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続・継承する身体|池田亮:講義+ワークショップ「線による空間と会話」レポート|おかだゆみ:所感と考察と手

おかだゆみ(ダンス作家・演出家)
東京藝術大学大学院 先端芸術表現専攻を修了。
対話から実際の声を汲み取り、身体で情景を描いていく作品を制作する。
主な活動として、Yokohama Dance Collection2024 competitionⅡ、豊岡演劇祭2025フリンジセレクション、NISHINARI YOSHIOファッションショー(演出・構成)などがある。最近では地域に滞在し、そこで暮らす人々の生活や身体のありようを、映像で記していく活動をしている。

連日の酷暑が少し和らいだ日。13:00〜13:30に、参加者がゆるりと集まってくる。今回は、池田亮さんを招聘アーティストとして迎える。
会場に着くと、そこにはもう池田さんがいた。
13:30になり、参加者は講義形式に並べられた椅子に腰を下ろす。前半は講義、後半はワークショップという構成である。
講義とワークショップのどちらを通しても、池田さんの現在進行形の思考が共有されていたように思う。
前半約100分の講義では、これまでの歩みや、その中で考えてきたこと、現在の活動へ至るまでの思考のプロセスが、丁寧に語られていった。

主な話の内容は、以下のとおりである。『』内については、池田さんの言葉を引用している。
・どうして脚本家・劇作家・演出家・造形作家をしているのか
・匿名での創作について
・彫刻について
・『エンパシーが欠如した匿名創作からの離陸 欠如していた経験と過程の共有(解離)』
・ゆうめいの成り立ちや方向性
・『複数の意味と意図を内包させる狡さ』
・育児について
・ハンドメイドについて

講義形式のレクチャーでは、これまでどんな作品を作ってきたのか、どのような創作プロセスを経ているのかといった、作品を起点とする話が中心になることが多い。しかし今回は、池田さんの人となりや創作活動の原点、それらが現在の活動へどのように結びついてきたのかが語られた。
原点から話を始めるという切り口は、スペースノットブランクが招聘アーティストにあらかじめ提案しているものだという。作品として整理される以前の経験や、現在も形を変えながら続いている思考まで共有されるのは、スタディグループという、ある種クローズドな場だからこそだと感じた。

お話の中で印象的だったのは、「守る」という言葉。
池田さんの話には、育ってきた地域、住んでいる地域のことが度々登場する。
池田さんはかつて走ることをしていたという。「好きだからではなく、住んでいる地域において自分を守るために走っていた。」
好きでなくても走る人がいるのか、と。最初はそのこと自体の面白さに気を取られたが、だんだんと話が進むうちに、その地域で他人からどう見られ、どう自分を保つかが、自分の行いを作り上げているということ、その素朴な自己形成の仕組みに気がついた。そして、素朴だからこそ、いかに走ることが切実だったかを想像するに至る。

池田さんの過去についての話の節々では、環境によって選択や感情が左右され、その呪縛に気づきながらも、なおその呪縛の中へ入っていってしまう感覚が立ち現れることがあった。
ふと、我に返る。あ、その感覚、知っているかも、と。
けれど、その環境は、自分が住む地域であり、生活を成り立たせる最小単位でもある。簡単に切り離すことはできない。そこにジレンマがある。そして今、私自身もまた、その渦中にいるのだと気づかされる。
レクチャーというと、他者から知識を受け継ぎ、自分のボキャブラリーを増やす時間を思い浮かべる。しかし、今回はそれだけではなかった。誰かが経験したことや、かつて抱いていた感覚を通して、自分の言語化されていなかった状況に気がつく。それが、自己開示すること、そして、聞くことの醍醐味なのだと思う。誰かの経験を聞いたからといって、目の前の状況が直接解決するわけではない。それでも、自分だけでは見つけられなかった感覚や言葉に触れることは、確かに励みになる。

「守る」という言葉は、匿名での創作についての話にもつながっていく。
池田さんから、一つの問いが投げかけられた。
『誰にも知られない言葉or作品+擬似ワークショップ』
誰にも知られたくない言葉を、1分間想像する。それは、発表しないものを明確に見つけるワークであった。
そのことは、宇宙上の誰にも言わない。言わないことに価値があり、それが自分を守ることにつながる、と。
環境によって喋らされてしまう日常の中で、絶対に伝わらないものを見出すこと。その問いかけを通して、私は自分の内側に、わずかな力強さを見出した。表現することには、外へ向かうベクトルが無意識のうちに前提としてある。何を伝えたいのか、どのように伝わってほしいのかを考える。しかし、表現する以上、何かを外へ伝えなければならないという前提もまた、先ほどの話にあった呪縛と似ている。このワークが促すのは、その真逆の方向である。誰にも伝えないことによって、自分の内にある確かなものを見つける。その時間は、自分だけのお守りを作り出すようでもあった。
伝えることと、伝えないこと。外へ開くことと、自分を守ること。物事は表裏一体である。そのシンプルさを突きつけられる。

池田さんの話には、常に悩みが蠢いている。「守る」「安全」という言葉を手がかりに、一つひとつの物事を複数の側面から捉え、行き来していく。そこに、システム化されていない、手探りの思考のプロセスを感じる。話はさまざまなルートをたどり、むやみに結論づけられることなく、現在進行形の思考として、手探りのまま残されていく。
そんな中で、猛烈な勢いが生まれた瞬間は、「ハンドメイド」についてである。
「ハンドメイドがやりたい、肩書きの最初が造形作家となればいい」と、気持ちを表出する等身大の池田さんが、そこにはいた。
ハンドメイドに関する語りの熱は、聞いている私の好奇心までも駆り立て、頭の中が「ハンドメイド」の文字列で埋め尽くされる。
ハンドメイドハンドメイドハンドメイド…………。

休憩を挟み、後半のワークショップへ移る。ちなみに、休憩を挟んだにもかかわらず、私の中ではハンドメイドの余韻が残っている状態である。
以下は、ワークショップについての事前告知の内容である。
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タイトル:線による空間と会話
概要:舞台芸術における人と人とのスペースと境界線をマスキングテープ(mt heta)を用いて空間を線で視覚化していくワークショップです。テープによるルールの発見と制限、その場で起こる想像を会話によって拡大していく試みを行います。
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使用するのは、「カモ井加工紙 マスキングテープ mt heta box」。
マスキングテープは、長い巻き取り紙をカットして作られる。その際、両端に残る部分は、廃材として捨てられてしまう。「mt heta box」は、その端材をまとめ、ボックスに詰めて販売しているものだという。つまり、マスキングテープの「ヘタ」である。
ヘタには芯の部分が残っており、握ったときの感触も楽しい。廃材を活用でき、触れる楽しさもある、一石二鳥のアイテムである。

ワークでは、そのテープを空間に渡し、線を引いていく。一人一巻きずつ手に取り、スタート。テープの使い方を手で探りながら、空間のあらゆる場所に貼りつけていく。
壁から床にかけて浮かせながら貼ったり、椅子を使ったり、カーテンをくくったり、床にまっすぐ引いたり。「森」という字が出現したり、「↓」が壁に現れたり。
それぞれが気の向くままに身体を動かしながら、テープを空間に記していく。貼る、引く、というより、「記す」というイメージが私には近かった。
テープとテープが交わり、重なり合い、空間が埋め尽くされていく。時折、誰かがテープに引っかかり、テープが揺れ、崩れたりする。一台のスマホがテープの中に組み込まれ、囚われていたりもする。私の見た限り、おそらく全員が没頭してテープを駆使していた。ビービーとテープが擦れる音と、黙々と前のめりに動く身体たちと、淡いテープのカラーが混在する。

テープが尽きてきたころ、池田さんから「居心地のいい場所を探す」という声がかかる。
テープが混線しているところ、首周りを囲まれるところ、深くかがまなければ入れないところ。少し冒険をしながら、自分が落ち着ける場所を探す。
結局、私は自分が引いた、ホワイトボードと床をつなぐ縦線の間を選んだ。どうやら、斜めの線よりも平行の線のほうが、感覚的に落ち着くことがわかった。

続いて、全員がいったん近くの壁際に寄り、そこから対角の壁を目指して、テープに触れないように進む。テープをまたぎ、潜り、ときには譲り合いながら、対岸を目指す。
壁際までたどり着くと、次は右隣の人についていく。先頭の人に続いて一列になり、前の人がテープの間をどのように通っているのかを観察しながら進んでいく。
前の人の動きを見ていると、ちょくちょくテープに触れてしまっていて面白い。しかし、他人の動きに夢中になっていると、今度は自分がまんまと引っかかる。
やがて前後が入れ替わり、最後尾だった人が先頭となって、再び進む。テープをよけながら進むうちに、少しずつ身体へ負荷がかかり、ほどよい疲労がやってくる。

一連の動きが終わると、全員で腰を下ろし、会話へ移る。池田さんからの問いかけと参加者の応答を、私の覚えている範囲で記しておく。

池田さん「どんな記憶が甦ったか」
・茂みをかき分ける
・アスレチックのロープ
・大人になると、「できること、できる範囲」で動いてきたことを思い返す。目の前にくるという制限によって、そのことに気づかされる。

池田さん「これ(テープの空間)自体、何に見えるか」
・お風呂に入ってる感じ
・骨粗鬆症
・家の間取り(お風呂の話から連想)
・参加者の一人のスーツ姿も相まって、パーティー終わり

私はこれらの問いかけに対して、「水中のような」という言葉が浮かぶ。
それから、小さい頃遠足で山道を歩いた際の、ひたすら前についていくわけのわからなさを思い出した。目的地へのルートも距離感覚もわかっていないので、とりあえず前の人の足元を追いかけるしかない。ゴールから逆算できない身体の、不思議な感覚である。
また、「大人になると、首元の高さまで目の前に何かがあることは、なかなかない」という参加者の言葉を聞いて、気づいたことがある。身長の低い私にとって、目の前に広がるテープの混線は、むしろ日常の視界とそれほど変わらないということだった。周囲にいるほとんどの大人は自分よりも大きく、視界を遮る。通勤時間の電車の出入り口や人混みのホームでは、自分より大きな身体が四方八方で蠢き、常に視界を遮っている。テープによってつくられた空間が、私にとっての日常の視界に近いことに気がついた。
私にとっての日常が、他人にとっては非日常なのかもしれない。その発見を、テープがもたらしてくれた。

片づけに入る。
端っこからテープを回収していく。会場を傷つけないよう、一つひとつ丁寧に剥がす。みんなでテープを中央へ集めていくと、やがて一つの大きな塊になった。
オレンジ、青、紫、黄色。鮮やかな色が、一か所に集約される。
粘り気を帯びたテープの塊を、一人ずつ持ち上げてみる。「ベイビーくらいの重さかな」という声が上がる。なぜか、それを手にすると、みんな嬉しそうな顔をする。
全員の手を一周したあと、塊は、もともとテープが入っていた箱の上に置かれた。休憩がてら、自由な鑑賞タイムが始まる。
手の込んだもの。いくつもの手垢が集まったもの。そこから、新しいものができ上がる。身近なものを介して、遠くとつながる。
ハンドメイドとつながる。
私の頭の中で、「ハンドメイド」の文字列が再燃する。
ふと、周囲を見る。
なんか、みんな楽しそう!!
そう、それでいいのである。
連日の酷暑が少し和らいだ、この日の空気のように。身体と思考が、柔らかく解きほぐされていく時間であった。

続・継承する身体

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