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ウエア/ハワワ|池田亮:インタビュー


池田亮 いけだ・りょう
脚本家・演出家・美術家。1992年埼玉県出身。舞台・美術・映像を作る団体〈ゆうめい〉代表。PTA Inc.所属。遺伝や家族にまつわる実体験をベースとした舞台作品『姿』がTV Bros.ステージ・オブ・ザ・イヤー2019、テアトロ2019年舞台ベストワンに選出され、2021年芸劇eyes・東京芸術劇場にて再演。近年ではNHK Eテレ『天才てれびくん』ドラマパート脚本、TVアニメ『ウマ娘』脚本、バンド・ズーカラデル『ノエル』MV脚本、VTuber構成脚本とディレクションなどを手掛け、QJWebやpaperCにてコラムも執筆している。ノンジャンルでの活動を通して創作の多面性を解析しながら『ウエア』『ハワワ』の原作と美術を担う。

ゆうめい


植村朔也(以下、植村):『ハワワ』の原作、読ませていただきました。また凄い作品になっていますね。

池田亮(以下、池田):『ウエア』では一個の世界観というか、軸みたいなのができていたので、そこからまた他の世界に接続して作ろうと思ったらああいう形になりました。

植村:『ウエア』の続編を作るという話はいつごろから持ち上がったんですか?

池田:結構早い段階からだったと思います。もう『ウエア』を書いてる途中ぐらいから「これは続編をつくって三部作にしよう」って小野さんと中澤さんからお話をいただいて、早速タイトルを求められた時に浮かんだのが『ハワワ』って言うタイトルでしたね。

植村:その頃に構想されていた内容とは大きく変わった面もあるかとは思うのですが、作品の形が定まっていったのはいつ頃だったんでしょうか。

池田:『ウエア』を書き終えた辺りぐらいからだと思います。一昔前の職場のメーリングリストって、本人ではない人が書きこむことのできるような、LINEやSLACKとはまた違う匿名性があって、それが『ウエア』のテーマになっていたんですが、もう一段階上のひろがりというか、アナログな方へ行ってみようかなと思って。それで、データをファイルに入れて作品を作ることにしました。メーリスと違って第三者に発信できないというか、より閉じている感じがするのと、データはワードだったりエクセルだったり書き換えが可能だというのもあって、そういう状態のものを作品にできたらいいなと思って。

植村:『ハワワ』では池田さんという作者の姿が前面に出てきて、『ウエア』で色濃かった名前や匿名性というテーマの影が薄くなったのかなという印象を受けました。

池田:『ハワワ』には本当に色んな要素を詰め込みまして、生物学の話だったり、それから宗教的な話で言うと聖書やサグラダファミリアにまつわる33という数字を使ったりしています。33という数字は作中で染色体の数としても登場していて、『ウエア』は人間の話だったんですけど、『ハワワ』は生物の話になっています。
『ウエア』にもアメーバっていう存在が登場してくるんですけど、『ウエア』のVTuberに代わり『ハワワ』ではデータ間での生殖を想定しまして、そういうところからネットカジノの設定も出てきました。「アス」っていうオンラインゲームの中に架空の地球があって、その中に架空の生命がいてみたいな。それから『インターステラー』じゃないですけど、書いているうちに遺伝っていうものにアクセスしていったなと思います。
それからVTuberやアニメの仕事をすると、ユーザー間での相容れなさを感じることが多くて。仕事上名前は出せないのですが、たとえば性的に誇張された描かれ方を求める人がいるけど、かたや「え何? この気色悪いの」っていう人もいて。時としてメディアや街中など人の目につくコンテンツは分断を生むような存在であるっていう認識も当然広まっている気もして。依頼された仕事で対象とするユーザーを調べれば調べるほど病んでいく時期も個人的にあって。でも、分断してはいるけれども同じ生命でもあるっていうところも、『ハワワ』の軸になってるかなって思いますね。

植村:遺伝ということですと、ゆうめいでの新作『娘』のことが思い出されますね。『ハワワ』には池田さんの活動に対するメタ的な言及と思しき箇所もありました。セルフ・ドキュメンタリー的な作風については、過去に誰かが受けた暴力を舞台に載せ、しかもそれをエモーショナルな物語に昇華させてしまうという、言ってみれば二重の暴力性について批判を寄せられることもしばしばかと思います。そうした暴力性に対して、池田さんは俯瞰的というか、独特な距離をとっていらっしゃることが多いように思われます。しかし今回の『ハワワ』ではその方法自体がパロディ化されていて、距離をとって語る行為自体が異化されているようにも思えました。

池田:実話を基に創作するっていう暴力性は自分の根元にあるもので、そこにこう、警笛を鳴らすじゃないですけど、俯瞰しながら書いている節は結構ありますね。だからといって、フィクションなら許されるのか? っていう話にもなってきそうだなと思っているのが『ハワワ』にも現れていて。自分自身を否定しながら、なぜ否定するのかっていう理由も考えることがベースにあります。自分の作品のつくり方にはすごい問題があるぞとも勿論考えながらつくってるから、普段作ってる自分から、より分離してるんじゃないかなと思います。池田ってやつがこういう作品作ったんだけど、っていうことを、外側から見たらというのを想像して書いてもいます。

植村:なるほど。先ほど俯瞰という言葉を選んでしまったんですが、『ハワワ』ではその暴力性を加速させることによる、俯瞰の俯瞰みたいなことが起きている気もしていまして。

池田:書いていて加速も多分してました。物語じゃなくて自分で人と会ってリアルで体験すればいいんじゃないかみたいな攻めぎあいをやってるうちに、小野さんと中澤さんから「アドベンチャーをしよう」と言われたのもあって。『ハワワ』は『ウエア』に比べて自分の思想をあまり入れずに書いていて、一番フィクションを書いている気もするんですけど、でもどこかに内在してる自分がいるなとも思います。でも暴力性を強調する見方をされるだろうとは当然思っていまして。美菜っていう主人公の女性は完全に想像から作った存在でして、その父親も、道端で拾った官能小説に「お父様と呼べ!」みたいなやつがいて、それがモデルになっています。自分が小学生の時に、通学路に成年向け漫画が多分悪戯なのかぶち撒けられていて、集団下校する生徒が何人も見てしまって。何人か訳もわからず泣いてしまっている子がいるのが鮮明に記憶に残っていて。その時感じた恐怖を官能小説を拾った時に思い出したりして、これは分断の話にもどこか関係しているとも思って。

植村:2021年末にはゆうめいで『娘』という作品があり、また池田さんご自身に生まれてくる娘さんのことだったり、「娘」というテーマは池田さんの周りでいくつも形になっているかと思うんですね。たとえば『ハワワ』の作中に「電車にぎゅうぎゅうと押し込まれている人たちの足跡を音符に例えたら、それはとんでもない名曲が日々生まれているかもしれない。通過していく電車の線路が楽譜となり、駅を通り過ぎるたびにその曲は駅毎に新しく生まれていく」という文章があるわけですが、これはたしか別のインタビューで池田さんのお母さんの言葉として紹介されていたかと思います。

池田:2月に娘が生まれるっていうこともあって、それはもう本当偶然かぶっちゃったんですけど、それにあたり親って何だろう? ということで、『娘』は遺伝を受け継いでる自分のルーツを自分の両親だったり、妻の両親だったりと探った作品になっています。『娘』の方は過去三世代分ぐらいのお話なんですけど、それに比べると『ハワワ』はより未来の話をしてると思います。だから過去も書くのはゆうめいと似ているんですけど、『ウエア』と『ハワワ』はちょっと先のことを想定したり想像したりして書いています。

植村:2020年にインタビューさせて頂いた際は、ゆうめいでの次の新作は、一見フィクションに見えて全部本当のことを次は書くかもしれない、というようなことを仰っていたかと思います。これは突っ込みすぎた質問かもしれませんが笑、『娘』や『ハワワ』はその点どうなっていますでしょうか。

池田:『娘』はクリエーションの中でシーンを詰めれば詰めるほど実際の出来事へのアプローチが強くなっていったので、そういうクリエーションをやってるからこそ『ハワワ』のフィクション度が高くなったのかな。

植村:ゆうめいの『俺』のなかでも参照されていた『ストライクウィッチーズ』が『ハワワ』でも取り上げられているわけですが、さきほどもおっしゃられていたように、サブカルチャーが分断や暴力に結びつくものとして論じられるのが興味深く思います。『俺』でのサブカルチャーは、スクールカーストから逃げ込むアジールとしてあったと思うんですね。ほかに『ハワワ』で重要な位置を占めるネットカジノにせよドラッグにせよ、「いま・ここ」ではない場所へと離脱する手段であるという点では同じなわけですが、それが暴力の場でもあることの認識から出発していることが、『ハワワ』という作品の特徴であると理解しています。

池田:自分も友人の手伝いで売り子をしたことがあるのですが、コミックマーケットで成年向け作品を販売している方が存在しているということ、それに相容れない他者が絶対に存在している作品が生まれているということに興味がありまして。それらは単純に表現の規制という以上に、嫌悪感が迸るというか、生理的に受け付けなくなってしまう人もいて。「嫌なら見るな」とも言いますけど、その前に見たくなくても見せられてしまう現象を体験したりすると「嫌なのに見ちゃったんだけど」みたいな現象が多い気がしてます。

植村:そういえば、作中に出てくる『アースガールズ』ってアニメは『ケロロ軍曹』と『ストライクウィッチーズ』のキメラだと認識しているんですが、それらの放送年次と作中の2012年という数字がかみ合わないので、どこから来た数字なのかは気になりました。

池田:『ケロロ軍曹』は全く意識していないです笑。作品は2030年ごろのイメージで書いていたので、美菜の父親が『アースガールズ』の脚本を書いていたらこれくらいかなと思って決めました。あと2012っていうのは地球滅亡がうわさされていた年でもあって、ローランド・エメリッヒの映画にもなっていたと思います。その『2012』もたしか、主人公が作家だったような気がするんですよね。
予言なんて言うフィクションが何でこんなに残っているんだ、誰かが言ったでたらめになんでこんなに振り回されているんだとも疲れてる時に思っていたりしました。

植村:なるほど。地球の滅亡ということで言うと、『シン・エヴァンゲリオン』はどういう風にご覧になりましたか?

池田:「終わるんだ」ということにまずめちゃくちゃ感動してしまって。それから、最後シンジに色が無くなって線だけになる時にアニメーターの「お願いします!」って言葉が画面に出てきて、人がつくっているものを称えたいような気持になりました。作品を読み解こうという前に、まず監督っていう人がずっと生命として存在しているってことが感動しました。

植村:ありがとうございます。急に変な質問をしてしまってすいません笑、僕は最近何を観てもつい『エヴァ』に結びつけてしまいがちなんです。ただ、池田さんについては『シン・エヴァ』を散々パロディされてた『Uber Boyz』にも出演されていらっしゃいましたし、作風から言っても『シン・エヴァ』をどう受け止めているかは無視できないことかなと。

池田:自分では全然意識してないけど、側から見たら近いかもしれません。恐れ多いですが。『ストライクウィッチーズ』もネウロイっていう地球外生命体に置き換えられて、正体のつかめないまま人類と戦争になるということも物語としてはエヴァに近いかも。当時同居していた友人に勧められて見始めた時は素直に「これを見ていたら自分はダメになる」という感覚がして開始5分ぐらいで見るのを辞めたのですが、友人から設定やメッセージを聞けば聞くほど、作品に内包されている部分が気になっていきました。『ストライクウィッチーズ』のキャラクターは実在のパイロットから名前をもじって、パンツ一枚の美少女に転生させているんですが、視聴者は「ああこういうものなのね」って油断するんですけど、深く設定を掘っていくと『ストライクウィッチーズ』には人類の敵が出現することで人類間での戦争が無くなり各国が協力するようになるっていうメッセージがあるらしくて。パンツで闘って「あ、自分そんな深く考えてないです」みたいな風にユーザーを油断させたりするのは面白くて影響を受けてるかもって思います。

植村:ネットカジノというモチーフが鍵となっているのは、どうしてでしょうか。

池田:ネットの広告を押してしまったりするとネットカジノに飛んでしまうことがあるんですね。それで「あれなんだこれ」って思ってやり始めたのがきっかけです。リンクを踏んでその先行きつくところまで行くとどうなるんだろうというのは凄く気になってしまって。もちろん架空請求は怖いので慎重にではあるんですが、意外とちゃんとカジノをやっているんだなあというのも見えてきたりしました。
で、中国の方たちがいかがわしい写真を送り合ってアイテムをトレードするようなことが流行っていたのをチャットで知ったんです。でも、「じゃあ女装すればよくね」っていう書き込みをそこで見つけて、『ハワワ』では逆に女装している男性の方がアイテムを貰えるようにしよう!となってしまって。
架空の世界で架空のアイテムを手に入れるために現実世界のお金を使うというのは、現実と虚構の境目に存在したい人たちの行動だなと思って。ソシャゲも流行っていますけれど、金銭のトレードがあるのでネットカジノを選びました。
もともとは『ハワワ』を完全にギャンブルの話にしようと思っていたんですね。きりんちゃんっていう友達がいて、事故の起きる都道府県を想像して当てるかけ事をしていたらだんだん『ウエア』の世界に巻き込まれていく、というような話も考えてはいたんですけど、小野さんと中澤さんが『ウエア』よりももっとアドベンチャーにしようと提案してきたので、じゃあデスゲームだなと思って。

植村:なるほど、改めてスペースノットブランクとの相当の信頼関係があってこその舞台ですよね。

池田:めちゃくちゃ信頼はしてます。こっちも信頼されていると思う分、ちゃんと伝えなくちゃいけないというか、フィクションをつくることの希望を考えなければならないって思ったり。あと、本当に楽しんで見たことのないものを書こうってなった時に、小野さんと中澤さんになら相談ができるなと思って、動画を撮影したりとかスカイダイビングとかしてそれをもう全部ぶち込んでいったっていう感じですね。

植村:『ハワワ』原作最後のスカイダイビングの動画ですね。あれは、『ハワワ』のために飛び込まれたんですか?

池田:駅とか動物園の動画撮ってて、なんか物足りないなーと思って、その時に「スカイダイビング、かなあ」と。
『アースガールズ』じゃないけど、地球も一望できるし、地球があっての生き物というところにも関わってくるから、地球に飛び込んでいくというラストを半年前から思いつきまして。その時女性ボーカルで「心の旅」っていう曲が流れるんですけど、あれは実は美菜の足が線路を通過するときに流れていた曲なんですね。あとは、美菜がポリマで体験したのが心の旅だというのもあったり。きりんちゃんが父親と共に亡くなったのともリンクするかなと思います。夢から覚めるじゃないけど、また明日から日常が始まってしまう、みたいな。

植村:そういうことだったんですね笑 「心の旅」は実は僕のカラオケの十八番で、最後流れてきた時にテンションが上がったんですが、どうしてかかるのか不思議な箇所でもありました。
ドラッグのトリップにせよ、旅というのは日常へ帰ってくることを前提としているわけですが、『ウエア』『ハワワ』はそういう帰るべき不動の世界が存在していませんよね。
『ウエア』では、池田さんがメーリスのデータを全消去してしまって、小野さんと中澤さんに復元を頼まれる顛末があったかと思うんですが笑、そういうスクラップ&ビルド、一回的でカタストロフィックなテキストへの介入が『ウエア』の形式だったとして、『ハワワ』はデータという形で散漫な時間間隔のなかでの変更や消去を、送り先にあらかじめ委ねているのが特徴かなと思うんですが。

池田:データをひとつの生命と考えてつくりました。データが重いから、終わったら削除する人も多いかなと想像したり。『ハワワ』を殺す、途絶えさせるというか。ファイルのコピー&ペーストもアメーバというか、生物を思わせて。

植村:ステージナタリーで池田さんが今回の公演について書かれたコメントに、原作をたくさんの人に読んでほしいといった旨のことがあったかと思うんですが、僕は「本当かな?」と思ったんですね。というのも『ウエア』の原作はそれ単体で小説としても読めるので、たとえば書籍化なども見込めるものだったかと思うのですが、『ハワワ』はあのままの形ではたぶん、とても商品化はできないですよね。

池田:商品化は完全にできません笑。池田亮として出版するものではないだろうと思います。完全に池田亮じゃない人が書いている体で書きました。作者名を出して書くのができる人にはできるしできない人にはできない、でもできなくても書ける、というのが匿名で書いていた時のモチベーションでもあったので。でも自分は今実名で書いているんですが、その二つを合わせたときに、時には自分のことをまったく気にしていないような状態になるのもあって『ハワワ』はああいう形式になりました。

植村:『ハワワ』の一個目のファイルには「第三者への公開及び許可のないデータの受け渡しを硬く禁じます。直接渡された方のみに見てもらうことを心からお願い申し上げます。」とありました。

池田:書き始めたころから、身近な人に広げていこうとしました。作品として大勢に向けて書く場合のフィルターを取っ払うというのが、匿名で小説を書いて発表するという行為に近いのかもと自分が思っていたので。

猫:ニャー!

池田:なので、みんなに読んでもらいたいけど、読んでもらっても、なんだこいつってなるだろうなって。

植村:『ウエア』は原作が単体でも完成されていて、そのまま書籍として発信することもできると思うんですね。もちろん『ハワワ』の原作が完成していないというわけじゃないんですけれど、商品化というか、パブリックな公開を期待しない形式で書かれていることが『ウエア』からは一線を画していて、それが匿名性というキーワードの両作の扱いをも大きく左右しているように思います。
形式的にも内容的にもそうとう振り切って書かれているので、これを池田さんが実名で書くことを可能にしているのが、実は今回の「作」ではなく「原作」という立ち位置だったのではないでしょうか。だから、データが変更を受け付けているのとパラレルなものとして、原作をスペースノットブランクが上演可能なテキストに編集しなおす作業が重要性を帯びる。『ウエア』での上演形式を『ハワワ』の原作のそれが模倣していったとみることもできると思います。
たとえば松原俊太郎さんと地点だったら、地点は戯曲をコラージュして上演台本を起こすことで知られる劇団なので、作家もテキストが全部は読まれないことを前提に書いてきたわけです。でも、今回の『ハワワ』はそれとも違っています。松原さんのテキストは公開できるからです。
『ウエア』の場合は、戯曲として定義できないノンジャンルのテキストであるという以上には「原作」というクレジットの意義がまだ見えづらかったんです。『ハワワ』は、上演時間が無限に与えられても、おそらく上演はできないだろうと思うんですね。スペースノットブランクがあのテキストをどう引き受けて、パブリックに公開できるようなものとして「作品化」していくのかが問われる点で、舞台芸術の歴史のなかでもかなり独特の上演形式ではないでしょうか。

池田:戯曲を任されたら上演時間のなかに収めようと思って書くことにもなるし、原作だからこそ気にせず書けました。いろいろな仕事をしていると表現の縛りも当然あって、でもスペノの場合は団体の風に無理に合わせる必要はないなと思ったら、『ウエア』『ハワワ』が生まれました。作り終えた時、「自分だけにとっては傑作かもしれないけど、これを皆さんに見せるのは本当に申し訳ないし、恥ずかしいし、嫌われそうだ」みたいな気持ちでした。

植村:最後に、もしお客さんに一言あれば。

池田:意識と無意識がもし逆転したらどうなってしまうんだろうということを考えながら書いたので、自分の知らない部分も楽しんで帰ってくれたらなと思います。自分でも「こいつ何書いてんだ、こんなの人様に見せたら苦しむだけだぞ」って思うし、あれをキャストが声に出して読んでくれると思うと謝罪と感謝しかありませんが、皆さんと一緒に意識と無意識の心の旅をできれば幸いです。


ウエア|作品概要
ハワワ|作品概要

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