからな。

___石倉:普段現場では、年上の方がいるってことの方が多いですか。

石田:いや、自分が上の方が多いんですけど、でもそういう数字的なものはあんまり気にしたことがなかったです。

___石倉:稽古場ではあんまり気にしてないってことですよね。今回石田さんがワークショップオーディションを受けるに至った経緯みたいなのをお伺いしたいんですけど、ご出身はどちらですか?

石田:神奈川県の、茅ヶ崎市です。

___石倉:今もそちらに住んでいるんですか?

石田:今は、一人暮らしです。


「緑のカラー」稽古場にて。 撮影:石倉来輝

笑いのハードルは低いんですけど、笑顔作るのってなんか、難しい。

___石倉:いつから演劇やりたい、ってなったんですか?

石田:もともと大学が、桜美林の演劇学科なんですけど、在学中はあんまりそこまで演劇をやりたいって気持ちがなくて、卒業してからすごいやりたいと思うようになって、バストリオ、っていう団体にご縁があって、そこからですね。なんかもう、手当たり次第じゃないけど、ダンスの舞台も出たりとかしましたし、でも、スペースノットブランクのワークショップオーディションが、久しぶりに受けたオーディションでした。(写真に気づいて)あ、フィルムなんですか。え、フィルムにこだわる理由とかあるんですか。

___石倉:フィルムってやっぱり味がいいですよね。でも最近はデジタルが進む時代が始まったなって思って、どんどん追いついちゃうかなって、そしたらもうフィルムには戻れなくなるから、フィルムだな、って思って。

石田:デジイチだと思ってました、さっきまで。私も大学でやってたんです。私はモノクロなんですけど、なんか暗室使って、すっぱい酢酸カーミンにまみれながらやってました。

___石倉:大学とかはちゃんと設備があるからいいですよね。

石田:普段は何撮るんですか?

___石倉:人ですね。人を撮るのが好きです。

石田:私、学生の時、なんか人撮れなかったんですよ。

___石倉:それは、生理的に?

石田:はい。なんか木とか、動かないものをよく撮ってました。それで頑張って自分撮ってみたりとか、しましたけど、なんか人って撮るの難しくないですか?

___石倉:僕は、動かない物の方が難しく感じます。

石田:人ってもう、どう撮っていいかわかんなくなっちゃう。だからパーツとか、手とかだけ、なら撮れる。

___石倉:なんか人は楽しいんですよね、あ!今だったのに!みたいな瞬間とか。

石田:ありますよね、そういうの。

___石倉:僕の話になっちゃうんですけど、グラビアアイドルとかが自信満々で胸広げてるの好きじゃないんですよ。なんかレンズ向けられて固まっちゃった身体とか、顔とかが好きで、ちゃんとこわばる感じとか。

石田:私苦手なんですよ撮られるの。オーディション用の写真とか撮る時も、めっちゃ笑ってー!っていわれます。

___石倉:じゃあ結構物静かというか、あんまり笑わないんですか。

石田:いや、そんなことないですよ。笑いのハードルは低いんですけど、笑顔作るのってなんか、難しい。写真で、にー、って笑うの、よくわかんないですけど。

___石倉:確かに。わかりますもんね、そういうの見てると。

石田:だから何もしてないとこを無駄に写真撮るの好きなんですよね。怒られますけど。

___石倉:桜美林を卒業してから演劇を始めたんですよね。

石田:そうですね。在学中はフォトアートの授業取ったり。写真の方がまじめでした。

___石倉:どうして桜美林に入ろうと思ったんですか。

石田:私、浪人したんですけど。親が早稲田で。やっぱ親的には早稲田に入って欲しかった。そういう目的で浪人してたんですけど。浪人中にたまたま、年齢が一緒だけど先に桜美林に入学してた、塾が一緒の男友達がいて、その人が桜美林入ったんだっていって、昔からそういうのに興味はあったけど、親がずっとダメって、オーディションとか応募したいなっていっても、ダメって感じだったから、じゃあ大学ならいいのかなって、そこを滑り止めで受けたんですよ。そしたらそこしか受からなくて、それで、桜美林行きました。


「緑のカラー」稽古場近くの緑道にて。 撮影:石倉来輝

なんかにこってするのが、欧米では、私はあなたの敵じゃないですよ、ってサインらしくて、そういうの知ってから楽しくて。

___石倉:じゃあ高校の頃にもオーディション受けようみたいなのはあったんですか?

石田:高校の頃は全然思わなくて、チアリーダーとかやってたんですけど。小学校の時とかですね。すごいやりたいなって思ってたのは。別に周りにそういうことやってる子がいたわけでもなかったんですけど。

___石倉:何をやっている小学生だったんですか?

石田:修行ごっこ。とか。神社に行って、境内とかあるじゃないですか、境内からここまで飛び移れたら、修行は成功した、みたいな。友達とやりました。

___石倉:それを考えたのは石田さんなんですか?

石田:いや、みんなで考えて、みんなでやりました。結構わんぱくな小学生でした。

___石倉:僕の時はお母さんごっことかやってました。わけわかんないですよね。その後、中学とか入って、どんな感じでしたか?

石田:中学はひたすら陸上でした。陸上部部長でした。

___石倉:僕も陸上やってました。

石田:中長距離ですか?

___石倉:はい。

石田:やっぱり。

___石倉:え、なんでわかるんですか。

石田:体格見て。

___石倉:すごい、800やってました。遅かったですけど、ポンコツでしたけど。種目何やってたんですか。

石田:私短距離で、100とかハードルとか幅跳びとかやってました。弱小だったんで色々させられるんですよ。

___石倉:僕もやらされてました。中長距離ってなんなんですかね。

石田:でも、高校では陸上はやらずに、華やかな部活に入りました、チアリーダー。初めてそこで、女子ってこわいんだなってイメージ、印象。先輩後輩とか。中学の陸上部は弱小だったから、みんな仲良しって感じだったけど、女子ってこわいんだなって。

___石倉:運動好きだったんですか。

石田:好きでした。だから結構踊るのも好きだったし、もう全然ダイエットがうまくいかなくて、高校生の時、すごい大変でした。リフトで私があげられる側なのに、あげる側が辛そうにしてて、あ、ごめん、みたいな。

___石倉:その頃は、将来どうなりたいというようなビジョンはありましたか?

石田:JICA(国際協力機構)、みたいなところに入りたいなって思ってて、国際的な仕事をしたいってすごい思ってて。国際交流委員会っていう委員会にも入ってて、海外の人に興味を抱いている時でしたね。自分と全然違う人が、簡単にいうと白人とか、いるだけですごい興味そそられちゃうんですよね。白人の人って、目合わせるとにこってしてくれるじゃないですか、だからわざと目合わせたりして遊んだりしてるんですよ。なんかにこってするのが、欧米では、私はあなたの敵じゃないですよ、ってサインらしくて、そういうの知ってから楽しくて。JICA、行こうと思ってて、だからそれなりの大学と、TOEICスキルと、あとフランス語ができることっていうルールが色々あって、でも全然勉強とかできなかったから、このスキルじゃ無理だってなって、挫折しました。結構それまでは、大学4年の最初ぐらいまでは頑張ってたんですけど、無理でしたね。


「緑のカラー」稽古場近くの緑道にて。 撮影:石倉来輝

なんか、攻めたい。

___石倉:大学入ってからもJICAへ行こうと思ってたんですか。

石田:普通に就職しようと思ってました。演劇やってたけど普通に就職するんだろうって思ってて、大学4年生の時に何かきっかけがあって、ふつふつと、演劇やりたいなって。あんまり授業もちゃんと出てないような人だったんですけど、演劇出演したりとかして、そこからもうトントントンて。親にも、卒業してからもやりたいです、ってゆって。オーディションには落ちまくるけどやっと拾ってくれたバストリオ、でやって。

___石倉:親御さんの反対とかは、なかったんですか?

石田:ありましたよ。最初は就職して、って思ってたから、奨学金も借りてたし、だけどちょいちょいやるようになって、あ、この子は本当にやるんだな、って思ってくれたみたいで。30歳までってなってたんですけど、私もう30歳なので、だけど今後もやってくっていうのがわかったみたいで、はい、わかりました、がんばってください。みたいな。

___石倉:見に来たりとか、するんですか。

石田:毎回見に来てくれます。でも、全然わかんなかった、とか、よかったよ、とか。全然わかんなかった、が大半ですね。

___石倉:石田さん自身のやりたいこととは別に、俳優としてはどう思いますか?親御さんに対して。

石田:わかろうとしてなくていいんだよ、って、感じたままでいいんだよ、って。両親はもう70代に近いので、鈴木忠志と同期だから、白石加代子さんとかを、小劇場で見てるぐらいの人だから。最近は、わかんない、っていわれなくなったので、よかったけど。

___石倉:わかって欲しい、とかも思わないですか。

石田:思わないですね。思わないし、なんだろう、みんな日本人だけど感覚が違うから、人それぞれだし、どんなにいわれても大丈夫。そうなんだ、みたいな。普通の起承転結みたいなのを求めてる人にとっては、へ?みたいな舞台に出ることが多いから。私やりたくないことやるとダメなんですよね、すぐ身体にきちゃうんで。

___石倉:石田さんの指針みたいなのがある程度見えてきて、それが起承転結っていうか、メジャーなエンターテインメントと違う道にあるっていう中で、ここまで続けてくることの戦いって結構あったんじゃないですか。

石田:間違えて色んなオーディション受けたりしちゃったこともありましたけど。なんで、そういうの好きじゃないんですかね。私は、そこにいること、をしたいんだなって思います。それを今すごい頑張って習得中というか、勉強中というか、なんか難しいんですけど。

___石倉:難しいですよね。今回、スペースノットブランクの初めてのワークショップオーディション。石田さん的にも久しぶり。応募しようと思ったきっかけってあるんですか。

石田:中澤さんがインスタであげてる写真が好きだっていう、そういう感じなんですよね。でも1次のワークショップ受けて、全然ダメダメだったんで、踊りとか全然わかんないし。2人組で本読みもしたじゃないですか。ペアも作れないぐらいポンコツなんで。

___石倉:おもしろかったですけどね。覚えてます。で、今稽古してみて、改めて思うことありますか。

石田:改めて思うこと。え、ない。すみません。

___石倉:自分的にどうありたい、みたいなこととか。

石田:自分のスタンスとしてはあんまりずっと変わってなくて、稽古の話なんですけど、もちろんそこに繋がるものはあるんですけど、なんか、攻めたい。ていうか。なにゆってんだろ。これ、録音されてる。

___石倉:攻めたい。いいワードだと思います。

石田:ゼロポジションでいれるようがんばります。


「緑のカラー」稽古場近くの緑道にて。 撮影:石倉来輝

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第28回下北沢演劇祭参加作品
下北ウェーブ2018選出
緑のカラー
2018年2月8日(木)〜2月11日(日)
於 小劇場楽園

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出演者インタビュー掲載中
古賀友樹
佐々木美奈
鈴木望生
黒木龍世
荒木知佳

インタビュー:石倉来輝
編集:中澤陽

緑のカラー|黒木龍世:出演者インタビュー

2017年9月に行われたスペースノットブランクの初めてのワークショップオーディションに参加し、今回初めて出演することになった黒木龍世。これまで事務所に所属しながら舞台や映像など幅広い仕事を俳優として行い、30歳手前で事務所を辞めて小劇場の舞台へと進出した理由やこれまでと全く違う現在の制作の場に参加する私感を聞いた。インタビューは石倉来輝との対談形式により、2018年、年明け早々の「緑のカラー」稽古場にて行われた。


「緑のカラー」稽古場にて。 撮影:石倉来輝

黒木龍世 くろき・りゅうせい
1988年6月7日生まれ。俳優。俳優として、テレビドラマ・TBSテレビ「毒島ゆり子のせきらら日記」「逃げるは恥だが役に立つ」、CM・KEIRIN -競輪-「人生を回せ」などの作品に参加している。

インド行くよりネパール。おすすめです。

___石倉:黒木さん。どうですか稽古。

黒木:稽古。楽しいです。すごく。なんかいままで映像とかドラマの方が自由だと思ってたんですよ。なんでかっていうと、ちゃんと後処理をしてくれるっていうか、舞台とかだと作ってる時も色んな制限の中でやらなきゃいけないので。でも今回はすごくそれを取っ払って、まず自分自身でいていいよ、っていうのをちゃんと明確に、色んな方向からケアしてくれて。すごく楽しいです。

___石倉:ちょっと簡単にですけど、自己紹介的なことできますか?

黒木:できます。大中小とありますけど。大が長いやつ。小が一番短いやつです。

___石倉:じゃあ大で。

黒木:おはようございます。黒木龍世です。ネパールです。特技はネパール語です。ネパールってびっくりしてますよね。

___石倉:しないです。

黒木:あ、しないですか。え、ネパール人に友達いますか。

___石倉:続けてください。

黒木:あの、ネパール語話せる理由はですね、学生の頃興味本位で興味本ネパールに行ってたことがありまして、そん時1週間だけだったんですけど、ネパール語覚えて帰って来て、細かいところはフェイスブック上で、英語で例えば、ナマステがこんにちは、おはよう、こんばんは、さようなら。4つ意味もってるよ、とか。それを英語で教えてもらって、今こっち帰ってきてもネパール語話せるようになってきたんですけど、そう、であと、他に僕を象徴するってことは、話すと長くなるんですけど、話した方がいいですよねやっぱり。

___石倉:全然話してください。

黒木:横浜出身で、横浜育ちなんですけど、今も横浜に住んでまして。

___石倉:横浜、多いですよね。

黒木:ネパール人ですか。

___石倉:そうです。多くないですか、横浜の方。川崎の方とか。

黒木:多いですね。

___石倉:ネパールの魅力ってなんですか?

黒木:日本にいてネパールに触れることってあんまりなくないですか?現地に行かないと僕が感じたものは触れられない。人が優しいのと、みんながいきいきしてるっていうのもそうですし、チベット側とか、原住民の方に行くと、差があったりして、すごくおもしろいです。インド行くよりネパール。おすすめです。


「緑のカラー」稽古場にて。 撮影:石倉来輝

テレビの中とか、街中のパフォーマンスしてるピエロとか、マジックやってる人とか、あの人たちの動きを見てるこっちがすごい楽しくなっちゃう、っていうのがおもしろくて。

___石倉:横浜で生まれて、その後について聞かせてください。

黒木:普通に地元で小学校行って、その後中学高校は、私立のところに行きました。男子校に行きました。がっつり。すごい厳しい。前髪が眉毛にかかっちゃダメみたいな。そのあとは、色々あって芸能活動を始めて。

___石倉:キッカケはあるんですか?

黒木:もともと小学生の時から、芸能界というか、テレビの中とか、街中のパフォーマンスしてるピエロとか、マジックやってる人とか、あの人たちの動きを見てるこっちがすごい楽しくなっちゃう、っていうのがおもしろくて。小学生の時はやりたかったんですけど、親にいったら、絶対ダメだ、っていわれて。小学生の時、演劇部みたいなの入ったんですけど、それが中学受験前だったので全然参加できなくて、だから燃焼できてない、消化不良。で、中学高校と行ったんですけど、男子校行っちゃったので、文化祭とか全くないんですよ、お芝居するとか。いわゆる芸能やりたいって思ったら、デビュー、オーディション、とかいう雑誌、を見て。手当たり次第に送って、最初に帰ってきたところが、前まで8年間いた事務所に一番最初に合格いただいて、そこ製作の映画に出て、デビューって感じだったんですけど、でそのあと、舞台とか、CMとか細々やって、って感じなんですよ。

___石倉:中学の時は何やってたんですか?

黒木:サッカーやってました。がっつり。高校まで。

___石倉:ポジションはどこですか?

黒木:サイドバックです。懐かしい。今もたまにやるんですけど、ほとんどやらなくなっちゃいました。

___石倉:その頃の黒木さんは、今から見るとどうですか。

黒木:破天荒でしたね。本当にルールが厳しい学校だったので、どうにかしてルールを破ろうっていう感覚がすごく強くて、結構周りも固まっちゃって、私立の男子校中高一貫ってなると、勉強するグループと、ふざけるグループと、その中間みたいなのがいるんですけど。最初は中間だったんですけど、高校ではふざけるグループといったりきたりみたいな。

___石倉:勉強するグループには1ミリもならなかったんですね。

黒木:ならなかったです。でも算数だけは、あ、数学だけは、すごく好きでやってたので、そこだけは勉強できるグループのクラス分けには入ってたんですけど、あとは全くです。それが格好いいみたいな、よくある思春期の至り、みたいな、その当時は自分が最先端、みたいな。いやしょうもないですね、ほんとに。

___石倉:若者感めちゃくちゃありますね。その後、高校卒業して、演劇やろうって。演劇学校に行くっていう選択肢ありますけど、それは選ばなかったんですか。

黒木:選ばなかったですね。結局自分で選ばなかったんだと思うんです。両親が両方公務員なんですよ。だからお前も公務員なんなさいっていわれてて、日芸とか桜美林とか行きたかったんですけど。野田さん(野田秀樹)がすごく好きだったんですよ。高校生の時に映像で野田さんの作品見て、すごく好きで、だから多摩美もすごく行きたかったんですけど、そういうご縁も無くって。遠回りだったんですけど、それがいい経験だったな、って。


「緑のカラー」稽古場にて。 撮影:石倉来輝

ただそれが正直、おもしろいのか、食えるのか、楽しいのか、ウケるのか、まったくわかんないです。だから、楽しいんです。

___石倉:そこから主に、映像とか、メディアの活動するようになったんですか。

黒木:そうなんです。本当にもうやりたかったので。僕は20歳過ぎてからスタートだったので、お芝居をやるっていうのは。

___石倉:その憧れのブラウン管の向こうに、初めて参加した時ってどうだったんですか。

黒木:実際は、そうでもなかったです。有名な人がいて、うわあ、ってのはありましたけど、やっぱりメディアに見せてる顔と、素顔は違うから、幻滅してしまうこともありました。

___石倉:黒木さんが憧れていた世界と、実際の世界の差っていうのは、大きかったんですね。

黒木:大きかった、です。

___石倉:それでも辞めようとは思わなかったんですか?

黒木:思わなかったです。むしろ、自分がそういうところに飛び込めることが自信になりました。なんかいままでふわふわしてたのが、なんかより固まってきて、ここでこういうことやるんだってことがわかって、そっからそれがどんどんわかってくに連れて、わくわくしてたんですけど、最初はすごいいやだなあって感じがすごくありました。

___石倉:その後、結果的に事務所を辞めて、ここ最近はどうですか?

黒木:事務所を辞めて、最近はむしろチャンスが拡がってます。いままで触れてないところ触れてきたりとか。映画美学校ってところに、2011年か2012年に入らせていただいて、様々な方と接しさせていただいたんですけど、最初俳優やろうと思った時に、デビュー、オーディション、ともうひとつ、演劇ぶっく。あれに野田さんが出てて、毎月特集があって、その僕の買った時のが、はじめの一歩、っていう。俳優になるときのはじめの一歩はどうですか、っていう。ちょうど僕がはじめの一歩、始めようとしてた時で。

___石倉:今になって、視野が拡がって、改めて見る自分の現在地から、どうなっていきたい。とかありますか?

黒木:身体のどこ使って動けるか、みたいな。正直僕、三月の5日間、とか、映像で見た時、すごい、つまんないなって思ったんですよ。三谷幸喜みたいな、いわゆるエンタメ、みたいなのががっつり好きだったんですよ。でも今になって色々、見方が変わって、それもおもしろいですよね。事務所辞めたからだと思います。だとしても自分ができるかどうかは、まだわからないです。でもできると思っているので、やりたいです。ただそれが正直、おもしろいのか、食えるのか、楽しいのか、ウケるのか、まったくわかんないです。だから、楽しいんです。

___石倉:わからないことが、楽しい。いいですね。

黒木:むしろそこにチャンスがあるんじゃないかな、と思ってます。


「緑のカラー」稽古場にて。 撮影:石倉来輝

すごく変で、すごくおもしろいです。

___石倉:現在にちょっとずつ近づいていますけど、今回スペースノットブランクのワークショップオーディションに応募するキッカケみたいなのは、なんだったんですか?

黒木:最初、直感的には、文章が綺麗だったんですよ。ホームページ見たら、枠組みがすごいしっかりしてて、参考映像みたいなのもあって、おもしろいな、って思ったんです。それこそよくわかんなかったんです。だけど、なんかおもしろい。この役者さん気になる、とか。結構調べたんですけど、いままではこうだったのか、みたいな。すごく時間を使えた。自分の人生投資できる。と思って、参加したら、ワークショップもおもしろくて。

___石倉:実際に集まってみて、一緒にクリエイションしてどうですか。

黒木:気負いがしない。個々を見ていくと、負ってるものがない。人生に対しては負ってるんですけど、作品に対してなんか、こうしてやろう、とか、変な責任がなくて、すごいラフというか、僕はどっちかっていうと背負いがちなんですけど、勝手に。その際がすごいおもしろくて。

___石倉:今おいくつでしたっけ?

黒木:29です。

___石倉:じゃあ上から3番目ですね。年下が半分。どうですか。

黒木:羨ましいです。石倉さんもそうですけど、20代前半でこういう現場に参加できて、楽しんでるなってすごく思います。今回、僕、一番特徴的なのは、演出の方が年下、っていうの初めてなんですよ。全く未知なんですね。見方が全く違うから。やってることが違うから。すごく楽しくて。だから、絶対変なんですよ。すごく変で、すごくおもしろいです。

___石倉:黒木さんの、一貫して大事にしてることとかってありますか?

黒木:ユーモアです。ユーモアあれば、戦争もないと思いますし、一番重要なのはユーモアだと思ってます。

___石倉:話していてもポジティブな言葉が印象に残りますよね。今後の展望とか聞いてみたいんですけど。

黒木:ハリウッド進出。したいですね。本当に。そっちのフィールドに行ってみたいです。

___石倉:手始めに、というか、一番近くの未来に2月の公演がありますけど、どういう風に取り組んでいきたいとか、どういう風にこの時間過ごしていきたいですか?

黒木:事務所辞めて、というか。一番最初に、デビュー、オーディション、演劇ぶっく、を手に取った時から思ってることがあって、俳優って世界で一番素敵な職業だと思うんですよ。今回自分自身が創作をしていてすごく感じるんです。贅沢な時間を、もっともっと、味わいたいです。もっとゆっくり。濃密に過ごしたいなと思ってます。でも、楽しむから、早いんですけどね。もっともっと発展できるかな。時間を大事に、使いたいです。


「緑のカラー」稽古場にて。 撮影:石倉来輝

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第28回下北沢演劇祭参加作品
下北ウェーブ2018選出
緑のカラー
2018年2月8日(木)〜2月11日(日)
於 小劇場楽園

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出演者インタビュー掲載中
古賀友樹
佐々木美奈
鈴木望生
石田ミヲ
荒木知佳

インタビュー:石倉来輝
編集:中澤陽

緑のカラー|鈴木望生:出演者インタビュー

2017年9月に行われたスペースノットブランクの初めてのワークショップオーディションに参加し、今回初めて出演することになった鈴木望生。現在大学3年生の彼女が、なぜ演劇の道へと進んだのか、自己の内面と外面を模索してもらいながら話を聞いた。インタビューは石倉来輝との対談形式により、2018年、年明け早々の「緑のカラー」稽古場にて行われた。


「緑のカラー」稽古場にて。 撮影:石倉来輝

鈴木望生 すずき・のぞみ
1997年2月20日生まれ。俳優。多摩美術大学美術部演劇舞踊デザイン学科在学。俳優として、ヨネスク「わっぱら@ジーバの庭」「奥の森の方」などの作品に参加している。

大学入って、色々やってきて、段階を踏んでる感じがしてて。すごい、新しいものにまた出会って、みたいな。ハッピー、みたいな感じです。

___石倉:今、稽古どうですか。

鈴木:今、お休み入っちゃってて、休みって感じですけど、台本開いたり開かなかったりって感じですけど、昨年の10月、私は参加できてなかったんですけど、別の舞台があったんで。終わった後からは結構コンスタントにやってたので、やっと2週間3週間、時間を置いて、距離を取ってるみたいな感じです。

___石倉:距離取って見えてきた、腑に落ちたりとか疑問に思ったりとか、今回の制作についてありますか?

鈴木:いわれたことを、ノートに取ったりしてるんですけど、家帰ってからそれ見直して、台本とか見たりすると、その時はゆってることよくわかんなかったけど、その言葉を繋ぎ合わせてみると、なるほどな、って思うこととか、やっとゆってることが理解できるようになってきたんです。最近。

___石倉:ノートにはどんなこと書いてるんですか。

鈴木:もっとなんか好きなようにやってください、とかよくいわれるし、私が結構、固定概念が強いというか、そうなんだと思うんですけど好きにやっていいとか、選択を自分でしてくださいとか、そういうこととかがよくノートに。もう単語単語なんですけど、にあって、最初ほんとゆってる意味がわかんなくて、えー、って感じだったんですけど、最近やっと。すごい飛びますけど、なんか海外に行った時に英語勉強してるけど行ってみたら全然わかんなかったりするのと、1週間行って帰ってきたらちょっと英語聞けるようになってたみたいな感じで、やっと言葉が馴染んできて。ちょっとだけ、ちょっとだけわかるようになったかなって気がしてる。やっとはてなが少なくなってきた気がする。稽古場でそういう意味で止まっちゃうことがちょっとなくなったかなって気がしてます。

___石倉:スペースノットブランクが初めてワークショップオーディションをやって、鈴木さんはそこからの参加ですけど、どうですか。

鈴木:私、これが初めて受かったオーディションなんです。だったのもあるし、私は大学に入ってから演劇を始めたんですけどちゃんとそれまではすごいそれこそ商業演劇じゃないけど、そういうのばっか見てたからこういう演劇があることも大学に入るまで知らなくて。大学に入って、大学の先輩とかから見聞きしたり、一緒にやらせてもらったりってので、ちょっとずつそういうものがあるってことを知って、授業でもやって、おもしろいと思って、私的にはだいぶ、そういうものを理解というと気持ち悪いんですけど、してきたつもりだったんですけど。より、自分を、個人個人が求められるというか、自分が表現することを求められる場に身を置かせてもらってるなって感覚があって。そういう意味ではすごい、大学入って、色々やってきて、段階を踏んでる感じがしてて。すごい、新しいものにまた出会って、みたいな。ハッピー、みたいな感じです。

___石倉:鈴木さん出身はどこなんですか?

鈴木:横浜です。

___石倉:横浜。今もそっちに住んでる?

鈴木:はい。実家なので。

___石倉:横浜で、高校の時は別に演劇とかやらず?

鈴木:なんか結構めんどくさいんですけど、幼稚園の頃から英会話に通ってて、その英会話スクールのテーマっていうのが、ドラマを通して英語を学ぼう。っていうので、だからずっとそういう、喋る、みたいな。ちょっと台本があって、やる、っていうのが、すごい昔からやってて、英会話じゃなく、どっちかっていうとそっちが好きになってしまって。

___石倉:それは英語でやるんですか。シェイクスピアとか?

鈴木:やんないやんない。そんなのやんないですけど。普通に子供が楽しい、不思議の国のアリスとか、シンデレラとか、ピノキオとか、そういうわかり易いやつ。青い鳥とか、あとアラビアンナイトとか、をやってて、それがすごい楽しくて、中高でも、演劇部は結構こわい感じの演劇部で。

___石倉:結構バリバリ。

鈴木:バリバリな感じで、で女子校だったのもあって上下関係も厳しくて、そこは無理だなって思ったんで、ESS(English Speaking Society)っていう英語で演劇をする部活に入って。お遊びでずっとやってて、興味はあったけどちゃんとはやってなくて。

___石倉:でそこから、高校卒業して多摩美術大学(演劇舞踊デザイン学科)に入ったって感じですか。なんで多摩美にしようとかってあったんですか。

鈴木:私が中3くらいで進路を出さなきゃって時に、その当時はまだ日芸(日本大学芸術学部)しかなかったんです。大学で演劇をやるってことは結構前から決めてたから、ずっと日芸に行こうと思ってたんですけど。おもしろいことがしたかったから、演劇やるか、心理学やるか、って思ってて。やっぱり演劇を実際にやりたいなって思って、で途中で多摩美(演劇舞踊デザイン学科は2014年4月に開設)が出てきて、私が受験する時に1期生がいる感じだったんですね。いままで知識もないけど、でも、野田秀樹がいる、と思って。おもしろいかも、と思って。新しいことができそうだな、と思って。新しい、ってかできたばっかの学科だったから自由もありそうだし、おもしろいことになりそうだな、って思って。受験者数も少ないじゃないかな、って思って。受けて、受かったので、多摩美にしよう、って。だからずっと日芸志望だったんですけど、高3で多摩美に変えました。

___石倉:そうなんですね。それまでの英語でやってる演劇のイメージと、多摩美に入ってからの演劇のイメージって、変わりましたか。

鈴木:狭かったな、って思います。単純に私のイメージしてた、演劇が。それこそちっちゃな世界で、学校の中、っていう世界で発表するってなると、そこに向けた作品を作るじゃないですか。演劇部は別にいるし。どうやって人を呼ぶかみたいなの考えた時に、やっぱり楽しいものをやる、みたいになって、ディズニーやったりとかしてて、みたいな感じだったから、そういうすごいみんなが知ってるものをずっとやり続けてたので、新しいものを作り出すっていうことをやったのが大学からで、こんな幅広いというか、おもしろいんだと思って。だから羽衣(FUKAIPRODUCE羽衣)を見た時もすごい衝撃的で。野田秀樹見た時も衝撃的だったんですけど、でも野田秀樹さんの作品は結構大きいというか、まあまあ有名じゃないですか。でも羽衣とかを見た時、すごいゾクゾクするというか、こういうことを人の前でやっていいんだ、と思って。そういう意味ですごいおもしろくて。大学入って、ショックも大きかったんですよ。おしっこ、っていうんだ、歌の中で、みたいなショックとか結構大きくて。女子校出身だってのもあるんですけど、でもそれが途中からおもしろい、と思えるようになってきて、からはすごいおもしろいな、って。


「緑のカラー」稽古場にて。 撮影:石倉来輝

2017年の目標が、オーディションに受かることだったんですよ。

___石倉:まだ大学生ですもんね、あと1年?

鈴木:そうです。あと1年。今、大学3年。4月から4年なので。

___石倉:いままで外部の公演に出演されたりとかはしてたんですか?

鈴木:大学の先輩とはやってました。それは、学校外、に入るんですかね。

___石倉:じゃあそういうのとは関係なく、外部の公演に出演するっていうのは今回が初めて?

鈴木:1回だけあるんですけど、そこは小屋を持っていて、毎週演劇をやってるみたいなところで、小屋のファン、箱推しみたいなのがいる、みたいな感じで、台本とかも何本かあって、時々新作が入るって感じで、そこで1回だけ出たんですけど。新しいことしたいっていうか、新作が作りたいというか、新しいことしたい欲がすごいあって。

___石倉:今回のワークショップオーディション受けようと思ったきっかけみたいなのとかって何かありますか?

鈴木:きっかけとしては、元々、古賀さん(古賀友樹)が出てて、古賀さんは大学の先輩で、なんか私が1年生の頃、授業とかにも参加してくださっていて、すごい古賀さんは素敵な役者さんだっていうイメージがすごいあって、魅力的だと思ってて、で古賀さんのツイッターをフォローしてて、古賀さんがスペースノットブランクに出てるって情報は知ってて、見に行きたいと思ってたけど行けてなくて、で古賀さんがワークショップオーディションやります、みたいな情報回してくれてて、で、写真がおもしろかったんですよ。古賀さんの写ってる写真が、なんかフラフープみたいなつけてて。


2017年「ラブ・ダイアローグ・ナウ」 撮影:石倉来輝

___石倉:せんがわでやった時のやつ。

鈴木:そうですそうです。が、おもしろいと思って、で、なんかおもしろいと思ったものだったらやりたいなと思って、古賀さん出てるし、みたいな。で、オーディションを受けよう期間みたいなのが私の中で時々発生するんですね。深夜に5本ぐらい一気に送ったりとか。今だ!みたいな時があって、スイッチが入るとすぐ送るんですけど、そのスイッチが入ったのがたまたま、スペースノットブランクの募集してる時期で、バーッて色んなの送った中の1本だったと思います。そう、2017年の目標が、オーディションに受かることだったんですよ。だから、そう。嬉しかったです。すごく。

___石倉:ワークショップオーディション。2日間ありましたけど、その時の感触はどうでしたか?

鈴木:1回目、台本読む、踊る。みたいなのはすごい正直やり易くて、なんだろ、すごい楽というか、ある意味与えられてるから、結構レールがちゃんとしてるというか、飾り付けするだけ、みたいな感じがしたんですけど自分的に、だから、あー楽しかった、みたいな、でもすごい魅力的な人がいっぱいいたから、イェーイ落ちた落ちた、と思って帰って、お母さんにも落ちたよー、ってゆって、そしたら連絡いただいて、で次行った時は、もうパッパラパーです。


スペースノットブランク・ワークショップオーディションにて。 撮影:石倉来輝

___石倉:2回目はどんなことしたんですか。

鈴木:なんか、単語、もらって、そっから創作するみたいな。

___石倉:どういう単語だったんですか。

鈴木:サウンドプルーフ。すごい覚えてる。ウォータープルーフが防水じゃないですか。サウンドプルーフは、防音みたいな。なんぞやみたいな。感じで、作ったと思います。あと、サラウンドだ。人を自分を捕まえて、パフォーマンスする、みたいな。で最後みんなつなげて、みたいな感じだったと。

___石倉:どうでしたか。

鈴木:正直いうと、なんかそういうのすごい苦手で。なんか新しい表現をしたい願望はすごいあるんですけど、そういうの苦手というか、難しく考えすぎちゃうというか、自分のやってることがつまらないっていう謎の意識があって、自信が出ないみたいなのもすごくあって。それもすごくいけないと思うんですけど。だからなんか、ネタがあるのに出せないとか、おもしろくないんじゃないかって引っ込めちゃったりとかして。みんなおもしろくて、今回一緒の、石田ミヲさんなんて、超おもしろくて、ハンガーをくっつけて、ぐるぐる回して、サラウンド、っていうんですけど、めちゃめちゃおもしろいなって思って笑い転げてたんです。これも落ちた落ちたと思って。でも、そういうことができる場所があるのが素敵だなと思って。単純に与えられて終わりじゃなくて、渡されて、作る場、見てくれる場があるって素敵だな、って。そういう意味で、すごくオーディション受けてより魅力的だなって思った。


「緑のカラー」稽古場にて。 撮影:石倉来輝

いいストレス感というか、いいプレッシャーと、いい緊張感の中でやってるって感じです。

___石倉:今、創作が2月の本番に向けて進んでますけど、どうですか。稽古はどんなことしたりするんですか?

鈴木:最初は聞き取りみたいな感じで、喋って、それを書いてくれて、私その1ヶ月間行けてないんですけど、別の本番があったので。多分1ヶ月、皆さんそれをされてて、私は何回かいって2〜3回喋って、みたいな、それがもう現段階では台本になってる。みたいな感じで、それを貰ってて、で立ち稽古入ったかと思ったら、またその、スティング、とか、来て、また、作る。みたいなのがあって、それを使うかもしれないみたいなこといわれて、そうなんだ、と思って創作をして、それが1週間2週間ぐらいあって、たらなんか、また台本が来て、また構成が変わってる、あれ全部カットなってる、あれあれあれ、みたいな。で今度はシーン、ゼロから作ってください、みたいな。ずーっと、2週間にいっぺんぐらい違うことやってるみたいなイメージが私はすごくあって、それがなんかおもしろいというか、なんだろ、集中力が途切れないというか、新しいことやってると新鮮だし、2週間にいっぺん違う作品かなって思います。あれ作品変わった?みたいな。

___石倉:難しいですか?

鈴木:すごい、苦手なことを、苦手というか、苦手意識が強いものをやってて、でもそれが私はすごい好きなんですよ、苦手なものに向かってるのが。苦手だ〜、って思いながら、クソ、って思いながらやるのが楽しいんで。だからいいストレス感というか、いいプレッシャーと、いい緊張感の中でやってるって感じです。

___石倉:自分が苦手だと思うのは、自分を自分でいいと思えない。みたいなとこなんですか。

鈴木:ほんと、そこかなって思って。それをゆってくれるのがすごい私は嬉しくて、なんか学校とかでも、なんだかんだいいんじゃない、とかいうのが多かったりとか、明確な否定をあんまりされなくて、否定でもないんですけど、ちゃんと指摘してくれる人がいなかったので、そういう意味ではすごいなんか。これはこう考えちゃってるんじゃないですか、とか、そういうことをすごい指摘してくれて、でもそれは個人の意見だからってことをちゃんといってくれるっていうのが、見てるもの、見てて思ったことをちゃんといってくれるのが、すごい私はありがたくて、それいってくれる人あんまりいないじゃないですか。今後やっていく上でも、自分がどう見えてるかってやっぱり、頑張って自分で客観視しようと思っても、やっぱり見てる人の意見が大事というか、聞かないとやっぱりわかんないから、自分ではやっぱりそういう意味でも、客観視してくれる意見があるのはすごいありがたいなって思って、色々弱点を突いてもらっててありがたいなって。

___石倉:ちょっと方向を変えて、離れたところから聞いてみたいなと思うんですけど、なんで演劇やろうと思ったんですか。

鈴木:楽しかったんですよ。その、英語劇が。

___石倉:英語劇は、自分でやりたいってゆってたんですか。通うことになってからではなく?

鈴木:最初は通うことになってたから。でも私、何年も続けちゃうんですよ。あんまやめないタイプというか、ずるずるしてしまう、悪くいってしまえば。だから水泳とかも、結局中2くらいまでずっと、赤ちゃんの頃からずっとやってたりとか。英語に関しては、高3までずっとやってたので。多分、環境が楽しかったのはすごいあると思う。英語劇がやりたい子なんてそうそういないんですよ。そういう中でやるのがすごい楽しかったです。発言できるというか、みんなどうでもいい感じだったから、こうやりたい、ってゆって、ゆったらみんな乗ってくれる。高校の時も、発表系がしたいけど、音楽部みたいに歌が歌いたいわけでもないし、演劇部こわいし、みたいなのが集まったのが、ESSだったんです。だからそういう中で知恵出し合ってやるのも楽しくて。で、多分調子に乗っちゃったんですかね、わかんないですけど、楽しい、が大前提で、で大学に行って、勉強するなら楽しいこと、と思って。自分がやりたくないことはやりたくないな、と思って。

___石倉:水泳やってたんですか。そんな長く中2とかまで。

鈴木:親子クラスからやってたから、2歳くらいから始めて。

___石倉:僕も水泳やってましたけど、全然すぐ辞めましたもん。息継ぎが苦手で。毎日行くのが嫌でした。

鈴木:私は1週間に1回だったんですけど、行って友達と喋ったり、そのトレーナー、リーダーっていうんですけど、と喋ったりとかが楽しかったんだと思う。帰りにイチゴミルク買ってもらえるし、そういうのが楽しくて、水泳することに関してそんなに熱があったかっていわれるとそうでもなくて、学校とかも、別に勉強嫌いだったし。友達や先生と喋ったりするのが楽しいから行ってたし、ESSもみんなが楽しかったから楽しかったし、みたいな。ほんと環境です。私の場合は。

___石倉:環境を楽しいって思えるの、鈴木さんの才能かもしれないですけどね。

鈴木:環境はすごい楽しかった。それはもう周りが優しかったり楽しかったり、すごい素敵な人ばかりだったので。


「緑のカラー」稽古場にて。 撮影:石倉来輝

みんなが良しとする道みたいなのがあったとして、それから外れることをするっていう概念がなかったんですよね。

___石倉:なんか好きなこととかあったんですか、小さい頃。

鈴木:人と喋ることが好きでした。誰にでもついていっちゃうみたいな。外国人でも話しかけるし、怖そうな人に寄ってっちゃうみたいな感じだったみたいで。初恋の人が外国人だったんですよ、ハーフの男の子、同い年の、幼稚園で。みんな綺麗な男の子とか走るの早い子とかが好きになるんですけど、私その子がすごい好きで。

___石倉:外国の方が好きなんですか?

鈴木:別にそうでもないと思うんですけど、でも英会話スクールでは外国の方もいたんで、別に今でも恐怖心みたいなのは全然ないんですけど。いることが普通というか。人で選ばないというか。人懐っこいみたいな感じだったみたいですけど。記憶ないですけど。中高の学校の先生にも、鈴木さんはすごい良い子で、もう自分の娘だったら、って思うぐらい良い子なんですけど、本当に成績だけはどうにかならないですか、っていわれるくらい。

___石倉:そんな頭悪いんですか。

鈴木:みんな真面目だったんですよ、うちの学校、きっと。

___石倉:すごい頭良さそうな印象ありますけどね。

鈴木:そういうのをね、装うのがうまいんです。親も何回も呼び出しされてたし。でもスカートは膝下、髪の毛も一切染めないし。そういうことで怒られるのが嫌だったんです単純に。先生とも仲良いし。

___石倉:今から見て、中高の自分とかどうですか。

鈴木:これから色々あるよ、って感じです。大変だぞ、って感じですね。

___石倉:当時の自分が、今の自分見たらなんていうと思います?

鈴木:ちょっと引くんじゃないですかね。わかんないけど。その頃の私は、本当に守られた環境にずっといたので、大胆なことをするとか、道外れたっていうといい方悪いですけど、なんだろうな。みんなが良しとする道みたいなのがあったとして、それから外れることをするっていう概念がなかったんですよね。だから多分びっくりすると思います。私がやってることとかも、当時の私から見たら、意味わかんない、って多分いうと思います。

___石倉:今の鈴木さんはそこと戦ってますよね。過去の自分が歩いてきたレールと、今の獣道。こっちに跳んでいい、って思える自分と、いや待てよ、っていう自分と戦ってるんだなって思います。

鈴木:そう見えてるんだ。そうなのかな。そんな気もする。

___石倉:今、近い将来、今はこのクリエイションが近いと思いますけど。どんな風に過ごしていきたい、とかありますか。

鈴木:今年は良い意味で戦える年になりそうな気がしてて。それこそ去年からここにいさせてもらって、なんかいままでの自分の殻を破るじゃないけど、みたいなことを、ゆってもらって、自分でやりたいと思ったことと合致してて、でもそれが上手くいかない、みたいなとこがあって、それが2月になって、少しでも見えて来たらいいなと思ってて。すごい変化の年になりそうというか、そういう意味で私はすごい2月にかける情熱っていうのは、その作品を完成させてみんなでやるってこともすごく楽しみですけど、自分がどう努力して変化していけるのか。すごく楽しみで、ワクワクしてます。

___石倉:良い。良い締め。

鈴木:締まりました?

___石倉:昨日の自分が、敵、ってことですね。

鈴木:そうです。そうです。


「緑のカラー」稽古場にて。 撮影:石倉来輝

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第28回下北沢演劇祭参加作品
下北ウェーブ2018選出
緑のカラー
2018年2月8日(木)〜2月11日(日)
於 小劇場楽園

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出演者インタビュー掲載中
古賀友樹
佐々木美奈
黒木龍世
石田ミヲ
荒木知佳

インタビュー:石倉来輝
編集:中澤陽

緑のカラー|佐々木美奈:出演者インタビュー

2016年12月に上演された『デーモン・ネーション』を含め、本作『緑のカラー』にて二回目の参加となる佐々木美奈。演劇を始めた大学時代からこれまでの自身の変遷と、俳優として舞台に立つことの価値、そして本作に向けた私感を聞いた。古賀友樹に引き続き、インタビューは石倉来輝との対談形式によって、2018年、年明け早々に晴天の下で行われた。


成城学園駅前最寄りの駐輪場にて。 撮影:石倉来輝

佐々木美奈 ささき・みな
1986年6月17日生まれ。俳優。〈レトル〉所属。2009年より2012年まで蜷川幸雄率いる〈さいたまネクスト・シアター〉に参加。2016年より藤田貴大率いる〈ひび〉に参加。俳優として、劇団子供鉅人『モータプール』、青☆組『人魚の夜』、かえるP『Color babar』、ひび『ひびの、ひび/3×3=6月。9月じゃなくて』、スペースノットブランク『デーモン・ネーション』などの作品に参加している。

何が起きる。起こさせることができるのかなって思ってる。

────石倉:美奈さんて、賢いほうですか?

佐々木:賢くないほうです。賢くないほう。

────石倉:じゃあ結構バカみたいな言葉で、僕もバカなんで、難しい言葉わかんないぞってスタンスで。

佐々木:頑張ります。

────石倉:美奈さん、スペースノットブランクに出るのは初めてじゃないですよね。

佐々木:二回目。一回目が、2016年の12月。2年前。でも、前回と今回は、なんか全然違う気がしてて、前回は自分たちですごいシーンを作って、それが集まる。であとそれをちょっと直したり繋げていったりとかをやってもらって気がついたらできてたみたいな。感じで、すごい早かったんだよね。だから通しはいっぱいやった記憶がある。


2016年『デーモン・ネーション』 撮影:三浦庸古

────石倉:今回はそうじゃないんですね。

佐々木:今回は、私もどうなってんのかもわかってないし、どうしよう、みたいな。じゃあ何をしたらいいかなあみたいな。

────石倉:感触も、全然違いますか。パフォーマーとして参加してる身体の状態とかも全然違う?

佐々木:前回はどちらかというとフィジカルな方がすごい強くて、今回は言葉の方がすごい多いから、で言葉はそんなに得意じゃなくて私自身が。逆にその言葉で何ができるんだろうなって思うこともすごいあるし、どういう物語っていうのもちょっと違うような気がしてるんだけども。何が起きる。起こさせることができるのかなって思ってる。

────石倉:上演の時にってことですか? 全体を通して、みたいな?

佐々木:上演もあるし、自分が。

────石倉:パフォーマーとして関わることに何が起こってるのか、みたいな。

佐々木:そう。

────石倉:ひとりひとりがパフォーマーとしての引き出しを物色されてるような現場ってことなんですかね。

佐々木:どちらかというと、何もいわないから。じゃあやりたいようにやれるっていう現場ではあるから、じゃあ何をやりたいかな、とか。どうしていきたいかな、とか。すごく考えてはいる。


成城学園駅前最寄りの住宅街にて。 撮影:石倉来輝

高校受験でどうしようかなあって悩んだ時に、テレビで藤原竜也を見て、一目惚れして、で、あ、この人の近くに行きたい、って思って。

────石倉:普段はダンサーとして活動されてるんですか?

佐々木:ううん。ダンサーじゃなくて、役者の方がメインで、一応。一応ね。

────石倉:普段は俳優というか。

佐々木:そう。ダンスはそれこそ昔クラシックバレエやってたくらいで。二年ぐらい前、ちょっとダンスやってみようと思ってかえるPっていう団体受けて、出た時に、フィジカルが強かった。

────石倉:最初はお芝居やろうと思って始めたんですね。

佐々木:それが大学生の時。高校受験でどうしようかなあって悩んだ時に、テレビで藤原竜也を見て、一目惚れして、で、あ、この人の近くに行きたい、って思って。そのきっかけで蜷川さんの身毒丸見て。この人のとこ行けばよかったんだって思って、蜷川さんのとこ行った。みたいな。大学が蜷川さんが学長やってところに行って。それからって感じ。

────石倉:出身はどちらなんですか?

佐々木:ずっと埼玉です。埼玉から東京の高校行って、全然普通の学校。

────石倉:きっかけ的には藤原竜也を見て。それまでこう演劇部だったとかいうことはないんですか。

佐々木:ない。全然なかった。

────石倉:大学入ってからどうでしたか。初めての演劇。

佐々木:なんか、めまぐるしかった。ずっと作ったりとか、ペアなってやるとかが多かったから、毎日のように演劇漬けというか。ちょっと座学もあったけど、そういうのばっかだったから、なんかおもしろいキャンパスライフ、みたいなのはまったくなくて。結構昔から活躍というか活動してる演出家さんの作品が、結構多かったかなあ。

────石倉:口語のお芝居?

佐々木:口語はほぼあんまない。古典古典。古典ていうかね、古典ていうのかな、古典ほど古典じゃないかもね。

────石倉:でも既成のものをやるみたいな。

佐々木:そう。大学の教授が書いたものをやる、みたいな。あ、でも永井愛さんのとかもやったかな。なんかわけわかんないままやってた。出されるものに対してこう返していこう、みたいなぐらいしかなくて。プラスアルファ的なものまで考えられなくて、必死についていこうって感じだった。で、大学が二年で終わって、その後二年間はフリーで、外のオーディションとか受けたりとかしてて、その後に蜷川さんがさいたまネクスト・シアターっていうのを立ち上げるってことで、そのオーディション受けて、そこに入ったって感じ。

────石倉:今はもう、若い人で蜷川さんの言葉聞いてる人って少ないじゃないですか。実は僕も、演劇ちゃんとやろうと思ったの、蜷川さんで、身毒丸のオーディション、中学一年の時に受けたんですよ。最年少ギリギリで、まだ声変わりもしてないし、身長もめちゃめちゃ低いし、147とか。書類通って、一次の面接みたいなのも通って、いざ実技、20人ぐらい並んで、ひとりずつやっていって、で自分の番、やって、そしたら蜷川幸雄が、『君身長いくつ?』っていったんですよ。で、『147です。』っていって。『147かあ。』っていわれて。そこで落ちて。でも、唯一蜷川さんの聞いた言葉が『身長いくつ? 147かあ。』って。


成城学園駅前最寄りの住宅街にて。 撮影:石倉来輝

なんか憧れの場所ではあるんだけど、自分がやれる場所とはまた違うのかなっていう感覚。

────石倉:ネクスト・シアターは、何年間とかですか?

佐々木:三年、二年ぐらいかな。何年いたんだろう。忘れちゃったな。三〜四年はいたかなあ。

────石倉:大学出た後の二年と、それからの感じってどうですかね。いざ投げ出されて。

佐々木:なんていうんだろう。どうしたらいいんだろうって思ってたかな。どうやってやっていけばいいんだろうとか。知ってるところはオーディション受けてみるけど全然当時受からなかったし、結構モヤッとどうやって演劇やっていくんだろうなあってすごい漠然と思ってたし。情報集める方法を知らなかった。雑誌とかだったかなあ、それくらいしかなかったから。蜷川さんのはすごく、大々的にやってたのもあったから、もうこれしかない。って思ったのはあったかな。そこに行くって決めたら、絶対行くっていうのは、あるかもしれない。

────石倉:芯が強い。芯の強さ。やらしく出てくるわけじゃなくて、潜在的な芯の強さありますよね。いよいよネクスト・シアター。それは1期生ですか?

佐々木:1期。3期生ぐらいの時に辞めたから、それでも何本か出してもらって。でも途中で、なんかここにいてもダメだって思ったんだよね。私はここにいても。もちろん今考えればプラスになったこといっぱいあるけど、自分にとっては、なんか挫折した。もうダメだな、って。私はここじゃダメだな、って。

────石倉:何がそうさせたんですか? 僕はすごい厳しいっていうイメージはあるけど。

佐々木:厳しいってのもあるし、なんか集団っていうのが苦手なんだなっていうのもあって。変に自信もあった部分もあったから、そこで折られたから。初めての人もいるし、色々やってきた人もいるから、役を取れる取れないっていうのもでかくて。最初に本があったとして、そしたらイメージとかで名前が掛けられていくの、この役誰々っていうのがあって。それは例えばエチュードの発表の成果とか、あとは役の雰囲気とかもあって、でもそれがめまぐるしくかわるの毎日。作品によってはやっぱ女子が少ないのもあったりするから、もう熾烈じゃん。私は全然取りにいけなくて、もうダメだって思ったね。ここにいてもしょうがないって思ったから、辞めます、ってゆった。すごいそれからどうしようかなあって思って、結構そういう時はっきりしてて、辞めるけど、じゃあどこに行こうかなってなった時に、じゃあ蜷川さんが嫌いだっていってる、平田オリザのところに行こうって思って。そこは、なんだろう、悔しかったから。じゃあ平田オリザ系行こう、みたいな。オリザさん何も知らないで。オリザさんに行ったわけじゃないんだけど、それが青☆組っていう、オーディション受けたら受かったの。外でも頑張ろうって思ってて、真逆行くしかないと思った。なんか衝撃的だった、ワークショップオーディションだったけど、あ、こういう感じなのかみたいな。言葉わかんないけど、ナチュラルっていわれるものだったと思うけど、これでいいのかな、みたいな、それもわからないから。それでも小夏さん(吉田小夏)がいいっていってくれたから。

────石倉:それが、いつ頃ですか?

佐々木:2014年だったと思う。人魚の夜、っていうアゴラで、でその後もちょっと呼んでくれて、出る機会があって、それからなんか小劇場系っていわれるものを受けるようになって、アマヤドリとか、谷さん(谷賢一氏)とか、そういうところにちょっと行くようになった、かな。第二章かな。

────石倉:最初に見てたポイントとは違う世界に到達した。相当大きかったですよね。

佐々木:どうやっていいかわかんなかった、稽古も。

────石倉:何を要求されるんですか?

佐々木:小夏さんはね、音の高さとか、別に何秒とかは全然いわないけど、すごく細かくいわれてたのかなあ、そんなにいわれた記憶はないんだけど。なんか蜷川さんの時にすごい大事なこといっぱいあったけど、自分が実際台詞を喋ってやるってことがほとんどなかったから、アンサンブルでいることがすごい多かったから、アンサンブルでも身体は見せていかなきゃいけないから、それがなんかすごい、そこはそこで考えられるというか、身体のこと意外と好きなんだなって思ったこともすごいあったかなって思う。

────石倉:蜷川さんに会う。入って、やっぱちげえわ、ってなった。

佐々木:なんか憧れの場所ではあるんだけど、自分がやれる場所とはまた違うのかなっていう感覚。

────石倉:それはスッとなったんですか? アッてなんなかったんですか?

佐々木:パッて思ったの。パッ、て。違うんだなって思ったの。ちょっと踏ん切りを付けなきゃなって思ったのもあるし、そこで考えててもプラスにならないのかなって思ったし。もちろん悩んだ。逃げるってことになるじゃないかな、とか。簡単ちゃ簡単じゃん。悔しいな、とは思った。でもそれをひとつの選択として、じゃあ辞めるからには、プラスに絶対したいって思ったから、じゃあ自分の居場所探そ、って思ったかな。


成城学園駅前最寄りの駐輪場にて。 撮影:石倉来輝

日常とその空間とが、すごい曖昧になりながら、劇場から出て行くみたいな、なんかわかんないけど、そういう感じ。なんかわかんないけど、植え付けられたら、というか。

────石倉:青☆組が終わって、小劇場行きだして。

佐々木:そうだね、ふらふら、ふらふらじゃないけど、ふわふわ。色んなとこのオーディション受けて、それで陽くんと出会って、すごい前に出会ってるよね、いつだっけ。2013年くらい。辞めてからちょっとだったから。そのあと話す機会が増えていって、それでオファーしてもらって、なんでだったかわかんないけど。わかんなくて、そういう風にいわれることがなかったから。なんかでもそのままわからずやってると思う。見つけたらとりあえず行く。みたいな感じで。

────石倉:そうやって行って、自分には合わないなとか、ちょっと違う。みたいなのはあるじゃないですか。そういうことがあっちゃうと、僕の場合は怖くなっちゃうんですよね。だから美奈さんは肝座ってるなって思うんですけど。

佐々木:何も考えてないからだと思う。でも、超えていきたいとは思ってる。ウィンウィン。それは大事にしてるかな。やってきてるものはあるけど、特に今回は自分より下の人たちだけだし、いままでで初めての状況、これまでは絶対上がいたから。今は私が一番上。プレッシャー。なんかみんなしっかりしてる、と思って。

────石倉:どんなところが?

佐々木:結構ハッキリものをいうから、ちゃんとみんな芯があるから、やばいなって。私あんまそういうのわかんないから、ふわふわやってるけど、みんなちゃんと我を持ってるって思いながら、やばいなって思いながら。てのもあるし、私が二回目だから、みんな訊いてくるんだよね私に。でも全然わかんない、みたいな。全然違うし、すみません、みたいな。わかんないし。

────石倉:ここから本番まで時間は限られてきてますけど、ここからどういう風に、最年長として、どういう風にウィンウィンにしていこうとか、ありますか?

佐々木:なんかわかんないんだけど、話自体もあんまわかってないけども、なんかこうしたいっていうのは、なんとなくぼやっとあって、こうできたらいいな、みたいな、なんかあるんだけど。すごい話し掛ける感じの台詞が多いから、平行してお客さんも同じ映像が見えてくるとか、日常とその空間とが、すごい曖昧になりながら、劇場から出て行くみたいな、なんかわかんないけど、そういう感じ。なんかわかんないけど、植え付けられたら、というか。


成城学園駅前最寄りの住宅街にて。 撮影:石倉来輝

私はロミオとジュリエットやるって思ってたから、藤原竜也と。で鈴木杏にやられて、あ、終わった、と。

────石倉:楽しみになってきた。話全然変わるんですけど、趣味とか好きなものとかなんですか?

佐々木:昨日、一昨日なんだけど。ちょっと本棚掃除してて、でバレエの漫画があったの、『SWAN』っていう。『SWAN』のモスクワ編ていうのがあって、モスクワ編が一巻しかなくて家に、で読んじゃったのね掃除してる内に、で続き読みたくなっちゃって、昨日久々に丸ごと三巻買ったの、二、三、四。で、読んで、昨日二回泣いたよね。二、三、四、一回読んで、まず一回泣いて、もう一回読み直して、もう一回泣く。同じシーンでもう一回泣く。あれやばいよね。久々に漫画買った。昨日。


著:有吉京子『SWAN -白鳥- モスクワ編』平凡社

────石倉:お気に入りの漫画はなんですか?

佐々木:『ガラスの仮面』も好きだし、『MOON』とか、『昴』っていうバレエのもあって、スラダンも好きだし、『バガボンド』も好きだし。あと浦沢さん系。でも結構お母さんが買ってきてるんだよね、『BILLY BAT』と、『バガボンド』とか、でも『SWAN』は、結構前で止まってたの。だからこれ買っていいのかってすごい思って、でも買っちゃったんだよね。『SWAN』もなんか演劇に繋がる部分がすごいあって、勝手にね。『昴』と『MOON』も読んで欲しい。

────石倉:埼玉の、藤原竜也、にキュンキュンした、当時の、佐々木美奈少女はどんな少女だったんですか?

佐々木:すごい楽観的に、ここ行けば、藤原竜也に会える。私はロミオとジュリエットやるって思ってたから、藤原竜也と。で鈴木杏にやられて、あ、終わった、と。その夢はもう終わったと思って。でもまだわかんない。でも、話ずれちゃうかもしれないけど、やっぱ蜷川さんのいた埼玉ってところは、やっぱ今でもすごい大事な場所ではあって、で今その、ひび、ってとこにいて、結構それも埼玉でも活動していて、なんか違う形でここに戻ってこれるってことがすごい大きくて、でもまだそれじゃ足りないけれども、なんかその劇場で蜷川さんになんか恩返しできたらっていうのが、それが今、の私のひとつ大きな目標だなあ。


成城学園駅前最寄りの駐輪場にて。 撮影:石倉来輝


出演者インタビュー
古賀友樹
佐々木美奈
鈴木望生
黒木龍世
石田ミヲ
荒木知佳


緑のカラー|作品概要

緑のカラー|古賀友樹:出演者インタビュー

2012年より小野彩加、中澤陽と制作を共にして来た古賀友樹。昨年7月に行われた第8回せんがわ劇場演劇コンクール・グランプリ受賞作品『ラブ・ダイアローグ・ナウ』にも出演するなど、これまで最多の出演回数を誇る。そんな彼に、2月に上演される新作『緑のカラー』に向けて、これまでのことと、これからのことを聞いた。インタビューは、俳優の石倉来輝との対話形式により、2017年の暮れ、クリスマスイルミネーションの彩る中で行われた。


『緑のカラー』稽古後、クリスマスイルミネーション彩る成城コルティにて。 撮影:石倉来輝

古賀友樹 こが・ゆうき
1993年9月30日生まれ。俳優。〈プリッシマ〉所属。多摩美術大学造形表現学部映像演劇学科卒業。俳優として、ゆうめい『みんな』『弟兄』、劇団献身『最悪な大人』『幕張の憶測』、スペースノットブランク『悪魔の国』『ラブ・ダイアローグ・ナウ』などの作品に参加している。

毎回やることが違うから、全然違うから、慣れない。

────石倉:これまで作品に参加した回数はどのくらいですか?

古賀:この前数えたんですけど、付き合いとしてはもう7年目とかで、作品数は10近い、10近くは出ています。

────石倉:長いですね。

古賀:僕が大学に入学して、一ヶ月しか経ってない時に、もう一発目。それが『パラード』っていう作品で、それは僕と中澤陽と小野彩加の三人で、映像が投影されている中で踊るっていうやつで、それが一本目。高校三年生の頃から交流はあって、なんだかんだ大学に入ったのも中澤陽がいたから。

────石倉:出身はどちらですか?

古賀:福岡です。割と都会の、福岡市に住んでました。高校で演劇を始めて、もっと演劇を続けたいなあということで、東京の多摩美術大学というところへ。実は中澤陽が入ってて、でも一年で辞めちゃうんですけど、中澤陽は。でもそっからも作品は作ってたから、いつの間に辞めたんですか、みたいな感じ。上京したら作品作ろうという約束交わしていて、もし大学落ちても出演する。という約束交わして、なんとか受かって。当時から彼の性格はまるっきり変わってないと思います。小野彩加も当時から変わらず。二人とも変わんない。当時から。

────石倉:その頃の古賀さんにとっての演劇とは?

古賀:僕はもともとお笑いが好きで、喜劇とか、松尾スズキさんとか、ケラリーノ・サンドロヴィッチさんとか。野田秀樹さんももともと好きで、多摩美入ってからはより見るようになったし、でもはっきりいってコンテンポラリーダンスとか、いわゆるダンスとかは一切やったことがなくて、で初めてその一本目の作品に出るってなって、たぶんあれは形態としてはダンス。と映像が絡み合ってる感じだから、だから初ダンスがそれで。

────石倉:演劇という感じではなかったんですか?

古賀:むしろダンスをやってるっていう感覚もなかった。作り方が特殊だからなのかもしれないけど、なんか僕にはそれが合ってたというか、特にカウントもないし。ここでこう動いてみてとか、この腕に登れるかとか、懸垂みたいのやってみて、みたいなのをひたすらやってたから、すごくダンス、ともならなくて。で演劇やりたいのに! ともならないし。スッと入っていった感じがあったかな。だからなんか自分で、俺がダンスかあ、と思うこともなく、あ、こういう感じでやんのか、みたいな。小野さんはバリバリ踊れるから、これは難しいなって感じたこともあるけど、でも出会ってから演劇観が変わったとかも特にないし、ダンス観とか、アート見る感覚が変わったとかも特になくて、でもこういう作り方があるのか、とは思いました。でも毎回やることが違うから、全然違うから、慣れない。ずっと出てるからとか、10回出てるからとか関係なく、慣れないですね。作り方は当時から変わんないけど、浮いてみてとか、本気で殺してよとかも。

────石倉:今回の新作『緑のカラー』はどんな感触ですか。

古賀:どんな感触。思うことは毎作品一緒で、作品の全景が見える時ってあるじゃないですか。完成形こうなるなあとか、お客さんに見せたらこうなるなあとか、がいままでほとんどなくて。完成形が見えないままやるっていう。初日を迎えて、やっとこういう形かみたいな感じだから、だからどういう感触っていうのは、毎回わかんないし、答えづらいところもあるんだけど、でも初めてワークショップオーディションやって、いろんな人たちが集まって大きくガラッと変わったから、スペースノットブランクが知らない人たち、ミーツ、この素敵な俳優さんたちのセッションみたいな感じになるんじゃないかなあ。見た感じ。どうなるんでしょう。自分自身楽しみな部分は多いんですけど。

────石倉:古賀さんの故郷、福岡県に関することをちょっと聞いてみたいと思ったんですけど。

古賀:僕はどちらかというと、中学から親に頼んで塾に通わせてもらって、高校は進学校に通って、勉強ができる子みたいな感じだったんですよね。高校に入ってから演劇部に入って初めて演劇に携わって、でもともとお笑いが好きで、そういう人いっぱいいると思うけど、おもしろいことしたいけど目立ちたくないみたいな。でも目立ちたい。演劇部入りましたけど、何するわけじゃないですよみたいな。ただ、部員は先輩がひとりしかいなくて。で僕と同期で入ったのは五人、のちひとりは辞め、僕以外全員女子。で僕が部長になり、脚本も演出もプランも全部決めて、みたいな感じになっていって、作劇とかをやるようになりました。

────石倉:その頃から劇を作るみたいなことはやっていたんですか?

古賀:ベタに平田オリザさんの本読んで、セミパブリックとは何か、お葬式というのは、知らない人を持ってくると説明ができる。とかを学んで、なるほどね、みたいな。結局大学に入ってからは作劇はあんまりやらなくなっちゃったんだけど。


『緑のカラー』稽古場にて。 撮影:石倉来輝

小さなところから大きいところに、大きなところから小さいところに着地するっていうのが好きで、極力与えられたものと違うものをまず考える。

────石倉:稽古を見ていて、すごい魅力的だなと思ったのが、なんで古賀さんはこんなに高圧的なんだろうって、すごい客観的ないい方ですけど、それは古賀さんに内在するものなんですか?

古賀:ショックだなあ。

────石倉:いいなあと思って。稽古で作品を作るにあたって、古賀さんにとって何が自分の材料になっているんですか?

古賀:単純に、この人がこういう台詞をいったらおもしろいんじゃないかなあっていうのもあるし、なんか自分が天邪鬼だから、人と同じことをやりたくないから、小さなところから大きいところに、大きなところから小さいところに着地するっていうのが好きで、極力与えられたものと違うものをまず考える。謎かけみたいな感じ、遠いものを同じところで落とすっていう技術だけど、なんかそういう感じで、別のところから持ってきて、で引っかかったらそれで作っちゃうみたいな。

────石倉:それは演劇部の頃からの経験とかが作用したりしているんですか?

古賀:いや、性格かな。でも人と同じものは嫌だっていうのはずっとあって、流行りの曲とかも一切聴かないし、モーニング娘。、AKB48とかも全然知らないというか見ないようにしてて、Perfumeは本流じゃねえだろって思って好きになって、だから、常に横道を走ってきたらここに辿り着いた、みたいな。あと、僕、末っ子なんです。すごく歳が離れた兄弟が三人いて、だから可愛がられて育ってきた、どちらかというと。で年上の人たちとかずっと一緒にいて、だからそういうところも関係してるのかなとは思う。人の懐に入るの上手いとか。あと幼い頃からゲームが常に近くにあった。スーパーファミコンから触って、小学校低学年は、バイオハザード。教育にはよくないと思うんだよ。おじいちゃんとかがお家にいて、見てくれてたのね。で僕が横でハンドガンをゾンビにぶっ放してるのを見て、おじいちゃんどう思ってたんだろうみたいな。なんもいわなかったけど。でも大好きでやってて、高学年になったら友達と対戦したいっていう風になって、人の家ではスマブラとかもやるし、ロックマンのゲームとか流行ってたから。

────石倉:割と戦うゲームをするんですね?

古賀:人を負かすのが好きで、僕が勝つのが好き。でどう勝つのが好きかっていうと、人気がなくてこいつは弱いっていわれているキャラクターで勝つと、よりアドレナリンが出るっていうか。

────石倉:下克上みたいな。

古賀:そうそう。だから人気があるキャラとかはあんまり好きにならない。だからウソップとか好きだし、あと人間なのにここまで強いみたいなキャラクター、クリリンとかも好きだし。

────石倉:ちょっと日陰にいるキャラクター。

古賀:どちらかというとそうかもしんない。そういキャラクターとか映画で見ると、すごく惹かれる。なんかオタクなんだけど強いよ、みたいな。でまあストファイもずっとやってたし、お兄ちゃんがちょうど世代ですから、ストツーからずっとやってます。

────石倉:ストツーでは何のキャラを使うんですか。

古賀:ストツーではね、結果ガイル。ゲームは色々触ってたし、割とそういう面では裕福な感じで育ったのかも。末っ子だから。塾にも通わせてもらったし、よっぽど不自由とかはなかったかな。で、お笑いもすごく好きだった。


『ストリートファイターII』に登場するガイル。 引用:Playstation.Blog

────石倉:その当時でいうとどういったお笑いを見ていたんですか。

古賀:当時は、オンエアバトルをずっと見ていて、深夜に差し掛かる時間帯のオンエアバトル。内村プロデュースとかが全盛期というか、本当におもしろい時期で、そればっか見てた。だから『学校へ行こう!』とかは、こんなんで笑わないですけど、みたいな。

────石倉:すごいひねくれてますね。

古賀:別にどっかでひねくれたわけじゃないけど、きっとどっかでそういう切り替わるのはあったんだと思う。だからそういうのが、高圧的な部分にっていう風に結びつくんじゃないかなって思ってちょっとやだ。これはもう趣向だから。趣向が芝居に出るってやばい人じゃん。

────石倉:でも滲み出ちゃうその人の味みたいものでもあるかもしれないですけどね。

古賀:よくなんか話し合いとか議論になると高圧的になるっていわれるけど、初めていわれて、なんかわかる部分があってやだ。意外、ってなんない。なるほどな、ってなっちゃった。

────石倉:でもそれ、俳優としてそうありたいですよね、どうですか?

古賀:そうじゃない時は大変だろうけど、そうじゃない時もあるか。そういう役ばっかやってるわけじゃないし。逆にない、上からやる役って。ほぼ虐げられる側。過去に出演した劇団献身やゆうめいでもやられる側だし。やられる側だったから、なんだろう。逆にやだ。

────石倉:どっちがお芝居していて楽しいですか。やる側と、やられる側。

古賀:やりたいのは、やる側だよ。虐げたい。僕は100%虐げたい。けど、やりがいがあるのは虐げられる側だよね。だって芝居は嘘じゃん。虐げられてないじゃん。稽古場でも楽屋でも虐められてたらやばいけど、そうじゃないのに、そういう状況に追い込むっていうのは、すごくスリルがあると思う。でもなんでもかんでもゲーム的に結びつけちゃうっていう癖はあると思う。

────石倉:それはゲームみたいに演劇のことを考えたりするってことですか?

古賀:というか、自分でクリエーションとかする時に、例えば前提条件を提示しないとこのワード使えないとか、そういうのはゲームで培ってるんじゃないかなって思う。


『緑のカラー』稽古後、クリスマスイルミネーション彩る成城コルティにて。 撮影:石倉来輝

主観性と客観性のどっちかに偏ってもあんまよくないなあって思う。けど、たまには主観だけになりたい時もある。

────石倉:古賀さんは高校で演劇を始めて、大学で上京してきたわけじゃないですか。上京してからはどうですか。

古賀:上京してからは、とても気が楽だった。もちろん有名になってちやほやされたい。みんなより演劇がうまくなりたい。みたいなのは色々あるけど。悔しいけどね、なんか同世代のあいつが、この舞台に出てやがる。と思うと悔しいけど、でもなんか周りの人、同級生とかと比べると、そこまで欲っていうのがない気がする。自分は自分の仕事をやろう。とか、変な感じだけど。すごい落ち込む役者さんているじゃん。本番でうまくできなかった、悔しい。みたいな。でも、そういう時もあるよ。って、役者がいっちゃいけないんだけど。でも波って絶対あるから、それを制御できない時だってあるし、だから、うまくまとまらないけど、生きてるからそりゃあるよ、っていう。きっと嫉妬とかちっちゃいことじゃないですか、大きいものと比べると。いや、でも欲はあるよ、でもどっちも持ってる人の方がいいと思うんだよね。なんか僕自身、親が強盗にあったりとかして、怪我しちゃったりして、鞄奪われて、悲しいって思うと同時に、なんだこれって思ったりもして。なんか、主観性と客観性のどっちかに偏ってもあんまよくないなあって思う。けど、たまには主観だけになりたい時もある。僕自身あんまり映画とか演劇とかで最近泣かない。可哀想、ってなれない。それよりなんでこの役者さんは、ここでこの声のチョイスをしたんだろう。演出かなあ、脚本? え? え? みたいな。

────石倉:上京して初めて舞台芸術、スペースノットブランクの作品に関わってどうでしたか。

古賀:中澤さんの印象は、怒らない。怒らないっていうか個人をすごく尊重してくれる人かな。個人を尊重してくれるし、あんまり説明しない。演劇作品をやったこともあるけど、その時も、このキャラクターはこうだから、みたいな演出はしない感じで、すごい余白を持たせる感じ。余白っていうとすごい良いいい方。僕は常にスペースノットブランクの作品しか出てないわけではないから、だからすごい良い刺激になるんだよね。定期的に、共通言語がない人と話す時間が来たぞ、っていうのがすごく脳トレになる。

────石倉:それは、今も共通言語がないって思いながらやっていますか?

古賀:共通言語はない、って思う。でもやりたいことはこういうことなのかなって思うのはいっぱいわかる。

────石倉:別の団体の作品とかだと、全然違うじゃないですか。どういうスタンスでやるんですか、スペースノットブランクの時は。

古賀:まず稽古場の雰囲気が違う。でもどの団体の人たちもおもしろいもの作ってお客さんに楽しんでもらおうみたいなのは共通はしてるけど。例をあげるとしたら、僕は待ってあげられるけど、時は待ってくれないよ、とか。今日その制限時間があって、その時間が来ましたってなって、待ってってゆっても、待たない。っていうところが、人を人だと思ってないのかなあ、良い意味で。だから物も、同等の価値があるっていう。物も役者やし、人も役者やし、お客さんも役者やっていう。役者だらけじゃねえかっていう。そこまではいわないけど、僕はそういう風に捉えた。だから、物を人と同じ価値まで引き上げてるのか、人を物同然と思ってるのか、それのどっちかかなあ。

────石倉:それはわからない。

古賀:それは、わからない。


『緑のカラー』稽古後、成城コルティ駐輪場にて。 撮影:石倉来輝


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古賀友樹
佐々木美奈
鈴木望生
黒木龍世
石田ミヲ
荒木知佳


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