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フィジカル・カタルシス|山口静と荒木知佳:出演者インタビュー


山口静 やまぐち・しずか
ダンサー、振付家、ダンス講師。1990年4月12日生まれ。企画者として、自らダンサー、俳優、作家を集い作品を上演する『アトリエタキグチにて』などの公演を企画。ダンサー、振付家として、茶番主義!『白い馬の上で踊れ』、スペースノットブランク『フィジカル・カタルシス』などの作品や、中島トキコが手掛ける《POTTENBURN TOHKII》の展示イベントに参加している。

─────上演に向けて
コロナの話になっちゃうんですけど、コロナで学校が休校になった時に(それは春だったけど)、私仕事柄公園に行くことがよくあって、で子供が外でやることないからバスケとかをしてるんですよ。それもなんか小学生とかじゃなくて、高校生の同級生みたいな、女の子も男の子も混ざって、もしかしたら同じ部活なのかもしれないけど、公園のバスケのゴールに向かってみんながこう、わちゃわちゃしているのを見て「なんて健全なんだろう」って思ったんです。暖かい春に外でバスケなんて。でもそれって、本来の姿というか、どうしても、こう、教育とかもそうだけど、頭でっかちだな、と思って。知識を得るっていうことと、身体を動かすっていうことと、心を満たしていくっていくっていうことは、多分、三つの、全部、バランスを取っていかないといけないと思うんだけど、でも、知識を入れることとかがやっぱり優先されるし、そういうことの方が目に見える成果があると思ってて、身体を動かすっていうことがいつも後回しになっちゃう。コロナの間もこんなに時間があったのに、じゃあ実際身体を動かしてる人ってそんないない。意識しないと、生活から身体を動かすってことはどうしても離れちゃうから、そういうことを、本来人は動くことが身体に適しているんじゃないか、って気持ちをこの稽古にいると思い出す。だから『フィジカル・カタルシス』のダンスって言われるものは、私の中ではダンサーのためのダンシングではないと思っていて、それこそ、あの、働く動作みたいなものを織り交ぜているぐらいの自然な動きの組み合わせだと思っていて、その中にダンスの楽しさを再認識できる。から、そういう身体とか、そう思っている人たちの身体を劇場で見てもらえたらいいな、って思ってます。

─────ステートメントについて
・それは多様な選択ができるものとする。
強要されていない、っていう感覚はすごくある。求められていることに自分から寄っていく必要もないというか、自分の役割がこうなんじゃないかってゆうことが自分の選択よりも先行してしまうと、身体のリアリティがないと思っていて、だからこの身体が動きを出すっていう過程に於いて、他者からの干渉がないっていうのは、とっても強いというか、本来のその人の身体とか、アイデンティティの純度がもろに出てくるな、と思います。

・それは躰の内在と外在から構築される
難しい。自分がこう動きたいって思う衝動と、自分の目が実際に見てる景色。あとは、こう動いているだろう、って想像する力。がクリエーションの中に存在すると思ってて、動きを作る過程、多分、どれもある。こう見えてるんだろうなっていう自分の身体のフォームと、あとは、こうしたいっていう衝動から生まれたその外から見える姿を想像してない動きの組み合わせとか、ちぐはぐ感がこの創作の過程には点在してるかなっていう気がします。

・それは作家のためだけのものではない。
そこに足を運ぶ理由が自分の中にあるかどうかなのかなと思って。ひとりでやってるとちょっと離れちゃうかもしれないけど、自分が手を伸ばせる範囲で選択をしてしまうけど、だけど、ディレクターがいることで、自分が普段手を伸ばさないところ、得ようと思わないことに躊躇なく手を伸ばせる感覚があって、それは作家のためだけじゃなくて、多分演者にとっても必要なことだと思う。

─────ダンスについて
私は、ダンスが特別になることの方が嫌なんです。どれだけの時間をかけたかとか、どれだけの技術を得られたかとか、どれだけキャリアがあるかっていうことと、そのダンスの良し悪しって違うと思っているから、結局は心に触れるかどうかだと思うんです。そう。だから、ダンサーが自分から身体とか動きを楽しめなくなったりとか、探さなくなったら、終わりかな、って思っていて、いかに自発的に、能動的に身体と動きに向き合う意識を持ち続けられるか、なのかな、って思うんだけど、そういうことを教えてくれた人はいなかった気がする。良い意味でも悪い意味でも整いすぎてると思っていて、顔が綺麗な人とか、身体が綺麗な人とか、技術がちゃんとある人みたいなので構成されるグループの「薄さ」というか、そのコントラストのなさっていうかな、「薄さ」というのにすごく悔しい想いをする時がある。もっとマッチョの人がいたりとか、痩せっぽちな人がいたりとか、その身体の強さとかダンスの強さって、技術のあるなしとか経験のあるなしじゃなくて、その人間性とか意思の強さとかだと思うから、そういうなんか寄せ集めのサーカスみたいなごちゃごちゃしたダンスカンパニーとかダンス作品があったら、もう少しダンスを楽しめたかもしれない。

─────作品の中での自身の行為、役割、意識について
無責任かもしれないんですけど、前回(2019年)からメンバーとしては同じ作品を繋げているというか、継続して参加しているけど、あんまりこう自分の役割は意識していないし、前の作品をそんなに引きずってはいない、けど、確実に前回得た身体みたいなものがあって、それを別に再現するつもりはないけど、あ、これフィジカタの身体だみたいなのはあります。なんかその自分が見つけた身体が、現在もその感覚を持ってるってことがたぶん自分の役割な気がする。もし与えるなら。

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荒木知佳 あらき・ちか
俳優。1995年7月18日生まれ。俳優として、FUKAIPRODUCE羽衣『愛死に』、歌舞伎女子大学『新版歌祭文に関する考察』、libido:『青い鳥』、スペースノットブランク『緑のカラー』『ラブ・ダイアローグ・ナウ』『舞台らしき舞台されど舞台』『すべては原子で満満ちている』『ウエア(原作:池田亮)』などの作品に参加している。

─────上演に向けて
もうちょっと引き締めたい。稽古をしてて、すごくバスケ部の時の感覚に戻ることがよくあって、身体が、体重がほぼ小学校五年生くらいの時と同じ体重になってて、その頃の軽さとか疲れ具合がちょっと似てて今が。でも、小学校六年生が自分の最高に動ける身体だった気がするの。今、まだね、五年生なの。もうちょっと行ったら、六年生の最高の自分になれる気がするから、8月の本番までには、そこに行きたい。でもやっぱり実家だったし、毎日ご飯も出てくるし、朝ごはん、白いご飯に大好きないくらの醤油漬けとかかけて食べたり、美味しい、って。食に関して悩むことがなかったけど、今そこが自分ひとりだからどういう食生活で、その小六のベスト身体になれるか、がちょっとね、考え中。朝がね、食べれないのさ。バナナ一本とかになっちゃう。起きるのも遅いし。それをね、おにぎりとかにして、エネルギーをつけて稽古場に向かうってゆうことをしたい。あとね、バスケ部の身体になる、戻る、と、バスケ部の時の試合会場とかが急に思い出したりするの。はっ、て。ここで練習試合やったな、とか。みんなで差し入れのカロリーメイトめっちゃ食べてたな、とか。本当に会場が思い出されるの。見えるし、目に浮かぶぐらい。普通に過ごしててそういう現象がないから、稽古で汗かいて、ちょっと試合終わりじゃないけど、はぁ、ってなった時に、見える。試合会場。それがすごいから、本番も見たい。バスケ部のなんかの瞬間とかを思い出したりするんじゃないかなって思う。でも全部自分の身体でやってるし、動きたい動きをしてるから、嘘がないというか、ありのままの私を見てもらえるかなと思うし、四人のメンバーも良いんだよね。今日思ったのは、ゲーム、じゃないけど、四人、なんていうの、ゲームのキャラが居て、自分はどのキャラを選択して戦おうかな、っていう風に見れるな、って思って。お客さんが、AボタンBボタンを押して「あ、このキャラはこういう攻撃ができるんだ。」っていうのを、前半の方で確認します。そしたらだんだん「あ、このキャラで行こ。このキャラならボスを倒せる。」ってわかってくると思うので、そしたら、あなたがそのキャラになりきって、最後までゲームをしましょう。そしたら、終わります。この作品。きっと。まだね、最後までどうなるかはよくわかってないんだけど、きっとみんなでひとつのゲーム作品を作るんだと思う。動かしてるのは、あなたです。私でもあり、あなたでもあります。

─────ステートメントについて
・それは多様な選択ができるものとする。
私的には、「選択」は、見るものかな、って思います。身体の一部を見る、でもいいし、全体を見る、でもいいし、目薄めて見る、でもいいし、自分がその動いている人の足許から見たら、どういう気持ちになるかなとか、自分が見る視点が選べるな、って思う。私がみんなの動きを見てて、よく思うこと。

・それは躰の内在と外在から構築される。
なんか、自分で振りを作ったりする時に、こう動きたいなって思うけど、動きたいなと思ってやってみたら、やっぱ手の形はこうがいいな、とか「内側から出てきたイメージ」と、「動いてみての形」みたいなのの一番自分の気持ちいいバランスを探してるような感じがして、こう見られたいからこういう動き、っていうよりかは、内面と外側の良いバランスでできてるな、って思う。

・それは作家のためだけのものではない。
作家ってなんだろうね。作家ってなんだろう。もし私が作家だったら。ああ、作家って言えないんじゃないかな。わかんないけど。作家ってなんだろ。他の影響から生まれるものもあるし、それを考えたら、共同制作かもしれないし、みんなで作ってるかもしれないし、ちょっと作家、は誰なんだろう。

─────ダンスについて
私は、ノアダンススタジオに通ってたことがありました。大学一年生の頃に、友達とヒップホップ、「知佳ヒップホップやったら強そう。」って言われて、「あ、ちょっとやって見たいかも。」って思って、「二人でノアダンススタジオに通おう。」って言って、ヒップホップとか、そこで、すっごいたくさんのダンスのジャンルがあって、レッスンのコマを見たら、ジャズダンスとか、ヒップホップ、ロックダンス、で、ヨガも入ってて、バレエも入ってた。なんとなくそこに書いてあるレッスン内容は全部ダンスだと思ってる。ヨガもダンスだと思ってる。で、一番やって楽しかったのが、ヨガだったの。それは、呼吸が好きで、私書道もやってんだけど、書道とすごくね、似てるな、って思って。呼吸が大事だし、その日の自分の体調によって変わっていくとか。だから、「呼吸」が「ダンス」。だから、「生きてる人」はみんな「ダンス」。だと思う。なんでも。「ダンス」じゃないのは、ない。「書道」も「ダンス」。

─────作品の中での自身の行為、役割、意識について
「反復キャラクター」みたいな。自分がね、好きなのかな、繰り返すこと。繰り返すからできるようになることもあるしね。反復するとね、汗が出てくる。絶対。身体は変わってるけど、やってることは、同じことを繰り返す。見えてた景色が歪んで見えてくるのが楽しいの。花井瑠奈さんは、基本上にいる。細くて、浮いてるか、溶けてるか。で、山口静さんは、強い気。地面の土の栄養を全部吸って、葉っぱを咲かせてる。緑のような。植物がただ呼吸してる「自然キャラ」。古賀友樹くんは、カメレオンタイプ。カメレオンキャラ。ちょっと何しでかすかわかんない。ワープとかできそうだよね。何にでもなれるしね。良いメンバーが集まって、良いと思う。ひとつの村のような作品です。


出演者インタビュー
花井瑠奈と古賀友樹
山口静と荒木知佳

イントロダクション
植村朔也


フィジカル・カタルシス|作品概要
フィジカル・カタルシス|ステートメント

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