Spacenotblank

言葉だけでは満ちたりぬ舞台|クリエーションメンバーによる制作雑記『クリエーションボンバー』Vol.7


坂本沙季 Saki Sakamoto

スペースノットブランクのお二人からメールが届いて、公演が終わってから半月が過ぎたことを知りました。舞台に関わらせていただいたその前と後で私の過ごす環境や生活に大きな変化はなく、聴く音楽も変わってないし、着る服の好みも変わっていない。気が付けば始まっていて、気が付けば終わっていました。それは私が舞台にかかわる今の理想の形で、必然とは違う、呼吸に等しい、難しくもそこにあるもの、みたいな感じ。でも、確実に時間は経過していて経験として私は持っている。なにか影響を与えていて、どこか少し変わっている。ここで関わったみなさんのことを知らなかった自分から知った自分に変化したり、生活で関わる誰かとの距離が近づいたり、離れたり。みなさんと同じ時間を何度も重ねるたびに、身の回りに起こったことからいろんな考えとか好きなもののこととか、様々な自分のことについてが出てきて、聞きながら漠然とすごいなって思っていました。

私はまだ大きすぎる海の中で、住処なんて見つからなくて、どのくらいの深さにいるのかもわからずに彷徨っています。でも、今回の影響は海の中にまで届いていきました。大きな変化はないけど、届いてはいました。そんなこと考えてしまっているのも経験不足なのかなって思ったりしてよくわからなくなる。私はこれからもたぶんずっとそんな感じなんだと思う。この文章がみなさんと並んで掲載されるときには公演が終わって一か月が過ぎているんですかね。そのときでさえ聴く音楽とか変わっていないんだろうな。

─────古賀友樹さんについて
舞台の上から、周り、いろいろなところに目を耳を向けられるひと。譜面ばかりを追うんじゃなくって、オーケストラの奏者、のように見えました。ジャンプ力がすごかったです。

─────近藤千紘さんについて
シュワシュワしてる炭酸みたいなひとでした。踊っている姿はもちろんですが、集中して立っている姿もかっこいいなと思ってみていました。

─────山下恵実さんについて
キュゥンっていう効果音が動くときにときどき聞こえてました。身体だけじゃなくて、あたまの中もとてもやわらかい。すごい技を、いつかみせてくださりそう。

─────


櫻谷翔吾 Shogo Sakuraya

実際これを書いている時点ではもうすぐひと月経とうとしている。今このタイミングで思うこととして、『言葉だけでは満ち足りぬ舞台』は、作品に関わった事実がものすごくクッキリとした輪郭を持って自分の中に残ってるんだなっていうこと。作品をつくる行為が、ある限定された期間特別に行われる活動としてではなく、もとある日常の中に組み込まれたこととして、他のあらゆる活動と当価値で過ぎていくものとして体験できたことは個人的にすごく新鮮で嬉しい時間だった。そのことが、輪郭の濃さにとっても関係していると思ってる。(まだひと月だけど、この感覚は来年以降にだって持ち続けていたい。)もう少し具体的にいうと、仕事の後に稽古、仕事休みに稽古、別の創作との合間に稽古があって、それが特に負担ではなく日常の一部として受け入れられたこと、さらには逆にマチネ終わりに他の作品を見に行く余裕があったり、本番中に日常が存在していたことがすごく面白かった。この経験から自分がこの先クリエーションするっていうこととどう向き合うのか、向き合っていきたいのか、創作と生活を関わりの深いものとして体の感覚を持って認識できたことは今後の自分に大きな影響になるだろうなと考えてる。終わった後の時間も、この作品に関わることで気付けたことや感覚を思い返しながら、そういう形でこの作品のことを繰り返している。普通の生活を送りながら創作活動を行なっていけるこということは素敵だと思う。

今回一般公募のおかげかいろんなバックボーンを持った人たちが集まった。そのバックボーンの違いから、例えば稽古場で「観客をもうちょっと意識しましょう」という話があった際、本番の時にはいるであろう観客を想定して意識する人がいたり、今目の前にいる共演者を観客として意識する人がいたり、そういう言葉を一つとってもその解釈の仕方がまちまちで、そういう違いがある人が集まって同じ作品を作ろうとすることが面白く素敵なことだったなと個人的に感じていた。その一方で、この違いをどこまで許容して作品をつくることができるのかを考えたりもして、あんまりバラバラだと作品として成り立たないんじゃないかって思ったり。

でもクリエーションメンバーの古賀さん近藤さんが中に入っていてくれたおかげで作品の軸がすごい安定していくように感じ、二人の存在のおかげで僕らが僕ららしくそれぞれの違いを内包したまま舞台の空間に入れたんじゃないかと思って二人の存在の強さを感じた。

演出補で入ってくれていた山下さんは、稽古を一通り見てその時の感覚やポイントを言葉にしてくれて、自分たちが今どういう状態なのかを適切に教えてくれるのがすごいありがたかった。山下さんの言葉で何度も全体を見返して、修正できるチャンスをもらったように感じてる。稽古や本番前に山下さんにリードしてもらいながらやった「ガガ」っていうエクササイズがあってとっても印象的。

ここまで書いて、なんか自分の文章が妙に外側というか、客観的なのが気になる。

うーん、、稽古場でも劇場でも、前で観客と同じ目線でずっとみんなの声や様子を聞いていたからなのか、どうなのか、わからないけど、僕も一緒にボンバーしていたメンバーです。間違いなく。

これに関わっていた時間はいまも続いてるし、これからも。ここで出会った言葉や感覚を大事にまた日常の中で創作を始めてゆきたいです。

みなさん本当にありがとうございました。

─────


花井瑠奈 Luna Hanai

何かを振り返ると、何でもすぐに忘れていて悔しくなってしまう。

『言葉だけでは満ちたりぬ舞台』を通過した自分と通過しなかった自分がいても、今通過した方だけ知っている。当たり前だけど、影響を受けたと思います。具体的には言えない。あんまりわからないから。すぐ忘れたとしても、あらゆるひとつずつは積もってはいます。舞台を作った日々が特別だからじゃなくて、そうでなくてもどの日々でも積もって、覚えたり消したり好いたりなどしてると思う。
各々持てるコードを最大に持ち寄った時間でした。だから自分以外のも積もって、胸がいっぱいなような気がして、重要なような気がする。気がするだけでもいいことな気がする。自分以外のは、いっそう丁寧に扱いたい気持ちになれることもよかった。

クリエーションメンバーの三人についても、何かを書こうといろいろ考えたけど、すごく難しい。個々への気持ちは心の中にあるのと、また会えたら伝えられること。なのでこんな大々的には秘密です。クリエーションメンバーの三人も、ほかの出演者も演出者も、誰についてもそう。ともかく、わたしたちの間にわたしたちを積み重ねたものがあったと思えていて、それはうれしかった。

そうこう云々でんでん振り返るうちにも、時間が過ぎている。「言葉だけでは満ちたりぬ舞台」を通過した時間は、これからの時間の傘となります。なりますように。

─────


中條玲 Rei Chujo

もう半月経つのか、という感じです。

あれだけの頻度で会っていたわけですから、半月しか経っていないといっても、少し寂しさを感じます。みんな、いま何をしてるんだろう。
もちろん数人とは連絡先を交換しました。でも、そんなに連絡を取り続ける訳じゃない。僕はそもそも、そういうのは苦手な方だし。だから、これを書きながら、すでに皆さんの書く内容が気になっていて、楽しみです。手紙みたいな感じ。

3月3日に、この作品は終わりを迎えました。というか、僕の中では終わったと思っていた。
でも、実は終わってないのかもしれないと、いま感じている。なんか、制作過程の延長みたいな気分で書いている。

とても刺激的な一か月でした。いろんなことを覚えている。でも、忘れた、厳密に言うと覚えていない、ことのほうが多い気がして、もったいない気分。いま覚えていることも、徐々に忘れちゃうのかも。舞台だから、作品自体は残ることはないけど、作った、という事実は残る。それだけでも大事にしていけたらいいな。

僕にしては、短期間で結構な枚数の写真を撮りました。稽古場だったり、全く関係ない場所だったり。いま作っているものに、組み込みたいという意思もあったし、感覚的な部分で、その過ごした濃密な時間を形に残しておきたかったのだと思う。まだ受け取りに行っていないフィルムが一本残っている。その時は、またちょっと思い出して懐かしくなるはず。

終わってからの半月の間に、僕は、なんか聞いたことあるぞ、という体験が増えました。この作品の中での台詞だったり、それこそ似ても似つかないような言葉にも懐かしさのようなものを感じる瞬間。前者はまだわかるけど、謎現象です。でも、集まって、作るっていう過程を経ているからこそ、そんなことが起こるのも当たり前なような気もします。バラバラの人たちが集まった。それで今はまたバラバラ。前よりもつながりは確実に増えている。たぶんこれからも、みなさんのことは気になり続ける。みんな、いま何をしてるんだろう。もう一生会わない人もいると思うそれはそれでいいそんなに寂しいと思わない。古賀さんの言葉は嘘じゃない気もする。

あれ、最初と逆のこと書いてる。
まあいっか。書いてる今は、こんなことを思ってる。ひどく断片的で、言語化しても消化できない、こんなこと。

クリエーションメンバーのお三方には、大変お世話になりました。

確実に何回もすれ違いました。普段は絶対にないレベルの意識で。特異点みたいなことを僕の紹介の時に書いていた気がする。そんなこと思ってたんや、って思いました。いつも面白いこと考えてる感じ。そんなつもりないのかもしれないけど、僕にとっては思いつかない面白いこと。聞き取りの時とか、言葉の力を最大限使ってる人って思ってました。すごい魅力があるなぁと。笑顔も素敵だなぁとも。内側のエネルギーがグルグルしてるように見えてました。ハチャメチャパワフル! が第一印象です。仲良くしていただいてありがたかったです。カレー食べてるときは、この世で一番おいしいもの食べてる時みたいな、すっごい笑顔で。思わずシャッターを切りました。ブレブレでしたけど。ケーキ食べてる写真はきれいに撮れてましたね。ほかには撮ってないんですけども。別の方法で、言葉の力を最大限に活用してる方やなぁと思ってました。一個しか違わんのかぁ。不思議な気分でした。なんとなく、これは希望的観測に近いですが、僕のことを新しい世界に連れてってくれる気がしてます。どういう気分かは説明できません。

お三方含め、共演者の皆さん、スペースノットブランクのお二人、奥殿さん、そのほか公演に携わってくださった方々、本当にありがとうございました。たぶん、これからも、どこかで、意思を持ってだったり、偶然だったり、会うことになると思います。その時は、またよろしくお願いします。

こういう時、長くなりがちなんですよね。では、皆さんどこかで、また。

─────


瀧腰教寛 Takahiro Takigoshi

最初から最後まで創作の現場で出会った人、皆さんといることがこんなに楽しく思えることってなかったです。
それまで経験した創作の現場は泥臭いし自分を追い詰めて追い込んで、生活と切り離してしまう傾向があったので、今回は稽古も三日間の上演も今までより、生活と地続きの感じがあって、軽やかで楽しかった。これをきっかけに軽やかにいること、軽やかに生きることを考えてみようと思います。

下北沢のことを少し知れた気がして、街を、含めて好きになってました。
一昨日もフラッと下北沢へ行ったくらい特別な体験をした今回のクリエーションの経験と思い出が僕にとっての聖域のような場所になってしまったかもしれないです。

─────古賀友樹さんについて
俳優として脅威的だなと、、。今回、約三ヶ月の間ご一緒する中でずっと思っていました。
対応力の早さ。柔軟さ。その場その時に確固として自分でいること。その透明感。
僕はああなりたくてもなれないので、尊敬する俳優の一人です。

─────近藤千紘さんについて
もう、なんというか、、、いとこ感が満載というか誰の懐にも自然に入ったり出たり。自由で。無防備に見えるくらい自分を曝け出して生きてて大胆で、めっちゃキラキラしていました。稽古場でも、遊んでるだけのように見えてしっかり一人一人見てくれてる。ギスギスしない空気をいつも作ってくれてたことに感謝!

─────山下恵実さんについて
笑顔がめちゃめちゃ可愛いです。
たぶん本番を見に来てくださったみなさんは、知らないと思うんですが、山下さんは笑顔が可愛いんですよ。
身体のトレーニングもしてくれて、それがめちゃ面白かったので、またいろいろ聞きたいし話したいです。
それと稽古場でのコメントが鋭いからハッとさせられて、そのたびに、あの若さにして脅威を感じています。

─────


中島晃紀 Koki Nakashima

言葉だけでは満ちたりぬ舞台が終演して思うことはとても充実した期間だったと思います。

年齢も、性別も、育ってきた土地も全く違う人達が集まりひとつの作品を作っていくという事や、その作品をブラッシュアップしてアッセンブルしている姿はまさにアベンジャーズの様な勇姿を感じていて、毎日が高揚感に溢れていました。(誰にも言ってはないですが)

また、自分自身の人間の器というものも再認識していたのかなぁと思っています。

日常で意識せずに思っていたことを頭の中を掘り返してその時の体験を思い返す事によって、自分はなんて器の小さな人間なのだろうと感じた時もありました。

なので、終演してから半月たった今、自分自身の長所と短所を受け入れ中島晃紀のバランスを保とうという事を考えるようになりました。
そういう意味でこの制作に参加させていただいた事にとても感謝しております。

それと同時にクリエーションメンバーの古賀友樹さん、近藤千紘さん、山下恵実さんにも本当に感謝しております。
古賀さん、近藤さんは稽古中から常に周りの事に気を配って頂いてどんな事にも柔軟に対応している姿。
本番中もそれは変わらず同じ板の上に立っていて絶大な安心感を僕も含め周りに与えてくださっていてとても尊敬していました。

山下さんも作品のクオリティを上げるという事をとても考えていて、毎回、全体にアドバイスをしてくださり、つぎの稽古、又は本番へのモチベーションどんどん上げて頂いて凄く頼もしい存在でした。
長々と書きましたが、総括すると去年の終わり頃から本番の3月までの期間は僕の人生にとって良い例えかわからないですが、疲れた時に口にするチョコレートの様なモノでした。
この作品に関われた事をとても誇らしく思っております。
本当に本当にありがとうございました!

─────


長井建都 Kento Nagai

公演が終わってから何やってたかなあと考えると、就活。その一言に尽きてしまう。味気なさすぎ、って思うけど仕方ない。世間一般のイメージがどうかは知らないけど、就活は面白い部分もある。いろんな仕事があることを知る、いろんな大人に会う、就活のシステムに支配され不思議な人になっている人(俺もそうかもしれない!)を見る。意外と悪くない。

公演のことを思い出してみる。一番印象的なのはステージの上で光を浴びて奇妙に踊る瀧腰さん。カッコ良かったなあ! 他の人にはどう見えていたんだろう。あのBGMは今もちょっとしたテーマソング。周回してる時、足腰結構しんどかった。目を移すと、必死に戦う瀧腰さんが見えて燃えた。ここが、踏ん張り所だな。勝手に励まされる。

高嶋さんに、あのシーンの俺は優しい蜘蛛みたいだって言われた。劇を見に来てくれた子に、普段歩いてる時と同じ質感って言われた。中澤さんは、舞台は続きますと言っていた。
今、就活してる。虎ノ門のオフィス街。ビルが高い、息が詰まる。イヤホンからロッキー流す。蜘蛛みたいに歩く。しんどいなあ。舞台で戦う瀧腰さんを思う。ここが踏ん張り所。歩き続ける。意外と悪くないぞ。

─────古賀友樹さんについて
穏やかに見えるけど、多分そんなことない。俺はそんなに人間観察得意じゃないけど、古賀さんは世の中に対して「これはおかしいでしょう。」みたいなこといっぱい思ってるんじゃないかって、そんなイメージ。舞台ではそれが放出される感じ。必要とあらば躊躇なく引き金を引く人。

─────近藤千紘さんについて
一番はじめ、『舞台らしき舞台されど舞台』で見た時は上品な人ってイメージだったけど、それはぶち壊されました、良くも悪くも! 千紘さんが恐れることって何なんだろう、と感じます。人間なんだから不安も抱くはずなのにあんまりそんな感じしない。爆笑しながら大砲をぶっ放す人。

─────山下恵実さんについて
稽古期間始まって一週間くらいは年上かと思ってました。しっかりしてるなあ、と。優しいし面倒見がいいんですけど、それとは別にちゃんとこちらを見定めている感じ。優しいスナイパー。

─────


高嶋柚衣 Yui Takashima

皆さま、こんにちは、高嶋柚衣と申します。
まさかこのクリエーションボンバーを書く日が来るとは思ってもいませんでした。読むのはとても好きでした。ひとまず、私はどんな風に言葉を綴って行ってしまうのか、自分の筆を見守ってみることにします。

そういえば、選考では自己紹介をたくさんしました。色んな人の名前があって、顔があって、それぞれの人生の物語があって。
ここに集まって自己紹介をする度に、今回の共演者の皆さんと何度も出会い直すという経験をしました。
出会って別れて、稽古場も舞台上も、下北沢の街でも、たくさんの人とすれ違いながら、多くの交流が生まれてとても充実した日々でした。

公演を終えてもう半月、まだ半月なんですね。もっと経っていると思ってました。気持ち的には去年の出来事、のような感じです。
真面目な話しちゃうと、今回私は自分のことで精一杯になってしまって、この作品に対して、メンバーに対して、もっと色んな関わり方があっただろうし、言葉のことも身体のことも、沢山の可能性を潰してしまったのではないかと思ったりもしてます。本当にたくさんの人に助けられて何とか舞台の上にいましたもので。
千秋楽の日の日記に「点と点、通過点。ここで誰かと出会ってすれ違って別れたことは真実。ここで終わらないし、この経験が次どんなことに繋がって行くのか長い目で見届けてください」と自分に向けて書き残してあるんです。
でも半月経っても、まだまだ見えないし、わからないことが多すぎる、まだ、作品の延長線上にいる、そんな感じなんです。それがいいとか悪いとかじゃなくて。
急いで答えや正解を出すものでもないと思う、わからないことはわからないと言っていいのだから、私はこれからも、その時の仲間と一緒に探していきたいです。なんて今は考えています。

─────古賀友樹さんについて
千紘さんも言ってたけど色気が凄いです。初めは生まれたての赤ちゃんのような、やわらかい無垢な印象が勝手にあったのですが、至近距離ですれ違う時どきっとします。チャーミングだし、同時にかっこよくて憧れます。

─────近藤千紘さんについて
個人的にはスーパーヒーローです。千紘さんそのもの、その存在が、私にとってスーパーヒーローという事です。稽古場で千紘さんが何気なく放った言葉に実はとても感化されてしまいました。これまたかっこよい人で、舞台上ですれ違う時こわいくらいです。目がスッとしてます。

─────山下恵実さんについて
とても客観的に物事全体を見ることができて、純粋に頭の良さも憧れてしまうし、舞台稽古に入ってから、山下さんのやわらかい声、言葉にたくさんホッとして救われました。身体めちゃくちゃ凄いんです、動きのことを教えてほしいです。

─────


岡澤由佳 Yuka Okazawa

コード・コード・コードの期間は本番も含め、おおきな通過点だったなあと今は思います。

確か、終盤ごろの稽古の帰り道。花井さんと二人で歩いていたんですが、中島さんの声がして。その声の主は全然中島さんじゃなくて知らない人だったんですが、あまりにも似ていたので二人でぷち盛り上がりしました。

公演が終わって、3月末上演の別の稽古に行くようになって、コードの稽古には行かなくなって、という日が続きました。その中のふとしたところでコードのかけらに触れるような気がします。そして、その方向へ頭が持ってかれてしばらく思いにふける。中島さん(みたいな感じ)の声に出会って、盛り上がったような感じに近いななんて思います。

でも、大事なのはしばらくなんです。ずっと思いにふけっているわけにはいかないし、どうしたって時間は流れていきます。それでも不思議といやな感じはしないです、時間が流れていくこと。ときたまふと思うくらいにはおおきな存在として残っています、身にしみこんでいます。だから今は通り過ぎて、たまの偶然でふと出会えればそれでいいかな、それがいいかもと思っています。

─────古賀友樹さんについて
わたしのノートに興味をもって話しかけてくれたの覚えています。稽古で思ったこととか観た劇の感想とか演劇に関することを気の向くまま書いているノートです。たぶんその話になったのは1月ごろだったんですが、年はじめから使い始めたそのノートがすでに三分の一ほど埋まってて、一年もたないねーみたいな。とりとめないけど、うれしかったからきっと覚えてるんだと思います。

─────近藤千紘さんについて
わたしを「のんちゃん」と認識しているらしいんですが、直接そう呼ばれたことはないかも。呼んでもらいたいなーなんて思ってます、すぐに振り向けるか自信がないけれど。エネルギッシュでいつも笑ってるイメージ。千紘さんみたいな孫がいたら楽しいだろうなと今ふと思いました。

─────山下恵実さんについて
物腰がやわらかくって、それでいて芯が通ったしなやかな女性っていう感じを受けます。そんな大人な感じとは裏腹に、身体を動かしているときとっても楽しそうで身体と遊んでいる感じ。山下さんとは同い年なんですが、それがなんだかうれしいなと思っています。もっともっと演劇の話もとりとめのない話もしてみたいなと思うひと。

そうそう、伝えそびれていましたが、クリエーションメンバーの三人が書くクリエーションボンバーを読むとそれぞれの考えていること、感じていることに触れることができるような感覚でした。そんな体温を持った文章たちを眺めるのをいつも楽しみにしてました。素敵な文章をありがとうございます。

─────


程島けい子 Keiko Hodoshima

お礼

斬新な演出や明快な理論に支えられた舞台にご一緒に、貴重な経験をさせていただきました。
指導の言葉をメモしながら、はっとしたり、今まで疑問に思った事が、少し光明がみえたり、何より若い方の真剣さに昔と未來に希望をもちました。いつも何かに熱中できるのは、本当に素敵です。
貴重な経験をさせて頂きました。

皆さんとの時間が私の宝です。たくさんのご配慮とお心遣い有り難うございます☺

舞台の調和やリズム感を壊さず、できたかは分かりません。が、私は心から舞台を楽しませて貰いました。
深く感謝いたします。

これからのご活躍とご発展を祈念してます。有り難うございました。

追伸

何よりも、皆様に出逢えたこと、感動を共有しあえ、今 この場所で同じ空気を吸い、この瞬間を活かせて貰い、生きてる実感を頂き、嬉しかったです。濃厚な時間に感謝です。
これまで生きてきて、良かった。
感謝をこめて。

─────


齊藤玲子 Reiko Satio

本当にこの公演に出てた? と自分でも疑問に思い実感がないくらい遠い過去の出来事のように感じています。でもまだ今も公演を控えて毎日お稽古をしているような気分になる時もあります。そう感じてしまうのは、最初のセリフが飛んで頭の中が真っ白になって固まってしまったり、出るタイミングが遅くて焦って小走りしていたり、お稽古の休憩時間に出演者のみんなと他愛もないおしゃべりをしてゲラゲラ笑ったりしている夢を今も時々見るからかもしれません。完全にロス症状です(笑)。私にとって公演に関わること自体が初めての経験でした。ワークショップから始まった公演本番までの約3ヶ月は体と頭とメンタルに刺激的な本当に楽しい毎日だったので、終わったことをまだ充分に消化しきれていないのかもしれません。でも確実に時間は流れています。これを機に私も公演の余韻を楽しみつつ、いつもの生活に新しい何かを求めて歩き始めたいと思っているところです。

共演者のみんなは一人ひとり穏やかな人間性の中に自分だけの確固たる道を持っていて精神的に自立している方ばかりだと感じました。私の人生は順風満帆ではなかったけれど若い頃に戻りたいと思ったことは今まで一度もなかったのですが、今回みんなと一緒にいたら若い頃に戻って試してみたいなと思うことが色々出てきて自分でもビックリしました。本当にみんなといると気付かされることがたくさんあって、みんなのことが大好きになって、いつでもすぐに会いたいと思ってしまいます。みんなの声を聞きたくなります。すっかりみんなのファンです。そういう訳で、これからはみんなの活躍を応援するのを楽しみにしています。貴重な機会とたくさんの出会いに本当に感謝しています。今回大好きになった挨拶です。「また会いましょう!」

─────古賀友樹さんについて
多種多様な面を感じる方。初めて会った時と次に会った時のイメージが違う。毎回違う。また今度会った時も違う感じを受けると既に思っています。また違う顔が見たい、役者さんというのはこういう人のことだと実感しました。できないことはある? もしあるとしても古賀くんにとっては関係ないことなのかなと勝手に解釈しています。舞台上で合った瞳が印象的。カードゲーム、楽しかった。木刀を丁寧に委ねられる時間、癒されました。古賀くん、ありがとうございました。

─────近藤千紘さんについて
いつも太陽のような方。屈託のない少女のような笑顔。元気印。でもふとした時に感じる大人の佇まいにドキっとした。自分が立つ場所立ちたい場所、自分が居る場所居たい場所、自分が帰る場所帰りたい場所のある人の強み。人との距離感が絶妙なんだろうなぁ。近くにいても遠くにいても同じぬくもりを感じる。私も可愛いおばあちゃんになりたいと思うようになった。目標ができたよ。千紘さん、ありがとうございました。

─────山下恵実さんについて
穏やかな微笑みの中にどっしりとした動かない何かを持っている方。年齢よりも精神的に絶対的に大人。でもきっと身体と同じようにかなり柔軟な動きも持ち合わせている。何処へでも行って自分の世界を作って形を残して、また違う場所で自分の世界を作る。残す。行く。作る。残す。誰かを通して作る方法を色々知っていて、それが的確。多くを語らない一言ひとことにたくさんのことを教えられました。恵実さん、ありがとうございました。

─────


片岡真優 Mayu Kataoka

中学生のころにはじめて、発話することにちょっとだけ絶望しました。

夕飯の食卓でした。
父が運転マナーの悪い車に遭遇した話をしていました。
父は怒っているように見えました。
父の話が一区切りついたので「その人にはきっとすごい緊急の事情があって考える余裕がなかったんだよ」と返事をしました。
すると父から「マリア様だね」という言葉が返ってきました。
なんか、そうじゃないな、と思いましたが、とくに返す言葉も思い当たりませんでした。
このときの感覚ははっきりと覚えていて、それから何度か蘇る瞬間があります。

「その人にはきっと事情がある」という返事には、その発言の内容を伝えたい意思ふくめ、状況に対してどう反応するかというところに判断の要因があったんじゃないかと思います。

発言にいたる思考の構成要素を分析してみます。
相手を許してやる理由を提案して怒っている父をイライラから解放してあげたい気持ち60パーセント。
それから、“事情がある”可能性もないことはないと思っていたから発言の10パーセントくらいは本心。
楽しい食事中にイライラしている態度をとった父に対してのわずかな反抗から、想像力はたらかせてないお父さんに悪いところあるんじゃないの? といじわるしたい気持ち10パーセント。
たぶんそのほかにもそのとき視界に入っていたものとか前の会話との繋がりとか、わずかな構成要素があったと思う。それらを統合して、とっさに「その人にはきっとすごい緊急の事情があって考える余裕がなかったんだよ」と発言する、という選択をとったのだと今は理解します。
それに対して父から「マリア様だね」という言葉が返ってきました。
この返事はわたしの発言のわずか10パーセントを占める「本当にきっと事情がある」という思考に対してのみの返答であり、残り90パーセントの思考を無視されている訳です。
だからわたしはその返事に対して「なんか、そうじゃないな、」みたいな納得いかない感情を抱くことになりました。この感情は字面に反してすごく恐怖寄りなものです。困惑です。

歳を重ねるにつれ、自分や他人の発言には嘘があるんじゃないか、発言が本心とは乖離してるんじゃないかと、その可能性に怯えることが増えました。発話に絶望することがたびたびあります。発話は不完全なコミュニケーションだからだと思います。
言葉は不完全。でも、不完全ということは創造の余地があるということです。言葉と言葉の間にできた隙間には無数に思考を詰め込めると思います。そこに希望を感じるようになりました。言葉だけでは不完全であると気づいていれば。

制作期間中、瀧腰教寛と中島晃紀の誕生日を祝った日。古賀友樹は横で眠っている。中條玲によって撮影。

言葉だけでは満ちたりぬ舞台

クリエーションメンバーによる制作雑記「クリエーションボンバー」
Vol.1:ワークショップについて
Vol.2:年末年始について
Vol.3:制作について
Vol.4:出演者たちについて
Vol.5:公演に向けて
Vol.6:公演を終えて
Vol.7:公演を終えて一ヶ月が経って

Back to Messages