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セイ|池田亮:イントロダクション

池田亮 Ryo Ikeda WebTwitterInstagram
脚本家・演出家・造形作家。1992年埼玉県出身。舞台・美術・映像を作る団体〈ゆうめい〉所属。梅田芸術劇場所属。遺伝や家族にまつわる実体験をベースとした舞台作品『姿』がTV Bros.ステージ・オブ・ザ・イヤー2019、テアトロ2019年舞台ベストワンに選出、2021年芸劇eyes・東京芸術劇場にて再演。『娘』が国際交流基金「日本の新作戯曲」に掲載。近年ではTVアニメ『ウマ娘』一期二期脚本、テレビ朝日『最初はパー』レギュラー出演、フジテレビ「生ドラ!東京は24時」第二夜『美大の駅伝』監督・脚本、株式会社いきもんより発売のカプセルトイ『クリスタルハンドルの水栓リング』の原型・発起人など、ノンジャンルでの活動を通して創作の多面性を解析しながら『セイ』の原作を担う。

2020年より自分が原作を提供し、スペースノットブランクが上演した『ウエア』『ハワワ』は三部作構成の「メグハギサーガ」における第一部と第二部の作品であり、今作『セイ』は第三部ではなくスピンオフ作品となっております。

メグハギサーガは「メグハギ」という存在を軸に、描き出される世界にて起こる生物たちのドラマ、そして自分たちが生きている現実と時に共鳴し、時に反発するアドベンチャーを描いています。

このメグハギとは何か。それは例えば、顧客に愛されるキャラクターを創造するためのソーシャルメディア企業の会議室で、参加者全員がブレストで思考・発案する「自分にとって最も理想とするキャラクター像」を各々取りこぼすことなく全て混ぜ合わせたような存在です。分かりやすさや売れるためのプロモーション目的とはかけ離れ、本来ならば他者とのディスカッションによって変化したり削られたりして商業的な成功を目指し一つに絞られていくだろうキャラクター像ではなく、売れる売れない関係なく地球上に存在する個々人の感覚を何一つボツにすることなく加え続け、生命が存在する数だけの欲求と理想を持った究極の八方美人な集合体のイメージです。全体主義かつ個人主義であるという矛盾を抱えています。メグハギサーガの劇中、メグハギが内包する自他の全ての欲求と理想が表象した際、無限な他者の欲求と理想が同時に全てみえてしまい、それは当の本人にとっては快感だが他人にとっては不快感とも感じるようなこともあり、個々の生命同士が永遠に分かり合えないような嫌悪感の塊やアンコンシャスバイアスの化身的な存在にもなります。関わる人が多すぎて軸を失いカオスな展開になってしまったメディア作品のように、それ以上に、グロテスクで有象無象な欲求と理想がひしめき合っています。

この原作を描く自分はそのような「関わる人が多すぎたり意見が多すぎて方向を完全に見失った作品」にこそメタ的だけど人間らしさが非常に多く描かれていると感じて、そして描くものの方向が統一されないというものに自らが欲する救いと価値を感じ、スペースノットブランクに原作を提供する際は「矛盾と見失い」ということをテーマに原作のクリエーションを行っています。感覚として「新品しか売っていないリサイクルショップ」のような「本物の乗用車しか売っていない模型屋」のようなものを考えるイメージです。

『ウエア』では世界中の理想と欲求を限りなく集めようとし始めるメグハギの誕生があり、『ハワワ』ではメグハギに反抗するため個々の欲求と理想を否定する現実主義の「オヌユキ」が誕生します。そしてメグハギとオヌユキは神話のように合体し、意識と無意識を逆転させる「メダハギ」が誕生します。登場人物たちは、現実からの逃げ場所となっていた想像の世界では、もはや現実に太刀打ちできなくなったため、新たに無意識の世界へ突入していくところから第三部は開幕します。正直、まだ自分でもよく分かっていません。そして『セイ』は、意識から無意識に逆転する狭間の一部を描いたスピンオフです。メダハギは遺伝子情報を学習したAIを起点として人間の意識と無意識を逆転する実験を行いました。正直、自分でもこんなこと書いてて結構分かっているけど結構分かっていません。

『セイ』やメグハギサーガには、どうしても原作者である自分の感覚が付き纏います。人を選ぶけど選ばないかもしれないし、人によっては嫌悪かもしれないけど愛好かもしれないし、分かりにくさの果てか分かりやすさの目の前かもしれません。『セイ』の原作は前作『ハワワ』よりも多く映像と音楽が加わりました。それは自分自身も言語化できていないけどできている感覚に、文字以外のものを活用して作り上げようとしたからでした。上演をするためのものだけど上演をするためではなく、他者にも読んでもらうためなのに自分だけが読むためだけに生み出しました。今回も『セイ』が「上演される」ということに大きく矛盾を感じていますが、よりその矛盾が生まれるほどに、周りで蠢いている生命の振れ幅が大きく何重にも感じられていく気がします。

かつて「全員クローンだったら本当に幸せなのに」なんて考えていた中二病な自分を隠しつつ曝け出しつつ、その恥ずかしくも変わっていたけど変わらない当時の浅はかな理想と欲求もメグハギに預けたまま、原作『セイ』は小野彩加 中澤陽 スペースノットブランクに渡りました。小野と中澤によって原作のルールは書き変わり、額田大志による多数の音楽も加わり、自分以外の多くのキャストスタッフによってなされる予想外と想定内で原作とは別物でそのままの『セイ』の上演は「静かな絶叫上映会」になりました。

原作は公開しないので、2023年6月29日(木)から7月2日(日)だけ『セイ』はご観客の皆様の前でのみ生まれます。

セイ

イントロダクション
池田亮

オープンリハーサルのレビュー
有吉玲/高橋慧丞/田野真悠

レビュー
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山田由梨:わたしが客席で居心地が悪かったのは

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