続・継承する身体|中村蓉:講義+ワークショップ「ダンスをめぐる開拓と本音」レポート|大迫健司///ナクテモ:諦めのあきの飽き飽きの秋になる前のレッツ夏、台風の合間の青空へ曇り空でもまた逢おー
| 大迫健司///ナクテモ(ボディワーカー・ダンサー・俳優) |
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| からだのこと。空間のこと。 場のこと。関係性とクリエーションの質。 からだを耕すと世界が変わる。 からだが変わると生まれ変わる、世界との触れ方が変わる。 世界との触れ方の多様さを見出したいと感じています。 世界の触れ方の変容体験が生じることがある、その可能性があるような場を置けるようになりたいという想いがあるようです。 そのひと自身に出会い直すような場、からだに出会い直すような場。 身体感覚や身体知。 無意識と意識との境目みたいなものがあるとして、その層や質が変容すると、さらにその先の層と出会えるようになってくるような感覚があります。 「なるべく、意識的に行うことをしない」ことで、起動していなかった層が動きだせる可能性にふれていく、というようなことに興味をもっているらしいこの頃です。 |
2026🦚8🕊️🐣🪽
3人目の招聘アーティスト、中村蓉さんにお越し頂いた日。13時。日本。17人。台風の合間の青空。
前半は、1時間くらいのトークおしゃべりくっちゃベリーと作品映像など。
後半は、動きます。ハードなこともありますができる範囲で。と蓉さん。
前半トーク。ご自身のプロフィールを表!と裏!で。表!では、振付家・ダンサーとして自身の歩みを、公表されているものを元にしながら。裏!では、人生の歩みと過去創作のバックヤードを公開。その後、休憩。
前半にしたお話では「わたしの踊り」がすり抜けている。後半のワークでそれが垣間見える、かもしれません。と、蓉さん。
後半のワーク。内容の概要は以下。
・風の振付け。風の強弱や変化を、例えるなら前奏AメロBメロ転調サビ、のような設定で動く。
・ことわざから、それぞれの動きを作ってみる。
・『BLINK 双面改瞬間真似(ふたおもてあらためまたたきのまにまに)』より、研ナオコさんの『かもめはかもめ』にのせて踊ったかもめの振付けを踊ってみる。
歌舞伎の双面という演出形式が用いられた作品『隅田川』において。うり二つの女が二人、一方が本物でもう一方は化物、2人を踊り競わせて本物を見抜く、という場がある。それを元に創作されたシーンで踊られていたのが、かもめの振付け。
・振り写しされたかもめの振付けを用いて、どちらが本物のかもめか、一対一の勝ち抜けかもめバトルへ発展。振付けを正しく、よりも、かもめです!を大事にしながら。

後半ワーク中の蓉さんの姿。ワークを手渡したものの、ワークを行うみんなのことを見て、一緒にドキドキしながらのけぞるようにリアクションしていく在り方が印象的でした。
場を持つ側の、その方それぞれの在り方を感じ取れるのも、今回の企画のいいところだなーと思い至りました。
なんだかわからないけど、えらい激流に巻き込まれて、終わったかなーと思ったらまた次の激流がやってきて、あ、激流に巻き込まれたんじゃない激流のオンパレードに巻き込まれたんだーー!ってなりました。
えらい汗かいたけど、変な疲れはなくて心地よい。振り付けもらうの苦手だけど、バトル楽しかった(バトルことも苦手だけど)。
それぞれの身体と人間性、人間の成り立ちが身体であって身体の成り立ちが人間だなーというのが大好物で大スパーーーク!
その人のいいところが不思議と浮かび上がりやすい場・集まりになっている気がする。
かもめ振付け。双面。本物のかもめと化物のかもめ。化物に想いを馳せる。
うっせー、我こそは、ホンモノの化物かもめじゃーーーい!
今ならそう言えそうな気がする人たちの集まりになっている、みんなを見ていてそんな、やってんなーを感じていた、感じとることができていた。やってんなー温泉にゆっくり肩まで浸かってTシャツはとっくのとうに汗だくだく真っ盛りで青春の風に舞う。
ほんの数十分のうちに振り付けを渡す蓉さんの後ろで、産まれたてのホンモノの化物かもめが何羽も何羽も生まれていて、やっほほーいやっほほーいな状態だった。
ホンモノの化物かもめたちによるかもめバトルが始まって、それぞれの今のそのときのホンモノの化物おどりが愛ま見えて、バトルを仕切るホンモノの化神審判コジマさん爆誕、初見ニューカマーは熱狂と戸惑いと興奮の坩堝、玄人衆も納得の唸り声をあげる名ジャッジオンパレード采配のコジマさんのその手が誰よりも孔雀でありかもめであったかもとか、なかったかもとか。
ホンモノの化物かもめとホンモノの化物おどりとホンモノの化神コジマさんの時間が過ぎていく。
帰りの電車、手がツルツルの赤ちゃんみたいな手になってて。からだが、よーろこーんでーるよーってことを伝えてくれていた。
ことわざのことばというより文字の音や手触りでやっていた気がして、意味に囚われがちだったわたしは、それが嬉しく、益々人間社会からの逸脱が進んでいる気がして大丈夫かなと思いつつも逸脱の旅にいつ発つ〜?なんてもうとめられないワクワクが沸く沸くこりゃたまらんね
ほんのすこしのひとすじの風がぬけてすべてがころがりだすおよぎだすかもしだすしゅんかんがきっとなにものにでもそのときが運命の顕現
こんなに愛らしくそれぞれのからだを、存在を、受け取ることができる。
作品を見る、鑑賞、となるとあーでもないこーでもないと思いだすのはなんでだろう?
からだそのものを、存在そのものを、そのままのダイレクトを受け取るようなことを養っていく、育んでいく、見ることの豊かさを、そんな場を。
突然ですが、失礼いたします。ナクテモです。
すべてのものことはその時その場にしか立ち現れないものことであり、かつ、これはわたしを透して書かれたものである以上、事実ではない可能性を多いに含んでおりますゆえ、というか畏れ多くて事実と言うことなどできず、これはもう『事実』ではないっしょ、ということをここに明言させていただきたいと思っておりま所存でありんす。
とはいえリンスinダンプーの運転手さらさらヘアースプラッシュinザジョーズあらあなた歯ならび意外ときれいなのねということで健康的にまいりたいと思います。よろしくおねがいいたします。

でゅ
でゅでゅ
でゅでゅわでゅ
でゅでゅわでゅわでゅわ♪いきまっしょいレツゴー♪
でゅわでゅわ、実は不器用です♪
でゅでゅわ、天才とどかねー♪♪
でゅわでゅでゅ、マジ、ザケ、んな、わけ、絵ー、だろ♪♪♪
(サビ)
(踊り)
(サビ)
(踊り)
(サビ踊りサビ)
(サビ)踊り(サビ)踊りサビ
踊りサビ踊り
踊りサビ踊り、サビ踊り踊り
あえて踊り子魂とはいわないでいたい
それぞれのあわいに顔を覗かせたであろう魂は、強烈な踊り子魂とそれぞれに宿るそれぞれの何かのあわいから立ち現れた、何かしら魂の発芽、であって欲しいと願う気持ちがまだどこかにあってしまうから
でゅ♪
ある種の執念や怨念にも似た仄暗い裏側の澱をポップさとキュートさと時折り垣間見える不安と不器用さも混じえながら身につけてきた術と智慧と感性を用いてのシュバっキュルルンルンむぐっ、、、
でゅわキュルルンむぐ、でゅわキュルン♪
むぐキュルでゅわむぐ、でゅわキュルン♪♪
キュルルでゅわでゅわむぐでゅわむぐン♪♪♪
キュルむンでゅわでゅわでゅわわわン、むぐっ
あーれ、びっくらこいたー
↑自己体内リズムを用いての小さな音読小さく小踊り、推奨

諦めの境地に立つことでしか私の物語りは始まらないのだとすれば、
お似合いの道をゆくことこそ祝、であり
ひとりづつであってひとりではなく、ひとりでゆくことは必ずしもひとりぼっちと同義ではない。
ひとりぼっちだとしてもひとはひとりになることはできてもひとりぼっちとしてあることはできず本質的にそれはひとりぼっちではないということ。なの、やもやも。
すり抜けていた「私の踊り」に触れることはできたのだろうか?
ホンモノの化物かもめは想いを馳せる。
それらしき何かが、あの場に生成され、すっーと身体を透り抜けていったかもしれない観覚だけはある。
として、生成された何かが誰のものなのか、それは定かではない。
蓉さんの私の踊り、なのか、それぞれの私の踊り、なのか。
続・継承する身体。
歌謡曲で踊るなんてまだそんなことをって言ってみたって、やってみたらこんなに楽しいの知らなかったしわたしー、やってみねーでとやかく言ってんのいっちゃんかっこ悪りかったねーって無知無知の父・恥恥の母さらし続けて生きていくのもういい加減やめにしたい。ですよねー。激流オンパレードに飲み込まれながら、ギリギリの息継ぎで命取り戻す。
カッパの川流れ笑って対岸で見過ごすより、思わず飛び込んじゃって、このきゅうり美味しいよねーって一緒に濁流コロコロしながらケラケラ笑っていられるくらいでありたいお年頃。なんじゃない、いつだって、いまだって。
みたい夢だってあるし、青空飛んでみたらそれはそれで、えっ、めっちゃ楽しいんだけどってなって、ちょうど諦めることに飽きちゃうくらい諦め飽きてたとこなんで、ちょっくらこのまま青空へ、ひとりで行こうと思っていたけどもう少しみんなと一緒に共にひとりひとりの友、ひらりひらりの蝶の飛びたいとこ飛んでみること、ゆくことお似合いのところへどこへなのかさてはて最果て行ってきまーーーす!
『かもめはかもめ』何度も聴いちゃいます。
ありがとうございました、蓉さん。
また逢う日まで逢える時まで〜〜
憧れのあの人もどこかかもめで飛んでいる

