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フィジカル・カタルシス|花井瑠奈と古賀友樹:出演者インタビュー


花井瑠奈 はない・るな
パフォーマー。1991年8月26日生まれ。2014年から2019年までテーマパークにてさまざまなプログラムに出演。パフォーマーとして、中村蓉『桜ノ森ノ満開ノ下デ』、サカサマナコ『静かな欠片』、新聞家『失恋』『遺影』『フードコート』、鳥公園『終わりにする、一人と一人が丘』、ひび『ひびの、A to Z』『ひびの、A to Z ~夜汽車のゆくえ!ver.』、ルサンチカ『鞄(作:安部公房)』、スペースノットブランク『ネイティブ』『言葉だけでは満ちたりぬ舞台』『フィジカル・カタルシス』などの作品に参加している。

────上演に向けて
こんな時期ですが、もし見てもらえたら嬉しいなと思います。2019年に『フィジカル・カタルシス』をやっておりまして、3月と5月と、ちょっとだけ12月の『フィジカル・カタルシス』を経て、2020年の8月の『フィジカル・カタルシス』が生まれつつあるのが、今楽しいです。去年と人が違うので、それが最大の違いで、自分の取り組む内容だったり、方針だったりみたいなことはすごく大きく変わってはないような感じがするんですけど、一緒に居る人が違うっていうのが、かなり影響の強いこととして制作の中身に関わっていると思うので。あと去年とは社会の状況とかが大きく違ったりっていうこともありつつ、上演で起きることが定まっていくんだろうな、と思います。作品の中身についても言いたいこと色々あるけど、見る方がいいので、言うのやめます。このリハーサルが始まるまで、あんまり恒常的に外出していなかったので、なんか『フィジカル・カタルシス』が自分の中でのコロナ前と後の境目の線みたいな感じになっていて、だからなんだっていうわけじゃないんですけど、でも身体のことを扱っている作品でもあるし、なんか健康だったり、健康に生活することとか、健康な日々を重ねていくみたいなことがもしかしたら2020年版の自分の裏テーマみたいな物かな、と思います。リハーサルが始まって、リハーサル内のことじゃないんですけど、すごく印象的なことがあって、それは何かが起きたっていうわけじゃないんだけど、あと多分その自分の体調の周期みたいなこととかも関係がある内容です。内容は、あの、リハーサルの帰り道に、ときどき元気だったり、天気が良かったりすると、歩く場所を多くして帰るんですね。例えば、公園を歩いて別の駅から電車に乗ったりとか、家までの道でいつもより多く歩く道をチョイスする、みたいにしているんですけど、ある時すごく天気が良くて、風とかもいい感じの時に、視界に入ってくる緑色がめちゃめちゃ綺麗な時があって、でもそれは天候だけじゃなくて、絶対に緑色が鮮やかに見える身体の状態だったと思うんですよ。そういう「できあがった」みたいな状態を体感したのがすごく久しぶりに思って、すごいいい気分でした。これは、リハーサル二日目頃です。

────ステートメントについて
・それは多様な選択ができるものとする。
自分のやることとか、自分以外もか、なんでも選べる。ルールがないようで結構あるけど、でもそのルールはきっかけとしてあって、実際にどのぐらい何のルールに則るのか、とかも選ぶ必要がある。

・それは躰の内在と外在から構築される。
たぶん去年と同じこと言っちゃうかもしれない。もしかしたら。自分の中から、自分の考えとか身体の性質とかに則って出てくる要素と、人がいることとか、物があることとかに影響を受けたり、何か反応せざるを得なくなったりして、出てくる要素。

・それは作家のためだけのものではない。
まず、作る人々が居て、それで見る人々が居ることが想定されて、作られているわけなんですけど。さらにそれよりも外側に人々が居て、人以外も居て、とかまで含めると、自分一人がひとつの作品の中で身体を動かしていることはかなり些細なことに思えるんですが、でもそのことがさっき言ったような外の外の人とか、人以外とかに、どこかしらで共通点を持って繋がっていること。

────ダンスについて
私は、自分がダンスをしている人ではないと言い張ってここまできたんですけど、もしかしたら一般的な意味でダンスをしてきた気がしてきました。なんでかはちょっとわかんなくて、多分思うに、ひとつには、去年は仕事をやめたばかりで、仕事をしてる時は周りの人がある程度はダンスをしてきたみたいな人ばかりの環境に居て、なので去年は多分、私はダンスをしてる人ではありませんみたいな感じで話したんじゃないかな、と思うんですけど、今考えると、今はもっとたくさんの人と関わる機会が増えて、私はダンスしてたな、って気がしてきたっていうことと、もうひとつは、この作品について考えると、今回荒木知佳さんとか、古賀友樹くんとは、初めて一緒に『フィジカル・カタルシス』を作っているんですけど、その中で二人の身体は、かなり見たことのない動き方とかをする。っていうことを思って。多分それも一因として、私は自分が思っているよりも、ダンスについて見聞きしてきたし、ダンスをしたことがあって(ダンスの言葉の意味については一旦置いておくんですけど、本当は誰でもできるし、技術だけが必要なものじゃないから一旦置いておくんですけど、置いといて)、いわゆるダンス的なものに触れてきていたんだなっていうことがわかってきた。

────作品の中での自身の行為、役割、意識について
今回は、前回までの『フィジカル・カタルシス』で自分が行なっていたような行為とか、意識とは明確に違う要素があります。でも、内容に触れたくないので言えません。



古賀友樹 こが・ゆうき
俳優。1993年9月30日生まれ。《プリッシマ》所属。俳優として、ゆうめい『みんな』『弟兄』『巛』、劇団献身『最悪な大人』『幕張の憶測』『死にたい夜の外伝』、シラカン『蜜をそ削ぐ』、スペースノットブランク『緑のカラー』『ネイティブ』『舞台らしき舞台されど舞台』『言葉だけでは満ちたりぬ舞台』『すべては原子で満満ちている』『ささやかなさ(作:松原俊太郎)』『氷と冬』などの作品に参加している。

────上演に向けて
とにかく、今回の作品に限らず、すべては通過点であるということ。通過点であり、到達点である。それは作品としてもだし、僕ら一個人としてそれぞれが持ち寄れるその日の到達点。だから、もしかしたら次の日になれば全く違うものができあがってる可能性がある。言い過ぎかもしれないけどその余りの部分が、必ず存在する作り方をしていると思う。多分上演ではその部分には気付けないと思うけど、なんとなく、「メニューにそういうのもあるんだな」ぐらいに覚えておいてくれたら。裏メニューもある、ってことで。さらに僕としては、より日常をベースにしたいと考えていて、それは、歩くように、自転車を漕ぐように、バスに乗るように、それくらい日常に近付けることができたら、より理想の形。でも、ひとつフィルターをかけると、そうは見えない。けどそんなもんは大体なんでもそうだから、そこは諦めて、「僕はそういう考え方でやってます」って言う。もしかしたら他の出演する人々とか、関わってる人たちは、今までにない自分を見せようっていう人がいるかもしれなくて、それはそれですごく良くて、一番大事なのは「調和」ですから。「ハーモニー」ですか。調和が取れていると美しいんですよ。僕は、バキバキに動けるわけではない。そこそこ動けるくらいの人なので、バキバキは、バキバキに任せて、そこそこは、そこそこ見せればいいんですよ。悪い風に捉えないでください。バランスがね、取れていれば万事オッケー。料理と一緒ですよ。誰かが、作品を料理に例えるっていうのがある、みたいなことを言ってた気がします。今回の作品は、料理に例えると、そうですね。「ポタージュ」かな。いっぱい具材が煮込まれて、ほぼ具が見えなくなった「ポタージュ」。今現在はね。もしかしたら明日には「北京ダック」になってるかもしれないけど、今日の感じは「ポタージュ」。

────ステートメントについて
・それは多様な選択ができるものとする。
日々生きていると、色んな出来事を色んなバリエーションで解決するっていうことがあると思うんですね。僕はよくあるんですけど。道でよろよろ歩いているおじさんが居て、注視して歩く、とか。何か考え事をしているフリをして歩く、とか。無視して歩く、とか。戦いを挑む、とか。そういう選択肢が実はあって、常に何かを選択し続けていて、僕はよく、車道に飛び込むんじゃないか、って自分で思いますよ。『GANTZ』の見過ぎですかね。でも、本当思うんですよ。だからきっとこの言葉は僕らにも当てはまるし、お客さんにも当てはまる。もし途中で「外の空気を吸いたい」って、「もうやだ」って思ったら、外に、全然出てもらっていいと思います。僕も「もうやだ」って思ったら、全然外行くんで。一個一個は結構色んなことの「奇跡」が積み重なってるんで、その「奇跡」が、可能であれば、ずっと続けばいいかな、って思いますよ。

・それは躰の内在と外在から構築される。
まず「それ」って何なのかっていう話なんですけど、身体の内在と外在にあるもの。今パッと思いつくのは「魂」ですね。僕は、魂がどこに行くのかということを一ヶ月に一回くらい考えるんですけど、あの、小学校の時に「質量保存の法則」っていうのがあったんですよ。今もバリバリ現役ですけど。生き物が死ぬと少しだけ軽くなる、って話ありますよね。ね、あれ、魂じゃないか、って何かで見たか読んだか聞いたんですよ。で、その時に結構しっくりきたんですね、自分の中で。だから、その何グラムか、は魂で、本当にどこかに抜け出て行ってしまう。科学的に検証できないものだけど、そういう、なんだろう、この、チャクラか。気の力はあるんじゃないかって薄々、小さい頃から気付いてたんですけど、そのことをこれは言ってるんですよ。間違いありません。

・それは作家のためだけのものではない。
これは、その通りですよ。ただ、「作家」とは誰のことを指すか、っていう。これ、ミスリードなんですけど、これはスペースノットブランクのことでもあり、パフォーマンスをしている人たちのことでもあり、実は見ているあなたたちも、「作家」なんですよ、っていう話がありまして。夢を見る。「スリープ」の時ですね。あれを作っているのは誰か、っていう話を今思い付いたんで、自分の記憶を整理するために夢を見るってどこかで聞いたんですけど、あまりにもしっかりした物語の時があって、多分皆さんにもあると思うんですけど、あれって、ひとつの短いお話を見た感覚になりませんか。起きた時に。むしろ、感情が、わあ、ってなって、泣いたりとか、声出ちゃう時とかもあったりして、でもその夢を見るのに向き不向きというか、得意不得意があって、それはなんというか、才能もありますし、作る力だと思うんですね。構成力というか、自分の中でピースとピースを繋ぎ合わせる人が、夢を見る才能がある、と思っていて、で、夢は一旦ここで終わり。何かを見た時に物語性を感じたりとか、何か頭の中で音楽が流れてきましたとか、色が出たとか、文字が出たとか、それはまた違う脳の作りの話にもなってきますけど、要は「作家」なんですよ。今生きている皆さんは。伝わってるのかな。私「作家」。あなた「作家」。だから、ここに隔たりを作ろうとすれば、簡単に隔たりを作れるし、僕とあなたが、ちゃんとピースを繋げば、簡単に繋がることができる。それを舞台上で再現できたらなあ、と思いますけど、とにかく、僕たちだけではなく、あなたは作家であり、ちゃんと自分の作ったものに誇りを持った方がいいっていうことを言いたかった。

────ダンスについて
ダンスは音楽が必ずあるものと、なんとなく思っていた。というのも学校とかで教えられる○○ダンスとか、ソーラン節とかは必ず音楽がかかっていて、ここのメロディでこれをやる、この形、っていうのが強くあって、めちゃくちゃ嫌いでした。でもその印象が変わってきたのは、高校とか大学とか、それこそ物事はもっと僕の知らない領域よりもいっぱいあるんだっていう。ダンスのことを詳しく勉強したわけではないんですけど、音楽にもロックがあって、テクノがあって、ニューウェーブがあるように、ダンスにも外で流れてる音楽に合わせて踊るのもあれば、内側で流れてる音楽に合わせてるのもある。結局、音楽とは切り離せなかったですけど、僕の中では。でも、何かBGMがかかってないにしろ、自分の呼吸とか、自分のリズムっていうのがそれぞれにはあって、それにしたがって動いてる人を見ると、心地いい気分になるな、って感じます。

────作品の中での自身の行為、役割、意識について
『フィジカル・カタルシス』と言いますが、『フィジカル・カタルシス』は僕のことです。いや、マジな話で、僕を見てれば大丈夫です。不安な人は、僕を見ておけば大丈夫です。っていうくらいに、今回一応出演者として四人の名前が載っていまして、その中のひとりが僕なんですけども、僕だけを見て、他三人見なくても『フィジカル・カタルシス』は楽しめます。でも、これは逆もそうで、僕を見なくても、他三人だけを見る、でもいいし、その中のひとりだけ見て、他の人を見ない、でもいけると思います。根拠はないけど、そんな気持ちするんですけど、いや、絶対他の人もそう思ってるはずだな。いやこれインタビューでしょ。絶対他の人同じこと言うよ。楽しみだな読むの。もうちょっと喋りますよ。何か特別なことはしないので、そんなハードルを上げないでください。刺激はあると思います。「発見をする人」より、「育てる人」の方が偉いと僕は思っていて、だからね、教育者ってのは偉いなって。これは脱線しましたけど、教育者ってのは、資格があれば教育者ってわけじゃなくて、一本筋がないと、成立しないと思うんですよ。言ってしまえば僕も教育者。僕を見てれば、生徒になれる。いやこれはマジでそう思っていて、そう言っても、おかしくないですよ。信憑性ないかな。届かねえなあ。よし、終わりにします。


出演者インタビュー
花井瑠奈と古賀友樹
山口静と荒木知佳

イントロダクション
植村朔也


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