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青本柚紀 Yuzuki Aomoto XInstagram
1996年生まれ。東京大学人文社会系研究科博士課程在学中。俳句を中心とした詩歌の実作のほか、クィア当事者としてジュディス・バトラーを中心にフェミニスト哲学の研究をしています。日常に使われる言葉と社会通念が浸透しあうなかで、言語に残された差別的な構造に対して言葉を奇妙に使うことによって抵抗することに関心があり、それが二つを結んでいます。

訊ねる
訊ねる:青本柚紀
答える:加賀田玲

青本柚紀:①日記などの自分のためだけに書き残すような文章と、人に見せる前提で書く文章とのあいだで、なにを書いてなにを書かないかを決めるときの違いはありますか。あるとすればそれはどのような違いですか?
加賀田玲:「自己紹介」で少し触れましたが、去年日記のワークショップに参加していて、3月末から6月中旬までGoogleドキュメントに日記を毎日書いていました。参加者のなかで共有されていたその日記は「自分のためだけに書き残す」ものではなかったので、たとえば、固有名詞についてどれくらい注釈をいれるかの按配、のようなことを、通常の(「自分のためだけ」の)日記を書くときよりもよく考えました。ただ、これはあくまでも自分の場合で、他の参加者のなかには、まったく断りなく身近な友人の人名をポンポン出している人や、マイナーな映画のタイトルを挙げて、それについて参加者が知っているかどうかは問わず、その映画の感想を書き連ねている人などもいました。最初のうち自分はどうしてもそういうことができずにいました。次第に自分のそういう行儀の良いよそゆきの日記がおもしろくなくなってきました。今言ったのは固有名詞の扱いの例ですが、それ以外にも自分の日記は、句読点を適切な位置に入れたり、見やすいように段落を設けて行の頭を一字下げたり、どこでおぼえたのかそうした小手先の整理ばかり目立っていたように記憶します。そのため、できる限りその日記のなかに「自分のためだけに書き残」している要素を入れようとしはじめました。自分はこのワークショップのような限定的な期間をのぞくと普段から日記を書いてはおらず、「自分のためだけに書き残」す文章といえば、もっぱら、iPhoneのアプリに残した街で聞こえてきた会話や、見た風景のメモです。それらを書くとき、それを読む人のことはまったく考えていません(日記には何を書いてもいいはずですが、まず冒頭に日付がなければ日記にはならないと思います。そうすると、iPhoneの機能によって自動的に書いた日付が頭にくっついてしまうそれらの文章を日記と呼ぶこともできるのかもしれませんが)。話を戻すと、ワークショップの日記と平行して溜まっていったそれらのメモを、日記のなかに一切校正せずそのまま貼り付けることで、「人に見せる前提で書く」日記のなかになんとか「自分のためだけに書き残」した要素を入れ込み、そういうことをやってひとりで満足してワークショップの期間を終えました。

青本柚紀:②取り乱したり緊張したりしていて、かつ、平静を装わなければならないとき、自分を落ち着けるためにしていることはありますか。ある場合それはどのようなことですか?
加賀田玲:取り乱すという状態がどのようなことなのかよくわかっておらず、取り乱すという言葉を文章でも口頭でも一度も使ったことがないので(その他にはミュージシャンの小沢健二のことをオザケンと略したことなども一度もないです)、緊張についてだけ書きます。自分は演劇やコントなどに出ることが時々あり、開演が近づくとすごく緊張してきます。見回すと、共演する他の皆さんは、ルーティーンとして決まった音楽をイヤホンで聞いていたり、隅の方でじっとしていたり、横になって寝転んでいたりします。自分はとにかく歩ける面積をかつかつ歩き回って、「うー」とか「もうだめだ」とか言って、何か声をかけてもらえるのを期待してちらっと横目で周りを伺うと、特に何も起きないのでまた歩き回る、というだけのことをやっているんじゃないか、頑張って開演前の自分のことを思い出すと、大体そのようなことで合っていると思います。その行動以外に特に何の術やアイテムもないです。バッグの中が汚いしよく落としものもするのと、お金が全くないので欠けてもすぐに補充できないことから、緊張をおさえるアイテムなどがあったとしても用意しないと思います。

青本柚紀:③自分にとっての(固有の)なつかしさと結びつくような、音や匂い、イメージや場所はありますか。あるならばそれはどのようなものですか?
加賀田玲:何人もの友人にこのことを話したり、この前やったコントの中で出てくる自分のインタビューでも話したりしたので、それらの友人やそのコントを見てくれた人はもうここから読まないで大丈夫だし読まないで欲しいですが、高校一年生のころ、片思いしていた女の子と、東京都狛江市の自分の実家近くを流れる多摩川の上に登戸方面へ向けて架かる橋の真ん中、川の中間の狛江市と神奈川県川崎市の市境で、待ち合わせた(その子は川崎側に住んでいたので)記憶がありそこから見える美しい夜景を紹介した記憶もあって、それ以来そのあたりの場所となつかしさが結びついているようですが、このことをかなりリアルに記憶しているのと同時にすべて夢や妄想だった記憶もあって、本当のことだったらそんな疑惑も抱かないはずなので、かなり怪しいです。その「思い出」の場所の河川敷で、二月に友達が野外演劇をやっていて、すばらしかったです。二年前にその河川敷に別の友人と行って、背後の土手にいくつかボートが並んでいましたが、夜なのでボートの色はよくわかりませんでした。それぞれ塗り分けられているようでした。

答える
訊ねる:青田亜香里
答える:青本柚紀

青田亜香里:①この質問に答える日に、最初に口にしたものはなんでしたか?
青本柚紀:文字通りに答えるならば、頓服の頭痛薬です。気圧の上下や寒暖差のひどい時期にはよく偏頭痛が出て、春はその両方を満たしているので最も頭痛薬を飲む季節かもしれません。
食べ物なら作り置いていた具だくさんの味噌汁です。品数たくさん作りたいときや少し手の込んだものを食べたいとき以外の自炊は土井善晴さんの一汁一菜の提案をベースにやっていることが多いです。とはいえわたしはよく食べるために一汁一菜では足りなくて、もう一品はかならず作っています。

青田亜香里:②今までで最も長くとどまった/とどまっている土地はどこ、あるいはどのような所ですか?
青本柚紀:広島駅から単線の電車に乗って四駅ほど行ったところにある、海にほど近い小さな町に九歳から十六歳までの八年間を住んでいました。わたしの母親と呼ばれる人の生家があるところで、そのあいだ地縁血縁共同体という大きな家に閉じ込められていたとも言えるのですが、瀬戸内特有の気候のおだやかさや海に続く小さな川に沿って歩いていたことは、いまでもすこしだけ懐かしいかもしれません。

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