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続・継承する身体|橋本真那:講義+ワークショップ「主役をずらすためのテスト」レポート|和田華子:隣り合う人。

和田華子(俳優)
撮影:明田川志保
俳優。青森県十和田市出身。
2019年より青年団所属。小劇場を中心に舞台俳優として活動。近年の出演作に、ムニ『ことばにない』、趣向『べつのほしにいくまえに』、T factory『ヘルマン』、青年団『S高原から』、鳥公園『泳ぐ彼女は果てを見ている』など。2024年、趣向『べつのほしにいくまえに』でCoRich舞台芸術まつり!演技賞を受賞。
近年は、自身が「なぜだろう」と感じた問いを出発点に、舞台という形式に囚われず、その都度もっとも適した形式で作品を創作する活動も行なっている。個人ユニット「和田企画」では、演劇作品『なる、ならない、なれない、ある』を企画・出演。

先日、橋本真那さんの講義とワークを受けた。
会場に入ると、真正面に2灯の照明を取り付けたライトスタンドが立っていた。
他の参加者と「これ持ってきたんだ〜」と話しているのが、今日講義して下さる橋本さんなんだな。
会場は駅から少し歩く。自分の講義やワークの為に、長い物や重い物を運搬してきてくれる人を見ると「えらいな〜」という感想が浮かぶ。
橋本さんの第一印象は、えらい人。

◉講義パート
講義パートは主に、橋本さんのこれまでの来歴と作品をベースに語られた。
生まれや、何故台湾への留学を決めたのか、台湾とはどのような国か、行った大学はどのような所だったのか、歴史的な話と地理、その滞在時期に起きていたパンデミックや軍事演習の話、橋本さんの身体の所在、日本やそこへ住まう私たちとの距離、そのような話。

・台湾 友愛会の動画


(画像引用:國立政治大學選舉研究中心 Data Archives「Trends of Core Political Attitudes — Taiwanese / Chinese Identity」)


(画像引用:産経新聞「台湾有事は日本有事」が現実に 中国演習で高まる脅威」

〜講義中のメモ①〜
橋本さんの身体は、コロナ禍の台湾から、どこか別の場所へはいけない。
一人っきりの寮に身体がある事、あった事は、変えられない。
橋本さんの身体は、2022年も台湾に。
様々なルーツの人々が、ある事柄について語っている時に、自身のその身体の処遇やルーツの歴史は変容出来ない。
それらの事をネガティブな事やドラマティックな悲劇的な事と捉えず、
居るなあ、“そして”どうしていこう。というような、
“そして”を考えられる人なのかなと感じた。
“そして”を考えるために、(個人の体感のみを重視する訳ではなく)過去に横たわる歴史を参照して、肉体に蓄積した記憶も参照して、肉体でもってそこへ行って、横断して。
今、他者と隣り合えるためには、を考えている。

そのような話から、“そして”として、『パトリオティズム』『In the Distance: 距離之中』などの作品、『Dancing with Neighbors+』などのプロジェクトの記録映像を見る。

Dancing with Neighbors+

〜講義中のメモ②〜
ダンス、物事を思考するための過程
自身がどのようにあるべきか
どのような身体でいられるか
ダンスを用いて問いを咀嚼する。
身体を用いて何が出来るのかという事に焦点

◉ワーク

そして、ワークへ移る。

会場の電気が消され、橋本さんが持ってきたライトスタンドに暖色が二つ点る。向かい合った椅子に参加者が座り、ライトに照らされる。

行ったのは「ア・シアター」という、空間を劇場と仮定し、役割が分かりきっている状態からズラすワーク。参加者は開演後、自分が演者なのか観客なのかを探りながら3分間を過ごす。終演後、演者はお辞儀を、観客は拍手をし、約1分間の休憩を挟んで再び上演する。

「A THEATER」について

上演中は、沈黙や互いの視線、そして二人を観る観客たちの視線からくる緊張感が張っているが、終演すると空気が弛緩する。休憩中、二人は互いを演者だと思っていたとか、観客だと思っていたとか、さっきまでの3分間を振り返る。終演後の座談会のようで、上演中の二人の事も、休憩中の二人の事も好きになる。こんな深夜ミニドラマが毎日放送されていたら良いのに、とかを思った。

参加者は二人を、弛緩した身体でニコニコ眺めていた。

自分がパフォーマーとして行ってみると、自身のコミュニケーションの癖が色濃く反映される。

沈黙にどれくらい耐えられる個体か、気まずくなった時に得意分野に逃げる個体か、どんな事があってもめげない個体か。相手をどうさせられる(どうさせられない)(どうさせづらい)個体か。

休憩中には互いにさっきの3分間を振り返ったが、会場からの帰り道には、自身のこれまでの事が否が応にも想起された。

橋本さんの創作の軸の一つには、「他者を通じて自己を知る」というものがある。その言葉には国や歴史やアイデンティティなど、もっと大きな枠組みも含まれていると思うのだけれど、その中のとてもミニマルな一つとして、自分自身が照り返される時間だった。

橋本さんの作品やプロジェクトは、一見すると、人と人との隔たりを越えようとするもののようにも思える。

しかし、講義中の橋本さんの言葉や、実際にワークを通じて浮かんだのは、誰かと「繋がる」「分かりあう」「親密になる」「溶け合う」ではなく、

「隣り合う」

という言葉だった。

一連の講義では、池田亮さん、鴻池留衣さんの回でも、バウンダリーの大切さが太字で語られていたように思う。

個々がある。身体がある。別の身体の他者がいる。その隔たりを無くすのではなく、そこからの“そして”として、ダンスを用い、どう隣り合えるのかを考えている。

だからこそ、ワークをしていて、そのベースに安心を感じられたのかなと思う。

橋本さんは、身体が確かにそこにある事を疑わない。

身体を偶像崇拝的にではなく、フラットに信じている人なのだと思う。

運動能力という事ではなく、体温があること、柔らかいこと、重いこと。時間と空間を共有する身体から得られる情報の多さや雄弁さ、その確かさを信じている。

政治的な事を取り扱う時にも、言葉で出来ることとダンスで出来ることを捉えた上で、身体と身体との間に起こる作用を信頼している。

だから『話しあうためのやさしいおどり』や『Dancing with Neighbors+』も、分かりあうためというより、別々の身体のまま他者と隣り合うための試みなのではないかと思った。

橋本さんの第二印象は、隣り合う人。

“そして”9月に、橋本さんの作品の再演がある。

隣鄰 TONALI『DEAR NEIGHBOR (COMMA)』
隣鄰 TONALI『DEAR NEIGHBOR (COMMA)』トレイラー

(これは初演の北千住BUoYの動画らしいのだが、こんなにピカピカの床のBUoY初めて見た。)

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続・継承する身体

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